January 12, 2009

受験生につたえたいこと



高校生の頃、たびたび見る怖い夢があった。
学校に着いて、教室に入っても、自分の席がない夢。自分の居場所がない夢。
大人になった今でも、思い出したように、年に1度くらい見る。


私は片道2時間かけて高校に通っていた。
通勤時間に長々電車に乗って、乗り換え歩き、最寄り駅に着くと、何もない湿地帯の向こうに学校が見える。
まるで荒野に浮ぶ夢の島のような景色だった。
毎日、現実じゃない世界と、現実の家とを、往復している気分だった。
ただただ楽しかった毎日。本当に夢の世界のようで、一生懸命に通った。
卒業後は、決して戻ってはいけない場所、夢の世界は存在しないのだと、自分に言い聞かせ、
次の人生、また次の人生と、歩んでいたのである。




先週末、その母校で美術系大学の合同の説明会があった。
卒業生ということで、入学センターから誘いをいただき、アシスタント的な役割でついて行った。
卒業後およそ9年弱、1度も訪れる事のなかった高校。周辺環境の変貌ぶりは色々と話を聞いていたが、
やはり、戻ってはいけないと、あの頃に引き戻されてはいけないという、少々の不安感があり、
大学入学以降、ずっと考えてきた「デザイン」にまつわるあれこれを、じっくり整理しなおしておいた。
デザインについて説明するためというのもあるし、今の自分を確かに持っておくためでもあった。


しかし、いざ説明会が始まってみると、私はなにやら、デザインとは何ぞということがどうでもよくなっていた。
デザインに関して、高校1・2年生に対しての事柄は、その場の私以外の人でも誰でも説明できることであった。
私は何を思ったか、しきりに「客観性を持て」ということを説いていた。
自分を外からも見ろ。自分の小さな常識にしばられるな、他者に不確実な常識を押し付けられるなと。
もちろん、高校生にわかりやすく、実際の事例に即して、説明したわけだけど、
概ね上のようなことを中心に話していた自分、なぜなのかわからぬまま、家路に着いた。



翌日、ただボーッとしていた時に、はっと気がついた。
思い出した。高校時代、ただ楽しかっただけじゃなく、自分を変える出来事があったんだった。

中国語を勉強していた関係で、日中交流事業に参加し、訪問団として中国の提携校へ短期留学した時。
初めての海外が旅行ではない形で、私にとってはなかなか過酷だった。
3日目くらいから、強烈なホームシックにかかった。今まで日本という狭い国の、
さらに狭いコミュニティーの中でだけ通用してきた常識に、いかにとらわれて生きてきたか。
異国の地で、自分の常識も言葉も通用しないところに、身ひとつでいる自分。
それまで未熟ながらも築きつつあったアイデンティティーが、根底から崩れるのを実感した。
それでも、そんな自分から逃げることは絶対に不可能で、乗り越えるまで
対峙し続けなければいけない環境。目をそらす事ができない苦しみ。自分の弱さ。もろさ。

若さが功を奏したか、それはさらに3日程度経った頃、抜けきることができた。
乗り越えてからは、腹をこわす仲間が続出してきて「食物繊維が足りない」と口走る者を見たりした私、
ひとり宿舎を抜け出し、露店でバナナを一房(15本くらい付いてるの!)を値切りたおして買って帰り、
部屋を回って区切りの良い値段で売りさばき、少々の利益を得るというような行動をとる奴になった。
一度環境に順応すると、とたんに強かになる性質が私に備わった旅であった。


その経験は、大学受験に、大いに生きた。
高校の美術コースに所属していたが、一応予備校の短期講習に一通り参加してみて、
客観的に自分の状態を見て、今自分にあるもの、これから必要なものを判断した。
勉強方法を自分専用に組んだ。高校の先生にも個別に相談に行き、指導をしてもらった。
同級生には、美術コースと予備校を平行していた人も多かったが、そちらから流れてくる
出所のわからぬ不確かな入試関係の情報(何色を使うと落ちるとか)には一切耳を向けなかった。
入試当日、ただでさえ緊張しているのに、中央線が事故で止まり、頭が真っ白になったが、
ああ、私は今緊張しているんだ。仕方がないんだ。当たり前だ、受験なんだから、と、
もう一人の私が自分を外から分析し、パニックになっている自分に動揺することはなかった。
基本的にビビリ体質の私が、一応落ち着いて入試をひととおりクリアしムサビに合格できたのは、
あの時の自己とのガチンコ対決のおかげだろう。



きっと、9年越しに吸った夢の島の空気が、私にそのことを思い出させてくれたのだろう。
それで、今、島にいる高校生たちに、それを伝えたいと思ったのだろう。



もうすぐ受験をひかえた人たちに、これだけは伝えたい。
緊張して当然だ。緊張しないなんて無理な話だ。いつもどおり?そんなのありえない。
動揺してる自分は、そのまま動揺させといてほっとけばいい。いちいちかまうな。
緊張を落ち着けようとしてもがく無駄なエネルギーを、
今まで一生懸命勉強して培ってき力を発揮する方へ向けてほしい。
大丈夫。




9年前、毎日見ていた夢の島。何もなかった荒野には、今はマンションや家々が建ち、
あの頃一番近いコンビニまで徒歩10分だったのが、真ん前にコンビニがあり、ファミレスがあり、
巨大なショッピングモールには、大型スーパーやライトオンやドコモショップやダイソーなどがあり、
その中のタリーズに入ってコーヒーを飲みながら見える高校は、もはや夢の島の景色ではない。


あの時私は確かに、ここに居た。
そして今はもう、教室に本当に私の席はない。
すべては現実だったのだ。私は今は、今という現実を生きている。
あの怖い夢は、もう2度と見ることはないだろう。


okina_maro@hotmail.com





会場で、久しぶりにタマビの米山さんにお会いしてお話することができた。
オープンキャンパス以来、半年ぶり。半年か… もっと昔のことのような気がする。

ムサタマトーク乱入、感動的なシナリオ、それなのにその数週間後のKY事件…
思えばあのKY復活は一番、ご協力くださった米山さんに対して申し訳ないことじゃないの?
今更ながら、ほんとにすみません。 でも、楽しかった。ありがとうございました。


久々の米山さんは、相変わらず前のめりの、おもしろかっこいい方だった。
楽しそうに仕事をしている大人はとても素敵だ。

Posted by okina at January 12, 2009 11:03 PM
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