›September 19, 2007

タイムカプセル発掘のおもひで


同窓会といえば、小学校のクラスでは、20歳のときに、
タイムカプセルを掘り起こす会が催されたんだった。なつかしいから思い出話。

タイムカプセルというものは、埋めても忘れてしまったり、
工事やなにやらでどこかへ消えてしまったりで、あけられることは珍しいと聞いた。
だが、わが6年1組のタイムカプセルは、無事に日の目を見たのである!


場所は、小学校の体育館の裏の一角。
学校側に発掘の許可を得たのち、一同は作業開始。
埋めたところには石を積み上げておいたのだが、そんなの残ってない。
みんなのあいまいな記憶をたよりに、辺り一面開墾し、
1時間後に地中から姿を現した。


 tG.jpg


ご覧のとおり、カプセルはごく一般的な、梅酒を漬ける瓶。
中身は湿ってしまっているだろうと、みんななんとなく心配していたが、
しっかりと密閉されていたようで、完全に無事だった。
全員の寄せ書き、名札、そして20歳の自分への手紙。


「20歳の自分へ。元気ですか?私は元気です。今日は卒業式です。」
おめでとう。私も元気です。

「もう立派な大人になっているのでしょう。」
ばか。20歳は君が思っているほど大人じゃないよ。

「なにをしているんだろう。」
しがない学生です。

「恋人はいますか?」
あんまり夢を見すぎるなよ。

「これからも体に気をつけてがんばってください。」
ありがとう。あなたも楽しい中学生活を送ってください。

「p.s.同封の写真は、雪がいっぱいふってかまくらを作った時のものです。」
かわいー! 今の私じゃ、そのかまくらには体半分位しか入れないよ。


この時の感動は、筆舌に尽くしがたいものがあった。
たった8年間だが、12歳から20歳という期間、人は大きく変わることを実感。
今じゃタイムカプセルの業者もあるという話だが、手作りでもできる。
教師のみなさん、生徒さんに勧めてみてはいかがでしょう。


〔成功のひけつ〕
(1) カプセルは梅酒の瓶が成功実績あり。缶は錆びると聞いたことがある。
(2) 敷地の端の建物の傍など、工事等で掘られる可能性の低い場所を選び埋める。
(3) 掘り起こす時期は、10年以内の現実的な数字にする。長いと忘れる。
(4) 埋めた場所の地図を作成しておき、全員で保管する。アルバムと一緒とかで。


  tP.jpg


瓶の内側に記載されていた、書いたことを誰もが忘れていた文字。

「祝卒業 6年1組タイムカプセル
 製造年月日:1994年3月25日
 賞味期限:2002年3月25日」

カプセルが開かれたその日は、2002年3月24日。
偶然にも賞味期限1日前の、桜吹雪の舞う日だった。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 09:42 PM | Comments [2] | Trackbacks [0]

›September 18, 2007

同窓会


中学の、学年全体の同窓会があった。
私は、20歳前後はとてもすれた若者だったために成人式に行っていないので、
こういった規模の集まりに出向いたのは初めてだった。
隣町の小さなホテルが会場だったので、行きやすかったのもある。


これまで勝手に思い描いていた同窓会のイメージは、
おとなしかった奴がジャラジャラとした成金になっていたり、
みんなのマドンナだった子が肝っ玉になってて大声で笑ってたり、
細かった人がメタボでつるっぱげの典型的なオヤジになってたり、
とにかく幻滅しかないというものであるが、
さすがに26歳では、そんなふうに様変わりした人はいなかった。
みんなやたらと背が伸びていたけど、そんなに雰囲気は変わらないものだ。
もともとよく知らない人以外は、ちゃんとわかる。


不思議な空間だった。世間の荒波にもまれて生きてる若者が、昔の友と再会して、
集団になって、ノリが中学に戻って、でも酒が入ってて、なんだかすごかった。
壊れた大人の集団というかんじ。
繁華街を集団で移動していると、おそろしく迷惑なひとたちである。
でも、そんな中にいても、妙な心地よさがあった。
そりゃ確かに私のような人種には、男子がスーツの人が多かったりすることや、
2次会がバーだったりするのは、カルチャーショックだったけど、
みんな同じ年齢の人間がここまで多人数集まってる中にいるのは、
ものすごく久しぶりではないかな。それがきっと安心なんだろう。

中学時代にとりわけ良い思いでがあるわけでもない。
でも、同じ歳で、一時期は同じ場所で生活していた人たちが、
今をどう生きてるか、何を考えているか、もっとたくさんの人と話を
してみたいと思った。
また、そう思える程度には、自分が成長してることもわかった。
行ってみてよかったと思う。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 02:19 PM | Comments [0] | Trackbacks [0]

›September 14, 2007

続・どんだけ〜


TVのニュース:
「…この件について、自分で自分の腹を切り入院している暴力団員の男に、事情を聞くことに…」


父:
「自分で自分の腹を切るって、なんだそれ?」


母:
「ヤクザでしょ? 切腹じゃない?」


父:
「どんだけ〜!」


我が家で一番正しく、自然にどんだけ〜を使用したのは父。
あなたは偉大だ。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 10:46 AM | Comments [0] | Trackbacks [0]

›September 04, 2007

「どんだけ〜」考


私の知らぬうちに、いつの間にか若者のあいだで一般化した言語。
「どんだけ〜」
私がこの言葉を耳にするようになった時には、もう彼らの世界では常識だったようだ。
実におもしろい現象だ。
若者に限られた共通認識を、外側から検証できる年齢になったわけである。


さて、そんなわけで、この言葉がどのような場面で、
どういうニュアンスで使用されるのかを、電車の中で高校生の会話を聞いたり、
若者のブログを読んだり、ドラマの中で使われているのを注意して観察したりした。
その結果、現時点で「どんだけ〜」には2通りの使い方があることを確認した。
仮に名付けるならば、「量的どんだけ〜」と「質的どんだけ〜」である。


前者は、初心者でも比較的抵抗なく理解し、使用することができる。

【例文1】
A:「今日も熊谷の最高気温40度になるらしいよー」
B:「どんだけ〜」

こういった場合、「いったいどれだけ40度が続くのか」という文の、
「どれだけ」の部分を抽出して、短縮使用している。
驚きの感情を込めた表現である、「どんだけ○○なんだ!」という言い回しと同じだ。
程度が著しい場合の表現として、量的どんだけ〜は、大人社会でも容易に使える。

【応用1】
A:「また農林水産大臣が代わるんだって。」
B:「どんだけ〜」

説明するまでもなく、「どんだけ代わるんだ!」の意味である。そう違和感はない。


それに対し、質的どんだけ〜の方は少々難解だ。
簡単に他の言葉に置き換えられないのである。

【例文2】
A:「もしもし今どこ? 集合場所吉祥寺ってメールしたけど、国分寺だった超ごめーん!」
B:「どんだけ〜!」

このどんだけ〜を、どのように言い換えれば良いのだろうか。
「どーゆーこと? アタシだけ吉祥寺に来ちゃったじゃん。勘弁してよね〜 サイアクー」
という感情だろうが、無理やり文章にしても「どんだけ〜」という言葉との関連が見いだせない。
そもそも、瞬時に頭の中にこんな長文のような盛りだくさんの内容が浮かぶとも思えない。
それよりも、「えええええっ??」とか「ふへぇ〜(脱力感)」などの感嘆符の方が近いだろう。
言葉にならないその場の感情を、「どんだけ〜」の一語で表現しているわけである。
若者は、質的どんだけ〜を使用するタイミングが的確かつ絶妙だ。大人には難しい。

【応用2】
A:「あのセレブきどってる奥さん、最近お料理教室を開いたけど、あれ実は宗教勧誘らしいわよ」
B:「どんだけ〜!」

苦しい。実に不自然である。
我々世代より上の人間が質的どんだけ〜を使いこなすには鍛錬が必要だろう。


若者は、新しい感覚に新しい言語を生み出し、すぐに対応できる。
それは、年を重ねるにつれて衰えていく能力かもしれない。
私も、適応ができていなかったというか、発生にしばらく気づかなかったわけで、
やはり衰えが始まっているのだろう。
だが、たとえ適応能力が低下の一途をたどったとしても、
新たな言葉を頭ごなしに否定するのではなく、まずじっくり観察し検証していけたら、
とても楽しいのではないかと思う。今回みたいに。




この「どんだけ〜」における説について、
ご意見・ご感想・また別の見解も、お待ちしております。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 10:30 AM | Comments [0] | Trackbacks [0]

›September 02, 2007

不可能を可能にする


小中学生の2学期とともに、明日からうちも後期が始まる。
私も夏でとけた体をなんとか形にして仕事をしないといけない。
ひきこもって苔むした脳を虫干しすべく、今朝は
車をとばして、市立公園の自然の中へ、太陽を浴びに行った。

思えば運転するのは久しぶりであった。
暑い時は車なんて乗りたくない。狭くて息苦しいものね。
今日は窓を少し開けて、見晴らしの良い景色を堪能。田舎万歳。


さて、車で出かけるともれなくついてくる憂鬱、それは自宅の駐車場。
以前よりは慣れたが、家が近づくと少し気分が沈む。(参:わがやの駐車場図
そしてふと気付く。車が新しくなって、後ろにカメラがつき、
ナビの画面に映るようになった。駐車時とても便利。
そういえば説明書に「縦列駐車ガイド」という機能があったじゃないか!
今更ながら、今日はじめて試してみようと思い立つ。
今後はもっとずっとラクに止められるようになるかも?

…なんて意気込んだのだが。。。
「この幅では不可能です」 って表示が!
なんですと!
私は何度も入れましたよ!
父なんて毎日入れてますよ!
前の車なんて、もっと長かったんだから!
もしかして無理やり不可能を可能にしてるのか!?
それってすごいんじゃないの?
しかも私は初心者だよ?
確かに今日も、狭い路地をバックで入って曲がるところを、
通りすがりのおじさんが足を止めて目を丸くして見ていた。
若輩者の、若葉マークの仕事じゃないってわけじゃんよ!!!
必要な状況があれば案外、人間やればできるってことかもしれぬ。


今では、普通に走ったり交差点を曲がったりレーン変更するより
縦列駐車が得意になってしまった。
ちなみに普通のよくある駐車場はすこぶる苦手です。どこも行けない…


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 07:52 PM | Comments [0] | Trackbacks [0]