›October 24, 2009

先生とよばれることは



出張費の申請書を作成していたら、10月は7のつく日は出張していたことに気付く。
また、チャリンコ出張や宿泊を伴う別申請のやつを入れると、5回も出張に出ている。
むろんぜんぶ高校訪問、予備校での説明会、他大視察などである。
うーん、おどろきだ。
この仕事を始める時、まさか自分があちこち行く系の仕事をするとは思っていなかった。
完全に裏っかわで、学内に巣くってサブ的な役割をするとばかり思っていたのだけど。
名刺がバカスカなくなってゆき、あっという間に追加印刷の発注…
どんだけ。


そうは言っても、おきなまろはやっぱりサブなわけである。
予備校説明会では、メインの人と組んで助手的役割で働くし、
高校訪問も、しゃべれる人のくくりでは5番手(打順最後)。
1日に何校も重なっちゃった時だけ回ってくる役割なのである。

が、
最近は入試シーズンに突入したもんで、兄さん姉さん達は入試で大忙し。
入試に関してはド素人のおきなまろは、試験もろもろ佳境になってくると、
邪魔!ぽいっ と放られることになるわけで、きょろきょろしているばかりでもいられず、
高校訪問マイスター髭男爵が回りきれない分を、おきなまろが行くことになるのである。


これが実に恐れ多い。
高校が進路指導の一環として、業者を通じていろんな分野の大学を招いて、
進路ガイダンスをおこなうというもの。
その美術系分野担当として、ムサビに職員派遣の依頼が来るわけだが、
立場としては、「講師」なわけでして。
そうするとね、「先生」って呼ばれるのね!
髭男爵は、先生と呼ばれてもおかしくない、いや先生と呼びたくなる風貌なのだが、
え?こいつ?と思うような小娘おきなまろを先生と呼ばなければいけないなんて、
業者の方や先方の高校の先生方が不憫でならない。

ムサビの学生は知っていると思うが、殆どのムサビ職員はフォーマル服で仕事をしていない。
おきなまろも当然、学生と同じようなカッコで通勤してるし、
出張の時もいつもとおんなじ服装のまま行く。
そうすると、他大学の人たちはビシッとスーツを着込んでいるので、浮きまくる。
でもおきなまろがスーツを着込むと嘘になるので、着ないことにしている。
つうか、一張羅のスーツは実家に置きっぱなし(袖通したことがない)。
そゆわけで、名刺を見るまでは「このひと何!?!?」と思うような風体の
おきなまろを、とりあえず他に呼びようがないからみなさん「先生」と呼ぶしかないのだ。
たしかに、自分がそちら側でも、そう呼ぶだろうなあ。それしかないもんなあ。

でーもー、これが慣れない。いつまでたっても慣れない。


「先生こんにちは。
  あ、先生、先生!? あのーー!こちらでーす! せんせーーーい!!!」


「あ、私ですか? す、すみません! こんにちは、お世話になります!
  武蔵野美術大学のおきなまろと申します。よろしくお願いします。ぺこり」


ということをやったのは1度や2度ではございませんで。


でも、一度教壇に立って高校生の前で話を始めたら、服装とか呼び方なんて関係ない。
伝えるべきことを、今の状況を瞬時に的確にと判断して、伝えてゆくのみ。
ほんと、去年の今頃は、翌年自分が高校で話をしているなんてまるで想像していなかった。
人生わからない。
わからない旅だから楽しいんだな。
スリルまんてんすぎてまいっちんぐまちこせんせいですけどね。
やるっきゃない時もあるってもんだわ。



でもひとつ…
予備校説明会の時に、「武蔵野美術大学おきなまろ先生」の名札を用意してくれちゃうのだけは、
やっぱりつらいわーーー
つけてるとおちつかねー
うさんくせー
まじうさんくせー
受験生だましてる気分よ。だましてないけど!
修正ペンもっていきたい。

Posted by okina at 11:23 PM | Comments [0] | Trackbacks [0]

›October 07, 2009

トンネルをぬけたら東北



怒濤の一週間を過ごした。
デザインの仕事でスランプ的な状況に陥り、どうしたらいいのかわからなくなって、
とにかくもがいたり、ひとりになるのが怖くて人に甘えていたり、ぴーぴー泣いたり、
さんざん色々わめいていったい何人の人に迷惑をかけただろうか。
こんな私なんて蹴っ飛ばしてくれればいいのに、心から私のことを思って支えてくれる周囲の人たちは、
本当にすばらしい人たちだと思う。本当にありがたい。


とりあえず、ひたすらわめいて遊んで飲んで、区切りをつけてなんとか仕事にメドをつけ、
ヘロッヘロの状態で挑んだのが、先週末の山形〜仙台出張。
やー不安でしたよ、コンディション最悪なんだもの。

ただ、山形は私がかねてから行きたいと思っていた、東北芸術工科大学の視察。
美術系大学の中でも東北芸工大だけは、何やら私のセンサーがただならぬ気配をキャッチしていたので、
その気配というか直感が何なのか、ちゃんと見たかったのである。深く調べたことはなかったのに、不思議なものだ。
だからこの出張、最初から行く気まんまんで立候補したのであった。
まさかこんな精神状態が続く頃と重なるとは思いもせずにね。


しかし旅というものは、例え仕事であっても心を解放してくれるもの。
土曜日の朝、うっかりアフロとサングラスを忘れた竹林兄さんとともに出発。


鉄道好きにはたまらない山形新幹線つばさ号に乗り込み2時間ちょい、あっという間に山形に到着。
お店の人、駅員さん、ホテルのお姉さん、タクシーの運ちゃん、学食のおばちゃん、みんなが山形弁。
私には山形の血が濃く流れているので、やたら安心する空間だ。

周囲に山々が連なる景色の中に、東北芸術工科大学はそびえ立っていた。



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……つうか、メインの建物、こんなでけえとは思わなんだ。
一番高いところは7階だって。 ひえー
高所恐怖症のおきなまろは、足がすくむ。


東北芸工大には、足がすくむ場所が多い。
おきなまろの高所恐怖症はちょっと変わっていて、もちろん単純に高さに対する恐怖もあるのだが、
それよりも怖いのが、足場の無いところへも自分の足が勝手に歩みをすすめ、ふわりと進むイメージを持ってして、
血迷ったように身をなげてしまうような衝動にかられるからである。自分、空を歩けるよ、みたいな。
そういった衝動を起こさせるロケーションが多い。



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がーっと人工池。



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せりだす感じ。



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ぴょーんとね。



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建物をつなぐ通路も橋状になってて、柵がないから思わず…



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学生会館の窓より。盆地のへりに建ってるので、市街地が一望できる眺め。



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思わずアイスを食べてしまう衝動。



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夕暮れのアフロ(修正済)。きっと今は自由に空も飛べるはず。




学内を見学したり、いろいろ学生さんとお話しをしたり、視察としてもかなり実りのある充実した訪問だった。
直感的に感じていたただならぬものの正体も、なんとなくつかめたような気がする。
広い敷地&山な敷地をぐるぐる歩き回ったから、かなりの疲労であったのだけれど、心は充実。

夜は、東北芸工大の入試課ブログ筆者、なかのひとさんとお食事。
ちゃんとお話をしたのは初めてだったのだけれど、とても気さくなお兄さんで、すぐ打ち解けられて、ホッ。
普通に喋ってると全然山形弁じゃないことだけが唯一不満。地元人のくせにっ。
でもでもいろんな深ーーーーーいお話がたくさん聞けて、勉強になり、とても楽しかった。
私が何度も飛び込みそうになった池は、時々飛び込む奴もいるらしいし、凍った時に歩いて落ちる奴もいるらしいけれど、
あの水は実はかなり濃いカルキで、水深も浅いから、飛び込まない方がいいということも教えてくださった。
思いとどまれてよかった。ありがとうございます。


翌日は、ちょっと早起きして温泉につかり、その後、高速バスで仙台へ移動。
メインイベントである予備校説明会へと向かう。
バスの中ではガン寝してしまって、山の中の風景など一切記憶していない。もったいなかったなあ。
竹林兄さんもかなりお疲れモードで寝ていて、私の骨のでっぱった肩に額を強打して目覚めたりしていた。
かわいそうに。


仙台では、直接仙台入りした教員2名と合流し、ちゃんと仕事をしたよ。
手応えありの、とてもいい仕事ができたよ。
うれしくてつい、仕事のあとそのまま仙台でムサビ4人で軽く飲んでしまったよ。
ごちそお食べてしまったよ。 牛タンなどなど、うまかったわー。



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帰りの新幹線でもガン寝、川越線でも西武線でもガン寝。実家に到着してすぐ睡眠。結局かなり疲れてたわけ。
しかし翌日月曜日は、本来休みなのだが、メドだけ立ってるものの作業が必要なデザインの仕事のため学校へ。
旅帰りで気分だけは解放されているのに、体が疲労でついてゆかないもどかしさ。
なんとかこなし、今日火曜日は通常出勤。

今日もまるで調子がでない。
明日の高校説明会で喋る内容を延々とまとめていたのだが、一体自分が何をしているか時々わからなくなり、
一体自分が何を伝えたいのかわからなくなり、つうか自分が伝えたいことを伝えるような仕事じゃないじゃんよ
説明会なんだから、仕事をなんだと思ってんんだてめえ、自覚を持て自覚を、だいたい自己管理がなってないから
大事な時にこういうことになるんだよ、周りに迷惑だってのがわかんないのか、うんぬん、というモードになっていた。

まだまだ私の精神状態は決してよくなったとは言いがたいが、
まあ、いざ高校生の前に立てば、腹くくってちゃんとこなせる自分を知っているから、悲観はしていない。
他のもろもろもそう。
周囲の懐の深さに今はまだ甘えていられるからこそ、許してもらっちゃえているからこその、この状態なのだから。
今はただ、自分の幸せな環境に感謝しながら、
自分を良い状態にもっていけるよう、
こんな時こそ小さな幸せを、
探して、大事にしていこうと思う次第。
やっぱり多くの人と関わる仕事って、救われる。
私はそうやってずっと生きて行きたい。
ありがとうみんな。
ありがとう東北。
みんなだいすき。東北だいすき。


okina_maro@hotmail.com

Posted by okina at 12:28 AM | Comments [2] | Trackbacks [0]