›April 09, 2011

震災その後



お久しぶりです。
ずいぶん長く更新してなかった…

おきなまろはどうしていたかって?ふつうにムサビにいましたとも。
というか、もうブログに何書いていいかわかんなくなってね。
学生、研究室スタッフ、としてなら書くこと色々あるけれど、
職員って、かぶりまくるじゃん… 公式っぽい情報はいくつもいらないし、
プライベート書くようなものでもないし。



そんなこんなだが、今回震災なんか起きてしまったので、気まぐれ更新発動。
あまりにも大きな出来事で、何をどう考えていいかも、まだまだわからない。
ひとつだけすぐに出た答えは、自分の大事な人、自分を大事に思ってくれる人が、
自分の周囲にたくさんいて、とてもありがたいということ。
一番大きいことだけど、まだそれだけ。


ここはムサビ日記、


ってことで、


自分とその周りのことを綴っていこうと思う。




あの日のことを少し。


あの時おきなまろは、倉庫の中にいた。
3月へ入って急に忙しくなってすこし疲れてきていた午後、資料をそろえる作業。
土曜に振替休日をもらっていたので、この作業が終わったら定時にあがって
デパートへ行って大好きなブランドのお洋服の春夏物先行展示会へ向かうんだ〜ってなもんで、
かるく鼻歌で、あと一息だ〜♪がんばるぞるんるんとか言いながら、倉庫内で一人荷造りをしていた。
そのタイミングで揺れ始める。しばらくシカトして鼻歌作業を続行。

が、揺れの大きさがクレッシェンドしていくにつれ、倉庫にいるのはどうかと思い、フロアに戻った。
途端、ドーッと揺れが大きくなり、足元が立たないのでカウンターにしがみついた。
高い棚の近くにいた同僚を呼んで手をとり、長い大きな揺れに耐える。
不思議なもので、やけに落ち着いていて、フロア全員の人の動きや表情を見ていた。今でも鮮明に記憶している。
しかし一方で、揺れがおさまったとき、手が震えていた。
自分の中のもう一人の自分、みたいなのを、初めてはっきり感じた体験だった。

倉庫の扉を開けてみたら、いなくてよかったと思う状態だったので、パタンとすぐに閉めた。
幼稚園から何度となく避難訓練を繰り返してきたが、実際にグラウンドへ避難したのは初めてだ。


その後はもちろん、デパートなど行けるはずもなく、ちっくしょーと思いながら、余震、待機…。
定時を前に解散&帰宅の指示が出て、皆帰路につく中、私は、なんだろうか、
妙に張りつめていてカンが冴えていたのだろうか、不思議な予感がして、自席を離れずにいた。
家に帰ったところでどうということもないし、自転車だし、帰れない学生はたくさん残ってるし。
私がフロアで最後の一人になった時、急に内線が鳴り、広報入学センターとしての仕事が発生。
なんかね、やっぱりな、という感じがして、その後は必死に対応しましたとも。
ひっきりなしの余震で、フロアに一人で、外は暗くて、もう怖いのなんのって冗談じゃないっすよ。
対策本部が急造されたけど、うちの部署は単独の部屋なので、孤立状態。
ただ、ニュースを見ていないので東日本のリアルをまだ知らず、静けさ時々地鳴り、キーボードの音。

すべてがとりあえず落ち着いて、帰宅したのは24時近く。
シェアハウスの住人は、誰もいなかったが、みんな大人なので特に心配はしなかった。
静かな家の中、眠れずにNHKを眺めていた。
翌日帰ってきた人に話を聞くと、児童施設の職員は、夜勤の人が来れなくて続けてシフトに入ったとか、
高校の先生は、生徒たちを一晩体育館で保護していたりとかで、働いてた。そりゃそうだなと思った。


その後のことを少し。
震災後3日くらいから、生活環境がガラリと変わって、不安な日々だが、一歩ひいてる自分、不思議だった。
しかしやっぱりもう一人の自分がいることを実感したのが、
久々に出勤して自席に座った時、グラーッと揺れる感覚がして、気分が悪くなること。
その後数日は席を離れた作業ばかりだったのが幸いだったが、しばらくはずっと地震酔いに悩まされた。
普通にフロアに入ってきただけで、足元から回りだすような感覚、今はだいぶ治まったが、地獄のよう。


そんな中、学生たちがとても頼もしいことを知った。
学内は入構が禁止されていたが、アルバイト作業があるため集まってもらった学生たち。
それぞれが不安とともに生活をしていて、作業中に停電があったりした中、いろんな話をした。
世の中の慌てたパニック行動を、つとめて客観的に冷静に見て、積極的に情報を入れ、処理している。
「義務教育から大学まで、今まで受けてきた教育のすべてが今、実を結ぶべく、試されていると思う」
というひとりの発言に、心をうたれた。
人々が、私が、思っている以上に、ゆとり世代の若者はたくさんの事を考え、知識を深め、生かす機会をうかがい、
静かに冷静に、大きな力を蓄えているということを、教えられた。日本には底力がある。間違いない。

そんなこんなで、卒業式の式典は中止になり、あっさり卒業証書授与が行なわれ、すぐに停電し、
余韻にひたる間もなくぽぽぽぽ〜〜〜んと卒業生は大学を追い出された。
しかし、ムサビは誇りをもって立派な人間たちを追い出した。きっと世の中に大きく貢献することだろう。





さて、
気を取り直して(?)、手羽氏がお題を出したという噂をきいたので、便乗してみようと思う。
小平市にあるムサビと、おきなまろの住処である国分寺の、4月9日夕方からお送りします。


●9時5時で仕事をする独り者は、スーパーにおいては弱者。

買い物のことである。
すでに水や牛乳やカップめんやヨーグルトや卵や、いろんなものが店頭に戻っている。らしい。
らしい。そのように聞く。もれなくそのように聞く。実際そうであるようだ。
おきなまろは出会えない。昼に買い物へ行かないから。最近は残業続きなので、夜じゃすっからかん。
シェアメイトたちも同時間帯に働いているので、冷蔵庫はすかすか。その日のものだけ買ってる感じ。
おきなまろばかじゃないの?と学生が教えてくれる。営業時間帯の違う店なら、夜でも売ってるよと。
夜9時すぎに一緒に行った国分寺の西友で、3週間ぶりに牛乳と再会し、涙した。私がばかだったよ…
野菜、とくに葉物もちゃんとある。茨城や群馬のものもある。
厳しい暫定基準の数値をクリアしてやっとたどり着いた葉っぱたちが、激安で売られている。
思わず買い占めたくなる衝動が起こる光景。それ、本当に必要ですか?と天の声が聞こえて踏みとどまる。
私が好きで行くのは、朝に品出ししてよーいドンの、夜は値引きシール満載の、生活感あふれるスーパー達。
でも国分寺にはいろんなお店があるし、個人商店もあるし、コンビニもあるし、まったく困ることはない。
頑なにスーパーにこだわるおきなまろだけが今日も空の棚の前に立ち尽くし、周囲は普通に回っている。


●外食は普通にできます。お弁当屋さん元気です。

震災から1週間たっていない時でも、いつも配達を頼んでいるお弁当屋さんは、通常の豊富なメニューで
健在だったということで、私やアルバイトの学生が歓喜の声をあげたのは言うまでもない。
スーパーで手に入りにくい鶏肉も、お弁当でもりもり食べることができる。
そしていつもの鷹の台風神亭も、停電中も営業し、いつものメニューで、打ち上げの我々を迎えてくれた。
風神亭は、被災地に炊き出しにも赴いていて、だてに神を名乗っていないお店である。すばらしい。
食べ物があるのは、スーパーだけではないのである!


●節電モードです。

あちこちで消灯している。学内もあちこちで、広報入学センターも3分の1を、消灯している。
余分な電気は使わない、という啓発ムードを作るには、ちょっと暗い世の中の視覚効果は大きい。
暗くてどよんとする空気、というのはあまりない。私は強い光が苦手なので、むしろ落ち着いてよい。
サイゼリヤまでもが、やけにムーディーな今である。


●ムサビは3・Bグループです。

計画停電のグループです。問答無用で電気が切れます。トイレなんて真っ暗です。
え?もう停電やんないの?あ、そう… これまったしっつれ〜いたしました〜


●西武線は平日は通常ダイヤで、土日に間引き運転。

ムサビの最寄り駅「鷹の台駅」がある西武線。ストライキでも止まらない黄色い電車たちが、
停電初期に、一網打尽にされた。弱かったですな〜 埼玉人の怒りはそれは大変なものでしたよ…
今はやっと、混乱もなくなった。日中は車内の照明を消して、外から見ると幽霊列車。
中にいるとちょっとわくわくする美しい空間ができあがっております。


●水、普通です。

ニュース後「ムサビは水道は大丈夫なんね?」という、新入生の親御さんからの電話をよく受けた。
今後は知らんけど大丈夫です。ムサビは小平市ですので。」
そらぁ心配するよなあ。(東京23区もすぐ数値下がったけど、一度数値出たら心配になるのもわかる)
でも、蛇口ひねると水出るのでありますよ。ありがたいことだ。
体できあがってる大人は、水道のありがたみを享受する機会だ。
ペットボトルは、「念のため」が重要である乳児にまわすべし。


●マスク人口が多いです。

放射能よけではない。花粉である。花粉が猛威をふるっている。どさくさにまぎれてひどいよ今年。
「屋内退避のエリアでは有効ですけど、東京ではマスクしても変わらないですよ〜」と専門家が
軽く鼻で笑いながら言ってたが、意味あるんだよ花粉には!ほんと手放せない!
桜が満開で気分もほっこり、ぶらり途中下車の旅、でもマスク着用、である。


総合すると、まあちょっとした不便があっても、ありがたいことに健康な一般ピープルは
個人単位ではとくに問題なく普通の生活をしている、ということ。
どこかしらに不安と、被災地への思いを持ちながら、それでも普通に生活するよう努力している状態か。
海外から見たら、日本沈没東京崩落くらいの印象なんだろうけど、
そんな東京の淵で、今日も仕事して、くだらない悩みでうだうだいって、ポテチ食べている、
桜の綺麗な春。


来週は入学式。
期待よりも不安がつのる新生活スタートだろう。
どこにいても不安になる時なのに、さらに新しい環境に一人で飛び込んでゆく新入生。
きっと必ず強くなる。
在学生とスタッフで、懐広くあたたかく迎えたい。

Posted by okina at 05:45 PM | Comments [0] | Trackbacks [1]