›2006年06月29日

草むしり

2ヶ月に1回のわりあいで、草むしりのために家事手伝いの人を派遣してもらっているけれど、依頼する会社はいつもはたちそこそこの女の人を派遣して来て、「いい若い者がくさむしりなどというじじむさい仕事をするな」と言いたい時もあるけれど、それよりもいい大人が若い女に草むしりなぞをさせてと近所の人に言われてはいやしないかとも思うし、「音量子さんのお宅、またちがう若い女の人が庭の手入れをしていたわよ」と近所のおばさんに言われているかもしれないとも気になってしまう。


とは言うものの、近隣はみな古くから横浜にいる家で(古いといっても横浜開港150年くらいだから、大したことはないけれど)、他人には適切な距離を保って接するので、つまりべたべたせずからっとした人付き合いをするので、浜っ子のスマートさをこういうところにも感じとることができる。


「キャラミル研究所」の診断によると、僕自身は「人は人、カモメはカモメ」というタイプだそうだから、横浜に移ってきて実際に暮らしやすいし、近所の人から見ても煩わしくない人間だろうと思う。



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›2006年06月26日

ぼけ

外国のカメラのサイトを見ていたら”Bokeh”という言葉が出てきて、レンズに関する記述の中にあるのだけれど、ピントのあっている範囲から徐々に焦点がずれていく状況を言うようで、つまり日本語の「ぼけ」だ。このような言葉が英語化していることに少し驚いた。


そこでGoogleで”Japanese originated words”で検索してみたら、Wikipediaのページが最初にリストされたのでアクセスしてみると(http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_English_words_of_Japanese_origin)、あるはあるはこんな言葉までというのがあった。
まず、”Honcho”(班長)。説明を読むと、第2次世界大戦でアメリカ兵捕虜がさまざまなお土産とともにこの言葉を本国に持ち帰ったようだ。


“Bento”(弁当)は日本料理屋から広まったか。ビジネス用語では”Karoshi” ”Kaizen” ”Kanban” ”Keiretsu”と、なぜか’K’で始まる言葉が多い。
最近英語化したと思えるものに”Hikikomori”。名詞だけではなく、”Skosh”(少し)という形容詞が英語化しているのに驚いた。


ちなみにこの文章はワードで書いているけれど、ミススペルを警告する赤下線が表示されなかったのは、”Bento”、”Kaizen”、”Keiretsu”の3つだった。



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›2006年06月25日

横浜散歩 2

今日は横浜港あたりをぶらぶらして写真を撮ってみようと思って、曇りだけれど梅雨の時期に雨が降っていないのはまだましだろうと準備をして玄関を出たら、雨がざーざーと降っていた。
気を取り直して傘を持って家を出て、近所から横浜駅行きのバスに乗って紅葉坂で降りた。


坂を上って伊勢山皇大神宮に行ったけれど、正月とお花見の時期以外はすいているようで、夏越の払えの茅まきが飾ってあって八の字の形に回れば穢れを浄めると説明書きにあるけれど、そんなまどろっこしいことはしていれいられないので、坂を降りて桜木町に戻ると今日は蒸し暑くて早くもビールが飲みたくなった。


汽車道のところまで行って、水上バスに乗って大桟橋まで行こうと思った。
横浜に来たときは何だこの船と思ったけれど、乗ってみるとずいぶんと楽しくて、港内のはずなのに波が荒くてずいぶんと揺れたけど、今日のようなむしむしする日に船に乗るとずいぶんと気持ちがよいということが分かった。


大桟橋で船を降りてビールを飲もうと思って、野毛のM鮨にはしばらく行っていないと持って、関内から電車に乗ってわざわざ桜木町まで戻って、店でやくざと睨み合ったのは何年前だっけ(よいこには言うまでもないことですが、飲屋でやくざと睨み合ってはいけません)、と思いつつ坂をのぼって行くと...

この項つづくかも知れない。



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›2006年06月24日

ベスト

「映画は分かりやすくて面白いものでなければだめだよ」と言ったのは黒澤明だっけ。ビデオ屋さんの前を通って、最近は映画を見ていないなあと思った。


自分にとってベストは何かと考えてみると、コッポラの『ゴットファーザー』かなあ、黒澤の『羅生門』もいいし、キューブリックの『2001年宇宙の旅』はボーマン船長が光の渦に入ってからは何が起こっているのか全く分からない。キューブリックの意図はどこかで読んだことがあるけれど、あの映像を見てそのように解釈するのはほとんど無理だと思う。


フェリーニの『8 1/2』は難解でついて行けないけれど、『道』や『ローマ』は素晴らしいのだけれど、案外『道化師』が好きだったりする。
スピルバーグは『ジョーズ』や『未知との遭遇』が好きで、娯楽映画として過小評価されている気がするけれど、米国出張に行っていたときに丁度『シンドラーのリスト』が三大ネットワークの内の1つでノーカットで放映されて、男性女性の恥部がそのまま放映されてかまびすしい議論が起こった。
などと考えていると、最近の映画はどれも同じようなもので、つくづく面白くないなあと思うのだ。



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›2006年06月23日

日本が敗れて...

前回のW杯のとき、トルコ戦の最中は品川のオフィスから板橋本町の協力会社のオフィスへ移動中で、品川を出る前に電話で話したときは元気だった協力会社のエンジニアが、板橋本町についてオフィスのドアを開けるとうなだれて出て来たので、日本が負けたとすぐに分かった。
とりあえず打ち合わせを終えて板橋本町の駅に戻ると、心にぽっかりと穴があいたようで、そのまま飲みに行ってしまった。


今回は予選の組み合わせでブラジルと当たったときから余り期待をかけていなかったので、ショックはそれほど大きくなかったけれど、たしかに寂しいことは寂しいけれど、決勝リーグはそれはそれで楽しみたいと思う。
決勝リーグの組み合わせをきちんと把握しているわけでないから、可能性があるかは分からないけれど、プラジル対アルゼンチンの決勝が見てみたい。


会社から帰って来て、とりあえずNHKのワールドカップダイジェストを見るのが日課になっているけれど、あの堀尾正明と宮澤ミッシェルは何とかならんか?



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›2006年06月21日

W杯で...

W杯で見たくないもの: 堀尾正明と宮澤ミッシェル

見たいもの: 久保

どうでもいいもの: セジルオ越後


ブラジル戦はラモスの解説で見たいぞ。



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›2006年06月18日

横浜散歩

交換レンズが届き、カメラバックなどというあほなものも購入してスタンバイしていたけれど、今日も生憎の雨だった。
雨の日はそれで景色がしっとりとぬれて良いのだけれど、日がかんかんと照っている日に街中を歩き回って、ちょうど日が傾きかけたころ、鮨屋か焼鳥屋に入って、汗をかいた体をつめたいビールでいたわってあげようと思っているので、やっぱり雨の日は都合が悪い。


横浜散歩を題材にしたエッセイはたくさんあると思うけれど、いちばん著名なのは司馬遼太郎の『街道を行く』シリーズにおさめられたものだろうか。山口瞳の『酔いどれ紀行』の一編も面白くて、ドスト画伯と6泊7日で写生の旅に横浜へ来る。
知り合いのバーの女性が2人からんで、夜、山下辺りを飲み歩いたあげくおかまバーに行く。山口瞳は若いMにいれこんでしまうのだけれど、それに他のおかまが怒ってしまって「Mなんて大っ嫌いだよ。あんた、このまま帰れると思うのかね」とすごまれるところは何度読んでもスリリングだ。


Amazonで調べて本の表紙を載せようとしたら、検索しても出てこない。絶版になってしまったか。『酒呑みの自己弁護』など面白い本を書いているのだけれど、物故してからずいぶんと経つから、世の中から忘れられはじめているのだろうか。



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›2006年06月13日

寄付

昨夜家に帰ると、ムサビと母校の大学から寄付募集のダイレクトメールが届いていた。まず、ムサビの方を見てみると80周年記念事業ということで、1口1万円最低3口(だったかな?)、目標額は6億円だから、よほど気前のいい人がいない限り2万人近い人から募らなければならないことになる。集めるのはなかなか大変だろうなあ、と思った。


次に母校の理工系の大学の方を見てみると、創立百何十周年ということで1口10万円で目標額は50億円となっている。こんなにお金を集めて月にでもロケットをぶっ放すつもりだろうか。申込書の記入例を見てみると、○○株式会社総務部長□□太郎で寄付額が50万円となっている。いくら母校のためとはいえ、サラリーマンが50万円をぽんと寄付するものだろうか。
目標額からすると5万人近い人から集めなければならないわけで、総務部長□□太郎さんのような人がたくさんいれば1万人で済むだろうけれど、それでもなかなか大変なことだろうと思った。


母校のダイレクトメールには「ホームカミングデー」というチラシも入っていて、創立記念日に同窓を招待するイベントとのこと。コンサートも開かれるようで、ミュージシャンは「ビリーバンバン」。寄付を狙っている層がこれで分かる。



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›2006年06月11日

横浜プリンス

前回のW杯で、横浜で行われた一次リーグの試合の前日に日本代表は横浜プリンスホテルに泊まっていて、試合の始まる何時間前だったか自分の家の近所の道路が通行止めになって、道路沿いには三々五々人が集まって来て僕も何だろうと思って見ていると、日本代表のバスが通り過ぎた。
窓のカーテンは閉められてなかったけれど遮光ガラスのせいで車内はよく見えず、左側真ん中にいるひときわ肌の黒い選手は三都主だったろうか。


後で近所の人に聞いたら、戸田がバスの後ろの窓から手を振っていたとのことで、カーテンをわざと閉めなかったのもファンサービスとのことだった。
ブラジル代表も横浜プリンスに泊まっていて、決勝の夜は近隣の人が集まって大騒ぎだったそうだけれど、ブラジル代表はきさくに地元民に手を振ったり握手をしたりしたそうだ。


その横浜プリンスも今月で閉館とのこと。跡地にはマンションが建つそうだ。昔は華やかな存在だっただけに、古くからいる地元の人はさぞ寂しいことだろうと思う。



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›2006年06月09日

ストックフォト

ネットバブルと浮かれていた時期に動画・静止画素材の販売サイトを立ち上げたことがあって、僕が技術担当で企画・営業担当が相棒一人というさびしい陣容だったけれど、予算は潤沢にあって今から考えてみると恵まれた時期だった。
提携先であるストックフォトの会社、Webデザイン会社、システム開発の協力会社の間を飛び回ったけれど、このビジネスが成功したら子会社を作って取締役におさまってしまおうという野望を相棒と語り合っていたから、ずいぶんと忙しかったけれどそれほど大変とも思わなかった。


結局このビジネスはものの見事に失敗して、そんなこともあってか相棒は故郷に帰って広告代理店に勤めている。僕自身は元の地道な技術開発の仕事に戻った。
今思い起こしてみると、写真や動画について芸術だとかアートだとかそんなことは一切考えていなくて、目先の数字しか追っていなかった。当然のことながら、会社からはきちんとした数字が求められた。


僕にしても相棒にしても、クリエータ向けのビジネスとかストックフォトの業界については全くのど素人で、そんな我々にストックフォトの最大手が良く付き合ってくれたと思う。ネットバブルの魔力のなせる技だろうか。



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›2006年06月05日

右目か左目か

アンリ・カルティエ=ブレッソンはレンジファインダーカメラを使う理由を、撮影する視野の外を見ることが出来るから、つまり時間軸の過去現在未来と過ぎ去って行く過程を見ながらここぞというところでshootできるという意味と思うけれど、これが「決定的瞬間」という考え方につながっていくようで、そんな理由もあってカルティエ=ブレッソンはライカ以外のカメラを基本的に認めていなかったようだ。


昨日、『Leica M : Advanced Photo School』(Gunter Osterloh, Lark Photography Book)という本をぱらぱらと見ていたら、カメラの持ち方という項目があって、機体左上部にあるファインダーを右目で覗き左目は明けたまま前を見据えている写真が載っていて、あれっと思った。
レンジファインダーカメラを操作するときに自分は左目でファインダーを覗いているけれど、あらためて取扱説明書を見てみるとそこにも右目でファインダーを覗き、左目はつぶらずに前を見ている写真が載っている。確かにこの方がカルティエ=ブレッソンの言う「理」にかなっているわけだ。


一眼レフであれば、右目で機体中央上部にあるファインダーを覗き、よほどデカイ顔をしていなければ左目は機器に隠れてしまうからつぶってもつぶらなくてもファインダーの視野に集中できる。レンジファインダーはちょっと勝手が違うなと思った。
結局は自分で試してみて、右目で見るか左目で見るか操作しやすい方に決めればよいことだけれど、梅雨寒の日に外をぶらぶらしたくないから、週末は晴れてくれればカメラを持って横浜港周辺を歩いてみようと思う。


ちなみに、アンリ・カルティエ=ブレッソンと親交があり同じくライカを愛用した木村伊兵衛が、ファインダーの視野に言及した記述は僕の知る限り遺しておらず、もっぱら機体のコンパクトさと取り回しのしやすさについて述べていたと思う。



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›2006年06月03日

カメラリテラシー

人によると思うけれど、50mmのレンズは何か面白みを感じなくて、最初つかっていたニコンのカメラに28mm、50mm、135mmのレンズを持っていたけれど、50mmを最初に売り、135mmも使わない上に重いので売ってしまって、ずいぶんと長い間28mmで写真を撮っていた。絞り込めばピント合わせを気にしなくてよいので、いい加減な僕には便利だった。


とはいえ、デカいカメラをもって観光地で写真を撮っているといかにもお上りさんという感じがして、携行にも不便なので、次にミノックス35GTというカメラを買った。35mmフィルムを装填できる世界最小のカメラ、というのがうりのドイツ製のもので、これを持ってインドにも行き海外出張にも行き京都・奈良にも行き、友人と海や山へ行くときにも持って行った。かさばらず携行しやすいので便利だった。


とはいうものの、だんだんと写りに満足がいかなくなって結局売り払ってしまって、次にドイツのレンジファインダーのカメラに買い替えた。写真の巧い人から見れば、「ど素人が高いカメラを買いやがって」ということになると思うけれど、欲しかったのだから仕方がない。
最初、50mmのレンズを使っていたけれど、やっぱり面白みがなくて売ってしまって75mmのレンズに買い替えた。次は広角を購入しようと思っているけれど、値段が値段なので気軽に買うこともできない。


昨日、春期第2回スクーリングの受講証が届いた。科目はカメラリテラシー。ムサビ通信の皆さん、では吉祥寺でお会いしましょう。



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›2006年06月01日

盗用はいけない

技術開発の議論をしていると侃々諤々の応酬になって、議事録でも採っていればよいもののそんな時に限ってみな熱くなって、採用されたアイデアがそのうち誰のものか分からなくなってしまって、特許出願のときにハテ?誰が最初に言ったんだっけということになり、それは俺のアイデアだろという人が二、三人出て来て結局だれも譲らない、ということが時としてある。


オリジナルなアイデアを個人に帰すという慣習は、酒井教授によれば西欧近代文明の所産ということだけれど(『印刷文化論』武蔵野美術大学出版局)、企業に勤める者にとっては自尊心だけでなく死活問題にもなるわけで、同業他社に「まねした電機」というニックネームを奉られている会社があるけれど、自分の勤め先がそのように世間から思われたらやっぱり恥ずかしい。


和田氏とスギ氏(今日NHKのニュースを見たらスーギ氏になっていた)の絵を見れば、小学生でもどちらかが盗作したことは明らかで、近代以降のアバンギャルドでしか評価されない芸術という領域にあって、今まで贋作というのは物語のテーマにもなっていたなと気づいたけれど、盗作というのはあまりにも恥ずかしくて話のねたにもならなかったのだろうなと思う。



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