›2005年10月30日

「編集研究」スクーリング

酒井教授は還暦をこえているはずだけど、1コマ1時間45分、1日4コマを3日連続でこなすとはタフな人だ。
酒井教授でほどではないにしても、聞いてる方は聞いている方で大変で朝9:00から夕方17:30まで椅子にすわってじっと人の話を聞いているのも、ある程度の苦痛を伴う。とりあえずスクーリングが終わり、家に帰って来てほっとしています。


今回スクーリングに参加して、あらためて通信の学生は真面目だと思う。長い講義が三日間続けば、何人かは居眠りしていてもよさそうなものだけれど、そういう人は一人もいなかった。


会社の会議でさえ、あまりにも退屈だと居眠りをしてしまうことがある。
僕自身は一対一で打ち合わせをしていて居眠りをしたことがある。打ち合わせを一緒にしていたヤツがとろい話をするぬるいやろうで...
とは言うものの、会議でも授業でもうとうとしない方がよいのはきまっている。

Posted by phonon at 20:03 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月28日

新宿サテライト

今日から「編集研究」のスクーリングで、新宿サテライトキャンパスに来ています。
三日間のコースで、ほとんど講義のみでワークショップはないようで、最終日午後の論述式試験に頭が痛いといえば痛いけど、今までのスクーリングの中ではいちばんらくちんかなとも思う(といって、内容が薄いというわけではない)。


毎回、編集者あるいは編集経験者を呼んでパネルディスカッションを行う、というのが恒例のようで、今回はいとうせいこう講師が来て、最近の仕事やWebとのかかわり合いを編集的視点で話された。


新宿というロケーションは自宅の横浜からアクセスが良く、新宿でのスクーリングをこれからも拡充してほしいと思うのは、東京近県に在住している通信制学生の共通の希望ではなかろうか。
とりあえず同じ階にある○×工業のスペースをぶんどって、領地を拡大してほしいと思う。

Posted by phonon at 19:25 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月23日

A治療院

今年の春、会社の拳法部の練習で首を痛めてしまった。プロレスでいうパイルドライバーのような技があるのだけれど、高段者にがっちりと固められて、あまりの痛みに逃げようとしてしまって痛めたのだった。馬鹿なことをしたと思った。その夜と次の夜はあまりの痛みに眠ることができなかった。
翌日、外科に行って痛みはおさまったけれど、むち打ちのような後遺症がのこってしまった。


近所にある鍼灸院に行って、むち打ちをきちんと直そうと思った。去年できたばかりの新しいところで、一癖ありそうな夫婦が治療にあたっている。午前は治療院で施術を行い、午後は二人別々の軽自動車に乗って往診に走り回っている。手広くやっているようだ。


効果は摩訶不思議で、治療をしてもらった週は体の調子がよろしくないが、翌週になると元気になり、翌々週になると絶好調になる。
むち打ちは直ったけれど、面白いので月に一、二回通っている。

Posted by phonon at 09:47 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月22日

今、カズと別れることにしました

一昨日、ロマンスカーに乗っているとき、後ろに座っている女の人が携帯電話で話を始めた。
「お母さん、カズと別れようと思って...」
「うん、今日会ってよく話をした...」
「今別れることが、お互いのためだと思って...」
女の人は同じ内容を、おばさん、友人1、友人2にあらためて電話をかけて話すのだった。
マナーのことはとりあえず置くとして、sensitiveな内容を大きな声で、電車の中で話す神経はかなり疑問だったけれど、話を聞いているうちにどんな女性なのだろうかと思った。不躾に後ろを見ることもできないし、と思っているうちにうとうとしてしまった。
気がついたら新宿駅で、その女性はもう席にはいないのだった。


今年の夏、同僚のKさんが休暇をキャンセルしてから、元気がなくなりいらいらしているように見えた。数日後、プロジェクトのkick off宴会がタイ料理屋で行われて、そこで唐突にKさんは失恋した話を始めた。
人が失恋した話というのは面白いもので、出会いから別れまで皆で根掘り葉掘り聞いて、その晩は大いに盛り上がったのだった。Kさんは「もう何もやる気が起きないし、食事も喉に通らない」と言いながら、人の二倍タイ料理を食べた。
秋になって、Kさんは相変わらず元気がなくいらいらしているが、一向に痩せる気配がない。

Posted by phonon at 10:49 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月16日

元町・中華街

地下鉄みなとみらい線の駅名を決めるときに、元町にするか中華街にするかでずいぶんともめた末に、「元町・中華街」という一番面白くない結論に落ち着いた。
市営地下鉄のときにも長者町にできた駅に、「伊勢佐木町」とするか「長者町」にするかもめたそうだけれど、結局「伊勢佐木長者町」という長たらしい駅名となった。


天気がよかったら横浜トリエンナーレに行こうと思ったけれど、朝から雨なので、車で元町に冬物を買いに行った。天気が悪いので、中華街も元町も普段の日曜日と比べて人通りが大分少ないようだ。
小一時間程あるきまわったけど、気に入るものが見つからなかった。ガソリンと駐車場代を無駄にしたようなものだった。


帰りに山下公園の付近を通ってみたけれど、横浜トリエンナーレに関連するオブジェなり看板なりを見ることはできなかった。その代わり、土浦ナンバーの車を連ねてやって来た50人くらいのヤンキーの集団を見た。一人でもかなり目立つのに、集団でいるから圧倒的な存在感がある。
この集団を横浜トリエンナーレの会場に持って行ったら、そのまま現代日本を象徴するオブジェとなるのではないか。

Posted by phonon at 14:06 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月15日

家系

横浜に引っ越したときに、家系ラーメンというものがあるのを教わって食べに行ったけれど、あまりの油ギトギトさと塩分濃度の高さに、なんという食い物だろうと思った。
もともと横浜市杉田にあった吉村家が元祖で、そこから弟子へさらに孫弟子へと調理法が伝えられて、横浜に広がったとのこと。


磯子と根岸の間の副産業道路沿いに八の字屋というのがあって、そこには時々足を運ぶ。
店には「粋は意気なり」という書がかかっていたり、「名もなく、貧しく...スープと麺に命をかけて二十年・・・」とかいうチラシを配ったり、店のおやじはちょっとずれているのだけれど、ラーメンは他の家系よりギトギトしていず、うまいと思う。
最近結婚したようで、一癖ありそうなおばさんと店を切り盛りしている。


八の字屋がいっぱいだったときには、三軒隣の「くい亭」に行く。八の字屋の弟子だった人が開業したところだそうで、本家のすぐそばに開店してしまうところや、店のネーミングにもずいぶんと頭をかしげてしまうけど、ラーメンはけっしてまずくない。

Posted by phonon at 09:32 | Comments [2] | Trackbacks [0]

›2005年10月13日

男らしく、女らしく

小学校の卒業式で、校長先生の祝辞に「男らしくあれ、女らしくあれ」という一節があったのを記憶していて、いい言葉だなと思い返すことがあるのだけれど、このような言い方はセクシャル・ハラスメントにあたるということを数年前の新聞記事で知った。


会社では定期的に安全標語や人権標語を募集していて(日本企業はこういうことが好きなんだよなあ)、優秀なものは社内に掲示されるのだけれど、そのなかに「男らしくと言わないで、女らしくと言わないで...」というのがあって、このことの認識を新たにしたのだった。


自分の持って生まれた性からは逃れることはできないし、自分の性によって社会的に要請されることも異なってくる。だから 、この言葉がセクハラと言われることと、現実の社会との間にはずれがあるように思えて、腑に落ちないのだ。


KABAちゃんような男や神取忍のような女がいっぱいいたら困ると思うんだけれどなあ。

Posted by phonon at 21:17 | Comments [6] | Trackbacks [0]

›2005年10月10日

英語について 3

以前、アテネ・フランスやベルリッツに通ったけれども、最近は通学する時間が取れなくて英語のレッスンを受けられずにいる。休日に個人教授をしてもらうのが良いのだけれど、いい先生を見つけるには口コミに頼らざるを得ず、なかなか難しい。


会社で、会議室を使って英語教室をやっているというので、今年の1月から3月まで参加してみた。
教師のJ.Gは中南米系のカナダ人で、20歳でカナダの大学を卒業し、親戚の会社への誘いを断って日本にやってきた。日本女性と結婚し、子供が二人いる。今は25歳とのこと。


生徒は二人で、週1回17:10から18:00まで。この時間帯だと打ち合わせと重なることがあり、授業を休まなければならない時もあった。もう一人の生徒も同様のようで、最初の二、三回来ただけで後は来なくなってしまった。
クラスはJ.Gと僕の一対一となり、初めはテープを使ったり教科書を参照したり英語の授業らしいことをやっていたが、そのうちにたんなる雑談になってしまった。
雑談も最初は、日本文化とか最新のニュースとかそれらしいことをやっていたけれど、J.Gは人生の悩みを口にし始めて、俺は若いけれどもう二人子供がいる、若いときにやっておくことがあったのではないだろうか...、などと話し始めた。結局、僕はお金を払って毎週J.Gの悩みを聞くことになってしまった。


でもJ.Gはいいやつで、最終日に個人のメールアドレスを僕に教えて、困ったことがあったり悩みがあったら遠慮なくメールしろ、絶対返事を出すからと、自分のことを棚に上げて言うのだった。

Posted by phonon at 08:04 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月09日

英語について 2

英語を真剣に勉強し始めたのは二つ目に勤めた会社の頃で、この時も米国法人の日本子会社だった。
狭い機内に十数時間突っ張らかっていたくなかったから、なるべく出張には行かないようにしていたけれど、こちらから行かなくても向こうからは頻繁にやって来るので、やって来れば相手にしないわけにはいかず、そうするとそこそこ英語を聞き話す技術が必要となってくる。


水道橋駅の近くの英語学校に5年、ほとんど休みなしに通った。週2回、午後6時半から9時半までだった。3ヶ月で1学期となっていて、最終日には教師と有志でお酒を飲みに行った。
きちんと続いたのは、その学校の雰囲気が好きだったし、仕事以外の仲間ができるのがうれしかったからと思う。


では、これで問題なく会話ができるようになったかと言うとそうではなく、日々self developmentは必要だし、さらにその前に自分が何をどう伝えたいかが重要であることは言うまでもないし、その内容に自信を持つことがもっと重要だと思う。
英語をビジネスのツールとか、インターネットの時代にあって情報を得るための技術、と言い切ってしまう人もいるけれど、それはそれでさびしいと思う。

Posted by phonon at 09:58 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月08日

英語について

日本人の英語学習の悩みはつきないようで、造形研究コースのネットフォーラムでも話題になっていた。


大学を出て最初に勤めた会社が、米国のコンピュータ・メーカーの日本法人で、技術に関するドキュメントはほとんど英語だった。予想していたこととはいえ、ちょっと茫然としてしまった。さらに当時の部長さんは、「俺は英語のできないやつから出張に行かせる。言葉が分からないと、ホテルにも泊まれないし飯も食えない。そういうやつをアメリカに半年くらいぶちこんでやると、英語ができるようになって帰ってくる」などど平気で言う血も涙もない人だった。


運の悪いやつというものはいるもので、僕の同期のKが入社一年も経たない内に、オランダへ半年出張することになった。英語ならともかく、オランダ語で半年間暮らさなければならないとは。
後年知ったことだけど、オランダでは英語教育が行き届いていて、普通の人でも英語の日常会話には苦労しないとのことだった。


Kは出張中よっぽどさびしかったらしく、帰国して数ヶ月で同じ部署のかなり年上の女性と結婚した。

Posted by phonon at 13:13 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月07日

モンティパイソン

今週はイギリスから来たエンジニアと打合せをしていて、その中にはジョン・クリーズやマイケル・ペイリンを思い起こさせる顔の人がいて、モンティパイソンのメンバーは典型的なイギリス人顔なのだろうか、と思った。


最初はイギリス英語が聞いていて良く分からなかったけれど(といってアメリカ英語が良く分かるというわけでもない)、何度か会っているうちに発音にも慣れてきて、こいつならこういうことも言うだろうという類推もできてきて、少しは分かるようになった。


毎日朝から晩まで打合せをしていると、体力勝負というか我慢くらべというか意地の張り合いになってきて、今週はずいぶんと疲れたのでした。
今日は、モンティパイソンのDVDを借りて帰ろうか...


-------------------------------------------------------


さあ、素敵なショーがはじまるよ。(...and now for the completely different.)

B00005FHHO空飛ぶモンティ・パイソン VOL.1
モンティ・パイソン

ユニバーサルインターナショナル 2000-06-28
売り上げランキング : 3,619
おすすめ平均

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
Posted by phonon at 20:21 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月05日

古都の伝説

小学生か中学生のころ、正倉院に代表される校倉造の建物は、夏季は校木が膨張し冬季は収縮することによって湿度が一定に保たれる。よって、収蔵物の保存に適していると習ったが、大分後年になって俗説と知り、何か裏切られたような気がした。


去年の9月、震度5弱か5強の地震があった翌日に、奈良に行った。被害は全くないようだった。東大寺三月堂に行くと、昨日の地震でも像は1センチも動きませんでした、と僧侶が自信満々に語った。


台風が近づいていて、目抜きの三条通りでは店が早仕舞いしてしまい、まだ明るいのに観光地の中心で人がほとんどいないという珍しい光景を見た。新薬師寺の近くのそば屋でビールを飲んでいると、店のご主人が言うには、台風が近づいているけれど奈良からは絶対逸れますと、こちらも自信満々であった。
気象庁の進路予想は奈良市直撃だったのだけれど、ものの見事に台風は逸れて、風が少々強いくらいだった。

Posted by phonon at 19:55 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2005年10月02日

尼崎について

京都に行ったときに寄るお鮨屋さんが花見小路にある。先日そこで聞いた尼崎の土地柄の話。


尼崎は阪急が走っているところは大丈夫だけれど、阪神電鉄が走っているところまで下がると、大変なことになる。

おばちゃんがスリップ姿で外出する。

交差点で信号を待っていたおっちゃんが、その場で立ちション便をはじめた。

尼崎のお宅に営業に行って奥さんと話し込んだ後、玄関に出てみると自分の靴がない。奥さんは「ああ、やられちゃいましたね」と言った。サンダルを借りてその日はとりあえず帰った。
数日後、そのお宅に再び御邪魔をすると、旦那さんが自分の靴を履いていた。


尼崎は、かなりアナーキーなところのようだ。

Posted by phonon at 09:40 | Comments [6] | Trackbacks [0]

›2005年10月01日

京都の名所について

昨夜は、京都の家元と副家元の三人で、先斗町の川床で飲んだ。9月も末であり、風もあったので少し寒いかなとも思ったが、Tシャツでお酒を飲んでいて大丈夫だった。


その時に京都の見どころという話題なった。ここ十年来、年に一回は京都に行っている。
今、横浜に帰ってきて、もう一度行ってみたいところをあらためて考えてみた。

修学院離宮、曼殊院、大徳寺(のいくつかの塔頭)、円通寺、東福寺、東寺、広隆寺、楽美術館、河井寛次郎記念館


ついでに奈良についてもあげてみる。

法隆寺、唐招提寺、東大寺三月堂、室生寺、浄瑠璃寺(本当は京都府加茂町)、秋篠寺


紅葉の時期のような混雑している時は避けて、またゆっくりと回ってみたいと思う。

Posted by phonon at 17:53 | Comments [3] | Trackbacks [0]