›2008年05月31日

美術とは何か?

とある英語の本から無断引用、


"Again, what is art? Perhaps we can say that art is anything that is said to be art by people who ought to know. Who are the people? They are the men and women who teach in art and art history departments, who write about art for newspapers and magazines and scholarly journals, who think of themselves as art collectors, who call themselves art dealers, and who run museums."


これを読んだ時そんなものだろうと思ったし、またこれらの人々の心も移ろうわけだけれど、でもそれだからこそ美術品や美術と思われるものに対してより自由な気持ちが持てるようになった。


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›2008年05月26日

ほんとうのお嬢様、に会ってみたい

横浜の高い鮨屋で飲んでいて他の客の話を聞くともなく聞いていると、どうもお金を触ったことのないお嬢様が本当にいるらしい。


そんなお嬢様に会ってみたいなどと考えを巡らしつつ、武蔵野美術大学であればそんな学生が一人くらいいてもいいものよのう、などと思いつつ、大学に在籍しているだけでは何の接点もないから、ムサビ日記に参加してもらって世の中を超越したような生活について綴ってもらいたいものだ、と思った。


ムサビコムのオフ会にはロールスロイス(当然運転手付き)でやって来て風神亭に横付けされるのだろうと思う。お嬢様には似つかわしくない生ビールとか枝豆とかそんな下賎な食物を目の前にして美大生生活についておしゃべりをされるのだろう。


そんなおしゃべりをしている間中、執事の村上がすぐそばに控えている。お嬢様は年配の村上を気遣って、

冴子お嬢様「村上、夜も遅いし疲れたろうから先にお帰りなさい。」

執事の村上「いえいえお嬢様、とんでもございません。何か間違いがあったら大変ですから、最後までこの村上がおそばに控えさせていただきます。」

冴子「季節の変わり目には腰が痛くてつらいと言っていたではないか。外には運転手の山田もいる。わたくしももう子供ではないのだから、早くお帰りなさい。」

村上「いえいえ、お嬢様になにか間違いがあったら旦那様と奥様に何と申し開きしたらよろしいか... この村上、腹を切らなければなりません。」


などというやり取りを、ぽかーんとして聞くことになるのだろうな。


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›2008年05月25日

物理学 第2課題


- 特殊相対性理論はどのように生まれたのか -


1. マイケルソン・モーリーの実験

ガリレイの相対性原理は力学的現象で成り立つが、場の概念でよく説明できる光及び電気の現象でも成り立つだろうか。この疑問が相対性理論の出発点となった。
空間の中で一様に動いている部屋を考える。部屋の中に静止している光源から発せられる光波は、エーテルの中を動いて行く。
まず、エーテルは部屋と一緒に同じ速度で運ばれると仮定する。この時、光の速度に古典的変換が適用できると推測できるが、観測の結果とは矛盾した。
次に、エーテルは静止し、その中を部屋が一様な速度で動くと仮定してみる。この時、エーテルに対して静止している座標系が想定され、それに対して一様に動いている座標系と区別することができると考えなくてはならない。そうすると、ガリレイの相対性原理を放棄しなければならないことになる。
エーテルに対して静止している座標系では光は一定の速度を持つ。それに対して部屋の中の観測者、つまりエーテルに対して動いている座標系では、部屋の中の光源から発せられた光波が、進行方向の壁には早く到達し、反対方向の壁には遅く到達すると推測できる。1887年、今日マイケルソン干渉計として知られる装置によって観測を行うと、干渉計はエーテルの中を静止しているあるいは一様に動いている、双方の仮定が観測結果と矛盾した。つまり、エーテルの存在の可能性が否定された。
これらの結果から、光速は一定であり、ガリレイの相対性原理は力学的現象以外の光及び電気の現象についても適用できる、ということが結論できる。


2. 時間、距離、相対性
慣性系において真空中の光の速さは一定であることと、ガリレイの相対性原理を、相対性理論の出発点とし、この二つの仮定と矛盾する古典的変換を捨て去る。
空間の中で一様に動いている部屋を考えると、部屋の中に静止している光源から発せられる光は、内の観測者から見れば光が全ての壁に同時に到達するのに対して、外の観測者から見ると光は進行方向の壁より先に反対方向の壁に到達する。つまり、ある座標系では同時刻に起こる事柄も、他の座標系から見ると同時刻に起こらない、ということになる。
最初の二つの仮定と上の思考実験から、時計は座標系によってリズムを変え、物の長さは変化する、という考えを導き入れる。古典的変換を放棄して、空間・時間・速度の新しい変換法則であるローレンツ変換を採用する。古典的変換法則は、物体の速度が遅い時にローレンツ変換から近似的に得ることができる。


3. 特殊相対性理論
物体は質量が大きければ大きいほど運動の変化に強く抵抗するが、特殊相対性理論によれば物体の速さが大きいほど運動の変化に強く抵抗する。速さは光速を超えることができないので、光の速さに近づくに従って抵抗は無限大となる。
つまり、質量とエネルギーに本質的な差異はなく二つは等価であり、ただ一つの質量・エネルギー保存法則が存在する。
互いに一様に動いている座標系は相対的な時間を持つ。二つの座標系は、異なる空間座標及び時間座標を持つ。速度が光の速度に接近すると、時間座標における違いが明瞭になる。つまり、特殊相対性理論では物体の運動を四次元連続体で記述する必要がある。ある座標系から他の座標系への四次元連続体の変換法則は、ローレンツ変換で与えられる。


4. まとめ
特殊相対性理論は、ガリレイの相対性原理が力学的法則だけでなく光・電磁波の法則にも適用できることを示す。光の速さは真空中で一定であり、物体の運動は光速を超えることはできない。質量とエネルギーは等価である。物体の速さが光に近づくと、座標系によって時間の進み方は異なり、古典的変換を採用することはできず、空間・速度・時間の変換法則にはローレンツ変換を用いる。


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›2008年05月21日

希望ヶ丘は希望に燃えているかい?

誰も知らないと思うけれど神奈川には相鉄線という鉄道があって、これに乗って横浜から県北方面に向かう途中に「希望ヶ丘」という能天気な名前の駅がある。電車の中で本を読んでいてこの駅に着いたのに気がつくと何となく眠くなる。


希望ヶ丘より「絶望ヶ丘」と名付けた方が、なんとなく余韻もあり余情もあり、少しは格調が高くなるようにも思う。


Wikipediaで駅名の由来を調べてみると、「戦後、相模鉄道沿線では最も早くに住宅地開発を始めた駅で、戦後の混乱期から立ち上がり、『明るい未来を目指す』という願いがこめられた一般公募により駅の名称が決まった。地名は駅名に由来している。 」ということで、今は明るい未来が訪れたのだろうか。


さらにWikipediaから、「当駅 - ゆめが丘駅の硬券往復切符、『ゆめきぼ切符』が発売されている。」...
ふーむ、希望を上回る「ゆめ」などという駅もあったのか。相模鉄道沿線住民の心を理解することは、僕には不可能であるぞ。


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›2008年05月19日

成功する秘訣。

昨日、大学の同級生のことを書いたらその後のことが気になって、同窓に聞いてみると皆それなりに夢をかなえていたようだ。


♡クラスのアイドルだったK.Cさん

K.Cさんは学者志望で、大学当時僕から見たら絶対に研究者向きとは思えなかったけど、現在は国の研究所で研究者として活躍し、かつ家庭を持って多忙な日々を送っているとのこと。
K.Cさんは苦労されていると聞いていたから、本当にめでたしめでたし、ということになっている。


僕の世代で既に少子化が進んでいたから、教師になるのは大変だったらしいけど、先生になりたかった人はほとんどなれている。また、学者志望だった人はみな僕から見れば絶対に向いていないと思ったけど、大学であったり企業であったり研究所であったりそれなりにポジションを持っている模様。


今になって考えてみて、夢をかなえた人たちは

1. 明確に何になりたい、という目標を持っていた
2. その目的に向かって着実に努力をしていた(少々、的外れのことがあったとしても)
3. 挫折でくじけることがない
4. 常に上昇志向を持っていた


僕個人の考えでいえば、一番重要なのは「4. 常に上昇志向を持っていた」と思う。ムサビコムでいえば、ブログでしか個性を推測することはできなかったし一度しか会ったことがないけれど、成功する条件をそなえているのはニアさんと思う。


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›2008年05月18日

僕の!大学生☆時代♡

押し入れを整理していたら、大学生の時のクラス名簿が出て来た。ぱらぱらとめくって名前を見ると顔や表情だけでなく声までも思い出されて、つくづくと懐かしい。


住所名前の他に簡単な自己紹介が記されてある。音量子と同世代の大学生はどんなことを書いていたのか?(ちなみに学部学科は、理学部物理学科)


☆クラスのアイドルだったK.Cさん

毎朝7:00に家を出て、12:00(夜中です)に帰宅するという生活を送っております元気な19才の少女です。高校の頃は、演劇、フォークソング、放送、それから下手の横好きで文芸と幅広く(少々広すぎました)やっておりまして、この春休みには映画を撮りました(高校映研のOBとですけどね)。ま、何かの際にはどうぞ私にもお声をかけて下さいませませ。お待ちしております。卒業迄どうぞよろしくお願い致します。


★今は三重で教師をしているN君

新歓コンパの2次会で先輩に"お前は夏までに消える"といわれてしまいました。小田原のTは留年だといわれていたので、ライバルはTです。町田市バンザイ! ファンレターまってます♡上記の住所まで♥ZOKKON 命・三重県


☆大学卒業後、航空大学校に進んだ小田原のT君

私は自宅が遠いので(2時間半、本人は2時間とウソをついている)、私を預かってくれる人大歓迎!!(特に下宿をしている方、女性でも可♡)マジ。フトン持参します。そい寝でも可。又、将来、航空関係に進みたいので、知人(コネ)のある方、ぜひ、ぜひ......紹介して。お願いします!


★大学卒業後、プラネタリウムに就職したNさん

7月2日が誕生日です。よろしく♡♡
星見るのが好きです。天文部に入ってます!


みな、やたらと「!」とか「♡」とかが多いんだよな。


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›2008年05月16日

媒体組成研究 第1課題


- 『複製技術の時代における芸術作品』における「アウラ」 -


このレポートでは用語として「アウラ」を取り上げる。教科書中に登場するページは、67、69、70、71、77、87、102、109(以上、本文)、114、 115(以上、原注)。
まず、手元にある語学辞典で「アウラ」を調べてみる。『デイリーコンサイス国語辞典 第4版』(三省堂 2004年)では、「オーラ aura 1.(人の)独特の雰囲気. 2.霊気(-の光)」とあり、1.が本文献の意味に近いと思われる。次に、この文献が出版されたフランス語を調べてみると、「aura 名 女 1.[心霊]アウラ(霊験者だけに見えるという物体からの発光) 2.[文](人が漂わす)後光、威光. 」(『ディコ仏和辞典』白水社 2005年)とある。国語辞典とほぼ同じ内容であるが、心霊と関係があるのが興味を引く。英語もauraは心霊と関係があるから、語源はそこから来たものだろうか。最後に、ベンヤミンの母国語であるドイツ語辞典を調べてみると、「Aura f. 微妙な雰囲気; [医]前駆症候.」(『新訂独和辞典』博友社 1984年)とあって、前者よりあまり面白みのない語釈が記されている。


詳しく調べるために図書館を訪れて(横浜中央図書館)、参考図書にあたってみた。思想・哲学関係の事典で「アウラ」を見出し語として掲げているのは次の二つであった。
・『コンサイス20世紀思想事典』(三省堂 1997)
・『岩波哲学思想事典』(岩波書店 1998)
まず、書名通り簡易な説明がある前者の事典によると、ギリシャ語の語源の説明から始まって、中世の宗教伝説に用いられた語であること、その後オカルティズムの研究対象になり精神医学用語としても用いられたことが記された後に、ベンヤミンの文献に関連して「人間と事物の交渉と全体性を意味する表現」との説明があった。
後者の岩波では、ずばり本文献を中心にアウラという語を説明する。複製可能芸術の登場によりアウラ(今ここで、という一回限りの現象)が消失するが、複製芸術としての映画の可能性に着目し、モンタージュ手法による現実への参入、ロシア(ソビエト連邦の誤りか)における映画への観客や素人の参加(『戦艦ポチョムキン』か)、これによる芸術の政治化および表現と政治の結合(によるファシズムへの対抗)がなされる、という説明があった。
まとめてみると、人と事物との一回限りの交渉が生み出すアウラという現象は複製可能芸術の登場によって消失したが、映画という複製可能芸術の表現を積極的に考えると、ソビエト映画における試みにより制作者と観客の境界が消失し、その結果表現と政治が結合することによって、ファシズムへの対抗手段となりうる、ということになるがこの論旨に沿って、アウラという語を中心に本文献を検証する。


まず、III.でアウラという語が初出する。「オリジナルが、いま、ここに在るという事実が、その真正性の概念を形成」し、ある事物の真正性は「それが物質的に存続していること、それが歴史の証人となっていること」でこれが事物の権威や重みであるから、これらを「アウラという概念に総括して」「複製技術時代の芸術作品において滅びゆくものは」アウラであるとベンヤミンは主張する。
また、次の章では知覚メディアの変化に表出される社会変動をアウラの凋落として把握し、その社会的諸条件を大衆運動の高まりと関連づけ、大衆があらゆる事象を身近に映像のかたちで捉えようとする欲求を指摘し、つまり「アウラを崩壊させることは『世界における平等への感覚』を大いに発達させた現代の知覚の特徴」であると述べる。


さらに次の章では、芸術作品のアウラ的あり方が宗教的儀式の礼拝において必要不可欠なものであること、その後の「世俗的な美の礼拝」の時代を経て、複製技術時代には芸術作品の社会的機能は変革され、芸術は儀式の代わりに別の実践、政治を根拠とするようになる、と主張する。
その後の章で、芸術作品の礼拝的価値と展示価値、19世紀における礼拝的価値の凋落、展示価値としての映画に論点が移った後、XI.で「人間が機械装置を通じて表出されることによって、人間の自己疎外は、きわめて生産的に利用されることになった」とベンヤミンは書く。俳優は目の前にいない大衆によって演技をコントロールされ、この映画資本における観客崇拝が大衆の心性を腐敗させファシズムに利用されていると述べる。


最終的にベンヤミンは以下のように主張する。ファシズムは所有関係を維持しつつ、大衆に表現の機会を与える。その帰結として政治は耽美主義に行き着き、その頂点が戦争である。これは新たな芸術のための芸術の完成であり、アウラが消失し、複製技術に変革された現代の知覚は「自身の絶滅を美的な享楽として体験できるほどにまでなっている」と。


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›2008年05月14日

「スーパー銭湯」番台ねこが仏映画デビューへ

 「スーパー銭湯」番台ねことして写真集や関連グッズが発売されるなど、人気が過熱している京都市嵯峨野の嵐山湯番台三毛猫「音量子」(オス9歳)がフランスのドキュメンタリー映画に出演することになり、16日から嵯峨嵐山湯で撮影が始まる。


 日本やドイツ、アメリカなど世界各地のユニークなネコを題材に、ネコの目を通して人間社会を描く映画『鏡の国の猫』。映画を手がけるフランソワ・ペリエ監督がインターネットで、音量子が番台で銭湯利用者のアイドルとなっている様子を動画で見て日本代表のネコとして出演を要請したという。


 日本酒を飲む米国のネコ「ハムコ」、首にカメラを下げて散歩するドイツのネコ「ひだまり」とともにスクリーンデビューする。
 銭湯経営者は「外国からの見物客が多くなり、映画に出ればますます増えそう。まさに『招き猫』ですよ。音量子は気が向けばお客さんの背中も流します。肉球で背中を洗ってもらう心地良さも味わって下さい」と話していた。


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›2008年05月11日

媒体組成研究のスクーリング、終了しました

今晩和、マイケル☆音量子です。媒体組成研究のスクーリングが無事終わって、うれしくなって関内でお酒を飲みました。大変気持ちがいいです。


スクーリングが終わってつらつら思うに、授業で顔見知りになって学科のことを話すようになったのに、その後スクーリングで会う機会がなく、月日が経つうちにみな卒業してしまって、美術やその周辺について再び話すことができなかった人が多く、なかなか惜しいことをしているな、などと帰りの電車で考えを巡らせていました。


そう考えると、先生も同じですね。違う科目で同じ先生の教えを乞うということはあまりない。といって、自分の大学時代を思い出しても先生と卒業後付き合いがあるような親しい師弟関係があったわけでなし、単位と卒業証書をさっさと渡せ、くらいの気持ちで勉強をしていたなあ。


ただ社会人になってあらためて大学に行くことはかなりの時間と経済を費やすことになり、動機が何であるにせよ思いの深さについてはなかなか簡潔に語ることはできません。


では、また明日。


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›2008年05月10日

媒体組成研究の前多先生は

おっとりしているようでチト厳しい。公私ともに多忙な通信学生に宿題を出すなんて。


ということで今、ビールを飲みながらレポートを書いています。


ちなみにスクーリングの帰りに夕食をとろうと思って入った中華料理屋は、ビールを頼んだらきちんと大瓶をだしました。うれしい。サービスに出たお通しは、もやしの中華風酢の物でした。


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›2008年05月09日

お通し考

今夜、地元のそば屋でビールと酢の物を頼んだら、お通しに酢の物が出た。


そば屋やラーメン屋でビールを頼むと出してくるお通しはサービスで、居酒屋では料金を取る、というところが外国人には難解なようで、90年代、拳法の練習の帰りに池袋の養老の滝に寄ったら、どうやって紛れ込んだのか世界的に著名な楽団員が大勢で飲んでいた。近くのメトロポリタンに泊まっていたのだろう。


お通しで店員と揉めているから、それはテーブルチャージのようなものだよと教えてあげたら、論理的にも感情的にも納得できないが日本がそういうシステムならしょうがない、というような反応だった。


そんなことでかかわるから、後はもめ事があるたびに店員や楽団員が呼びにくる。メニューを持って来て「この値段はリーズナブルか」と聞く。養老の滝でそんな議論をしてもしょうがないだろうと思ったけど、いま考えてみるとその楽団員は鋭い。


チェーン店の居酒屋は安いようで高い。



この項、つづく。


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›2008年05月06日

GW最終日、です

昨日、乗馬に行ったら馬が暴れて落馬をして腰をしたたかに打った。家に帰って来て気づくところがあって日記を調べてみると、去年の同じ日に梯子から落ちて腰に大怪我をしている。うーむ。前回にくらべると中怪我くらいか。来年は軽傷ですむと思う。


今日は媒体組成研究第2課題のためにカメラを持ってでかける予定だったが、中止。なんとか家でできないか考えてみる。


ゴールデンウイーク「卒業生に久しぶりに日記を書いてもらおう」は面白かった。ひだまりさんがメンフクロウになってしまったのは意外だった。人を見据えるような目つきをして「ホロッホウ」と鳴いているところは想像ができた。


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›2008年05月04日

最近読んだ本から

不揃いの木を組む不揃いの木を組む
小川 三夫

草思社 2001-05
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「学校の先生と生徒は本来は子弟だよな。」


「先生と生徒はまだまだ他人だよ。先生はほんとうにその子が立派に育って欲しいと思っているんだろうか。」


「あるいは思っているかもしれないけれど、実際そうしているようには見えないよ。無事に何もなく静かに卒業していってほしいと思う方が強いんじゃないか。」


「弟子は親方のために滅私奉公をするわけだ。親方のほうもそうだものな。自分のことを殺している部分があるんや。親方と弟子、その両方の側の忍耐、それがあるから、思いやりも出るのだし...」


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›2008年05月02日

学習進捗状況 08年度 5月

GW後半でどこまで課題を進めることが出来るか...


卒業所要単位数(残り)
造形文化科目 0
造形総合科目 4
造形専門科目 14
造形文化+総合科目 4


[造形文化科目]

西洋美術史II
第1課題 合
第2課題 合

文学
第1課題 合
第2課題 合


[造形総合科目]


[造形専門科目]

メディア論
第1課題 合
第2課題 合


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›2008年05月01日

『放送技術』

GWでオフィスも人が少ないので、技術関係の雑誌を読んでいた。『放送技術』なんて雑誌を知る人はほとんどいなかろうけれど商売上必読の雑誌で、ぱらぱらとページをめくりながら、映像学科のリチャードとメイさんだったら目を通すことがあるかもしれない、などと思った。


とはいえ、リチャードやメイさんがどのようなことを勉強しているのか良く分かっていない。ムサビコムの書き込みから推測するに、スタジオや屋外でドラマのようなものを制作しているのだ、と勝手に思っているのだが...


そうすると、ニアさんの卒業した視覚伝達デザイン学科というのも良く分からない。ニアさんも映像作品を制作していたんではなかったっけ?


話は少し変わって、ムサビコムで日記を書く人の名前がひらがなの人が多くなって、名前がかぶってという書き込みをしたのはもずくさんだったかやはぎさんだったか、でもその前から僕の頭の中ではうにさんといろさんが被っている。識別しやすいように何らかの手を打っていただきたい。


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