›2006年03月31日

京都・奈良

初めて奈良を訪れたのは1996年の夏で、なんとなく日本の古いものを見てみようと思い、ちょっと強引に休暇を取って新幹線に乗った。この頃は美術には全く興味を持っていなかった。
京都駅は前の古ぼけた駅舎で、さらに古ぼけたホームから奈良線に乗った。地形がおだやかで、竹林が多いと思った。


法隆寺は世界最古の木造建築ということにただただ感心したが、柱を触ってみて本当に1200年以上前のものだろうかと思った。金堂には、先生に引率された高校生のグループがいて、仏像を懐中電灯で照らして観察していた。美術とはこうやって勉強するものなのか、と思った。


東大寺盧舎那仏の大きさに驚き、正倉院は外構しか見れないのかと驚きがっかりした。
夜は、ホテルのフロントで気の利いた居酒屋を教えてもらおうと思ったが、チェーン店しか紹介してもらえず、しょうがないのでトンカツ屋でビールを飲んですました。ちょっとぱっとしないなと思ったが、十分に面白い旅だったのだ。

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›2006年03月30日

天寿国繍帳

東京国立博物館で「天寿国繍帳」の特別公開を見た(法隆寺宝物館、4/9(日)まで)。奈良・法隆寺と地続きにある中宮寺所蔵のもので、刺繍としては伝世品最古のものと言われる。
聖徳太子の浄土での様子を描いたとされ、飛鳥時代に作成された旧繍帳と鎌倉時代の模造品の残欠を江戸時代に張り合わせたもので、博物館の解説では色の鮮やかなものの方が飛鳥時代に制作されたものだとのこと。


美しいというよりは1300年以上前の布製品が残っていることに不思議な思いがして、それは法隆寺宝物館の照明の薄暗さによる影響もあるだろうけれど、図柄としてもずいぶんとあやしい。
宝物館の出口のところに、中宮寺の出店があった。色鮮やかなパンフレットが400円で売っていて、以前中宮寺を訪れたときにこの様な物があっただろうかと思い、とりあえず購入。中宮寺でしか売っていませんよとのおばさんの言葉で、僕はこういう文句に弱いんだよなあ。

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›2006年03月26日

俺たち再考

街中ではいからさんを見かけなくなったと思っているうちに、会社では新卒を迎える時期が近づいた。景気のいい部署や力のある事業部(正確に言うと政治力がある事業部長がいるところ)には新卒配属が多くまわされるが、そうでない部署は入社3、4年目で中堅の位置を狙って行こうという社員が相変わらず下っ端で、ちょっとかわいそうだなと思う。


年度変わりは新しい方針も示されて新年度の予算で物事が動いて行くけれど、景気が持ち直したと言っても研究開発費が潤沢になるわけでもなく、部署によっては削られて、潤沢な予算があるからと言って良いものが作れるわけでもないことは分かっているけれど、今年も創意工夫で乗り切らなければならないのだなー、と思う。


この時期は今一度自分の足元を確かめるいい機会なのだけれど、なんとなく忙しさに紛れていつの間にかゴールデンウィークになっているのだなぁ。

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›2006年03月23日

敷地内の電柱

自宅の敷地内に電柱がある家というのはめずらしいと思うけれど、お隣さんに電力を供給するための電柱が祖父の代から実家の西南隅にあって、はじめは木の電柱だったものが朽ちてしまって、次に鉄製で細めの街路灯に使われるような電柱に変わって、それも錆びて今は普通の道路にあるコンクリ製のぶっとい電柱が立っている。ある日家に帰ってきたときに、敷地内にこれを見つけたときには驚いたけれど、世の中には不思議なことがあるものだと思って、そのこともいつの間にか忘れかけていた。


昨年、関東南部で大きい地震が何回かあって、母親は電柱が倒れてきたらどうしようと本気で心配したらしい。2階の窓から見ると、もし倒れてきたとしたら電柱の上から四分の一が家にめり込みそうだ。さらに、前回強引にぶっとい電柱を立てた上に、錆びた古い電柱をおきっぱなしにしたのが、母親の癇に触ったようだ。
電力会社の人を呼んで撤去してもらうように頼むというから、どのような論理で交渉を進めていくか言い含めておいて、今朝実家を出た。


昼前に実家から電話がかかってきて、撤去を認めさせたとのこと。これで庭の風景も少しすっきりする。

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›2006年03月21日

秋華洞

素人には画廊の敷居は高い。僕は数回しか跨いだことがない。
鮨屋も敷居が高いが、一人でつけ台に座るようになったのはずいぶんと大人になってからで、その時の心持ちを思い出してみても、画廊は数倍敷居が高い。自分の品性が見透かされるような気がする。


おんらいんぎゃらりい秋華洞というのがあって、名前の通りインターネット画廊で、そこのメールマガジンを購読し意見感想を送ったら、その後欠かさずカタログをおくってくれるようになった。


代表の田中自知郎氏が鑑定に関する小冊子を出していて、それも送ってくれた。美術品の鑑定には知識が必要だけれど、結局は鑑定家の美意識、というよりはひらたく言って「勘」というものが最後の決め手である、というようなことが書いてあったと思う。


秋華洞ホームページ
http://www.syukado.jp/

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›2006年03月19日

神話

西洋美術史IIの課題のため「ゴッホ」について調べていたら、世の中で広く信じられているエピソードを、Wikipediaでは「神話」と断じている。
ゴッホは耳を切り落とした(ほんとは耳たぶを切っただけ)、世間から才能を認められなかったから自殺した(死の直前の半年は世の中からの賞賛に包まれている)、狂気のもとに絵を描いた(精神的に安定しているときに絵を描いていた)。本当のところは、僕には分からないけど。(http://en.wikipedia.org/wiki/Gogh)


子供の頃、親から与えられた『世界の七不思議』という絵本の中に「狼少女」の話が出ていて、長い間本当のことと信じていたが、現在では話の信憑性に対して疑問が投げかけられているようだ。(http://ja.wikipedia.org/wiki/アマラとカマラ)


世の中に神話は溢れていて、「あの人は信用できる」「あの会社が作ったものはすぐ壊れる」といったものや、二十世紀まで良く信じられていたものに「日本の官僚は優秀だ」。健全な懐疑主義を持って生きて行く必要があると思う。

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›2006年03月18日

太陽のように描け、月のように描け

コンセプトワード入選作が発表されたけど、音量子応募作品、「太陽のように描け、月のように描け」は落選していた。インパクトがある標語だと思うのだけれどな。


趣旨説明を再録してみると、

「大学はそれまでの初・中等教育と異なり、受け身ではなく、自らテーマを設定し考えを深めなければならない。教師から与えられるのではなく、自己を造形し表現しなければならない。太陽のように万物を照らし、月のように暗い夜を導く作品を生み出してもらいたい、という気持ちを込めました。」


ちょっと上に立ったような物言いをしているのは、僕がいい大人だから。

珍念さん、小春さん、じおうさん、おきなまろさん、ご卒業おめでとうございます。
みなさん、これからどのような仕事をされていくのか...


大きい仕事、質の高い仕事をしていくためには、高い志が必要と思います。目の前の仕事をこなしているだけでは(これだけでも重要なことですが)、周囲に流されいつのまにか長い月日が経ってしまいます。


高い志を持っていたとしても、ときにはそれを捩じ曲げたり忘れなければならないときがあるかもしれません。
物理学者ファインマンが述べたマサチューセッツ工科大学卒業式での祝辞の最後部分を引用します。


「ですから私が今日卒業者諸君へのはなむけとしたいことはただ一つ、今述べたような科学的良心を維持することができるようにということです。つまり研究所や大学内で研究費だの地位などを保ってゆくために、こころならずもこの良心をすてざるをえないような圧力を感じることなく、自由に生きてゆけるような好運を、との一念に尽きます。願わくば諸君がそのような意味で、自由であれかしと心から祈るものです。」


ここでの「科学的良心」は自分なりに自由に読み替えれば良いと思います。

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›2006年03月15日

『造形学研究』におけるヌードのへそ

ムサビ通信に入学したのは、入学相談会で酒井教授からいろいろ話が聞けたからで、美術大学における研究の魅力や本質について詳しく説明をいただいた。その時はなんとなく話が弾んで、ずいぶんと長く話をしたように思う。


酒井教授の話の中で一つだけ「ハテナ?」と思ったことがあって、造形研究コース4年の教科書を持って来られて、そこにある『ヌードのへそ』という論文を指し示し「西洋の画家と日本の画家が描く臍は違うんですよ、面白いでしょ?」と言われた。僕は「そのような枝葉末節な事柄が面白いですか?」という言葉が喉元まで出かかった。


今、『造形学研究』の教科書が手元にあって、ヌードのへその論文を読むと、確かに面白い。洋画では古典主義の影響から、やや膨らんだおなかの中央に小さくへそを描く。日本の近代洋画家は、洋画の技術を学んでいく過程で、へそに限らず日本人の体格までも西洋化して描き…、というふうに論旨が続いていく。
金子助教授の言葉を借りて表現すると「全体構成が堅固で、資料分析に即し、結論とその理由が明確に提示された」論文であると思った。

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›2006年03月14日

教科書届く 2

西洋美術史の教科書が全く新しくなって、冒頭にあるお約束のラスコー、アルタミラ壁画の記述がなくなった。紙幅の関係だろうか、何か意図があるのだろうか。
前の教科書にはたくさんあった図版も新しいものでは少なくなって、その代わりサイズが大きくなってきれいになった。説明が少なくなってあっさりとした教科書となった。


好きな教科書のうちで『文章の教室』は改訂され、『文章の新教室』となった。目次や本文をぱらぱらと見る限りでは、課題のレポートの書き方にさらに的を絞ったように見える。
スクーリングを受けるのは先のことなので、とりあえず本棚に置いておこう。


ムサビ通信の教科書は軽くて丈夫にできている。家を出るとき鞄に入れて、通勤時間中に読むのに都合がいい。装丁もすっきりしていて、好きな本だ。

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›2006年03月13日

春 3

春になったと思ったら、今朝は勤め先の厚木の事業所で雪が舞った。


夜、会社帰りに時々立ち寄る居酒屋で、季節のメニューが「春のメニュー」に変わっていた。そこにある「かつおのたたき」を注文した。脂ののっていない香気の強い刺身を食べると、これから新緑の季節がやって来るのだなと思う。料理屋でかつおが出てくるのは、最近は時期が早くなった。


薬味はしょうがも良いしにんにくも良い。鮨屋ではにんにくを出すのを嫌うところもあるけれど。
秋の戻りがつおは好きではない。あぶらがのっていて、香気がない。かつおという感じがしない、という贅沢を言ってはやっぱりいけないのだろうな。

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›2006年03月12日

教科書届く

教科書が届いたので、内容をざっと見て学習指導書を読んで、『Web学習計画システム』でプランを立てた。明日からは、仕事をしているとき以外は、通勤時間中も食事中も教科書や参考書を読んでいる生活に戻る。


昨年に手探りで始めた学習も、結果的にそれなりに単位が取れたので、一年前に比べたらそこそこ気持ちに余裕がある。とは言うものの、新年度にきちんと単位を取っていかなければ、再来年度の卒業はおぼつかなくなる(つまり、4年を2回やる予定)。


この日記は、ムサビ通信学生の情報共有の場としたいと考えています。課題の取り組み方や、スクーリングの情報、参考書などについて、気軽にコメントに書き込んでいただければと思います。私で回答できることであれば、コメントになるべく詳しくお答えいたします。
よろしくお願いします。

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›2006年03月11日

春 2

以前、池袋にある拳法の町道場に通っていたときに、「春になるとおかしなやつがいっぱい出てくる」と先生は言い言いした。春先のある日、実直そうな中年男がやって来て、ずいぶんと先生と話し込んでいた。練習の後、先生が「○×さんから話があるから」ということで、中年男が前に出て話し始めた。


内容は、朝の5時から近所の公園で空手の練習をやっている、興味のある人は参加しませんか、ということだった。拳法の道場に来て空手の勧誘をするとはいい度胸をしているが、朝の5時から人が集まるのだろうか。そもそも近所迷惑ではないかとも思ったが、まず人なんか集まりっこないので、そんな心配をする必要はないのだった。


道場破りが来るのも春の生暖かい風が吹いている頃で、あたまのねじの緩んだ兇暴そうな連中が三々五々やって来る。
その場で手合わせをするようなことは、今はない。とりあえず入門してもらって、ということになる。
その道場は、キックボクシングのジムと関係があって、キックの全日本チャンピオンやランカーが、試合前の調整でよくスパーリングをしに来ていた。道場生が相手をするのだけれど、そのスパーリングがあった日以降、道場破りはぱったりと姿を見せなくなる。

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›2006年03月09日

桃や梅が満開になって、朝のバスや電車の中で寒さにからだを縮こめる必要もなくなって、心がのびやかになって過ごせる気候となった。


そろそろ卒業式の季節だろうか。まだ、『はいからさんが通る』のような格好をした女子学生を見ないけれど、卒業式、入学式、会社によっては定期異動の時期なので、人によっては慌しいと感じる人もいるのではないだろうか。


今朝、相模鉄道の海老名駅で、沢田研二コンサートのポスターが貼ってあった。タイトルは「俺たち最高」。
この脳天気さも、春の徴候と考えてよいだろうか。

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›2006年03月05日

履修登録

今日、履修登録票を郵送した。2月中に旧年度のシラバスで履修したい科目を検討していたから、登録票に書き込み新年度のシラバスで最終的な確認をしただけで済んだ。事務で受付をしてもらったら、『Web学習計画システム』で新年度のプランを立てよう。


僕自身の登録の仕方はたぶんconservativeで、『履修登録の手引き』やネットフォーラムの『履修登録手続き質問箱』の助言に素直に従っている。
芸術文化学科造形研究コースに所属しているので、登録科目には『なんとか論』といったものが多い。造形文化科目なかに、大学の一般教養にあたるもので興味があるのがいくつもあるけれど、そこまで手が回らない。
体を動かすのが好きなので体育を取ろうかどうか去年迷ったのだけれど、スクーリング日程を多く入れてしまうと仕事に差し支えるので今年も見送った。


ムサビ通信のみなさん、今年もスクーリングでお会いしましょう。

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›2006年03月04日

皇居東御苑

東西線の竹橋駅を降りて内堀通りを渡り、平川門から皇居に入ったところに東御苑があって、無料で一般公開されていることは宮内庁が積極的に宣伝することもないので、あまり知られていないようだ(9:00-16:00まで、月金は休園)。


平川橋の真ん中で、がたいのよい警官が前を睨みつけているが、特に刺激することをしなければ向こうもなにもしない。平川門を入って少し先に「発券所」があって、ここでプラスチック製のぺらぺらの入場券を、おじさんがぞんざいに手渡してくれる。これは帰るときには返さなければならない。
梅は五、六分咲きくらいで、梅林のそばで写真を撮っているひとがたくさんいた。二本桜が咲いていたが、寒桜だろうか。今日は天気が良く暖かいので、芝生で寝っ転がっているひとが少なくなかった。


のどかな気持ちになって御苑を出ると、たすきをかけてマラソンをしている人が何人も通った。そういえば今日は関東実業団の皇居一周マラソン大会だったか。会社の拳法部から参加要請されていたけれど、今となってはもう遅い。パレスサイドビルで昼食をとって帰宅。

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