›2007年05月31日

感染症について 2

日本に帰ってきて、どうも赤痢にかかっていることが濃厚になって、保健所に行って検査をしてもらった。保健所の人はなぜもっと早く来なかったのだという態度で、結果が出るのは翌日だったけれど、本当に赤痢に罹っていたら二週間だか三週間だか隔離されるから、とりあえずその足で会社へ挨拶をしに行った。


上司はなぜ会社に来たのだという顔をして青ざめた。インドから無事に帰ってきましたと挨拶して、かたい握手をしてもらった(本当はこんなことをしてはいけない)。
翌日の朝、そろそろ救急車が迎えに来てそのまま隔離されてしまうのだろうなと家で悶々としていると、保健所から電話があって陰性だったとのこと。保健所の人は全く腑に落ちない口調でまた残念でもあるようで、どうしても僕を隔離施設に入れたかったようだ。


その日は会社へ行きお土産のチョコレートを庶務の女性に渡したけれど、誰も手をつけなかった。同期のKさんが、「何を気にしているんだ。ばかばかしい。」と言って真っ先にチョコレートを食べた。翌日、Kさんはお腹をこわして会社を休んだ。



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›2007年05月29日

感染症について

もうずいぶんと前のことになるけれど、インドへ行ったときに同じホテルの日本人宿泊者から「市販されているミネラルウォーターは井戸水だ。飲まないほうがいい。」と聞いたけど、なーにそんなことはあるまいと思ってインドのミネラルウォーターを飲んだら、とたんに下痢をした。後年、NHKのドキュメンタリーでインドのミネラルウォーター製造現場を見たけれど、井戸水どころか、雨を屋根から樋経由で甕に溜めたものをペットボトルに詰めていた。


結局ニューデリーでダウンしてしまって、日本大使館に連絡して病院を紹介してもらおうと思ったら、けんもほろろというか全く相手にされないというか、在外公館の役人はそれから全く信用していない。
ホテルの人に頼んでリクシャーを呼んで医者に連れて行ってもらった。ニューデリー郊外の一等住宅地にあるきれいな医院で、医者は当然インド人で、下痢も嘔吐も英語で言えなかったけど、医者は身振り手振りで症状を聞き出した。うまいものだなと思った。


リクシャーでホテルへ帰るときに、運ちゃんはこの半死人の病人をマーケットに連れ出し、みやげ物を買わせようとした。インド人の商魂は見習わねばならない。
薬を貰い三日間絶食したけれど、日本に帰ってきてインドで貰った薬について近所の医師に調べてもらったら、細菌性赤痢用のかなり強い薬ということが分かった。



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›2007年05月28日

最近読み始めた本

買ったままでそのままにしている本がけっこうあるけれど、本棚に入らない分は捨ててしまうので部屋は雑然としていない。そうしないと収拾がつかない。
その中で読み始めた本が、Penelope Mason『History of Japanese Art』(Prentice Hall)。外国人がどのように日本美術史を捉えているか知りたくて買った本で、前書きには「日本美術史専攻の初学者向け」とあって確かに分かりやすい。細部に拘泥せずに、流れをうまく捉えてやさしく解説してある。表紙が浮世絵とか仏像ではなくて、安井曾太郎の油絵というのも好ましい。

History Of Japanese Art
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もう一冊は、三木清『哲学入門』(岩波新書)。実験などで検証できない学問はうさんくさいと思っていて、哲学はその最もたるものだと思うけれど、どううさんくさいかはっきりとつかみたくて買った本。大体、序論に三分の一以上のページを費やしているのがもう胡散臭い。
この学問は相変わらず一つの言葉に複数の意味を持たせようとするから理解しにくい。ベッドに寝っころがりながら読むと良い本。すぐ眠たくなるから。



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›2007年05月27日

ふたたび修学旅行について

地元横浜にも修学旅行生が少なからず来て、横浜開港の歴史を勉強するのだろうか、それともみなとみらいや中華街をぶらぶらして終わりだろうか。大切な時間とお金を使って観光旅行で終わってしまうのだろうなあ。


今の学生は昔と違ってのんびりしている場合ではないように思う。就職一つとって見ても競争相手は国内の学生だけでなく、企業は外国人新卒への採用意欲も旺盛で、将来の現地法人幹部登用の思惑も見え隠れするけれど、そう遠くない日に伝統的な日本企業で外国人幹部が増えることと思う。ゆとり教育なんて、学生当人にとって何のためにもならないと思う。


じゃあ、修学旅行はどこに行けば良いのかねという声も聞こえてきそうなので、例えば、

・原爆資料館 - 戦争の恐ろしさむごたらしさが直截に分かると思う。比較的近い過去に起こったことなので、歴史証言も豊富で、中学生高校生にも理解しやすいだろう。少なくとも、いつ誰が何のために造ったかわからない法隆寺百済観音を見るよりは、よっぽど学生の将来のためになると思う。



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›2007年05月26日

修学旅行は四国・九州でした

今頃は修学旅行のシーズンで、暑い中、京都奈良は今日も学生が押し合いへし合いしているだろうけれど、ティーンエイジャーに古美術を見せる教育的効果はどこにあるのだろうか。将来、美術や歴史や古典を勉強しようとしている高校生には有意義と思うけれど、日本の宝だからといって、小学生中学生に法隆寺釈迦三尊や百済観音を見せたって何も分からないだろう、と思う。


なれない土地で、バスのシステム一つとっても分からないから運ちゃんにどやされて、テキ屋のおじちゃんおばちゃんに大切なお小遣いを巻き上げられて、大していいことないと思うのだけれどな。京都市民にしても、修学旅行生を暖かく見守る人と冷ややかに見る人に分かれるようだ。


龍安寺の石庭には石が何個あってその内の一つはどの角度からも見えないとか、三十三間堂の千手観音を見ると中に必ず知っている人と似た像があるとか、どうでもいいことを大人から吹き込まれて、修学旅行で京都奈良に行かなくてよかったなととりあえず思ってみる。



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›2007年05月21日

ご縁はいかがっすかー

スナックで飲んでいたときに、そこの女の子が「彼氏ができなくて」と言うから、たまたま持っていた五円玉を渡して、ここに書くのもはばかれるけど「五円はご縁に通じるから」というしゃれにもならないしゃれをを言ったら、それから大して日もすぎないうちに本当に彼氏ができてしまって、僕の五円玉が欲しいという女の子が他にもあらわれた。


偶然というものは重なるもので、他に五円玉を渡した女の子にも彼氏ができたことから、音量子の五円玉人気に火がついた。
そのスナックだけでなく、近隣のスナックの女の子やその友人からも五円玉が欲しいという話になって、いつも五円玉を持っているわけではないから、この希少価値がさらに人気を煽った。


たまたま五円玉を渡した女の子の性格ゆえだろうか、彼氏とは長続きせず、そんな話が伝わると、「音量子の五円玉は効力が弱い」ということになって人気も下火になった。


ここで何かしら教訓めいたことを書こうと思ったけど、こんな話は世の中にいくらもあるし、ひっかかる人はひっかかるし、私はひっかからないと思ってもあんがいひっかかったりする。



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›2007年05月20日

手相について

手相なんていうものは全く信用していないのだけれど、それにもかかわらず一時期勉強したことがあって、スナックのお姉さんの手相を見たりして、言ってみればマギー審司のマジックのようなものだけれど、恋愛運やら金運を見たりして、手相の理論から見れば全く不幸の星の下に生まれたとしか言いようのないもので、お姉さんたちのその後の人生と重ね合わせると、心ならずも音量子の手相理論は裏付けを得てしまい、日に日に強化されてしまった。


そのうち、スナックというものも京都縄手の「V」以外は行かなくなって、久しぶりに手相を見たのがムサヴィコムのオフ会で、みな福々しい手相をしているから、彼女らの今までの人生を照らし合わせてみても、手相というものを信じてみようかなという気にもなった。


ちなみに僕自身が手相を見てもらったのはかなり前のことになるけれど、酔っぱらって中野サンモールを歩いているときに見てもらった。当たっていたかって?
手相を信じる人は当たるし、信じない人には当たらない、そう言うものだと思う。



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›2007年05月19日

ロレックス デイトナ

会社での会話。


「おれ、ロレックスのデイトナもってるんだ。」
「またバブリーな時計を買って。200万くらいしたでしょ。」
「いや、2500円。」
「それ、秒針がコチッコチッって動くでしょ... 去年親戚がシンガポールに行ってロレックス買ってきて、自慢していてたけどクオーツなんだよ。水に入れたら浸水しちゃって。」
「いや、おれのロレックスデイトナは機械式だよ。2500円だけど。」


2500円のロレックスデイトナが欲しくなるか、やはりニセモノはいけないと思うかは、ひとそれぞれのようだ。



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›2007年05月18日

もの作りがしたいんです!

自分の先見性や能力を省みずに壮大なプランをぶち上げるおじさんが身近に増えてきて、これはごく自分の周りのことだけなのだろうか、それともよそでも起こっていることなのだろうか。もういい大人なのだから、開発戦略と白昼夢の違いくらいは分かるようになってほしいと思う。


どこの会社でもそうだと思うけれど、企画を立ててから実際にものづくりを始めるまでは大変で、当方が勤める電機メーカーではえらいおじさん(執行役員クラス)の前でプレゼンをして、イエスだとかノーだとか言ってもらうことになっている。ある時のプレゼンで、その場にいる一番えらいおじさんからOKを貰ってやれやれと思ったら、二番目にえらいおじさんから「それって、音量子君が本当にやりたいんだよね。」と言った。僕のやる気を確認したかったのだろうけれど、それにしてはお粗末な質問で、当然のことながら仕事としてやっているのだから、正直に言えば「こんなことやっているより、家に帰って昼寝をしていたいです。」というところが本音だ。


とは言え、メーカーに勤めているくらいだからものづくりは好きで、メンバーを集めて「それ作れ、やれ作れ。」と言っているのは楽しい。自分が考えていたことが形になるのは本当に楽しい。
調査・検討をしているのはしんどいし、全くこの生みの苦しみはあと何年続くのだろ?



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›2007年05月15日

卒業論文

美術史の勉強をしている過程で作品の成立した背景を調べることは当たり前だけど、僕の場合、上古の美術に興味があるから仏教の本、万葉集、説話集、歴史の本等々を読み始めて、そこからまた興味が派生してしまうからだんだんと収拾がつかなくなるわけで、でも学習を前に進めるためにはどこかで収束しなければならないから、興味の面から収拾をつけることはできないけれど、時間や費用の面からそろそろけりをつけなければならないなー、と思った。


そもそも興味が派生していくから面白いわけで、そういう過程で美術にたどり着いたわけだとも考えるけれど、とは言え発散してしまえば何も残らないわけで、そろそろ通信の勉強に本格的に戻らなければならないなと思った。


では、何を残すかということになると、卒業証書が目的でもないしなあと思い、大学に来て卒業が本目的でないというのも困ったものだけれど、つらつら考えて人文系の卒業論文を書くということが自分にとって大きな目標になるなと思った。よかった、よかった。考えがまとまった。さあてと、ビールを飲もう。



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›2007年05月13日

小西甚一 『国文法ちかみち』

国文法を知っていたからといって文章がうまくなるわけでもないけれど、人文科学としての言語学というのも魅力のある学問で、普段なにげなく使っている言葉に法則性規則性を見つけるということは面白いことだろうと思う。


この本を読んでみると、かな遣いの確立一つとって見ても先人の努力があったようで(定家仮名遣いや歴史的仮名遣い)、今は現代仮名遣いで文のやり取りをしているわけだけれど、この用法が生まれてから今に至るまでぼろくそに言われつつも、きちんと生き延びてこれからも生き続けるだろうけれど、こんなことは世の中にいっぱいある。


コンピューターの専門家の立場から言えば、Intelチップのアーキテクチャは設計したものでなければ愛せない(John L. Hennessy and David A. Patterson, Computer Architecture: A Quantitative Approach)ものだけれど、こんなことを書いていると長くなるので、また今度。


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›2007年05月12日

仮定と証明

夜、水割りを飲みながら小西甚一『国文法ちかみち』(洛陽社)を読んでいた。本に出てくる四段活用とか上二段活用とか形容動詞とか、そう言えばそんなことも習ったなあ、と思い出しながら読んだ。


中学に入って古典文法という授業があって、頭のでかい禿げた教師が活用表を黒板に書いた時は度肝をぬかれた。なんて味気のない下らないことをするのだろうと思った。その教師がメロンというあだ名だったということまで思い出した。


同じように驚いたのが数学の授業で、教師が幾何の問題について、機械的に仮定と証明を繰り返す。なんてつまらない科目なんだろうと思った。
大学を出たばかりの新任教師で(その後、僕の大学の先輩なってしまった)、経験が浅いということもあるだろうけれど、その影響で数学が好きになるまでずいぶんと時間がかかってしまったし、科学の問題で(人文科学もそうだろうと思うけれど)優れた仮定を提出することは、先見性と深い洞察が必要と分かるのはさらに後のことになってしまった。



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›2007年05月11日

ボルネオ語

新しい部署に配属になって打合せに出てみたけれど、皆が何を言っているのかさっぱり分からない。部署を異動するたびにこんな経験をしているけれど、そんなことを言うと「勉強すればいいじゃん」と言われそうだけれど、研究者が十年も二十年も取り組んでいることをちょっと勉強したくらいで分かるようになるわけはないので、打合せに出るたびにボルネオ語(という言語があるのかどうか知らないけれど)を聞いているような気分になる。


とはいえ、そのような場合でもいい大人は居眠りをしてはいけないので、聞いていることが何も分からなくても回りの十倍くらい分かっているような振りをしなければならない。そういうことは僕はうまい。いくつもの部署を渡り歩いてきた経験がものをいうんだと思う。


でも、そんな打合せに何回も出ていると、不思議と概要くらいは分かるようになるもので、今までの知識経験と、打合せで聴く言葉の断片がどこかでつながってくるのだろう、と思う。門前の小僧とはよく言ったものだと思う。物事はやはり少しづつでも積み重ねることが重要で、美術についてもそういうふうにありたいものだと思う。



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›2007年05月10日

古美術印象における反芻胃

ねこあじさんの日記を見ると、ムサビの学生さんは夏に古美術研究旅行に行くようで、京都奈良を回っているとたしかに先生に連れられた学生を見ることがあり、ふつう学生だったら夏は海や外国へ遊びに行くことと思うけれど、わざわざ神社仏閣に足を運ぶわけで、連れられて来た学生さんはまじめで優秀そうな人が多いように思う。


美術に興味を持った仲間と一緒に、先生の指導を受けながらあちこち回るわけで、羨ましいしそのような旅をしてみたいものだと思う。和辻哲郎の『古寺巡礼』では気の合った仲間と奈良を巡って、法華堂、新薬師寺、浄瑠璃寺などで見た仏教彫刻、建築の印象や興奮を、夜に友人と話し合うところがいきいきと描かれていて、そんな情熱があの本に反映されているのだなと思う。


僕自身はといえば、昼まわったところについて、夜はスナックのお姉さんとお酒を飲みながら話をすることになるけれど、寺の雰囲気や周りの町の風景については話すことがあるけれど、「三十三間堂の本尊千手観音坐像は湛慶晩年の作で...」などと言っても引かれるだけだから、そういったことはスナックに行く前に焼き鳥屋で一人ビールを飲みながら自分の頭の中で反芻することになる。



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›2007年05月07日

箒にアイーン

梯子から落ちて腰をしたたかに打って、普通の人よりゴールデンウィークが一日伸びでしまった音量子です。
休みが延びたと行っても、寝てても痛いし起きていても痛いし、会社で休み中に仕込んでおいたシミュレーションの結果も気になるし、休み明けには大事な打ち合わせが続くと思ってみてもどうしようもないのだな。


ロフトの掃除をしてから、梯子を降りつつ箒にたまったホコリを見ていたら足を滑らせて、箒を投げ出せばよいものの、そのまま落下して腰を家具の角に打ちつけた。もう、だめかなと思った。


今、曲がった箒をながめて、僕の人生にとってどれほど重要なものなのかなと考えてみた。



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›2007年05月06日

金沢文庫とピーター

歴史の本を読んでいる時、史実の人物をNHK大河ドラマの出演者と重ね合わせたりして、案外その方がよく頭に入るというか実感を持って読むことができる。


とは言うものの、最近大河ドラマは見なくなってしまって、というよりはテレビ自体を見なくなったこともあるのだけれど、記憶に残っていて面白かったもので一番新しいのは「北条時宗」で、調べてみるともう6年前になるのだな。


和泉元彌の時宗、渡辺篤郎の時輔の演技は素人目にも出色だったと思うけれど、その後の和泉元彌のスキャンダルは惜しいことと思う。
他には、時宗の父時頼を演じた渡辺謙、切れ者の参謀を演じるピーターにも感銘を受けた。
ウィキペディアでピーターが演じた役を調べてみると、金沢実時だった。そうか、金沢文庫を造ったのはピーターだったのか。



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›2007年05月05日

小西 『古文研究法』

ここ数日は夜、酒を飲みながら小西甚一『古文研究法』(洛陽社)をぱらぱらとながめて過ごした。お酒を飲みながら学習参考書を読むというのも花がないけれど、ちなみにこの「花」という言葉については388項に分かりやすい説明があり、さらに次項には「わび」「さび」の説明があって二つの言葉の違いが分かるようになった。


このような本を読むのも、自国の古典くらいはそれなりに理解したいという気持ちがあって、とは言え源氏や枕草子を原文で読みたいというほどの野心はなくて、美術館で見る三十六人家集のなんとか切の和歌ぐらいは大意を把握できるようになりたい、という気持ちはある。


この本の最後に、「古典を尊重しないような国は、下等な連中しか住んでいない国だと考えてさしつかえない。ところが、戦後の日本では、古典を軽視することが進歩的であるかのような誤った考え方が横行し、」とあるけれど、いわゆる進歩人が古典を見下すのは昨日今日に始まったことではないし、さらにその後ポップカルチャーが世界を席巻するに至って、状況は小西翁が慨嘆する以上のものになっているようだ。


本の最後の最後、「私がこの本で述べた程度のことを、いま身につけておいた人は、生涯、古典を友とすることができるであろう。」というところを読むと、高校生のとき、きちんと勉強をしておけば良かったと忸怩たる思いがするのだ。


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›2007年05月04日

網野 『日本社会の歴史 (上)(中)(下)』

さあてと、学習の区切りもついたことだしハワイにでも行くか(うそ)。


連休の後半は、10年ぶりに網野善彦『日本社会の歴史』(岩波新書)を読み返してみた。出版当時、日本海を大陸と列島で囲まれた大きな湖と見なし、沿岸諸国を「環日本海諸国」と捉えること、また日本や日本人が問題になるのは国号が定まった7世紀末以降と考えることは、学校で普通に社会科や歴史を勉強したものにとっては衝撃的だった。


その後、網野監修の講談社『日本の歴史』(全26巻)が出版され、また10年の歳月も流れたから、そういった考え方は今では一般的になっているのだろうか。


僕自身は仏教美術に興味があるから、上巻にある、聖武が政策の失敗から仏教に頼るようになり、鎮護国家の宗教としての地位を確立して行くくだりは、あらためて興味を持って読んだ。


日本社会の歴史〈上〉日本社会の歴史〈上〉
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›2007年05月02日

音量子の秘密

さあてと、仕事も終わったし連休後半はハワイにでも行くかな(うそ)。


連休前半、書棚を整理していたら卒業研究で使った本が出てきた(高橋康『場の量子論 I、II』 培風館)。本の中にある音量子の説明を読んでみると、1次元結晶に外部から何らかの撹乱が加わった時のポテンシャルをTaylor展開したりいろいろ式をこねくり回すと、音量子というエネルギー量子が出てくるようだ。本にはBose統計に従う粒子とあるが、全くもって意味が分からない。


この本は誤植や著者の計算ミスが多くて、自分の文字で本文中の方程式を修正した箇所がそこここにあるのだけれど、なぜ自分がこれらの方程式を解くことができたのか全く不可解だ。多分、大学生のころの自分は今の自分よりえらかったのだと思う。


4月1日付けでなぜか画像処理の部署に異動になり、打合せに出ると行列式だとかフーリエ変換だとか懐かしい言葉がいっぱい出てきたけれど、「フーリエ変換」って何だったっけ?


音量子の詳しい説明はこちら
http://en.wikipedia.org/wiki/Phonon




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›2007年05月01日

理屈を言うな、だまって食え!

横浜に引っ越してうれしかったのは、それほど高くない鮨屋がなかなかたいしたもので、少々高い鮨屋は大変なもので、ものすごく高い鮨屋は僕は行ったことがない。


それでもうんちくを傾けたいおじさんはどこにでもいるもので、「××○○した食感」とかいうところからはじまって、冬であれば「ぶりは氷見だよな」というブランド話、一番やめてほしいのはカウンターに座っているお客越しからガラスケースのなかをじろじろ見ること、ものすごく意地汚いと思う。


ただし、おばさんが同じことをするのは大して気にならない。なぜなら、あの世代は魚をさばけるし、酢でしめることも出来るし、板前さんと料理について対等に話が出来るから。聞いていて、面白いなと思う時がある。




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