›2006年08月28日

ひかえおろう

町内会の掲示板にコンサートのポスターが貼ってあって、その上にマジックで「町内のKさんが出演」と手書きの文字があった。日本有数の古刹で行われるコンサートに出演するテノール歌手と、町内会の夏祭りで焼きそばをつくっていたデブとが結びつくまで少々時間がかかった。


人のイメージとは難しいもので、面と向かったときの印象と、その人の出自出身校職業貧富などの乖離が激しいと、不思議なものでなんとなく魅力を感じてしまうものだ。時代劇の水戸黄門はそこを逆手にとったもののように思う。


ちょっと話は変わるけど、ブログを読んだ印象とムサビ日記の面々と直接会った時の印象はかなり異なる。どの人も僕自身の想像とは違った人だった。大体、手羽さんは女と思っていたし、おきなまろさんは男と思っていた。



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›2006年08月27日

しずる感

旅行のときにデジカメを持って行くかフィルムカメラを持って行くか。個人的な旅行の時にはフィルムカメラを持って行く。


仕事の関係で、CM撮影監督のお話を伺う機会があって、またその監督のフィルモグラフィーを見せてもいただいて、岡本太郎の「芸術は爆発だ」(日立マクセル)のCMを撮った業界では著名な方で、80年代まではフィルムで撮っていたものが、90年代になりデジタルのものになると映像が平板になり、エフェクトがかかって面白くもあるけれど、なにかぺらぺらな印象を受けた。


その監督が指摘されたのが「しずる感」ということで、英語の"sizzle"、肉のじゅーじゅーと焼ける音でこれをいかに映像として表現できるか、ということだった。
デジタル機器で画素数を多くし階調を上げればじゅーじゅーという感じを出すことができるのだろうか。それとも新たな信号処理ロジックを考案する必要があるのだろうか。


というようなことに悩まなくなったら、個人的な旅行にもデジカメを持って行くようになると思う。



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›2006年08月26日

夏の終わり

そろそろ夏のスクーリングが終わる頃でしょうか。音量子は仕事の都合がありスクーリングに出席することもままならず、その上フランス語と乗馬に夢中になっているというかなりいけすかないサラリーマンとなっており、ブログを見ている皆さんに情報を提供できないことを心苦しく思っております。


とは言え美術のことを忘れたことはなく、近々京都奈良へ日本美術探究の旅に出発します。
10年前、美術の興味も知識もないのに、何となく見た仏教美術に惹かれてから、今は少し美術史もかじって多少の知識を持ってあらためて見る彫刻や建築がどのように自分の目に映るか興味があります。


関西地方はずいぶんと暑いようで厳しい旅になりそうですけれど、日が暮れたらバーの女性にいたわってもらうべく祇園に行って、めくるめく古都の夜を



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›2006年08月19日

横浜日仏学院

ひょんなことから、これから1ヶ月間毎週土曜日はフランス語を勉強することになった。
今日の横浜は厳しい暑さで、朝にフランス人の先生は暑い暑いと言いながら教室にやって来た。太めのおばさんの先生で、その先生が暑いと言うたびにこちらも暑くなるのだった。
ほめて生徒のやる気を出す方針なのだろうか、生徒が発音するだびに、

「とれびやん。」
「ぱーふぇっ。」
「うい、うい。」
「ぶらぼ。」

と褒めてくれる。


昼食は馬車道の勝烈庵に行った。このくそ暑いときにとんかつを食べたいと思う人はいないようで、1階のカウンター席は僕だけだった。
暑いからビールでも飲んじゃおうかなーと思ったけれど、午後の授業もあるしなーとも思い、どうしよっかな〜と思っていると(どうしよっかな〜症候群)、店のドアが元気よく開いて親分と若い衆がぞろぞろ入って来た。


席について、親分が上着を脱いでいいぞと言うと、若い衆のいちばん年嵩のだけが上着を脱いだ。お茶が配られて、親分がお茶を飲めと言うと、若い衆は揃っていただきますと言って一斉にお茶を飲む。それ以外の時は、ずっと手を膝に置いたままだ。
10席以上あるカウンターに堅気は僕だけで、そういえばこんなことが以前あったよなーと思った。



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›2006年08月18日

和辻哲郎『古寺巡礼』

岩波文庫の『古寺巡礼』をはじめて手に取ったのはずいぶんと前になるけれど、その後なんどかこの本を読み返した。類書がいくつも出ていて、亀井勝一郎、町田甲一、竹山道雄、その他にもあったと思うけれど、和辻の本を超えたものはないように思う。


土門拳の『古寺巡礼』は写真集だから和辻の類書と思っていないし、土門の本から和辻のものを連想したりはしない。
小学館文庫版の土門の写真集を見ていたら、エッセイに子供の頃は横浜に住んでいたことが書いてあって、自宅近くの小学校に通っていたことが分かり驚いた。無骨そうな土門と、スマートな浜っ子の間につながりを見出すことができない。


和辻の本に話を戻せば、改版序には若い頃の旅行日記と断りがあり、確かにみずみずしい筆致で大学院生くらいの頃に書かれたものとずっと思いこんでいたけれど、年譜で確かめてみるともうすぐ30歳になろうとするときに書かれたものだった。その年までぶらぶらしていられたことに軽い嫉妬を感じるし、それゆえ広い知識を持ちつつも若々しい感性で書くことができたのだなと思う。



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›2006年08月17日

旅の季節

子供の頃は旅行をするといったら夏だったから、春に行くより秋に行くより、夏に行くほうが旅の気分が出る。母方の親戚が関西にいて毎年のように遊びに行ったけれど、新幹線を新大阪の駅で降りるとむっとするような熱気にさらされて、そんなことに旅情を感じてしまうのは大人になっても変わらない。


今月末に夏休みが取れそうなので、奈良2泊京都2泊の日本美術をめぐる旅に行ってこようと思う。出発まで間があるので、かかる費用を計算してみた。


・宿泊など(宿泊費、マッサージ、クリーニングなど)
→ 5万円くらい

・交通費(往復の新幹線、電車、地下鉄、バス、タクシー)
→ 5万円くらい

・拝観など(拝観料、入場料)
→ 5千円くらい

・酒代(新幹線の中で飲むビール水割り、居酒屋、バーの払い)
→ 5万円くらい


これでは古の都に美術研究に行くのか酒を飲みに行くのか分からないな。



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›2006年08月11日

逮捕する

昨日、横浜で銀行強盗があって、警察署の斜め前にある銀行を襲うのも間抜けと思ったけれど、犯人は首と肩を拳銃で撃たれて逮捕された。今日、用事があってその銀行に行ってみると、入り口や店内に警備員や行員がたくさんいて物々しい雰囲気だったけれど、強盗にあったばかりだからまたすぐに強盗にあうとも思えないけれど、まれにしか起こらない事象は統計的にポアソン分布にしたがって、この分布の示唆するところは事件の起こった直後に再び同じ事の起こる確率が一番高いということになる。


大地震などもポアソン分布に従うと言われて、インドネシアで大きな地震が続いているのも、この分布が適用できる不幸な例と思う。このとき、時間が経つにつれて単位時間に物事の起こる確率は急激に落ちるけれど、時間が経つにつれて事象が起こる確率は限りなく1に近づくので、東海地震が明日起きてもおかしくないというのは、このことを言っているのだろう。


東京に生まれ育つと教育の成果もあってか地震は怖くて、次はいつ起こるのかと思ったりもするけれど、中央防災会議は南関東で次に大地震が起こるのは100〜200年後としている(1992年発表)。つまり、21世紀中は大地震が起こらないと言っているわけで、推測統計の立場から見て大胆な予測のようだ。



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›2006年08月06日

72時間煮込んだ至高のスープ

近所のそば屋で昼食をとっていたら、30代のむさくるしい3人組が入って来て、店のおばさんに「今度、3軒隣で店を開きますので」と挨拶をしている。


そこは以前、いかにも脱サラしましたという夫婦がラーメン屋を始めて、一度行ってみたけれどチャーシューだけがうまいラーメンで、半年もしない内に潰れてしまった。
その次にテナントとして入ったのが、30代の無精髭をはやしたむさくるしいお兄さんで、看板には「72時間煮込んだ至高の鶏ガラスープ」とあったけれど、一度入って食べてみたら、物はまる3日間も煮込んでしまうと味がなくなってしまうのだな、ということが分かった。


そば屋で3人組の話を聞いていると、ちょっと食べ歩きをしたぐらいのしったかぶりのようで、店のおばさんには「ラーメンとカレーをメインにした居酒屋です」と言っていたから、焦点のしぼれない素人料理屋なのだろうと思う。



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›2006年08月05日

町内会の夏祭り

祭りの手伝いに行ってみると、同じ担当のおばさんがやる気を出しているので大してすることもなく、焼きそばをつまみにビールを飲みながら何となく回りを眺めていた。


・あの女の子はがたいが良いなあ。ミシェル・ウィーと同い年くらいで、身長もそんなに変わらないのではないか。ご両親はスポーツ選手にしようと思っているのだろうか。とはいえ、あちらは全英オープンでン桁の出場料で、こちらは町内会の祭りでフランクフルトを齧っている。

・あのガキは兇暴そうだなあ。大人になってやくざやチンピラにならなければ良いが。ああいったものは人間の屑だからな。

・お母さんお母さん、手に持っているビールが子供に垂れていますよ。

・おばあさん、焼きそばに気を取られていないで。愛犬を踏んでいますよ。


ちょっと酔ってしまったが、これから勉強しよう。



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›2006年08月04日

具志堅ダウン!具志堅ダウン!

日本ボクシング史上、栄光の頂点はなんと言っても具志堅で、タイトルマッチの日はみな早く家に帰ろうとしたし、14度目の防衛戦の時に家の最寄の駅に着いたときには既に試合が始まっていたけれど、駅から家までの帰り道で多くの家がタイトルマッチを見ていたし、そのテレビの音が外まで聞こえるので試合の進行が外を歩いても良く分かって、アナウンサーが「具志堅ダウン!具志堅ダウン!」と言ったのが聞こえたときには家に向かって走り出した。


具志堅はその後、毒入りオレンジ疑惑(分からない人はお父さんに聞いてください)でケチが付いてしまったのがなんとも惜しい。


日本ボクシング史上、最大の汚点はなんと言っても鬼塚で、防衛をすればするほど堕ちていったチャンピオンも珍しいし、翌朝の新聞のボクシング評にはぼろくそに書かれて、朝日は「鬼塚、お前の人生はそれでいいのか」とまで書いた。
最後の防衛戦で、最終ラウンド最後の1分は滅多打ちにされて、あと10秒で終わるというところでレフェリーが止めた。止められなかったら、八百長でまた防衛出来たろう。普通、10秒もめったうちにされたらレフェリーは止める。1分近くも打ちまくられて、未だに良く生きているなと思う。



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›2006年08月03日

きん也のばかん

僕の子供の頃は珠算塾という今から見るとアナクロニックなものが流行っていて、その塾の壁には消しても消しても「きん也のばか」「きん也の大バカ」「きん也のバカバカバカ」という落書きが絶えなかった。
きん也はどんな馬鹿だったかというと、まず見た目がバカだった。行動や言動については…、まあ救いようのない馬鹿だったと記憶する。


子供の頃の知能の発達というのは個人差があるようで、きん也は小学校の頃は他の子供に比べて少々遅かったのだろう。きん也が中学校に上がってそれ程もしないうちに、きん也がばかという話は聞かれなくなった。


小学校の頃、○×ちゃんという高校生くらいの子が近所にいて時々遊んでもらった。○×ちゃんは昼間から道端に座り込んで、1時間も2時間も動かなかった。僕らがちょっかいをかけると、眠たそうな顔をして相手をしてくれた。
その頃は、知的障害児を教育する施設が少なかったから、○×ちゃんも昼間からつれづれなるままの生活をしていたのだろうと思う。もうずいぶんと長い時間がたってしまったけれど、いまでも元気にしておられるだろうか。



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›2006年08月01日

埼玉のいなかじゃ出会いがないんだとよ

夜遅く、母親から電話があったから、おやじがいってしまったか、親戚のおじさんおばんがぽっくりいってしまったかと思ったら、見合いの話だった。


生まれて初めての見合いの話だ...


埼玉のいとこの紹介で急な話だと思ったけれど、履歴書その他はいいから、写真だけ送ってくれるようおふくろに言っておいた。



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