2008年11月16日

横浜、うそら寒い雨の日

今日は第2回目の『世界のアートシーンを読む』(横浜美術館塾主催)に出席した。内容は面白い。音量子は滅多にものを褒めないが、この講座は面白いと思った。


先生はイギリス系の人らしいが、聞き取りやすい米国英語で話してくれる。きれいな発音でよく分かる。とはいえ、昨今の美術論文は抽象語句が多く入ってくるようで、すんなり頭に入るというものでもない。


わたしぃーアメリカに留学したしー、向こうの生活も長かったんけどぉー(でもいつまでたっても冠詞の使い方全く分からない)、でも英語は使わないと忘れるしぃー、だからここに来たんですでどぉー、などと言っている成金の家のとうのたったお嬢様(おばはんで十分だ)は申し込まない方がいい。


次回は美術大学について。R先生は武蔵野美術大学や多摩美術大学で講座を持っておられるとのことで、昨今の美大生は(R先生によると)美術に対する考えや思いが以前とは変化してるとのこと。
僕なりの考えで言えば、美術というよりは大学や学問について、学生ばかりでなく教職員や父兄も考え方が以前とはずいんぶんと異なって来た、と思う。


otoryoshi@gmail.com

Posted by phonon at 2008年11月16日 22:34
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コメント

それ、どんなふうに変わってきたのでしょうか。詳しく聞きたいなあ・・・などと言ってると、「そんなの教えるわけないでしょう」とか言われてしまうんだろうか。

Posted by キョウコ at 2008年11月16日 23:29

キョウコさん、

>それ、どんなふうに変わってきたのでしょうか。

簡単に言ってしまえば、「大学は学問をするところである。学問自体に価値があり、それを真摯に学ぶことに価値がある」ということから、「学問自体にどう言う価値があるのか。学問を学ぶことによって、自分にどのようなメリットがあるのか」というふうに、より功利的になったと言うか理屈っぽくなったと言うか、そのように感じています。

Posted by トレトレビヤン☆音量子 at 2008年11月17日 08:43

解説ありがとうございます。

ふ〜ん、なるほどね。
まあ、より目的意識を持っているとも言えなくもない気がします。

私自身のことを考えると、「ただ、自分自身の答えを見つけたい、そのための道標」というところでしょうか。かなり、功利的かも知れませんねえ。

Posted by キョウコ at 2008年11月17日 19:20

キョウコさん、

どちらがいい悪いということではなくて、世の中はそのように変わって来たなと。

ただ、絵が好きだから絵を描く、xxという学問が好きだから勉強する、という考えは古くなったのかとさびしい気もします。

すれた大人じゃないんだから、いつも損得勘定しててもと思うのです。

損得勘定抜きの真摯さが、優れた仕事をした人の場合、大きな力になっているようにも思います。


Posted by 音量子 at 2008年11月18日 05:02
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