2007年08月31日

ミュゼオロジーI 第1課題

ムサビ通信に入学して自分なりに美術について考えたいとは思っていたものの、人文科学のレポートをどう書いてよいか分からず、悩み抜いた末に初めて書いたレポート。

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題名: 横浜市中区根岸台「馬の博物館」


横浜市の東、根岸湾を望む高台に「根岸競馬記念公苑」、通称「馬の博物館」がある。JR根岸線根岸駅あるいは石川町駅からバス便が出ているが、本数が少ないので車を利用するのが便利である。高台にあるため、徒歩での来館は難しい。


「馬の博物館」は根岸森林公園内にある。公園は広大な敷地を有しており、芝生が敷き詰められ、周りには桜が植えられている。花見の季節は大変な人出で、家族連れで賑わう。
根岸森林公園の前身は根岸競馬場で、明治初年日本で初めて競馬が開催された。そのゆえもあって、公園内にJRAが経営する「馬の博物館」が設立されたものと思われる。


私は十年来乗馬を趣味としており、ほぼ毎週横浜の乗馬クラブに通っていた(今春よりムサビ入学のため一時休止中)。乗馬で馬にふれあうようになって気づいたのは、日本の馬事文化の貧弱さであった。乗馬施設、書籍類、研究施設、教育機関など、すべて社会の片隅にひっそりとあるだけである。日本で馬事文化と言えば競馬となってしまい、それ以外には何もないというのが一般市民の印象ではないか。
私の父は長野の寒村の出で、農耕用に馬を飼っていた話をよくした。ある日、馬が風邪をひいたので、長いパイプを馬の口に差し込み、反対側から薬のタブレットを勢いよく人の息で吹き込んだ。しかし、馬は薬を喉に詰まらせてしまい、苦しんだ後に死んでしまった。父はこの話を口惜しそうに何度も何度も話した。
戦前までは、農耕用輸送用あるいは軍事に馬が人に利用され、馬と人との生活が自然なものであったが、戦後急速にすたれ、いまの日本では人が馬とふれあう機会がほとんどない。


「馬の博物館」は根岸森林公園の東のはずれにある。建物は現代的で、レンガを模した外壁が一部ガラス張りとなっている。
受付の前の自動販売機で入館券を買う。大人は100円。日曜の昼間だが、閑散としている。入口のすぐ左には馬具が展示されている。頭勒、ハミ、鞭などがガラスケースに並べられている。そのすぐ横に、日本の洋式競馬の導入および発展が、戦中まで時系列に並べられている。明治時代には、競馬は外国人や貴顕のものであって、一般庶民には無縁だった。また、馬券の発売については、価格や風紀の問題も絡めて、社会的に物議をかもしたようだ。
階下の展示室に行くと、天皇賞百年記念の展示があった。来館者は私の他に三人(男二人女一人)。大声で競馬馬の話をしているところ見ると、競馬ファンか。


江戸時代の競馬(くらべうま)の屏風や装束から始まって、明治天皇の馬車(実物)や愛馬の写真、それから天皇賞百年の歴史となる。馬券、ジョッキーの服装、レースの写真やカップ、盾の展示となる。
廊下を隔てて、斜め前の展示室に入ると、馬の進化や生態、人の馬の利用の展示がある。馬の骨格標本や剥製、戦前の馬を利用した農耕風景や輸送利用の写真などが飾られている。
休息室で展示内容や感想をノートにまとめたが、そこにいるのは私の他に初老の男一人で、昼寝をしていた。階上にあがり受付を出るところで、地元のボーイスカウトの団体が入場してきた。


「馬の博物館」のもう一つの事業の柱は「ポニーセンター」で、乗馬を体験することができる。月に一回第三土曜日中高生150人まで予約制となっている。また、毎週土曜日昼の一時間、子供がニンジンをあげたり馬に触ったりする体験授業がある。


この博物館の展示は、質、量とも低調と言える。日本の馬事文化の表層を撫でている印象しか持ち得ない。馬が人の経済活動を裏方としてどれだけ支えてきたのか、またそこから生じる人と馬との愛情が全く伝わってこない。
しかし、現代日本において、馬の文化について真面目に伝える貴重な博物館と言える。さらなる展示の充実、および社会への周知が望まれる。

Posted by phonon at 2007年08月31日 22:50
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