2007年11月29日

トラウマで良くも悪くも

高校の地歴公民の授業では。
理想と現実のギャップ、教育が子どもに対して「仕組む」面を持つこと、公正公平と言う言葉の難しさと胡散臭さを学んだ気がする。
これらが見えてから、政治経済のあらゆることを拒絶するようになった。
正直、社会科教育と言うものがつらくなったこともあったけど、それによってものを見る目を自分なりに創り上げられるようになった…と思う。
ただ、今まで6年以上世の中のことから耳をふさいでいたので、就活ではマイナスになる部分もあるとおもう。


【1年・世界史B】
自分が一番初めに赤点を取った科目(最終的には5教科の殆どで赤点を取ったけど)。
世界の時の流れをつかんでから現代社会の問題がなんとなくわかりやすくなったと思うけど、
覚えることが多すぎてドロップアウト。

【2年・政治経済】
夏休みの課題。自分は国民投票についての本を読んでレポートを書いた。
正直、投票制度のプラス面のことしかかけず、マイナス面をきちんとまとめられなくて悔しかったのに、
帰ってきたレポート用紙には「良い本を読みましたね」のコメントが。
もしかしたら先生は、マイナス面を挙げての注意喚起をしたかった自分の気持ちをがんばって汲んでくれたのかもしれないけれど。
そのときの自分は「世論誘導」という感じに捉えてしまい、凹んだ。

【2年・倫理】
この科目を、小中学校でいう「道徳教育」だと思い込んでいた自分も馬鹿だけれど。
脳内でいかにすばらしい思想や秩序が思い浮かんでも、いざ脳の外に出すとそれらを100%共有することはできず、結局はどんな体制も崩壊するような気がした。

【3年・日本史B】
高校3年間で激しく拒絶反応を起こした科目ベスト3。
(あと二つは現代文と…何だろう)
先生の歴史解釈が独特だなーと思っていたら、いわゆる左寄り(というか某組織系?)の見方だったらしい(と、右寄りなクラスメイトの指摘で気づいた)。
プチナショナリズム化が進んでた時代だったけれど、それとは対極の思想がにじみ出るのを聞くのも苦手だと思った。
先生の話を聞くのが、思想・心情とかとは別の次元でつらくて、
でも自分には「聞き流す」能力が備わってなくて(人の話を聞かなかったりするときはあるけれど)、
何回か仮病を使って、保健室に逃げたこともある。
教育の公正・公平性は大切だとは思うけれど、ひとりの先生が1年間の授業を抱え込む限り、
「中立」の2文字なんて、絵に描いた餅じゃねぇか――――――――――、と思った。
いまでは、「中立」とは達成するべきゴールではなく、絶えず目指すための指標だと思えるようになったけど。
それにしても話が激しすぎて(口が悪いわけでなく、攻撃するための論調という意味で)、
「なんとなく中立」思想に萌えていた(なんじゃそりゃ)自分には痛い喝だった。
先生自体は、(バツイチだけど)お父さんタイプで親しみやすい人だったけど〜。

【3年・地理A】
社会科の中で一番なじめた科目。NIE(Newspaper in Education=教育に新聞を)をがんばっていた。
新聞記事をたくさん使った授業で楽しかった思い出がある反面、NIEの弱点も見えてきた。
例えば、時には記事も訂正すべき部分はあると思うけど、そのフォローがあまりなされてない気がしたりとか、
捏造記事は論外だけど、新聞社のスタッフの世論誘導で授業が振り回されそうで怖かったりとか。
ウィキペディアの記事では(11月29日の時点で)もっと指摘されてますね。こんな感じの疑問と不安を抱いていました)
でも前述4科目よりはずっと親しみやすかった。

と、就活用のクロッキー帳にずらずらと書き連ね、
自己分析のための自分史作りをしてみたら。


面接のときに、就職課の人に「コレはやりすぎでしょう」と苦笑されました。


確かに、書き上げてみたら「自分ってなんて僻んでて性悪なんだ」と思いましたし(汗)。

でも、それまでは学生の最低ノルマかつ受験における重要科目だと思っていた「社会」という科目が、
ここまで色々考え苦しむようなターニングポイントになっていたんだな、と気づけたのは良かったかもしれないです
ただ、気づいたところで、これからどうするかが問題ですが…社会問題から逃げがちだったから時事問題がわからない(汗)。
結局自己満足で終わりそうな予感。ヤバス。




Posted by akaiwa at 2007年11月29日 22:48
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