›2009年03月14日

【質問責め・6】就活終了のお知らせ

Q・好きな女性のタイプが知りたいです。
 
A・末っ子長男だからか、アネゴ肌のある人には弱いです(弟キャラ的な意味で)。
 
Q・好きな男性のタイプも知りたいです。変な意味ではなく。
 
A・末っ子長男だからか、ミドルエイジにあこがれます(甘ったれ的な意味で)。
 
 
おはようございます。ヤスタカの質問には↑のように応えていくことにしました。
何日くらい持つかは分かりませんが。
 
 
さて、音量子さんからこんなコメントをいただきました。
 
 

質問だ。なぜ、教務補助になったのですか?

 
 
「働きながら制作したかったから」、以上です。
…では明らかに説明不足なので(汗)もう少し深く掘り下げてお答えするとしたら。
 
就職するか院に進むかを決めたのが3年の秋頃なのですが、こんなえらそうなことを言っておいてもやはり心のどこかにものづくりに対する未練がありました。
また、このまま院に進んでも悪い意味で学生気分を引きずりそうだと感じていたので、割と消去法である面も否めませんでした。
 
人生での次のステップのに進むための就活だったはずが、未練を振り切るために雇用産業に洗脳されてみようという本末転倒の行為をしていました。今思い返すと。
あとは無駄な義務感をいだいてましたね。世間一般という仮想人格が求める「大学生らしさ」というものに。
仮想人格だから、結局は自分のご都合主義なのですが。
 
特に「仕事を通じてどのように会社に貢献していきたいか」なんていわれた日には、
制限時間の2倍を使っても解答を書き切ることができないほど自分の軸がぶれてしまって、
はったりをかますことすらできない自分の不器用さにへこんだり。
(単純に作文が下手なだけということも大きいと思いますが)
 
そんな中、某研究室で教務補助の後継者を募集しているという話を小耳に挟んだので、就活のインターバルがてらに話を聴きに行きました。
「働きながら制作」ということに関して言えば、ものづくりにかかわる人のそばに入れるのでいい環境だとは思ったのですが、
2年で任期終了、基本週3回勤務で月給○万○千円(←ちょっとWEB公開できない額)、ボーナスは年間で3か月分というのが、
ついさっきまでリクナビの正社員求人(東京なら月給18万は堅い)にかじりついていた人間にとってはギャップが大きすぎたので、いまいち乗り気になれず、
「とりあえず夏休みまでは普通の就活を進めて、それから検討してみます」ということに。
 
 
で、その後コミケ入場待機列のうちわの仕事をしたときに、
やっとこさ自分にとっての「仕事を通じた貢献」のヒントが見つかった気がして、
やっぱり「作る」仕事をして行こうと思い直すことができました。
 
 
しかし、すごろくで言えば一気に振り出しに戻ったような状況でもあったため何からはじめればいいか分からず、
実力の面でこのままストレートにデザイン職などにつくことも考えられなかったため、
フリーター的なモラトリアムかもしれないけれど、まずはまとまった制作時間が欲しくなったので、
先の研究室の教務補助募集に応募しました。
 
結果そこは不採用になってしまったのですが、その次に受けた別の研究室で拾っていただけまして、
めでたく4月から教務補助員として働くことになった次第です。
(実際は、2月の入試業務から働いているようなものなのですが)
 
 
…と、一通り書いたところで「で、結局君はフリーターなんだね」といわれれば否定はできないのですが、
もともと高校あたりから「すばらしい社会人」の枠から外れているのに無理にそうなろうとしてジレンマを抱いていたので、
とりあえずはこんなもんでいいんじゃないかな?と開き直ることにします。
 
 
と言うわけで、赤岩の就活日記はコレにていったん終了です。
偉そうなことを書いておいて、あまり参考にならない日記だったなあ…(恥)。

ついでに質問だ、コメントを書く時になぜメールアドレスを登録せねばならぬのだ。
  えーと、その辺の設定はいじってないのでなんとも(オイ)。 手羽さんに聞けば一発だろうけど、おそらくはスパム除けなのかと。  


›2008年09月02日

たまC

最近の自我像、あるいはブラック情報をつかんだ就活生の図。

たまC.gif
 
 
まあネット情報だから確定ではないだろうけど。
贅沢なんかいえないだろうけれど。




›2008年08月07日

書き書き切り切り貼り貼り

ブログを書き続けているからって文章力が上がった気になってるんじゃねえぞwww

 
 
 
 
と、数ヶ月前の自分に言いたい(恥)。
 
 

履歴書の趣味欄に、

「ブログを3年以上続けています。
人に文章を公開することで表現の楽しさを味わうとともに、その意義と責任について考えるようになりました。」

なんて書いていたのですが、その後に受けた作文テストは相変わらずぼろぼろ。
1000字程度の内容なのに、1時間近くかけて500〜600時くらいというのはどうなのよ自分。
まあ単純に、きちんとした練習をしていなかっただけなのですが。
このときに参考資料をくれた友人、生かせていなくてすまん)

 
というか、美大生が「ブログで表現の楽しさ(以下略)」なんて書いちゃダメでしょ(汗)。
 
 
ウェブサイトというものは公開レベルこそワールドワイドだけれど、自分がメッセージを残した海はあまりにも広大すぎて、それに気づく人はぐっと少なくなる。
しかも見る人が割と似たり寄ったりになることが多いから、気をつけてないとかなり偏った内容しか書かなくなるし(あえて偏らせることもありだけれども)、
日記ブログなんて、電脳世界を使った自己満足に終始しやすいし。まさに今の自分がその状態。

でも試験の小論文は試験官しか見ないし、決められたテーマにきちんと乗っからなければいけない。
個人的な気分で書いたり書かなかったりするブログとは正反対。「強制的に書かされる」という経験をつんでいないとクリアできない。
…今までの学生生活で経験していたはずなんですけれどね、本当は。
自分の場合、高校在学中より極度の遅刻・サボり癖を発揮してきたツケがいま来ています。

 

あと、ブログとは決定的に違うなと思ったのは、やっぱり「手書き」の部分かなと。

パソコンだとある程度雑な文章を打ち込んでから、ボリュームが足りない部分にあとから言葉を割り込ませたり、微妙な表現を切り取ったり、どっかのサイトから面白い言葉をコピペしてきたり。
自分の場合は特に「切り張り」に近い概念で文章を作り上げているのだということを最近自覚しました。

1回の記事を書き上げるのに、何回バックスペースキーを押したことか…というこの一文だけで10回は押してます。多すぎです。
思いつきで文章を作り上げて、やっぱこれやめたと思って消して書いて…。
もともと行動する前にじっくり考えることが苦手なのですが、かといってこれでは少し考えなさすぎなのかもしれない。

「あとで消せばいいやー」って、空気のように思い込みすぎている。


なので久しぶりに紙と鉛筆で文章を書こうとすると、単純な練習不足の問題に加えて文を組み立てる法則性がパソコン用のままなので、
頭の中でざっくり構成を考えて、書きながら文章を考えて、ということができなくなった気がします。下書き用紙が配られなかったときなんかは特に。

ここまで書くと自分の努力不足の問題を摩り替えているような気もしますが(実際そうなっていると思う)、
高校・大学とあまりにネットに依存していた悪い部分がここに来て露呈してきたな、と思いました。
なので、すこしずつアナログの感覚を取り戻さねばといまさら焦る今日この頃。

所属学科が基本的にアナログっぽいイメージである(注・当社比)という突っ込みは無しの方向で。



›2008年08月06日

考えながら行動することも、考えてから行動することも苦手

教育実習をやっていたときにおもったこと。

今の自分は目の前にいるツッパリ男子生徒と、どこが変らないんだろうかと。
ただ立場と年齢が上なだけで、偉そうにしているだけなんじゃないかと。

今やるべきことを見つけてすぐさま実行、なんて自分が一番できていない。
中学校のとき、サボり癖のある人を見て「とっとと勉強すればいいのに」と思っていたけれど、
高校から地滑り的に堕落して言った自分は、今まさにそう見下される格好の対象。
考えてから行動しようと思ったら、変な方向に考えているばかりで行き詰って、結局はグダグダになるか、思いつきの行動ででっち上げるか。

そして、言葉を発することで問題を摩り替える始末。
だから最近は書くことも話すことも自重していたけれど、
脳みそが勝手に考えることに酔いしれる癖まで自重できませんでした。

 
 

就職活動を始めたとき、合同説明会のあまりの商業臭さによってしまって以来、企業広告に対しては過剰なまでの拒絶反応を示すようになってしまいました。
 
 
 
デザイン系の人には悪いと思うけれど、チラシやHPの画面がかっこよければかっこよいほど裏であくどいことをやっているように見えて仕方なくて。
リクナビやマイナビでDMを送りつけるだけで「人事がうまくいってないんじゃねえか?」と一方的に疑ってしまったり。
説明会で過剰なまでに人を追い掛け回す社員さんを見て、ノルマという言葉に対して異常なまでの抵抗を示したり。
大企業というだけで何か大きな波に飲み込まれそうな、漠然とした恐怖感を覚えたり。

自分の場合は最初からずっと少子化で斜陽気味の教育業界ばかり見ていたから、なおさらその思い込みが強くなっていったような気がします。
(教材の押し売りで定評のある某企業が、摘発後に分社して名を変えて合同説明会に居座ってたりしているので)


そんなわけで、今まで口だけは達者だったものの就職活動には力を入れられていませんでした。
本当に、今までの日記はなんだったのかと(汗)。

行動を起こしながら考えるほうが手っ取り早くて効率的ということに今まで気づかなくて(むしろ就職課の人に今日になって指摘されて)、
マイナス方向の考え方を気軽にする割には、リクナビのエントリーボタンを押す手はものすごく重ったるい。

 
 
で、今日はというと。 
 
 
 

就職課の職員さんに、リクナビの賢い使い方を手取り足取り教えてもらってました。この時期になって(恥)。
企業広告について色々諭されながら、とにかく数多くエントリーするように強く言われました。
勝手に送られてくる説明会のDMに対しても抵抗を示さずに、一通りは目を通しましょうねとも。
あとはちゃんと就職四季報を見て、業界トップクラスから順に受験しなさいと。そうすれば業界の合う合わないがわかってくるから次の行動が起こしやすいそうです。
…今まで敬遠していたのは、タモリ倶楽部的なニッチ系企業に微妙にあこがれていた、なんていえない(汗)。


高校あたりでいろいろと躓いて以来、自分の感情を最優先にしてばかりだったけれど、
その分物事を客観的に見て、建築的に行動を起こす能力が養われていないと実感。


うーん、やっぱり中学時代からあまり成長してない!!
orz




›2008年06月27日

とりあえず

自分の興味の湧く企業を見つけ次第、自信の有無を問わず片っ端からエントリーをすることに。
って、就職活動に自信もへったくれもないはずなのに、今まで何してたんだろう。

あと、何かと言い訳をつけて敬遠しがちだったクリエイティブ職の採用にも挑戦してみることにしました。
今受けようとしている会社は割と工芸寄りの内容なので、彫刻学科の端くれはどうやって自己PRすべきか。
今までゴミのような作品を作ることしかしてこなかったことにいまさら後悔。
でも今から走り出すしかない。

それとは別にこれまた工芸関係の会社を見つけたので、まだ採用活動を行っているかどうか電話で聞いてみたら、

「すみません、女性限定で募集したいんですけど…」

ってさ。
公的な求人票に男女別採用を明記できないのは仕方ないとはいえ、ちょっと凹む。




›2008年05月25日

悩んでナンボなのかもしれないのだけれども。

この前の日記が本当に自己満足で終わったので、
教職の話に絞ってもうちょっと話を整理してみるテスト。

 
 
自分が教職を第一志望にしなくなった理由は、主に三つ。
 
 
滑舌が悪かったりとっさの対応ができなかったりなど、教師としてはハンデになる要素を抱えているから。
 
学校教育や美術教育に対して懐疑的になり、意義を見出せなくなってしまったから。
 
「学校中心に物事を考えていたら、それ以外の世界のことがわからなくなった」ことに愕然としたから。
 
 
 
一つ目については「やる気があれば何でもできるから大丈夫!」という人がいるかもしれませんが、
自分の場合はちびくろを3年以上やってきただけに、実感を持って不安を覚えています(苦笑)。
果たして自分の声はきちんと耳に届いているのだろうか、と思うときが多いです。
子どもに発音の悪い部分の声マネをされたときには、正直凹みます。
「モノマネされるのも愛情表現の一つ」と思えればいいのですが、自分は割と無理です(汗)。
これが和気藹々としているときならまだいいのですが、もしも不良の子をしかるときだったら、と考えると本当に自信がなくなります。説得したくてもどこか腑抜けに聞こえてしまいそうで…。

とっさの対応のできなさにはちびくろ内でも定評があります…笑えませんが。
突然の予定変更とか苦手です。脳内で予測させる変更パターンを幾つか予行演習していないとパニックに陥ります。
スケジュールをひっくり返すのが苦手です。楽しさの追求よりもノルマの遂行に走ってしまいがちです。
最近はある程度慣れはしたし、子どもも大人もぜんぜん違うことを考えている人ばかり集まっているサークルに長く身を置いていれば、
「やるべきこと」と「やりたいこと」と「みんなで楽しむこと」の突合せで行動できるようになりましたが。
でも子どものころから「あらかじめ決められたことに乗っかる」ことばかりしていたので、
子どもに合わせて毎日アドリブを求められるであろう教育現場に行っていいのだろうか、と思う時もあります。

と書いてみたものの改めて考えてみたら、どちらも「教育」以前にまず「働く」という時点でハンデになると思ったので、
これについてはある程度短所を受け入れるか、長期計画で改善するしかないのかなあ、と思ったり。
 

  
二つ目については、手羽さんが言うところの「論理的に否定することは簡単、肯定することは難しい」というのに行き着いてしまうのですが(汗)。

今まで無条件に受け入れていた「学校」というものの意義について、教職課程で一通り学んだことはとても有意義であった半面、
芋づる式に発掘される現状の問題点からその矛盾を感じ取って解決しようと脳内であれやこれや考えているうちに、
そもそも「教育」という行為が持ち合わせるジレンマを見つけてしまい、最終的には
 
総ての教育行為に、有意義で実に見える効果を見出すことが面倒臭くなってしまう。
 
という極論主義に走り(苦笑)、脳内だけでの試行錯誤なのに疲弊してしまいました。
いや、むしろ机上の空論に対し脳内活動で対抗しようとしたからこそ無駄に疲れたのかなと。
特に学校生活の中での割合が、今の「30分の1」から「30分の0か2(選択必修)」、下手すると「ゼロ」にされそうになった、
美術科という圧倒的少数派にいたことも大きかったのかと。
倒すべき(または、和解するべき)相手が、常軌を逸した大きさであることはいうまでもないから。

こちらに関しては今まで理論だけでしか攻めていなかった分、今度の教育実習で体感していきたいと思ってます。
本来なら「先生になると決めたから実習に行く」というのが建前としてあるのですが、
自分は「先生になりたい(なりたくない)かどうか確かめに実習に行く」考えでいます。
 
 
 
三つ目は…正直、この理由が一番大きいと思います。
「学校以外の社会を知らないで、生徒を社会に送り出す仕事をしていいのか」とかいっていたこともあったけど、
そんなの、履歴書に書くようなおあつらえ向きの文章だったなと思う。
 
自分の脳内にはいつも「理想の自分」があって、それに及ばない「現実の自分」にいつも悩んでいるから。
さらに高校以来はその間にあるギャップを埋める努力をする気力をなくしてしまっているというタチの悪さ(汗)。
自己を語るときに否定形を用いるのが多いのもこのことが原因かと思います。
 
優等生じゃないと気がすまないのだと思う。
小中学校のころ、中途半端な感じで「優等生」をやっちゃったから。
さらに高校以降は、自ら努力をしない性格であることを認めたくなかったから。
 
作品を作りたくなくてもとりあえずアトリエに行って見たりする。けどやっぱり作らない。
でも努力をしないから「どうせ自分はダメ人間」か「まだ本気を出してないから」のどちらかの言い訳をして逃げてばかり。
 
学校以外の事を知らないのなら今からでも色々アプローチしていけばいいのだろうけれど、やっぱり変な失敗はしたくない自分がいる。
学校にいればとりあえず安定するし(最近はそうでもないですが)、
行動に移していないくせに「自分は美大生なんだ、もの作りの人なんだ」と思い込みたいから、
結局は依存してしまう。
 
そんでもって中だるみになりやすいときには、
アパートのロフトベッドの上で独りきりになって、悲劇のヒロインぶった妄想を繰り広げては、気分を底なし沼に沈めていく。
脳内活動と現実の行動を結びつける努力を怠れば怠るほど、その悪い癖はひどくなる気がする。
 
うーん、学校の話から外れてしまったけれど、この現状は教職以前に人間としてまずくないか。
そこまで言わなくても、「実在するもの」を扱う彫刻学科の人間としては…といって、
また自慰にふけてしまう(性的な意味ではなく自己愛的な意味で)。
 
これはもう自分の根幹に関わることなのである程度は割り切りたいけれども、
根本的な自分の弱さを認めたくないがために、今まで歩んできた道を否定して、話をそらしたり責任転嫁させたりしてしまう。
問題解決になっていないから、自分の中に不良債権をためるだけなのに。

なんだろうなあ。教職以前に働くことを否定するための既成事実を作ろうとしているのかもしれない。
それがイヤなら、弱さを受け入れてとりあえず走ってみるか、
スーパーマン級に自己改革起こしてから社会に飛び出すか、
どちらもイヤなら引きこもるしかないか…。
 
こんな二極相対化をしないと気がすまない自分の脳みそが本当にうざったいです。
うざったいけれども付き合っていくしかないです。
頭と身体は切り離せません。
 
 
 
 


›2008年05月20日

就職活動の途中経過報告…のはずでしたが

今現在は実質的な就職活動をストップしていますが、それでも就職課の資料ゾーンをうろうろしてたりします。
ちょっと気になる会社がひとつだけあって、とりあえずネットエントリーだけ済ませたのですが、
果たして選考開始のお知らせは来るのだろうか。

11月の就活開始宣言から半年たったら考え方も身の回りの状況も変わってきたので、
今一度情報を整理したうえで日記で晒してみるテストを。
もはや自己満足の極みなのでスルー推奨で(でも書く)。

★院に行く予定
→今のところナシ(変わらず)。ただ、院ではないスクールに行くのを考え出した。最近になって「作る」ことに未練が出始めたので。
ただ単なるモラトリアムでは終わらないように、今目の前にある課題にきちんと取り組みたい…けれどいまいち取り組めていない(汗)。
 
 
★教職について
→実は今迷っているけれど、今の時点ではあまり気は進んでいない。
今年の採用試験は出願しなかったけど、教育実習を経たらまた考え方が変わるかも。
そのときのために私学での採用を調べている途中。
 
 
★就職イベント
→もう行かないかも。世の中にある会社の大半がブラック企業であるような被害妄想に陥ってしまう(それはどうだろう)。
やはり「持つもの」がどんどん目立って社会を引っ掻き回していくんだなーと(イベント的な意味でも)。
なので自立促進の面では大学の就職課を頼りにしている今日この頃。
 
 
★希望勤務地
→最初はUターン就職の予定でしたが、地元の終電が鷹の台駅より早いので勤務地が限られてしまうことと、
仮に終電に乗って帰ったとしても夜中に家族をたたき起こすことになることが大きな問題として浮上。
父が病気持ちなので下手にストレスを与えるようなまねはできず、結局卒業後も一人暮らしをすることに。
…総合職で仕事を探さなきゃ。
 
 
★希望業種・職種
→今までの「作品作りたくない病」の影響で徹底的にクリエイティブ職を避けてきましたが。
ここにきて「作る仕事」も考え出したけれども、今の自分では志望分野も決められないし、
決まったとしてもスキルが足りなさ過ぎるので何かしらのスクールに通うことになるかも。
それにしても自分を見つめなおすのが遅すぎた…。
 
 
★教育業界に対して
→結局のところ今の日本の教育業界でお金を生み出すのは「塾」か「教材」しかないんだなとわかったので、
実習あけてもこの分野は受けないかもしれないです。
気になっていた会社はみんな受験して落とされたので、それで満足しちゃったというのもありますが(笑)。
 
 
★SPIなど試験対策
→まったくやってない。高校以来、勉強というものに対しての拒絶反応を身につけてしまった模様。
よくわからない遠い先のことに対してはがんばれない性格になってしまった。
だからとりあえずネットをついついやってしまう。




›2008年05月01日

突然ですが

就職活動をやめる運びと相成りました。

 
 
 
                                         …教育実習が終わるまで(笑)。
 
 
 
くだらないことをしてしまってごめんなさい(汗)。
 

どちらにしろ教育実習は普通に激務である上に、
「先生になること(≒一般企業に行かないこと)」を前提に受け入れてもらっているので、
その期間中に就活なんてできるわけがないです(過去に実習休んで面接に行った人もいますが…)。
5月になった今からESを提出したら最終面接が6月に食い込む可能性も高いので、
当たり前の選択っちゃー当たり前だし、そのことを踏まえたうえで行動していたわけですが。

ただ11月辺りから「就活始める宣言」をした手前、今の時期に内定をいただけていない状況は、
「卒業までに決まればいいやー」と思っていても若干あせるものもあり、
かといって興味のない分野の企業まで手当たりしだい受験する気にもなれず(教育系を5社受けたっきり)、
それに加え今頃になって「正社員になる」ということが自分にとって有益であるかどうかも悩みだすという(汗)。
経済的に安定しちゃうとぬくぬくしたまま育ってしまいそうで、自分に厳しくなれない気もするのです。
(仕事そのものが厳しいものではあると思うけれど)
 

でも今日になって就職課の方とお話して、そんなもやもやした自分でも、
それなりの今後の展望がなんとなく見えてきたので、自分としては割とすっきりした気分。

もう5月中は制作と実習準備のことしか考えない勢いでいくつもり、になればいいなあ(なぜか希望形)。
 
 
世間ずれしているって言われてもいいやーって思ってます。
その「世間」とやらは、自転車操業っぽくなってきた雇用産業が決めたことだと思うから。
(資本主義批判…汗)
みんな広告戦略に乗せられ流されて、「オートクチュールっぽい」ライフプランを押し売りされているのであれば、
その裏側が見えて嫌な気分になった自分は、
言葉を飲み込んで社会悪に洗脳されたフリをするか、
自ら荒地を開墾して本物のオリジナリティを構築するしかないのだろうか。

美術大学なら、圧倒的に後者を選択する人が多いと思うけれど。




›2008年02月22日

書き書きギャー

履歴書は就職課の職員さんの助言の下、何とか書けました。
 
 
SPIは、苦手な分野があるものの何とか大丈夫そうです(某社のWEBテスト通過)
 
 
 

小論文で撃沈しました。
 
 
 
因みに出題テーマは2つ。

「最近のニュースを3点挙げて意見を述べる」

「会社に対してどのように貢献していきたいか」

40分で書けというもの。
 
 
赤岩は80分近くかけて、それぞれ実質3段落分くらいしか書けずギブアップ。
「書ききれなかったらちょっと時間延ばしますよ」と言われても、あまりのへたれっぷりにストップ命令を出される始末。
あのときの社員さん、自分のために居残りさせてしまい申し訳ありませんでした。

高校入試とかでも出そうな超・基本問題をかけなかった自分って、ドンだけ試験をなめてきて、ドンだけ作文を避けて生きてたんだよ…。
 
 
 
 
そして帰りに本屋さんで小論文のテキストを買う自分。
全部やれないかもしれないけど、出来る限りのことはやらねば。




書き書き

2時間の会社説明会のために2夜連続で夜行バスに乗ったので、今体調が悪いです。
(本当は「悪化」ですが、バスに乗る直前からのどがいがらっぽかったので)
やはりバスの中では「仮眠」が限界です。でも夜行好き。

明日は別の会社の筆記試験があるので早めに寝ようと思ったけど、
そのときに持参する履歴書を書いてなかったので色々考えていたら、結局徹夜に近い状態に。

いままでエントリーシートの記入練習とかを殆どやらなかったので、

「大学での制作・研究課題」の欄をいかにに埋めるか、よりも。
その下の、
「上記以外で力を注いだこと」を、いかに簡潔にするかで苦心しております。
 
 

ちびくろって、説明しづらいです。
 

「お稽古事」や「ワークショップ」や「(まじめな)研究機関」などの共通言語で言い切ることができない団体なので、きちんと説明しようとするとこんな分量に。
さすがに書ききれないのでざっくりとした概略にとどめようとしても、4行書けばパンパンになる小さな記入欄にはやはりキツキツの模様。
自己PRの文章なのに、大学のイチ部活の紹介文になってしまう自分の作文能力に涙。
それだけでっかいことをしているサークルであるからだと思うのですが。

そんなでっかいモノにに良くも悪くもよっかかりながら生きてきた3年間から、
「その中でどんなことを学び成長したか」を書き出すのに一苦労。
個人が全体に与えた影響、てのも挙げづらいしー。

夜行バス帰りの国分寺駅には、ずらりと並ぶ受験生と、
その後ろで「美大ゆきバスここが最後尾」ということが書かれたカードを持つ係員さんが。
 
 

そこで「同人誌即売会の大手サークルみたい…」と思ってしまった自分は、明らかに負けなのですが(笑)。
 
 

本が売り切れたら(多くの場合は)とりあえず諦めて再版を気長に待つことはできるけど、
(↑自費出版なので作家さんの気持ちと懐具合に左右されますが)
 

入試に間に合わなかったら諦められないよー!!
 

別に西武バスさんにけんかを売っているわけではないですが(むしろ朝早くからご苦労様です…)、
交通手段が一つだけじゃないなら、行列具合を見て臨機応変に対応することも必要です。
それがオトナです。
融通の利かない自分が言っても説得力ありませんが(汗)。

 
 

因みに、自分が帰りに乗ってきた夜行バスは、事故による渋滞で遅れて東京駅に着きました。

そのロスタイムは「35分」

具体的な数字を出すとなんとなく実感がわくかな?
コレが朝の通勤ラッシュで起きたら…(汗)。



›2008年02月19日

予定は未定

というより「予定は小出しに決定報告」が就活のデフォルトのようです。


15日にあったA社の説明会で、25日にグループワーク型の選考があるといわれ、
やべえ、就職課の人に相談しなきゃと思っていたら、
昨日の夕方にB社から携帯にメールが届く。
その内容は翌日の説明会のお知らせと、
 
 
 
21・22日の筆記試験のお知らせ。
 
 
 
…3日前に知らせるとは結構急だなあ、と思いつつ、
今日の朝メールボックスを開けてみたら、
 
 

「C社の採用担当です。
WEBテストが木野の段階で実受験であることを確認し、メールさせていただきました。
期日が20日までとなっておりますのでお早めにお願いいたします。」
 
 


おーのーー!
すっかり忘れてた(汗)。
今晩D社の説明会のために夜行バスに乗るから、その前にネットカフェに駆け込もう。
勉強は殆どしてないけど、だめもとでがんばろうorz

わたしはこうやって、「びじねすちゃんす」といふものをのがしていくのだろうなあ、
と、大学3年のころから実感しております。




›2008年02月17日

とりあえず

前回みたいな鬱日記もほどほどに(汗)、現実問題としていまやらなきゃいけないことをリストアップ。

●夜行バスの予約とスーツケースの購入(説明会の準備)

●SPIの問題集を仕上げる(まだ1冊やりきってない…)

●英語の問題集を解く(この期に及んで日栄社の薄物を買い込む自分)

●漢字や慣用句を覚える(ボギャ貧ですから)

●履歴書を一回書いてみる(そして就職課の人に添削してもらう)

●時事問題もやらなきゃなあ(新聞ダイジェストさんのお世話になる予定)

●部屋の片付け(ニッセンで大きな棚を買う予定)

●↑のことをする時間確保のため、早寝早起き(健康管理もかねて)
 
 
 
 

●ニコニコ動画自重
 
 
 


えーと、最後が一番の問題ですね(滝汗)。コレに依存しているために生活リズムがぐちゃぐちゃなので。

初音さんを触るのはだいぶ先になりそうだなあ(当たり前だ)。
当分DTMマガジンが本棚の肥やしになります。




›2008年02月11日

面倒臭い赤岩

先日とある友人から、この日の日記は現職の人の気分を害するのではないのか、という指摘を受けました。

自分としては、友人からの一言から色々考えたことを書きとめただけのつもりでしたが、
今見返してみると、外部からの干渉にいちいちマジレスして疲れがたまったのを、愚痴るようにつらつら書いただけになってました。

もっと言うと、
「そんな鬱々とした状態を1から10まで認識してほしい。だから自分の現状を事細かに説明して、相手にうなずいてほしい」
そんな面倒臭いことを無意識に求めてしまう人間なので、熱くなるとついついしつこくしてしまい、相手を疲れさせてしまうことも日常茶飯事です。

そんなわがままな性格が、実はこのブログの原動力の一つだったりするのですが、
その記述内容によって気分を害された方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありませんでした。

そして今日も、そんな面倒臭い性格を発動させてしまって、人を困らせてしまった。


就職イベントでたまたま話をした女子学生に、自分が彫刻学科在籍であることを伝えると、
相手は「彫刻っていうと、粘土とかも?石膏とかもかしら?」と返事を返した。

自分としては粘土も石膏も「作品というよりかは原型の材料」という認識だったので、
(とはいえ作品として使う人もいるので厄介なのだが)
まずそのことを伝えようと一生懸命説明しようとし、
それでも相手の表情が晴れないのでブロンズとかプラスチックとかの素材名を挙げたりしたけれど、
それでもうまくいかないので、仕舞いには「例えばペットボトルに練り消しを押し付けたら〜」と、
割と専門的なマケットの概念まで持ち出したところで、相手が一言。
 

「へ〜、面白〜い」(棒読)
 

…やってしまったorz
 

彼女は彫刻を専門的に知りたいわけではなく、就職活動の合間の小話をしたかっただけなのに。
自分は(ろくに制作も勉強もしていないのに)コアすぎる話で納得してもらおうとしてた。
自分がすっきりしたかっただけなのに、それを相手が求めていると取り違えていた。
いや、わざと取り違えて、無理矢理押し切ろうとしたかった、のか。

いわゆる「KY」でも正義は勝つと信じて疑わない生き方をしてきたし、
しつこいくらい丁寧なのが礼儀なのだと思っていたのだけれど。

蓋を開けなくても自分は「KY=正義」だと思い込んでいた馬鹿で、
自分のわがままが世界の正義だと勘違いしていて、
マジレスは単なる趣味で相手には面倒臭がられていて、
おまけに自分自身には空回りな疲労感がたまる一方。


そんな生き方を変えていかなければ、「反省から学ぶ」や「失敗を水に流す」といったスキルを観につけることは無理な気がしてきた。

そしてまた今日も、読むのが面倒臭い日記を書きなぐっている。

何のためにムサビ日記を書いているのかが、最近わからなくなりました。
わからなくなったのではなくて、わからなくなりたくなりました(壊)。



›2008年01月18日

公務員の方ごめんなさい

2ヶ月くらい前の食事の席で、同級生の友達から言われたこと。
 
 
「赤岩は、公務員になったら?」
 
 
 
その理由として友達は、

1・頭はそれなりに良い
2・プライドが高い
3・人の話を聞かない
4・マイペース

を挙げた。

1については、あくまでも「美大生」としてのレベル設定で。
高校は学級にひとりは東大に行くようなオバケ学校でしたが、1年の3学期から常にクラス最下位だった自分の学力はそんなにたいしたことがないので、結局人一倍がんばらなくてはいけない。
2と3は…自分の思うことが通らないと満足できないんです、だから人を押しのけて場の空気を壊してしまったりするんです。
でも、それだと公務員は余計に務まらないはず、なのだけれども。

4にいたっては、
「9時5時で仕事を切り上げて、帰りにブックオフで本を買って、夜はそれを読みながらのんびり、なんて生活が君にあってると思うのだが」
と提案されてしまうほど。
 
 
以上のことはあくまでもその友達のイチ意見だとしても。
それほど自分は、人から見て「公務員体質」なのだろう。
良くも悪くも。

じぶんでも高校生くらいからそれを自覚していた。
そしてそれがずーーーーーーっと嫌でたまらなかった。
なあなあな感じで生きていて、低いノルマだけ足りあえずクリアして、それを超えるような向上心のない、
そんな自分を変えたいと思っていたけれど、結局は思うだけだった。
6年間臭いものに蓋をしただけであったことに、友達の発言でやっと気づけた。


良くも悪くも体質なんだから、それに乗っかってしまってもいいんじゃないかー、と思っても。
今度は子ども時代の記憶が邪魔をする。

否、子ども時代の自分を無理矢理引っ張ってきてわざと邪魔をしてもっらって、
本当に大事なことから目を背けようとしている。
 
 
 
 
 
 
 


ワイドショーの見すぎ。
一言で表すならそんな感じか。
でもここではマスコミの悪影響とかメディアリテラシーの問題とかは少し置いておいて、個人的な感情の話。

街のためにがんばっているはずの市役所の職員さんが、税金垂れ流しとかの問題で、カメラを向けられて責められている。
でも自分には、職員さんも「弱者」に見えて仕方がなかった。

例えば、税金垂れ流しのみょうちくりんな建造物を立てると決めたのは、テレビに映るこの職員さんじゃないとは思うのだけれども。
市長とか議員とか、お上の決めたことは否定してはいけないから仕方なく悪役に徹するしかない。

下っ端のおれだって「ちょwwwこの都市計画ありえないくらい自重www」と笑っちゃうくらい可笑しく思うけれど、
そんなこと死んでも口に出せないからぐっと飲み込んで。

テレビ上で非難を受けるための「的」になるしかない、そのように思われることが何度もあった。

もちろん、テレビに出るくらいだからそれなりの責任者なのだろうけれども。
小中学生だった自分には、非常に不自由な身分に思えた。
言いたいことが言える、それが本当の「社会」だと思ってたから。

今となっては、
『一般市民という「弱者」を守るストーリーを紡ぐ、「それなりの報道番組」を作るために良く使われる構図』
と受け流すことが段々とできるようになったけれど。

ちびくろの図工教室で実際の「イチ公務員」さん(教育委員会の方)とお付き合いするようになって、
頭だけで理解していた「役所のおじさんの仕事」が自分の中で具現化されてきてはいるけれど。

世の中目立ったモン勝ち、トラウマにしたモン勝ち、の情報化社会の流れの中で、
小さいころから育んできた後ろ向きな感情は、大学3年の今になって自分を縛り付ける。
でも結局縛っているのは、考えが浅はかだった自分自身。

ちょっと考えれば、会社「社会」も役所「社会」もお上に逆らえないことは大体同じだろうに、
公共性ゆえに後者の露出度が高くて、叩かれやすいからだろうに。
それに気づいたのは、トラウマで自己を構築しきった大人になったとき。
 
 

友達の「公務員になったら?」という一言は、割り切りも含めた前向きな助言だったのかもしれないけれど、
自分自身が過去の記憶に執着していたために、かえって不快感を覚えてしまった。
おそらく、その呪縛を自ら解きほぐさない限り公務員になろうとは思うことはないだろうし、
たぶん公務員試験までに渡航とも思わないで終わるだろう。


けれど、「自分に縛られている自分」に気づけただけでも良しとする…か?




›2007年12月18日

木を見て森を見なかった発言をしてしまった。

先日、「SPIの問題って、中学入試に似てるじゃん」といいましたが…。
 
 
 
 
ごめんなさい、撤回します。

というのも今日模擬試験を受けたのですが、目安とされる「1問1分」というのに苦戦しました。
事前準備をしなかったのも大きいと思いますが…(オイ)。
因みに自分は半分ちょっとしか解けてなかったと思います。
入試みたいに「考え込んで答えを見つける」というよりは、「知識と要領のよさを活用して空欄を埋めていく」という感じの印象でした。
たぶんそれが、実際の職場で要求される能力なのかと。

問題一つ一つは公式を覚えた上でちょっと考えればそれなりに対応できる気がしましたが。
簡単な問題と難しい問題と面倒臭い問題とが混在していて、真正面にぶつかるとパニックになったりテンションが狂ったりして、
そうしているうちに残り時間がわずかになって余計にあせりだしたりして。
奇問難問に対抗するのとは別の「いやらしさ」が出ていました。

ともかく、不確かな情報を流した上、なめてかかるような発言をしてしまったことをお詫び申し上げます。
(この日記を就喝に役立ててる方がいるのか自体怪しいですが)
とりあえず、心を改めてSPIの問題集を解くことにします。



›2007年12月06日

就職課面接(そのいち考察編)

前の日記を踏まえて。

就活はマイペースで進めようと思ってたけど、なんだかんだ言って焦っていたことが面接の場でわかった。
mixiの就活コミュではすごい勢いで学生団体主催のイベントの宣伝が書き込まれていて、自分はそれを見て「こんなガツガツしたくないなー、もうちょっとゆったりめに進めたいなー」なんて考えていたけど、結局情報に振り回されていたのは自分だったというオチ。いや、その手のイベントには行ってないんですけどね。

情報に振り回されるといえば。
本屋さんに並んでいる就職関連の本や雑誌はみんな超・大手企業を基準に書かれていて、
そういったところを狙う人たちは早めの準備をしたほうがいいから、すぐに役立つのだろうけれども、
自分は「大手命!!」なんてことは考えていないので、記事は流して読んでいたけれど、
そこから醸し出される「急げや急げ」の雰囲気には呑まれていたなー、と反省。
実際、就職課の職員さんも「アレは一般大学の人向けだから、あまり参考にならないでしょー」って言ってましたし。

自分は自分なり、他人は他人なりの違った事情があるのだから、それに応じた行動をすればいいんだな、とは思ったけれど。
それが初めからわからないから、変に焦って転んで凹んだり。

でも、面接してみて少しわかってきた気がする。

とはいえ。

もしかしたら美術以外の学部の人から見たら、職員さんの言動はのんきに見えるのかな?とも思ってしまう。
11月の時点で「今は業種を絞らなくていい」とか、「エントリーシートは会社が決まらないと練習できないよ」か、「選考がちびくろの図工教室にかぶらない会社にしよう」とか(コレには個人的事情があるのですが)。
ファイン系だし、「とにかく一流企業を目指す」というよりかは「まずは職に就いて生活を安定させる」ということを重視しているのかもしれませんが。
ほかの学校、というか、ムサビ内でもほかの科に比べればずいぶん優しいかも。

ただ自分は何かと空騒ぎするタイプなので、面接することによってブレーキをかけてもらおうかと思ってますが(オイ)。

ちなみに、またこの後しばらくして就職課面接をやったのですが、その前に書きたいことがあるのでまた今度。




›2007年12月04日

就職課面接(そのいち)

予約時間を30分間違えて到着するところからすでに社会性に問題が垣間見える自分。
おっとりと「ファイン系の方が遅れがちなのはこちらもわかってますから」といわれたものの、コレは本当に学内限定の了解事項だなと反省。

というわけで、就職課の職員さんと面接してきました。
去年のニアさんの日記を参考にして(笑)。

面接に当たって事前に、
「家庭の事情もあるし、学業に対する意識の低下も否定できないが、それによって学校以外の世界を見てみたい、学校制度の中で生涯を終わらせたくないと思うようになった」
「興味のある業界があまりない。業界研究をする気が進まないし、そもそも「業界」という意識が苦手。それでいて超・安定志向なのでうっかりブラックな情報を仕入れて消去法でえらんでしまったり」
「少なくとも10年間働けそうな会社を見つけたい。そのころには出世コースを歩むか、現場主義に走るか、はたまた会社を辞めて表現分野に戻ってくるか選ぶことができそうだから。一生ひとつの会社に奉職することも美しい人生だと思うけれど、今の自分にはイメージできない」
という感じのことをクロッキー帳に書き出してみた。


上記の話と以前自分が提出した書類を基に、職員さんが最初勧めてくれたのは、
●カルチャーセンター職員
●海外の日本人学校
●美術教室 
教職課程を履修していること、ちびくろを1年のときから続けていることから提示してくれた。
普通教育系志望だと、学校制度に乗っかるか(学校教師)、受験システムに乗っかるか(塾の先生)が殆どで、
自分の場合はどちらも嫌だったので、この3種類が妥当だろうとのこと。
カルチャーセンターは前から気になっていたし、美術教室もちびOBで行った人がいるので話をいくらか聞いている。
日本人学校は美術教師の需要が高いし面白そうだけれども、帰国してからの仕事探しがつらい一面もあるらしい。
でも教育からちょっと離れたい気持ちがあるので、とりあえず端に置いておく。

次に職員さんが進めてくれたのは、食品メーカーの企画担当。
…なのだが、実はこれ、前述の書類に「希望業種・食品、希望業種・企画」と苦し紛れに書いたことが発端だったりする(汗)。
しかも書いた理由も、
食品→ブラック情報をあさっている途中で、ネット上ですら「善良」とされる食品企業を幾つか見つけたから
メーカー→なんだか安定していそうなイメージがあったから、それに乗っかって端っこで働きたい
企画→デザインができなくてもコレなら参加できそう…という浅はかな考えから
という…まあ…自分が悪かったです(滝汗)。

正直な話、書類の空欄を埋めるために書いたので話を流して聞こうとしていたけれど、
職員さん曰く、「パソコンとかの技能は後で教えられるから、とにかく手を動かせる人が求められている。その部分は才能によるものだからファイン系の人にもチャンスはある」とのこと。
進路の資料でファイン系の人がデザイン職にがんがん就いているのを知ったとき、自分はいまいち解することができなかったが、ここに来て納得。
ただ、実際には視デや基礎デのようなところで鍛えられた人たちと戦うわけだから楽観できないし、そもそも自分に「才能」があるか、それが磨かれているかが問題ではあるが。

という感じで食品系企業のファイルを眺めながら話をしていたのだが。
ここで自分が大事なことを忘れていたことが発覚。

確かこんな会話をしていたときである(と思うが、かなり怪しいです)。

職員「ここなんかどう?」
赤岩「うーん、ここだと一人暮らししなくちゃいけないですね。実家から通いたいですし」
職員「あらそうなの」
赤岩「両親がもう働いてないですし、今まで家のことを姉にまかせっきりだったのでそろそろ自分も手伝わなきゃと思って」
職員「…え、それだったらデザイナーは無理ですよ、残業続きで親の看病ができないですよ」

この期に及んでドラ息子っぷりを発揮する自分。
現実を見る振りして、実はドリームワールド状態だった自分。
…いまさらながら気づいてよかった(汗)。

そうでした。自分の就職には「家庭の事情」が大きなウェートを占めていました。
父からは戻ってくるよう言われているわけではないけれど、できることなら実家に帰って親と一緒に暮らしたい、と思っていたのですが、それを考えて仕事選びをしてませんでした。
親孝行をするはずだったのに。


その後色々ばたばたと話を進めて、

・親の看病をすることを考えると、デザイナーは残業が多いからNG。転勤もないほうがいいからカルチャーセンターも微妙。正社員になったほうがいいから美術教室も厳しい(大体が契約社員だから)。
・とりあえず今は業種を無理にしぼらないで、給料や保障、雇用条件を重視したほうがいい。
・ハローワークに行くといいかも。若者の就業を促進する政策が進んでいるから今は若年者向けの施設がある。六本木のセンター(若者向け)と、地元のハローワークを覗いてみたら?
・最終的には卒業することを一番に考えてね(=サボるなよ、ということか?)。
・履歴書は会社が決まらないと志望動機が書けないけど、学業と課外活動は今でもかけるからとりあえず1枚書いてみて。
・ちびくろは簡単に説明しきれないサークルだから、履歴書では前書きくらいにとどめて面接官の興味をひきつけて、あとは面接やポートフォリオで詳しく話せるようにしたほうがいいかも。
・図工教室で3月下旬〜4月上旬の間動けないから、そこに試験を持ってこない企業を選ぶように。
(なぜ就活を押してまで図教に参加するかは、そのうち話すと思います)

というようなアドバイスをくれた。
今やるべきことも気の早いこともひっくるめて話をしたところで、面接時間の30分が終了。


長くなっちゃったので、今回のまとめはまたあとで書きます。




›2007年11月29日

トラウマで良くも悪くも

高校の地歴公民の授業では。
理想と現実のギャップ、教育が子どもに対して「仕組む」面を持つこと、公正公平と言う言葉の難しさと胡散臭さを学んだ気がする。
これらが見えてから、政治経済のあらゆることを拒絶するようになった。
正直、社会科教育と言うものがつらくなったこともあったけど、それによってものを見る目を自分なりに創り上げられるようになった…と思う。
ただ、今まで6年以上世の中のことから耳をふさいでいたので、就活ではマイナスになる部分もあるとおもう。


【1年・世界史B】
自分が一番初めに赤点を取った科目(最終的には5教科の殆どで赤点を取ったけど)。
世界の時の流れをつかんでから現代社会の問題がなんとなくわかりやすくなったと思うけど、
覚えることが多すぎてドロップアウト。

【2年・政治経済】
夏休みの課題。自分は国民投票についての本を読んでレポートを書いた。
正直、投票制度のプラス面のことしかかけず、マイナス面をきちんとまとめられなくて悔しかったのに、
帰ってきたレポート用紙には「良い本を読みましたね」のコメントが。
もしかしたら先生は、マイナス面を挙げての注意喚起をしたかった自分の気持ちをがんばって汲んでくれたのかもしれないけれど。
そのときの自分は「世論誘導」という感じに捉えてしまい、凹んだ。

【2年・倫理】
この科目を、小中学校でいう「道徳教育」だと思い込んでいた自分も馬鹿だけれど。
脳内でいかにすばらしい思想や秩序が思い浮かんでも、いざ脳の外に出すとそれらを100%共有することはできず、結局はどんな体制も崩壊するような気がした。

【3年・日本史B】
高校3年間で激しく拒絶反応を起こした科目ベスト3。
(あと二つは現代文と…何だろう)
先生の歴史解釈が独特だなーと思っていたら、いわゆる左寄り(というか某組織系?)の見方だったらしい(と、右寄りなクラスメイトの指摘で気づいた)。
プチナショナリズム化が進んでた時代だったけれど、それとは対極の思想がにじみ出るのを聞くのも苦手だと思った。
先生の話を聞くのが、思想・心情とかとは別の次元でつらくて、
でも自分には「聞き流す」能力が備わってなくて(人の話を聞かなかったりするときはあるけれど)、
何回か仮病を使って、保健室に逃げたこともある。
教育の公正・公平性は大切だとは思うけれど、ひとりの先生が1年間の授業を抱え込む限り、
「中立」の2文字なんて、絵に描いた餅じゃねぇか――――――――――、と思った。
いまでは、「中立」とは達成するべきゴールではなく、絶えず目指すための指標だと思えるようになったけど。
それにしても話が激しすぎて(口が悪いわけでなく、攻撃するための論調という意味で)、
「なんとなく中立」思想に萌えていた(なんじゃそりゃ)自分には痛い喝だった。
先生自体は、(バツイチだけど)お父さんタイプで親しみやすい人だったけど〜。

【3年・地理A】
社会科の中で一番なじめた科目。NIE(Newspaper in Education=教育に新聞を)をがんばっていた。
新聞記事をたくさん使った授業で楽しかった思い出がある反面、NIEの弱点も見えてきた。
例えば、時には記事も訂正すべき部分はあると思うけど、そのフォローがあまりなされてない気がしたりとか、
捏造記事は論外だけど、新聞社のスタッフの世論誘導で授業が振り回されそうで怖かったりとか。
ウィキペディアの記事では(11月29日の時点で)もっと指摘されてますね。こんな感じの疑問と不安を抱いていました)
でも前述4科目よりはずっと親しみやすかった。

と、就活用のクロッキー帳にずらずらと書き連ね、
自己分析のための自分史作りをしてみたら。


面接のときに、就職課の人に「コレはやりすぎでしょう」と苦笑されました。


確かに、書き上げてみたら「自分ってなんて僻んでて性悪なんだ」と思いましたし(汗)。

でも、それまでは学生の最低ノルマかつ受験における重要科目だと思っていた「社会」という科目が、
ここまで色々考え苦しむようなターニングポイントになっていたんだな、と気づけたのは良かったかもしれないです
ただ、気づいたところで、これからどうするかが問題ですが…社会問題から逃げがちだったから時事問題がわからない(汗)。
結局自己満足で終わりそうな予感。ヤバス。




›2007年11月18日

藁をもつかむ思いで、つかんだ藁は。

また就活の話です。
実は対して活動してないつもりなのですが、今回を含めて3つくらいネタをストックしているのを考えると、割と焦って動いてるのかもしれません。

というわけで、また今回も焦りのあまりの迷走について書きます。
(前回の迷走はこちら


赤岩は基本的にネット中毒だと自覚しています。
さすがに某ファイル交換ソフトを使うまでにはいたってませんが(高校時代、友人がコレを使うために1日中電源つけっぱなしとか聞いてヒきました)、
ニコニコ動画で映像を探すくらいならしてます(自分から書き込んだり、アップロードをしたりはしませんが)。
そしてひとたびウィキペディアを開けば、興味本位でリンク文字をクリックしまくり、情報のシャワーを浴びているうちに朝焼けを見たりとか、何回かやってます(汗)。
ビバ・低度情報化社会の申し子(笑えない)。


で、就職の不安からmixiとかで就活情報を探したりしたのですが、
そのときに見てしまって、「ちょっとコレに食いつきすぎたかも…」と思ったものがあります。
 
 
 

いわゆる「ブラック企業」のまとめサイト。


うん、我ながら「自分らしい」情報のつかみ方をしていると思います(苦笑)。
基本的に2の方角とかには行かないようにしているので、あくまでもmixiとまとめサイトの情報で留まりましたが。

色々不安になってるから、悪いことばかり大きく見え、無意識に悪い話ばかり聴きたがっている自分がいて、
悪いものを懲らしめたい人が集まりだしていく、それを見て「ああ、世の中怖いわ」と思う自分がいる。

特に赤岩は大学を出たら就職しないといけない状態なので、失敗したくない思いが比較的強いと思います

それはそれで人として当たり前のことだろうけれども、
情報と言うものが一面性が強いことを考えると、気をつけてないと木を見て森を見ず、の状態に陥ることも多いだろうし、
不安の大きいところで「それなりにいいところ」を挙げたとしても、負の情報が多数決で勝ってしまう。


とはいえ、割と説得力のある情報も多いし(信憑性、と言わないところがポイントです)、
自分の適正を考えて、ブラック情報から志望業界を消去法で絞ったこともありますし、
社会的に大問題になっているか、それに近い状態の企業は論外ですが。


都合のいいことばかりでない世の中だから、「叩く」ことを目的化しないで、
もうちょっと、全体を見て、「なんとなくだけど好き」と言えるようになりたいなあ。
なので、今はできるだけブラック情報に触れないようにしてます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
といいつつ、みんなの就活日記を読んでる時点でダメです自分(苦笑)。
こちらは企業がやっているとはいえ、うーん、どうなんだろう。




›2007年11月13日

企業に振り回されなければ就職できないのか

さっき「就活では商業主義に振り回される」といった話をしたので、せっかくなので続きを書きます。

就活の第一歩として、よくネットで「●●ナビ」みたいな就活サイトに登録します。
そのHPでは、よくサイト主催イベントの告知がなされてます。

それを見て、自分もイベントに行ったことがあります。
就活の前にちょっと産業社会の勉強を使用、という感じの触れ込みのイベントでした。
わざわざスーツ着て、ビッグサイトまで電車乗り継いで。

個人的事情で就活最盛期の3〜4月にあまり動けないので、今のうちにやれることはやっておこう、
と思っていたけれど、今思えば自分なりの焦りと空騒ぎの行動だったと思います。

で、行ってみた感想。

割と商業臭い。


いや、企業主催だから当たり前なのだけれども。
なんか企業側が「がっついてる」感じがするところばかりで、あまり感心できないと思うことしばしば。

まだ9月の段階で「プレイベント」の扱いだから、
よほどの大企業or儲けが多い企業じゃないと参加してないからかもしれません。
(ここで、あえて「大企業」と「儲けが多い」を分けているところがポイントです)

悪徳商法で批判されている教育系企業が、ふつーにふつーにブースを持っていて、
そこにリクルート姿の学生がびっしりいるのを見たときには、正直悲しくなったりもしました。
他人事のようですが、自分が家庭教師の仕事に片足突っ込んでた時期があったので、
教育業界で「ブラック」のところの情報を自分なりにつかんでいたことも大きいと思います。


とりあえず自分は「いろんな業界を見たい」というと思ってジャンル違いの企業の説明会を見て回ったのだけれども、
「もうここは、イベントの趣旨を無視して自社の売込みをしているな」というところも多くて、
あまりいい思いをしないこともしばしば。
(普段直接関わらない業界の人と話せたことは面白かったですが)

あとはブースごと、業界ごとの人の入りの差を目の当たりにして、「ああ、淘汰される感じがする…」と思ったり。
いや、学校ではなく企業なのだから淘汰されて当たり前なのかも知れないけれど。
自分が見る限り金属系の会社のブースで寂しいところが多くて、ちょっとかわいそうに思ったり。
(自分も興味持てなかったのですが)


で、イベントで見学した企業には「訪問票」という名のエントリーカートを渡すのですが、
それを元に会社側で自動的にエントリー受付をしてくれるのはある意味ありがたいけれど、
その後のメールの多さがちょっと厭になる。
けれどわざわざエントリーを取り下げるのも面倒なので放置。

さすがに土曜の昼下がり、携帯に電話をかけてきた某外食系企業には腹が立って、
その場の電話口でエントリーを取り下げる旨を伝えましたが。
もともと興味本位で見たブースで、入社する気はまったくなかったのでちょうど良いや、って思って。
ただこれも逆に見れば、電話をかけたお姉さんも必死だったんだよなあ、
今から必死にならないと人材が確保できないんだろうなあ、という部分もあることは確かで。


社会に出るためにイベントに行ったのに、逆に産業社会の厭な部分を実感してしまうことが多かったです。
けれどそれもまた「社会勉強」と考えれば、間接的に就活に役立たせることはできるかな、と思ってます。


まだ「プレイベント」だったので、コレが1月辺りのイベントだったらまた様子が変わるかもしれませんが。

就活サイトもイチ企業。そこに群がる企業は多数。
無防備で喰らいついたら向こうの思うままだな、と実感しました。


まずは、自分の中に「軸」を持たなきゃ。自分なりの考え方と、それを踏まえた人生設計を。
…って、それが難しいんだけれど。




えすぴいあい

古本屋さんに新刊同然のSPI本があったのを勢いで買って、パラパラ読んでみて思ったこと。

これって、中学受験の問題じゃん。


自分は「一応」中学受験を経験していたので(本気で勉強しなくて全落ちしましたが)、
鶴亀算とか旅人算とかを「懐かしく」感じてしまうのです。
(図形や理科の問題は、高校受験の範囲も入ってしまうけれど)
そうか。半ズボンを穿いていたころに解いていた問題は、一流企業の入社試験だったのか。
だから難しかったんだ。そうなんだ。
そんな懐かしいものを10年後に出されたなら、張り切って再チャレンジしようと思いますよ。
少なくとも、就活であわててる自分は。


いまや中学受験は産業として花盛りで、行政側もちょっと商業臭いニュアンスを匂わせる今日この頃。
就職活動に関してもDMが一杯届くし、イベントに行くといっそう「商業臭さ」が酷くてつらくなる。
どちらも人生の岐路にあるイベントで、できることなら自分自身の力を信じて切り開きたいものだけれども。
正直わからないことだらけだから「誰か」の力にすがっているうちに、
いつの間にか「誰か」という名の営利団体に振り回されていて、思う壺になっていたりする。
進路すら自力でがっちり決められない自分の非力さを嘆くとともに、
マスプロな「オリジナルの人生設計」を提供される、詐欺臭い世の中が厭になる。


これで週刊誌とかの受験ネタで、中学受験の経験の有無による就職率の統計とか出された日にゃ、
もう、マスコミと受験産業と就職産業が裏でしっかりつながっている、と疑われても仕方がないと思うのだけれども。
たぶん多くの教育ママのはその雑誌にガッツリ食いついて、向こう側の思う壺にされてしまうのだろうなあ、

なんて、飛躍して僻んだ学歴観バリバリの被害妄想をしてしまう。


そんな性格の悪い事を考えながら日記を書いてる。
SPI本は、まだ一問も解いてない。




›2007年11月11日

就活する?しない?

「大学生活ってあっという間」という台詞を聞き飽きた上に言い飽きたところで、
就職活動の時期と相成ったところで。

美大の彫刻学科で就活?という疑問もあるけれど、自分は就職する方面で心を固めてます。

正直な話をするなら、
「この3年間できちんと彫刻に取り組んでなかった癖に、作家志望だなんておかしいじゃん」
というのが第一の理由(汗)。

ムサビの彫刻学科は毎年10人くらい修士課程に行くので、
大学院進学に対する抵抗感は学内イチ少ない…のかな。
自分も1年生のころは「院に行ってゆっくりと成長しようかな?」とか考えていたけれど、
今の自分を見つめなおすまでもなく、その台詞が皮算用的な言い訳であるなと気づいたり(遅)。

また自分の場合は両親が共に病気を抱えていて、
家庭事情を振り切ってでも彫刻を続ける意味と力量とパッションがないまま院に行っても、
モラトリアム期間を延長させるだけで親孝行をしないまま終わってしまうなと思い、
それならもう学部卒業で一区切りつけよう、ということで「就職希望」となりました。


あとは、自分が今までいた環境に疑問を持ったことも結構大きくて。

自分は比較的「学校大好き・部活大好き」で通してきた人間で、
小学校の頃から今まで学校に行くことになんら疑問を持たなかったし、
中学校では地元の友達が増えて楽しかったし、
高校から授業をサボるようになっても部活にはある程度顔を出したし、
大学ではアトリエに行かなくても(汗)ちびくろの部室にはいたし、
とにかく「学校」の敷地内に居場所をもてたことは、おそらく幸せだったのだろうなあと考えたり。
また親が教師だったこともあり、「大学にいったらみんな教職課程を取るもの」だと思い込んでて(笑)、
来年の6月には教育実習に行くまでになったのも、
「学校」があって当たり前という意識があったからだろう。

ただその分、学校以外の事を知らない自分がいることにも気づいた。
アルバイトもそんなに長く経験したことは無いし、世間のことを結構知らない。
予定を立てるときは第一に部活を置いていて、学外に自分の定位置を作るなんて意識はまったくなかった。
それどころか小さい頃からなぜか商いごとに対して抵抗感というか、子どもが関わってはいけないイメージを持っていて、
たぶんそれは自分が学校の先生から「いい子いい子」されたかったからじゃないかなー、なんて考えたりもした。

ところがいざ大学で教職課程をとってみたら、
今度は「美術の授業」とか、「学校」とか、「教育」とかの存在に対して疑問を持つようになって、
学校というものは絶対的な存在でないのだな、と考え直したのと同時に、
自分は学校制度・受験制度に乗っかって生きてきたんだなあ、と気づきました。
それが「いい子」の生きる道だったのはいうまでもないけれど。
「学校」は悪く言ってしまえば国家体制の一部に収まってしまうし(反論もあると思いますが)、
「制度」であるから強制力がある分、人を不幸にしている面もあると思う。
たまたま自分は、それに抵抗を覚えなかっただけ。

このまま院に行ってしまうと一生学校という結界の中で暮らしそうだなあと思ったし、
かといって教職取ってるからそのまま教師になっても、
学校という世界しか知らない人間が進路指導とかできるわけないだろー、子どもを社会に送り出すには無責任だろー、と考え、
学部卒業後すぐに教師になることは考え直しました。
ただ「学校」だからこそできることもたくさんあるし、「教育」を完全に見捨てているわけではないので、
社会人を経験してから転職、という可能性はとりあえず残したくて、いまも教職課程を取ってます。
ホント、教職の授業を受けることで自分ま今まで歩んできた道を振り返ることができたので、
教師にならないにしても時間の無駄にはなってないです、自分の場合は。


学校という場は好きだし大切だと思うけれど、それに乗っかりすぎた分、今度は別の世界を見てみたくなった。


コレが第2に大きい理由。

第3の理由は…ちょっと不純かもしれませんが、コレです。

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飛ばし飛ばし読んでいるのでまだ読書マラソンでは書いてませんが。
しりあがり寿さんはサラリーマンをやりながら漫画家をやっていた、というのを知ってから、
「あ、そういう方法もありだな」なんて単純に思ってしまって(笑)。

彫刻のようにハードなジャンルを専門に取り組むなら難しいかもしれないけど、
自分の場合は漫画でもブログでも何でもいいから適当にその場その場で自己表現してしまうので(FRの件も同じようなもんだ)、
彫刻をやれなくなっても、サラリーマンで毎朝通勤電車に乗っても、たぶんアイデンティティは保たれるだろうな、と思ってます。
というか、この本を読んでそう思えたから「就職しよう!」と決意できた部分も大きいです。
美大生としては脇の甘い考えだとは思いますが(汗)。

と、今の自分の思いをダーっと書き連ねたところで、その後は自分なりに行動をしているのですが、
それはまた今度。