›2008年01月27日

2007年度卒業制作展(2・3日目)

どうも。
12号館前を通るときには、「グラウンドピアノ」を足で踏んでサクラを演じつつ歩いていく赤岩です。
(実はこれもちびくろの先輩の作品)
昨日は更新できなかったので、2日分をまとめて。

●2日目
ちびくろの子どもを招いての卒制ツアー。
案内を出したところ親御さんを含めて50人を越えたので、午前・午後に分けての開催に。
赤岩は午前だけツアーに同行し、午後は先輩の展示の見張りをしてました。
その作品はムサビの奥地にあって、たぶん外部の方はあまり気づかれなかったと思いますが、
ちょっと落ち着ける空間になってますので、見つけられた方はぜひ(って、日曜日の夜に言われても困りますね)。
本人に断りを入れてないので名称は書きませんが…ヒントは「祭りの後」でしょうか。


●3日目
ようやく完全フリーになったので、ファイン系とムサビ日記メンバーの作品をざっくり見回る。

・ニアさん→某N動画だったら、「驚きの黒さ」という形容が付くかもしれません(笑)。
・mooeさん→あなたの行動力を私にください。でも夏場の4日に一度のお風呂で耐えられる精神力がありません。
・ピンクのウサギ→子分が学内を集団徘徊中ですが、2号館のテラスに親玉と思われる生命体が発見されました。圧巻です。
・第二校舎のとある展示→暴動で破壊された壁の向こうには、な王様の像が空虚に鎮座しておりましたとさ(違)。

・11号館→学内の人にも「それどこ!?」と返されるくらい影の薄い校舎。
共通彫塑で大体の人がお世話になっているのですがー。共通彫塑研、涙目。
因みに彫刻学科の学生もお世話になっております(2年の木彫・石彫は共彫が担当なので)。

展示場所がここに割り当てられた先輩曰く、
「場所は気づいてもらえないけど、空間が広いから展示するには良い場所だよ」
とのこと。

残りの1日で余った時間があれば、体育館の右側を回りこんで来てほしいです。
いまさらの宣伝ですが。

というか、来年の今頃は自分もこの問題で心をいためてそう…。




›2008年01月25日

2007年度卒業制作展(1日目)

は、
 
 
展示を殆ど見ないで、図工教室のお知らせの郵送作業をしてました。
 
 
 
 
 
…去年も同じことをやってました(笑)。11時に起きる辺りも同じという成長のしなさに我ながら絶望。
 
 
因みに明日はちびくろの子どもを招いての卒展ツアーをやります。
赤い腕章をつけたこんな顔の者が子どもにどつかれながら歩いていたら、
9割以上の確率で赤岩ですので遠くから生暖かい視線で見守ってください(笑)。

ところで。
 
 
 
手羽さんが紹介していた、中央広場の木製戦車
じつはちびくろの先輩の作品なんです。
なので、朝この日記を読んだときは自分のようにうれしくて…。
 
 
まったく手伝ってない自分が言うのもあれですが(汗)。
 
 
 
そうなんです、今回は誰の作品も手伝わなかったんです、自分。
去年は芸文の人の小屋を作ったり、7号館のテラスまで土を運んだりしたんですが。
今回はなんだか逃げ腰になってました。
 
まあ、現実に1月上旬はばたばたしていたので、手伝うこと自体難しかったのですが。
これでいいのかなあ、と反省。
 
 
 


›2008年01月23日

朝、カーテンを開けたら

雪降りすぎ。そのまま閉めて不貞寝を開始しました。
学校には夕方から行きます。


というわけで、手羽さんに出されたお題を消化消化。
 
 
 
なぜ上を目指さないのか


高校受験と大学受験ではちょっと話が変わってくるので、分けて書いてみます。

【赤岩の高校受験の場合】
県内でもトップクラスの公立高校を志望してたのですが、自分の場合は手羽さんとは逆にずっと合格可能性が80%辺りだったので、むしろ都内の超・難関校もがんばって狙ったらいいんじゃないかと思われるかもしれませんが。
うちの地域は私立より公立のほうがステータスが高い(とされている)こともあるし、都内の学校まで通うとなると片道1時間半はかかるところでした。
自分の中でも、周りのオトナを論破したうえで3年間必死になって早起きすることにメリットが感じられず、結局は県内の学校だけ受験しました。
それでもそのうちの私立1校は都内からも受験されるような名門だったので、今でも「…よくあの学校に受かったなあ」と思ってますが。

…こんなことを書くと嫌味に思われる気がするのでできるだけ学歴ネタは自粛していたのですが(それでも十分かいてますが)、
自分としては某雑誌の投稿欄にあった、
「自分は国立高校志望だけど親は早慶に行けとうるさい。それでもめていたら挙句の果てに『そんなところに行くくらいなら就職しちまえ』といわれた」
という方よりはましかと思ったので、思い切って書いてみましたが(オイ)。
…極端すぎる例で申し訳ありませんが、現実にはこういう家庭もあるようです。

というわけで自分も「上を目指す」タイプとは言いがたいのですが、かといってがんばらなかったわけではなく(たぶん…)、
「1問も取りこぼさない」という感じで努力してました。
トップクラスの公立高校の場合は100点中90点以上取らないと合格できない場合が多く、試験問題は教科書レベルだとしてもその中で限りなく100点に近づくかが勝負の分かれ道だったので、
がんがん問題を解いて、ミスしたところがあったら即復習、って感じでした。
なので「攻め」より「守り」の要素が強い努力の仕方かと。下手にせめても向こう側が素直な問題を出すので。
 
 
 
 
うん、この頑張りが高校受験後も続けばよかったのですが(汗)。

自分のことを書き過ぎたので、周りの雰囲気のことも。
といっても、基本的に自分のことしか見えてない人間なので推測の部分が大きいのですが(汗)。

千葉県の公立普通科高校はこんな感じで学区制がしかれていますが
(…といわないと中高一貫校の人や、学区が撤廃された地域の人がわからないと思ったので一応フォロー)
学区の面積がもともと大きい上に、隣の学区の学校も無制限で受験できたので結構緩いです。
実家のある地域だと公立普通科だけでも100校から選び放題で、学区制限のない専門学科や私立高校も入れるとさらに多くなります。
といってもさすがに県の端っこにある学校は通うのが大変なので、現実的な選択肢はもう少し狭くなりますが。
 
 

この制度が総ての元凶だとは言い切れないのですが、「選び放題」の裏を返せば、「とりあえず、こだわりがなければどこでも入れちゃう」ということにもなるわけで、「必死にならないと後がなくなる」という状況ではなかったです。
名門校以外でがんばったところでなんとなく先が見えちゃうし、だったら変にがんばっても格好も効率も悪いし。

手羽さんのころはまだ高校の数が足りなかったのかもしれないですが(違ってたらごめんなさい)、自分のころは逆に少子化で高校の統廃合が始まりだしたころだったので余計にそんな雰囲気がありました。
 
 
もろもろの事情から「とにかく高校にいけるだけでも幸せ」という人もいたし、
「知り合いのいない、ちょっと遠くの進学校に行ってみたい」という人もいたし(そして彼女は良いとこの看護学部に進学)、
選択肢が広いことはいいところもあるんだけれど、広いだけだと何かが足らない。
権利だけもてあましちゃって、いまひとつ突き抜けることができない、煮え切らない感じ。
 
 
 
 
 
 
…うーん、ここまで書いてなんですが、なんだか人事のような書き方で反省。
あくまでも一個人の推測だとして流してください(汗)。
 
 
この項、続く。




›2008年01月19日

センター試験なんて懐かしいわ

なんていっちゃう自分は、英語のリスニングが始まる前に大学に入った人間です。
でも学習指導要領が改訂される1〜2代前だったので、そこまで楽ではなかったと思われます。

具体的なアドバイスはみちくささんに任せるとして(汗)
自分は思い出話で手羽さんにフォローを入れてみます(え)


たぶん変わってないとは思うけれど(3〜4年前の話です)、
センター試験の受験会場は、高校生なら通っている学校の所在地を、
それ以外の人は自宅の住所を基に割り振りをしていました。

なので「あ、センターなのにムサビに来ちゃった!!」はまず起こらない訳で(笑)。
また、ムサビを受けるからといって会場が津田塾になるということもないです。
あくまでも「地元受験」の方針のようです。

ただ、この規定だと現役高校生の場合は「むしろムサビより高校のほうが遠いんですけど」ということが続出するのが難点かも。
友達が通ってた都内の私学だと、片道2時間近くかけている生徒もいましたし。仕方ないけれど、大事な試験日も高校(もしくは近隣の会場)まで遠距離通学という事態に。


ちなみに自分の場合は、高校生のときは自分の学校で、浪人生のときは1時間くらいかかる某大学で受験しました。県内どころか郡ひとつまたいだだけで済みました。


本番はというと、高校でドロップアウトしてたせいか、試験でも(悪い意味で)あまり緊張しなかったのですが、
周りが結構ぴりぴりしていたので気が緩むことはなかったです。
友達と一緒の教室じゃなかったこともあったかもしれませんが。


うーん、あまりいいことが書けない。

あとは、センターリサーチについても。
現役のときは「どうせ無料だし」と2箇所からデータをもらいましたが、
浪人のときは手に持っていた引換券を駅のホームで吹き飛ばしてしまい、データが手に入らず。

ただ自分の場合は志望校が変わらない(動かしようがない)状態だったので、特に影響はなかったです(え)。
「とりあえず数字見て、ふーんといってみる」くらいの感覚でしたし。
藝大以外にセンターを利用する大学がなかったので、偏差値や予想順位はあまり当てにならなかったです。
そんなのデッサンの出来不出来でいくらでもひっくり返ります(得に藝大は)。

それよりかは、学習到達の目安としてみていた気がします。後に控える私立美大の学科試験に備えて、何を勉強すればいいかとか。
こっちのほうが自分の中での意味合いが強かったなあ。ある種の標準試験として存在してますし。


今年のムサビの場合は、そんなことを言ってられないと思いますが…。
とりあえず、無料で手に入るものはある程度利用してもいいんじゃないかと思います。
予備校が遠いなどでデータの受け取りが大変な人は無理しない程度でいいと思いますが。
 
 
 
 
 
…ますますためにならないアドバイスになってしまった(汗)



›2008年01月18日

公務員の方ごめんなさい

2ヶ月くらい前の食事の席で、同級生の友達から言われたこと。
 
 
「赤岩は、公務員になったら?」
 
 
 
その理由として友達は、

1・頭はそれなりに良い
2・プライドが高い
3・人の話を聞かない
4・マイペース

を挙げた。

1については、あくまでも「美大生」としてのレベル設定で。
高校は学級にひとりは東大に行くようなオバケ学校でしたが、1年の3学期から常にクラス最下位だった自分の学力はそんなにたいしたことがないので、結局人一倍がんばらなくてはいけない。
2と3は…自分の思うことが通らないと満足できないんです、だから人を押しのけて場の空気を壊してしまったりするんです。
でも、それだと公務員は余計に務まらないはず、なのだけれども。

4にいたっては、
「9時5時で仕事を切り上げて、帰りにブックオフで本を買って、夜はそれを読みながらのんびり、なんて生活が君にあってると思うのだが」
と提案されてしまうほど。
 
 
以上のことはあくまでもその友達のイチ意見だとしても。
それほど自分は、人から見て「公務員体質」なのだろう。
良くも悪くも。

じぶんでも高校生くらいからそれを自覚していた。
そしてそれがずーーーーーーっと嫌でたまらなかった。
なあなあな感じで生きていて、低いノルマだけ足りあえずクリアして、それを超えるような向上心のない、
そんな自分を変えたいと思っていたけれど、結局は思うだけだった。
6年間臭いものに蓋をしただけであったことに、友達の発言でやっと気づけた。


良くも悪くも体質なんだから、それに乗っかってしまってもいいんじゃないかー、と思っても。
今度は子ども時代の記憶が邪魔をする。

否、子ども時代の自分を無理矢理引っ張ってきてわざと邪魔をしてもっらって、
本当に大事なことから目を背けようとしている。
 
 
 
 
 
 
 


ワイドショーの見すぎ。
一言で表すならそんな感じか。
でもここではマスコミの悪影響とかメディアリテラシーの問題とかは少し置いておいて、個人的な感情の話。

街のためにがんばっているはずの市役所の職員さんが、税金垂れ流しとかの問題で、カメラを向けられて責められている。
でも自分には、職員さんも「弱者」に見えて仕方がなかった。

例えば、税金垂れ流しのみょうちくりんな建造物を立てると決めたのは、テレビに映るこの職員さんじゃないとは思うのだけれども。
市長とか議員とか、お上の決めたことは否定してはいけないから仕方なく悪役に徹するしかない。

下っ端のおれだって「ちょwwwこの都市計画ありえないくらい自重www」と笑っちゃうくらい可笑しく思うけれど、
そんなこと死んでも口に出せないからぐっと飲み込んで。

テレビ上で非難を受けるための「的」になるしかない、そのように思われることが何度もあった。

もちろん、テレビに出るくらいだからそれなりの責任者なのだろうけれども。
小中学生だった自分には、非常に不自由な身分に思えた。
言いたいことが言える、それが本当の「社会」だと思ってたから。

今となっては、
『一般市民という「弱者」を守るストーリーを紡ぐ、「それなりの報道番組」を作るために良く使われる構図』
と受け流すことが段々とできるようになったけれど。

ちびくろの図工教室で実際の「イチ公務員」さん(教育委員会の方)とお付き合いするようになって、
頭だけで理解していた「役所のおじさんの仕事」が自分の中で具現化されてきてはいるけれど。

世の中目立ったモン勝ち、トラウマにしたモン勝ち、の情報化社会の流れの中で、
小さいころから育んできた後ろ向きな感情は、大学3年の今になって自分を縛り付ける。
でも結局縛っているのは、考えが浅はかだった自分自身。

ちょっと考えれば、会社「社会」も役所「社会」もお上に逆らえないことは大体同じだろうに、
公共性ゆえに後者の露出度が高くて、叩かれやすいからだろうに。
それに気づいたのは、トラウマで自己を構築しきった大人になったとき。
 
 

友達の「公務員になったら?」という一言は、割り切りも含めた前向きな助言だったのかもしれないけれど、
自分自身が過去の記憶に執着していたために、かえって不快感を覚えてしまった。
おそらく、その呪縛を自ら解きほぐさない限り公務員になろうとは思うことはないだろうし、
たぶん公務員試験までに渡航とも思わないで終わるだろう。


けれど、「自分に縛られている自分」に気づけただけでも良しとする…か?




クリスMAUもあけMAUしても

華麗にスルーしてしまいましておめでとうございます。
色々ばたばたしているうちに1ヶ月も間を空けてしまいましたが、
私は相変わらずゆるりと生きております。

どれくらいゆるいかというと、
明日開催の就活イベントに、いまさら(割と後ろ向きに)行こうかどうしようかしようか考え中、
といった感じです。

因みにイベントに行ったら、今年の助手展を一度も見ないことになりますが。
それでも平気でいられそうで、美大生としてますますどうなのよと自問自答しつつ、
それによって自分をダメキャラとして確立するという策略。
手羽さん、Fさん、Tさん、ごめんなさい。

いまいちテンションがあがらないと家に引きこもって「ニーコニッコどーが」してしまう。
みっくみくにされても身体の芯はシャキンとしない。
今年は似非冬季鬱になる暇がないはずなのに(汗)。