›2008年08月30日

こだわりというか偏りというか

2個前の日記でオタクオーラを封印せねばとか書いていたのに、やっぱり漫画のことを描きたくなってしまった(笑)。

というのも以前ねこあじさんが挙げた「漫画を知らない4つの理由」が、自分の中でずーっと引っかかっていたからです。
それに沿って自己プロファイリングしてみると…。
(って前も似たようなことを書いた気がするけれども)

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1)家にその漫画があるかどうか (家庭環境)

→母が『ビッグコミック』『別冊マーガレット』、姉が『なかよし』を購読。
イタKISSセーラームーンをリアルタイムで読んでました。
『クレヨンしんちゃん』は母もはまっていたので一通りそろえてましたね。
そういえば『のたり松太郎』『ブッダ』『火の鳥』も実家にありました。
あとはおばあちゃんの家に『じゃリン子チエ』があって、そこからエセ大阪弁を使うようになったり(影響されすぎ)。


2)周りに読んでいる人がいるかどうか (友人)

→小学校低学年まできわめて交友関係が狭かったので、友達同士での漫画の貸し借りをあまり経験しませんでした。
小学4年のとき、おやこ劇場で同じ班だった子の家で読んだ『名探偵コナン』が、自分がはじめてはまった「少年漫画」でした。


3)待合室などで遭遇するかどうか (偶然の出会い)

→病院の待合室では『ドラえもん』くらいしか読まなかった記憶が。
あとはいしいひさいちさんのドーナツブック(年の割にはマニアックすぎ)。


4)自分から進んで読むかどうか (自発性)

→基本的に少年漫画を食わず嫌いしてました。
(1)に挙げたように、生まれたころから年齢層高めorジェンダー的に女の子よりの漫画文化で育ったこともあると思います。

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というわけで、自分の生育暦は明らかに平均からずれている気がするのです。
同年代男子のバイブルであろう『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』は所持せず、というかジャンプ自体との接触機会も極めて少なかったので、
クラスでの漫画の話についていけなくてすごい孤独感をおぼえたことがあります。
(アニメは3作品ともある程度見ていましたが、ストーリーを覚えなかったので結局ついていけず)

とはいえ小学生の癖してビッグコミックを読んでいたためか、児童・少年漫画お約束のコテコテな展開を苦手としていたので、みんなの話題についてくために焦って読むことはありませんでした。
むしろ少年漫画にはまる同級生を見下していたような気がします。ビッグコミックを読んだだけで大人ぶっている自分のほうがまだまだ子どもなのに(笑)。

その後姉が同人活動を始めたこともあり、好きになる作品がどんどん平均から外れるようになりました。
『最遊記』なんて、クラスではまっていたの自分だけだったかも。
そのうえ雑誌の『ファンロード』を定期購読していたので、毎号のように載るジャンプファンの悲鳴(主に打ち切り問題について)を目にしていたことで「漫画の作品性と商業活動とのジレンマ」について考えるようになり、なおさら「流行の漫画」に抵抗感を覚えるようになりました。

そんなわけであまりにも世間一般ではやっている漫画を知らなすぎたので高校時代に同級生があきれてしまい、半ば強制的に『稲中卓球部』を読まされたり、ジャンプを定期的に読むよう言われたことがありました。
そこからは少しずつ流行も気にするようになりましたが…でもやっぱりジャンプにははまれませんでした。

大学で漫画研究会に入ってもジャンプの話題についていけず、結局挫折してしまいましたし。
(コレは部自体が悪いのではなくて自分の適応力の問題なので、念のため)


自分のこだわりはやっぱり偏っているものだと痛感。
なのである程度はゴーイング・マイ・ウェーでいいやーと開き直りました(笑)。


…で、自分はなにがいいたかったのだろうか(汗)。

漫画の話、長くなりそうなので後半に続く。




›2008年08月28日

しょこたんに怒られそうだ

朝がんばって起きて、スーツ来て電車乗って、合同説明会に行ってみたら。
 
 
会場ががらんどう…。
あわてて案内を見ていると、昨日の日付だった。

社会人になる前に、何か大きく躓いている気がするorz




›2008年08月25日

北京五輪って

昨日終わったの!? と今さっきラジオを聞き流していて気づいた。
そんな自分は就活中…のはず。

それはそうとして。
日曜日は突然現れてごめんなさいね。
こんなパワハラな(?)先輩でごめんなさい。

最近周りの人にオタクオーラ出しすぎだなと自分で反省してます。
こんな経験もした人もいますし(というかどんなルートで手にいれたんだ)、
自分の偏ったシュミは自重しつつ主張せねばと。周りが自分のことを100%理解できるとは限らないですし、気持ち的にもキャパ的にも。

 
はい、この前の日記の反省でもありますですです。
 
 
 


›2008年08月23日

同時多発的レポート

竹林さんといい、濱さんといい、なのはなさんといい、
明日のビッグサイトはムサビ日記率が高くなりますね。

きっと明後日には、同じ場所で繰り広げられたさまざまなイベントのレポートが揃うことでしょう。




【訂正】
なのはなさんが行っている「マナビゲート」は、国際フォーラムでやってました(汗)。

かくいう私も、コミティアに参加しますが。一般参加で。

コレがハムフェアだったら完璧だったのに…という手羽さんの声が聞こえてきそうです。

Posted by akaiwa at 21:30 | Comments [0] | Trackbacks [0]

›2008年08月22日

公式情報の大切さ、というかそれ以前の問題…

またコミケの話になりますが、最近自分でも(コミケに限らず)気になっていたことなので、
コミケ暦2桁で数年前からスタッフをやっている実姉との話の中であがったことを書いてみます。
 
 
 
「公式情報にまったく触れないまま、コミケに参加しようとする人が急増している」
 
 
 
普及すること自体はいいのだけれども(…ともいえないのですが、参加人数が増えすぎて会場が大混雑)、
問題はきちんとした情報を得ているか、得ようと心がけているかどうか。
それすらしない人が多すぎて困る、というのがスタッフとしての姉の談。
公式カタログを購入して読むか、お金がなかったら公式サイト+αにちょっと目を通せば正確なルールを把握することはできるのだけれども、
興味本位くらいの人だと、そういうことは堅苦しくて面倒臭く感じてしまうのもわからなくもないです(本当はダメですが)。それよりもオタクな刺激に浸りたいですし。
ただその結果、会場での列の並び方もわからなかったり、近隣での野宿行為が許されていないことも知らずにやるといった事例が増えているそうですし、
「コミックマーケットというイベントは、同人誌を売り買いするところである」
という、超・基本的な部分を知らずに来場してしまう人も多くなっているとか。
これって、「美術大学は美術を学ぶ場所です」というのをわからずに受験するようなモンじゃないかと(汗・例え悪いですが)。
 
 
情報の量を満たされるとそれだけで自分か賢くなったような気分になることは、情報化社会ではよくある錯覚のひとつ。
ニコ動でMADな映像をたくさん見たからって、一人前のオタクになれるとも限らない。最初はそこから足を踏み入れてもいいけれど。
物事の本質がわかっていないまま偏食していると、結局は知ったかぶりで終わってしまうことでしょう。
その結果が他人への迷惑(→やがてはイベント中止行き)だったら、最悪の自己満足です。

あと、聞きかじりの情報というのも結構危険だったりします。
「盆暮れに有明ですげーオタクなイベントがあるらしーぜ。ちょっとのぞいてみない?」という又聞きっぽい話は特に危険だと思います。伝言ゲームと同じでどんどん都合のいい内容に変わっていることも考えられるので。

逆に同人サークルさんのサイトでも悪びれもせず違反行為を書いている場合もあると聞きますし(複数応募したとか)、
悪気がなくても情報に何らかのバイアスがかかってしまって正確性にかけることもあると思います。

自分も今この記事をできるだけ正確に書こうとがんばっていますが、100%正しい自信はありません。
なので赤岩日記を鵜呑みにしすぎないほうがいいです。自分が言うのもあれですが(汗)。


やはり最終的には基本の情報を押さえるために、公式情報というものに目を通すことが必要なのかと思います。
とはいえただ目を通したところで、聞きかじりで得た情報(と自分の思い込み)にしがみついたままだと、自分勝手な行動を起こすことも考えられますが。
ネット経由の初心者が多かったとある同人イベントでは、待機列の中で踊りだして流れを乱す人がいたらしいです。
(ごめんなさい、コレも又聞きなので例えばの話くらいにとどめておいてください)


コミケだって初心者を完全排除しているわけではないですし、最近の目に余る初心者問題でもベテランの方の中から、
「俺らだって中高生のころは痛々しかったんだから、温かく迎えて育て上げようぜ」
という人も出てきているらしいですが(2の方角の住人である姉の話による)。

さすがに「自ら学んで身を正す」という学習姿勢をもてない人は、周りから白い目で見られるのは当たり前でしょう。人数の多さをはじめ色々問題を抱えて余裕がないですし。
それで叩かれたことへの悪口をブログとかに書いたところで、オタクのフリをした非常識人であることには変わりがないです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
と い う わ け で 。

さんざん「コミケ」という単語を聞いたので、今すぐ公式サイトをチェックしましょう(笑)。
この記事も赤岩の主観が混じっているので、100%正確である自信はありませんし。
(大事なことなので2回言いました)
あと、情報と心理の関係性は自分も勉強不足なので…ごめんなさい。


世の中に存在する大部分の情報はかなり適当であると自覚した23の夜。
そして自分もその現状に加担するその他大勢であると自覚した大学4年生の夏。

実はこの記事が壮大な前フリである件について(苦笑)。
やっぱり自分、簡潔な文章を書くのが下手だわ〜orz




›2008年08月20日

コミケにいってきました

まあ毎年のことなのですが、今回はいつもとちょっとだけ違う意識を持って参加してみました。
(コミケに行ったことない人は、できれば公式サイトに目を通しておいてくださいね)
 
 

もともと自分が美術大学にはいることになった遠因は、
4歳上の姉が中学のころからコミケに行きだしたことであって、
そこから表現活動というものに興味を持ち出したことが、今の自分につながっていると思うのです。
 
 

とはいえ、漫画を書きたいといいつつきちんと描いたことは少なかったから圧倒的な実行力不足であることは確かだし、
それを今も引きずっているのはかなり大人気ないなと、いつも言い訳をしていてばかり。
 
 
 
さらにいうと、いまの自分に至るまでに
 
 

漫画→ネタ探しに文学部?(高校2年1学期)→でも美術学部も気になりだした(2年1学期後半)

→すでに勉強のほうの予備校に行っているからこのまま文学部で

→ところが予備校の理事長の講演会に参加したら、バブルの幻影を追っているように感じて不信感が募る

→部活疲れもあり、予備校をサボりだすようになる(2年夏)

→そもそも最初から勉強サボっていたから受験に間に合わないかも(2年秋)

→予備校の担任に怒られたことで現状を思い知り、これから頑張る自信をなくして辞めた(2年の3月31日・汗)

→じゃあ思い切って美術学部を目指してみようか(どさくさに紛れて吹っ切れたフリをする3年の春)

→でも大学の漫画専攻というのがしっくり来ない(精華大にできたばかりのころだった)

→サラリーマンになる自信がないと思い込んでゲイブンとデザイン系を敬遠(ごめんなさい)

→じゃあ絵画専攻?(油絵描いたことないけど)

→うーん、平面よりは立体のほうがおもしろそう?少なくとも鑑賞している限りでは。

→じゃあ彫刻学科で。まったくもって作品制作の経験がないけど(汗)

→(色々面倒なので中略)

立体作りたくない宣言
 
 

という、間違っても中高生の進路学習の例には出せないような道を歩んでいて、
どんどん自信を失っていくばかりだったのです。
 

なので卒業制作に取り組む前に一度原点を見つめなおしたいなと思い、今回はちょっとだけ意識を変えての参加を試みてみました。

表現という行為で何をやりたかったのか、
それとも「みんなもやってるから自分も」くらいのノリだったのか、
表現そのものが目的ではなく、本を媒介にした萌えトークをしたかったのか、
結局自分は何をしたいのか、そしてそのためにはどのようなフィールドにいるべきなのか。

というようなことを考え直してみようと思って。 
 
 
 
 
 
 
 

とはいえ、会場に入ったら買い物で一生懸命になってしまったのですが(汗)。

ただ、今回いつもとはちょっと違った形での参加をすることができました。
 
 
 
 

入場待機列を作るときに使う、「最後尾」の団扇に絵を描きました。
 
 
 

スタッフとして参加している姉が、赤岩の描いたオヤジ絵をmixiにアップロードしたことから(註・事後承諾)、
それを見た部署のリーダーの方から、1月ごろに依頼を受けました。
やってみたいけれども、とてもじゃないけど自分はそこまで絵がうまくない、最大で20万人の目に触れられるほどのクオリティは出せないと、
最初のころは抵抗があったのですが、

もともと部署のメンバーで作ってしまうものであるとのことで(カタログなどの売り物はある程度選抜しているようですが)、
とりあえず法律に引っかからない程度に(笑)好き勝手やっていいよということだったので、
お引き受けすることにしました。

締め切り1〜2週間前になって(汗)やっと描いてみたら、やっぱり今まで手を動かすことに言い訳してばかりいたので、
思い通りの形が紙に現れてくれないし、それ以前の問題でより良い形を思い描くこと自体ができず、
今まで手を動かすことをサボっていたこと、いいわけばかり思いつく頭を作り上げた自分を恥じるばかり。
やっとこさ絵を描きあげても、今度はフォトショやイラレーでの加工に四苦八苦。
美大生なのにアドビのソフトから逃げていてばかりだった結果がコレです。

そんなわけで、少なくとも100%のしっくり感を覚えるような仕事はできなかったわけです。
こんな言い方をしてしまって、スタッフの方には申し訳ないのですが。

ですが、現実に手を動かすことで自分のやりたいこと・そうでないことがなんとなくわかってきて、
先の展望が1%でも見えてきた気がして、この勢いのまま少しずつ切り開きたいと思えたことが、
今回の仕事の最大の収穫なのかな、と思います。
…いつもの勘違いなのかもしれませんが。
 

また今回は学外というのがいい方向に働いたのかな、とも思います。自分自身を学校制度に縛り付ける癖があるので。
ちびくろも大学生のサークルだし(とはいえやっていることは下手な企業より馬鹿でかいですが)、
ファインアート系の自由と自己責任の空気の中で何をやっていいのかわからなくなったまま、言い訳をつけて逃亡してばかりだったのですが、
「学校外」の「仕事」という束縛を課すことで、目標に向かって形を作ってみて、適性やポリシーはあとから考えるということが少しでもできたのかなとも思っています。
自由すぎると何も考えられないので(汗)。
 
 
 
もっと、自分のやりたい事を知りたい。
そのために今から描かなくちゃ、と思いました。
頭で考えるだけだと、何でもできるような気分になって、何にもできないような不安を覚えるから。

…卒制(と一個前の課題)、がんばろ。

 


›2008年08月07日

書き書き切り切り貼り貼り

ブログを書き続けているからって文章力が上がった気になってるんじゃねえぞwww

 
 
 
 
と、数ヶ月前の自分に言いたい(恥)。
 
 

履歴書の趣味欄に、

「ブログを3年以上続けています。
人に文章を公開することで表現の楽しさを味わうとともに、その意義と責任について考えるようになりました。」

なんて書いていたのですが、その後に受けた作文テストは相変わらずぼろぼろ。
1000字程度の内容なのに、1時間近くかけて500〜600時くらいというのはどうなのよ自分。
まあ単純に、きちんとした練習をしていなかっただけなのですが。
このときに参考資料をくれた友人、生かせていなくてすまん)

 
というか、美大生が「ブログで表現の楽しさ(以下略)」なんて書いちゃダメでしょ(汗)。
 
 
ウェブサイトというものは公開レベルこそワールドワイドだけれど、自分がメッセージを残した海はあまりにも広大すぎて、それに気づく人はぐっと少なくなる。
しかも見る人が割と似たり寄ったりになることが多いから、気をつけてないとかなり偏った内容しか書かなくなるし(あえて偏らせることもありだけれども)、
日記ブログなんて、電脳世界を使った自己満足に終始しやすいし。まさに今の自分がその状態。

でも試験の小論文は試験官しか見ないし、決められたテーマにきちんと乗っからなければいけない。
個人的な気分で書いたり書かなかったりするブログとは正反対。「強制的に書かされる」という経験をつんでいないとクリアできない。
…今までの学生生活で経験していたはずなんですけれどね、本当は。
自分の場合、高校在学中より極度の遅刻・サボり癖を発揮してきたツケがいま来ています。

 

あと、ブログとは決定的に違うなと思ったのは、やっぱり「手書き」の部分かなと。

パソコンだとある程度雑な文章を打ち込んでから、ボリュームが足りない部分にあとから言葉を割り込ませたり、微妙な表現を切り取ったり、どっかのサイトから面白い言葉をコピペしてきたり。
自分の場合は特に「切り張り」に近い概念で文章を作り上げているのだということを最近自覚しました。

1回の記事を書き上げるのに、何回バックスペースキーを押したことか…というこの一文だけで10回は押してます。多すぎです。
思いつきで文章を作り上げて、やっぱこれやめたと思って消して書いて…。
もともと行動する前にじっくり考えることが苦手なのですが、かといってこれでは少し考えなさすぎなのかもしれない。

「あとで消せばいいやー」って、空気のように思い込みすぎている。


なので久しぶりに紙と鉛筆で文章を書こうとすると、単純な練習不足の問題に加えて文を組み立てる法則性がパソコン用のままなので、
頭の中でざっくり構成を考えて、書きながら文章を考えて、ということができなくなった気がします。下書き用紙が配られなかったときなんかは特に。

ここまで書くと自分の努力不足の問題を摩り替えているような気もしますが(実際そうなっていると思う)、
高校・大学とあまりにネットに依存していた悪い部分がここに来て露呈してきたな、と思いました。
なので、すこしずつアナログの感覚を取り戻さねばといまさら焦る今日この頃。

所属学科が基本的にアナログっぽいイメージである(注・当社比)という突っ込みは無しの方向で。



›2008年08月06日

考えながら行動することも、考えてから行動することも苦手

教育実習をやっていたときにおもったこと。

今の自分は目の前にいるツッパリ男子生徒と、どこが変らないんだろうかと。
ただ立場と年齢が上なだけで、偉そうにしているだけなんじゃないかと。

今やるべきことを見つけてすぐさま実行、なんて自分が一番できていない。
中学校のとき、サボり癖のある人を見て「とっとと勉強すればいいのに」と思っていたけれど、
高校から地滑り的に堕落して言った自分は、今まさにそう見下される格好の対象。
考えてから行動しようと思ったら、変な方向に考えているばかりで行き詰って、結局はグダグダになるか、思いつきの行動ででっち上げるか。

そして、言葉を発することで問題を摩り替える始末。
だから最近は書くことも話すことも自重していたけれど、
脳みそが勝手に考えることに酔いしれる癖まで自重できませんでした。

 
 

就職活動を始めたとき、合同説明会のあまりの商業臭さによってしまって以来、企業広告に対しては過剰なまでの拒絶反応を示すようになってしまいました。
 
 
 
デザイン系の人には悪いと思うけれど、チラシやHPの画面がかっこよければかっこよいほど裏であくどいことをやっているように見えて仕方なくて。
リクナビやマイナビでDMを送りつけるだけで「人事がうまくいってないんじゃねえか?」と一方的に疑ってしまったり。
説明会で過剰なまでに人を追い掛け回す社員さんを見て、ノルマという言葉に対して異常なまでの抵抗を示したり。
大企業というだけで何か大きな波に飲み込まれそうな、漠然とした恐怖感を覚えたり。

自分の場合は最初からずっと少子化で斜陽気味の教育業界ばかり見ていたから、なおさらその思い込みが強くなっていったような気がします。
(教材の押し売りで定評のある某企業が、摘発後に分社して名を変えて合同説明会に居座ってたりしているので)


そんなわけで、今まで口だけは達者だったものの就職活動には力を入れられていませんでした。
本当に、今までの日記はなんだったのかと(汗)。

行動を起こしながら考えるほうが手っ取り早くて効率的ということに今まで気づかなくて(むしろ就職課の人に今日になって指摘されて)、
マイナス方向の考え方を気軽にする割には、リクナビのエントリーボタンを押す手はものすごく重ったるい。

 
 
で、今日はというと。 
 
 
 

就職課の職員さんに、リクナビの賢い使い方を手取り足取り教えてもらってました。この時期になって(恥)。
企業広告について色々諭されながら、とにかく数多くエントリーするように強く言われました。
勝手に送られてくる説明会のDMに対しても抵抗を示さずに、一通りは目を通しましょうねとも。
あとはちゃんと就職四季報を見て、業界トップクラスから順に受験しなさいと。そうすれば業界の合う合わないがわかってくるから次の行動が起こしやすいそうです。
…今まで敬遠していたのは、タモリ倶楽部的なニッチ系企業に微妙にあこがれていた、なんていえない(汗)。


高校あたりでいろいろと躓いて以来、自分の感情を最優先にしてばかりだったけれど、
その分物事を客観的に見て、建築的に行動を起こす能力が養われていないと実感。


うーん、やっぱり中学時代からあまり成長してない!!
orz




›2008年08月02日

手羽タイムまで起きてしまった

お久しぶりです。赤岩です。

現在、ある企画のために徹夜作業中です。

本当は夏休みが始まる前から決意していたのに、結局土壇場になってのやっつけ作業に。
ゆえに出来は残念な感じ。
いつもどおりのヘタレクオリティをまたやってしまった…これで何度目だ。

形しか取り繕えなかったり、
形すらでっち上げることも出来なかったり。

ぎりぎりになってやればいいやと考えていて最後にあわてるのは、
単純に計画性のなさだけではなく、
「腐っても美大生」という、ものづくりに対する中途半端なプライドに甘えているのもあるのだと反省。

これが政治とか経済とかのレポートだったら基から素養がないからガッツリと…。
 
 
やってない気がする。

やっぱり最後に残るのは自分自身。
 
 
 
さて、作業再開。