›2008年09月19日
もっと
自分の直感を信じていこう。
とりあえず突っ走っていこう。
もっと欲を言えば、考えながら行動できる人間になれたらいいな。
ちょっとくらいなら、こけても立ち上がれることがわかったし。
理論付けは、あとからできるだろうから。
長文を書き連ねている自分に酔いしれる傾向にあるので(汗)、
これからは直感を研ぎ澄ませることにします。
美大生としては遅すぎるけど(苦笑)。
というわけで、今までの自分をひっくり返すような行動をとりたいと思います。
成功するかはわからないけれど、30まではある程度の失敗はしていきたいなと。
…甘いかな?
›2008年09月15日
皮算用して考えた

なんかいまいち言い切れてない絵を描いてしまいましたが。
引っ越しの予定はないにもかかわらず、某所で不動産やさんめぐりをしていたのですが、
日本人の生活において「家」というものの比重が如何に高いかを今頃になって実感した。
今の一人暮らしでも仕送りの4割くらいが家賃に消えるし、その上で水道光熱費もかかるので半分以下しか残らない。
部屋自体に不満はないけれど、アパートの周りが草ボーボーなので洗濯物の取り込みに1〜2分ドアを開けただけで蚊が5〜6匹御来訪。いつの間にか部屋の中に蜂がいたことも2回ほどあったっけ。
部屋のグレードはちょっと下げてもいいから、同じ家賃でもうちょっと住環境のいいところを見つけられなかったことに反省。
賃貸契約という名の買い物なら、失敗を積み重ねて成長できるけれど。
人が一生涯に稼ぐお金はサラリーマンで2億円といわれるけれど(出典は失念しました…)、
一戸建てを買うとなると千葉の郊外でも新築で3〜4千万はするから2割くらいが一気に消える。
いろんな意味で、失敗が許されない…。
考えてみれば家をものづくりとして捉えたときに、設計士のアイデアや建材などの材料費、実際に立ててくれる人の労力に見合った金額を支払うのは当然なのだから。
「家」というものに対して今まで軽く見ていた自分を反省しました。
でもやっぱり高いなあ…(ぼそり)。
おそらくだけれども。
うちの親が普通に「家を買う」という行為をしていたら、自分は美大に行かせてもらえなかったかもしれない…。
と考えると、あと半年で少しでも元を取らねば。
でも今の自分は実質逃亡中。
›2008年09月12日
結局自分のために日記をWEB公開している
ANNWNさんの日記には色々思うことがあるのですが、
普通にがんばることすら嫌になっている今の自分にはそれを言う資格がないと自己判断してしまって、
結局は元の愚痴日記に戻ってしまう。
けれどムサビ日記を制作のモチベーション維持の場にするという考えはいいなと思ったので、
へたくそなりに真似をして見ましたが。。。



どんだけ自己愛強いんだよ、という結果に(汗)。
ぜんぜん真似できていません。
そういえば大学1〜2年のころは、無駄に「彫刻学科らしい日記の内容を書こう」として失敗していたのを思い出しました。例えばコレとかね、無理している気がする(汗)。
(↑ちょっと差し替えました・12日17時2分)
そこからマイナスの方向に開き直ってしまって、日常も日記の内容も充実させられたかどうか自信はないです(ちびくろは除く)。
がんばらないことのためにだけしか思考回路が働かなくなったというか。
でももう後半年しか学校にいられない…はずだから(留年フラグが半分たってます、実は)、
何か形を残さなきゃと思いつつ、やっぱり何もしたくなくなったり。
とりあえず、1日1枚は何か絵を書くことにしようかなあ。
(かなり弱気)
›2008年09月10日
お騒がせしました
ここ最近ずっとネガティブオーラを周囲に撒き散らしてばかりいたのですが、新学期に入ったら少し落ち着きました。
制作も就職活動もがんばる以前の問題が頭をぐるぐる回っていたのですが、どちらも少しは前に進みそうです。
飲み会で泣き出したり、日記の内容が荒れだしたり、
心配したねこあじさんからメールをいただいたり(返信遅くてすみません)、
多方面に迷惑をかけてしまいました。
いままで自分は中途半端に自己主張しては周りに迷惑をかけてばかりだったので、
少しは「やたらと発信しないこと」を学ばねばと、まずは一人でじっくり考えようと思っていたのですが、
まったくもって無理でした(苦笑)。
バランスが難しい…。
›2008年09月06日
自分でもイタイです
ここ最近、2日に1回は泣いている気がします。
理由はすごくしょぼいんですけれどもね、今の自分のキャパが狭いだけなので。
›2008年09月05日
要は、無防備な状態で匿名掲示板に行くなということ(違)
病気レベルではないけれど、健康体とも言えない中途半端な自分。
許されるのであれば、このままプチ逃亡したい気分。
竹本君は自転車だけど、自分は電車に乗ってしまう。
他力本願かも知れないけれど、何かにふらりと流されてみたい。
そしてどこかの小さな駅をスケッチして、あとでそれを基に漫画を1本書き上げてみるとか。
…うわあ、なんて夢物語(汗)。
いつも妄想するだけして、7割くらい満足したら次の日には忘れてしまう。
脳内で無計画に積み上げられたプロットはdat落ち。時々思い出してみるけれど。
自分の世界観が如何にせまっくるしいかを実感する今日この頃。
就職活動はある意味でゲームなのだろうけれども、それすらクリアできない自分はどこかおかしい。
とりあえず総理大臣を決める話に興味を持てなくなったのは、社会人の卵としてまずいだろうなあ。
未だに、高校時代の社会科を引きずっている自分がいます。
言い訳ばかり考え付く脳みそなら、いっそのこと減量手術をしてしまえと責任転嫁するところも(以下略)。

›2008年08月30日
こだわりというか偏りというか
2個前の日記でオタクオーラを封印せねばとか書いていたのに、やっぱり漫画のことを描きたくなってしまった(笑)。
というのも以前ねこあじさんが挙げた「漫画を知らない4つの理由」が、自分の中でずーっと引っかかっていたからです。
それに沿って自己プロファイリングしてみると…。
(って前も似たようなことを書いた気がするけれども)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1)家にその漫画があるかどうか (家庭環境)
→母が『ビッグコミック』と『別冊マーガレット』、姉が『なかよし』を購読。
イタKISSとセーラームーンをリアルタイムで読んでました。
『クレヨンしんちゃん』は母もはまっていたので一通りそろえてましたね。
そういえば『のたり松太郎』『ブッダ』『火の鳥』も実家にありました。
あとはおばあちゃんの家に『じゃリン子チエ』があって、そこからエセ大阪弁を使うようになったり(影響されすぎ)。
2)周りに読んでいる人がいるかどうか (友人)
→小学校低学年まできわめて交友関係が狭かったので、友達同士での漫画の貸し借りをあまり経験しませんでした。
小学4年のとき、おやこ劇場で同じ班だった子の家で読んだ『名探偵コナン』が、自分がはじめてはまった「少年漫画」でした。
3)待合室などで遭遇するかどうか (偶然の出会い)
→病院の待合室では『ドラえもん』くらいしか読まなかった記憶が。
あとはいしいひさいちさんのドーナツブック(年の割にはマニアックすぎ)。
4)自分から進んで読むかどうか (自発性)
→基本的に少年漫画を食わず嫌いしてました。
(1)に挙げたように、生まれたころから年齢層高めorジェンダー的に女の子よりの漫画文化で育ったこともあると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というわけで、自分の生育暦は明らかに平均からずれている気がするのです。
同年代男子のバイブルであろう『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』は所持せず、というかジャンプ自体との接触機会も極めて少なかったので、
クラスでの漫画の話についていけなくてすごい孤独感をおぼえたことがあります。
(アニメは3作品ともある程度見ていましたが、ストーリーを覚えなかったので結局ついていけず)
とはいえ小学生の癖してビッグコミックを読んでいたためか、児童・少年漫画お約束のコテコテな展開を苦手としていたので、みんなの話題についてくために焦って読むことはありませんでした。
むしろ少年漫画にはまる同級生を見下していたような気がします。ビッグコミックを読んだだけで大人ぶっている自分のほうがまだまだ子どもなのに(笑)。
その後姉が同人活動を始めたこともあり、好きになる作品がどんどん平均から外れるようになりました。
『最遊記』なんて、クラスではまっていたの自分だけだったかも。
そのうえ雑誌の『ファンロード』を定期購読していたので、毎号のように載るジャンプファンの悲鳴(主に打ち切り問題について)を目にしていたことで「漫画の作品性と商業活動とのジレンマ」について考えるようになり、なおさら「流行の漫画」に抵抗感を覚えるようになりました。
そんなわけであまりにも世間一般ではやっている漫画を知らなすぎたので高校時代に同級生があきれてしまい、半ば強制的に『稲中卓球部』を読まされたり、ジャンプを定期的に読むよう言われたことがありました。
そこからは少しずつ流行も気にするようになりましたが…でもやっぱりジャンプにははまれませんでした。
大学で漫画研究会に入ってもジャンプの話題についていけず、結局挫折してしまいましたし。
(コレは部自体が悪いのではなくて自分の適応力の問題なので、念のため)
自分のこだわりはやっぱり偏っているものだと痛感。
なのである程度はゴーイング・マイ・ウェーでいいやーと開き直りました(笑)。
…で、自分はなにがいいたかったのだろうか(汗)。
漫画の話、長くなりそうなので後半に続く。
›2008年08月23日
同時多発的レポート
竹林さんといい、濱さんといい、なのはなさんといい、
明日のビッグサイトはムサビ日記率が高くなりますね。
きっと明後日には、同じ場所で繰り広げられたさまざまなイベントのレポートが揃うことでしょう。
【訂正】
なのはなさんが行っている「マナビゲート」は、国際フォーラムでやってました(汗)。
かくいう私も、コミティアに参加しますが。一般参加で。
コレがハムフェアだったら完璧だったのに…という手羽さんの声が聞こえてきそうです。
›2008年08月22日
公式情報の大切さ、というかそれ以前の問題…
またコミケの話になりますが、最近自分でも(コミケに限らず)気になっていたことなので、
コミケ暦2桁で数年前からスタッフをやっている実姉との話の中であがったことを書いてみます。
「公式情報にまったく触れないまま、コミケに参加しようとする人が急増している」
普及すること自体はいいのだけれども(…ともいえないのですが、参加人数が増えすぎて会場が大混雑)、
問題はきちんとした情報を得ているか、得ようと心がけているかどうか。
それすらしない人が多すぎて困る、というのがスタッフとしての姉の談。
公式カタログを購入して読むか、お金がなかったら公式サイト+αにちょっと目を通せば正確なルールを把握することはできるのだけれども、
興味本位くらいの人だと、そういうことは堅苦しくて面倒臭く感じてしまうのもわからなくもないです(本当はダメですが)。それよりもオタクな刺激に浸りたいですし。
ただその結果、会場での列の並び方もわからなかったり、近隣での野宿行為が許されていないことも知らずにやるといった事例が増えているそうですし、
「コミックマーケットというイベントは、同人誌を売り買いするところである」
という、超・基本的な部分を知らずに来場してしまう人も多くなっているとか。
これって、「美術大学は美術を学ぶ場所です」というのをわからずに受験するようなモンじゃないかと(汗・例え悪いですが)。
情報の量を満たされるとそれだけで自分か賢くなったような気分になることは、情報化社会ではよくある錯覚のひとつ。
ニコ動でMADな映像をたくさん見たからって、一人前のオタクになれるとも限らない。最初はそこから足を踏み入れてもいいけれど。
物事の本質がわかっていないまま偏食していると、結局は知ったかぶりで終わってしまうことでしょう。
その結果が他人への迷惑(→やがてはイベント中止行き)だったら、最悪の自己満足です。
あと、聞きかじりの情報というのも結構危険だったりします。
「盆暮れに有明ですげーオタクなイベントがあるらしーぜ。ちょっとのぞいてみない?」という又聞きっぽい話は特に危険だと思います。伝言ゲームと同じでどんどん都合のいい内容に変わっていることも考えられるので。
逆に同人サークルさんのサイトでも悪びれもせず違反行為を書いている場合もあると聞きますし(複数応募したとか)、
悪気がなくても情報に何らかのバイアスがかかってしまって正確性にかけることもあると思います。
自分も今この記事をできるだけ正確に書こうとがんばっていますが、100%正しい自信はありません。
なので赤岩日記を鵜呑みにしすぎないほうがいいです。自分が言うのもあれですが(汗)。
やはり最終的には基本の情報を押さえるために、公式情報というものに目を通すことが必要なのかと思います。
とはいえただ目を通したところで、聞きかじりで得た情報(と自分の思い込み)にしがみついたままだと、自分勝手な行動を起こすことも考えられますが。
ネット経由の初心者が多かったとある同人イベントでは、待機列の中で踊りだして流れを乱す人がいたらしいです。
(ごめんなさい、コレも又聞きなので例えばの話くらいにとどめておいてください)
コミケだって初心者を完全排除しているわけではないですし、最近の目に余る初心者問題でもベテランの方の中から、
「俺らだって中高生のころは痛々しかったんだから、温かく迎えて育て上げようぜ」
という人も出てきているらしいですが(2の方角の住人である姉の話による)。
さすがに「自ら学んで身を正す」という学習姿勢をもてない人は、周りから白い目で見られるのは当たり前でしょう。人数の多さをはじめ色々問題を抱えて余裕がないですし。
それで叩かれたことへの悪口をブログとかに書いたところで、オタクのフリをした非常識人であることには変わりがないです。
と い う わ け で 。
さんざん「コミケ」という単語を聞いたので、今すぐ公式サイトをチェックしましょう(笑)。
この記事も赤岩の主観が混じっているので、100%正確である自信はありませんし。
(大事なことなので2回言いました)
あと、情報と心理の関係性は自分も勉強不足なので…ごめんなさい。
世の中に存在する大部分の情報はかなり適当であると自覚した23の夜。
そして自分もその現状に加担するその他大勢であると自覚した大学4年生の夏。
実はこの記事が壮大な前フリである件について(苦笑)。
やっぱり自分、簡潔な文章を書くのが下手だわ〜orz
›2008年08月20日
コミケにいってきました
まあ毎年のことなのですが、今回はいつもとちょっとだけ違う意識を持って参加してみました。
(コミケに行ったことない人は、できれば公式サイトに目を通しておいてくださいね)
もともと自分が美術大学にはいることになった遠因は、
4歳上の姉が中学のころからコミケに行きだしたことであって、
そこから表現活動というものに興味を持ち出したことが、今の自分につながっていると思うのです。
とはいえ、漫画を書きたいといいつつきちんと描いたことは少なかったから圧倒的な実行力不足であることは確かだし、
それを今も引きずっているのはかなり大人気ないなと、いつも言い訳をしていてばかり。
さらにいうと、いまの自分に至るまでに
漫画→ネタ探しに文学部?(高校2年1学期)→でも美術学部も気になりだした(2年1学期後半)
→すでに勉強のほうの予備校に行っているからこのまま文学部で
→ところが予備校の理事長の講演会に参加したら、バブルの幻影を追っているように感じて不信感が募る
→部活疲れもあり、予備校をサボりだすようになる(2年夏)
→そもそも最初から勉強サボっていたから受験に間に合わないかも(2年秋)
→予備校の担任に怒られたことで現状を思い知り、これから頑張る自信をなくして辞めた(2年の3月31日・汗)
→じゃあ思い切って美術学部を目指してみようか(どさくさに紛れて吹っ切れたフリをする3年の春)
→でも大学の漫画専攻というのがしっくり来ない(精華大にできたばかりのころだった)
→サラリーマンになる自信がないと思い込んでゲイブンとデザイン系を敬遠(ごめんなさい)
→じゃあ絵画専攻?(油絵描いたことないけど)
→うーん、平面よりは立体のほうがおもしろそう?少なくとも鑑賞している限りでは。
→じゃあ彫刻学科で。まったくもって作品制作の経験がないけど(汗)
→(色々面倒なので中略)
→立体作りたくない宣言
という、間違っても中高生の進路学習の例には出せないような道を歩んでいて、
どんどん自信を失っていくばかりだったのです。
なので卒業制作に取り組む前に一度原点を見つめなおしたいなと思い、今回はちょっとだけ意識を変えての参加を試みてみました。
表現という行為で何をやりたかったのか、
それとも「みんなもやってるから自分も」くらいのノリだったのか、
表現そのものが目的ではなく、本を媒介にした萌えトークをしたかったのか、
結局自分は何をしたいのか、そしてそのためにはどのようなフィールドにいるべきなのか。
というようなことを考え直してみようと思って。
とはいえ、会場に入ったら買い物で一生懸命になってしまったのですが(汗)。
ただ、今回いつもとはちょっと違った形での参加をすることができました。
入場待機列を作るときに使う、「最後尾」の団扇に絵を描きました。
スタッフとして参加している姉が、赤岩の描いたオヤジ絵をmixiにアップロードしたことから(註・事後承諾)、
それを見た部署のリーダーの方から、1月ごろに依頼を受けました。
やってみたいけれども、とてもじゃないけど自分はそこまで絵がうまくない、最大で20万人の目に触れられるほどのクオリティは出せないと、
最初のころは抵抗があったのですが、
もともと部署のメンバーで作ってしまうものであるとのことで(カタログなどの売り物はある程度選抜しているようですが)、
とりあえず法律に引っかからない程度に(笑)好き勝手やっていいよということだったので、
お引き受けすることにしました。
締め切り1〜2週間前になって(汗)やっと描いてみたら、やっぱり今まで手を動かすことに言い訳してばかりいたので、
思い通りの形が紙に現れてくれないし、それ以前の問題でより良い形を思い描くこと自体ができず、
今まで手を動かすことをサボっていたこと、いいわけばかり思いつく頭を作り上げた自分を恥じるばかり。
やっとこさ絵を描きあげても、今度はフォトショやイラレーでの加工に四苦八苦。
美大生なのにアドビのソフトから逃げていてばかりだった結果がコレです。
そんなわけで、少なくとも100%のしっくり感を覚えるような仕事はできなかったわけです。
こんな言い方をしてしまって、スタッフの方には申し訳ないのですが。
ですが、現実に手を動かすことで自分のやりたいこと・そうでないことがなんとなくわかってきて、
先の展望が1%でも見えてきた気がして、この勢いのまま少しずつ切り開きたいと思えたことが、
今回の仕事の最大の収穫なのかな、と思います。
…いつもの勘違いなのかもしれませんが。
また今回は学外というのがいい方向に働いたのかな、とも思います。自分自身を学校制度に縛り付ける癖があるので。
ちびくろも大学生のサークルだし(とはいえやっていることは下手な企業より馬鹿でかいですが)、
ファインアート系の自由と自己責任の空気の中で何をやっていいのかわからなくなったまま、言い訳をつけて逃亡してばかりだったのですが、
「学校外」の「仕事」という束縛を課すことで、目標に向かって形を作ってみて、適性やポリシーはあとから考えるということが少しでもできたのかなとも思っています。
自由すぎると何も考えられないので(汗)。
もっと、自分のやりたい事を知りたい。
そのために今から描かなくちゃ、と思いました。
頭で考えるだけだと、何でもできるような気分になって、何にもできないような不安を覚えるから。
…卒制(と一個前の課題)、がんばろ。
›2008年08月06日
考えながら行動することも、考えてから行動することも苦手
教育実習をやっていたときにおもったこと。
今の自分は目の前にいるツッパリ男子生徒と、どこが変らないんだろうかと。
ただ立場と年齢が上なだけで、偉そうにしているだけなんじゃないかと。
今やるべきことを見つけてすぐさま実行、なんて自分が一番できていない。
中学校のとき、サボり癖のある人を見て「とっとと勉強すればいいのに」と思っていたけれど、
高校から地滑り的に堕落して言った自分は、今まさにそう見下される格好の対象。
考えてから行動しようと思ったら、変な方向に考えているばかりで行き詰って、結局はグダグダになるか、思いつきの行動ででっち上げるか。
そして、言葉を発することで問題を摩り替える始末。
だから最近は書くことも話すことも自重していたけれど、
脳みそが勝手に考えることに酔いしれる癖まで自重できませんでした。
就職活動を始めたとき、合同説明会のあまりの商業臭さによってしまって以来、企業広告に対しては過剰なまでの拒絶反応を示すようになってしまいました。
デザイン系の人には悪いと思うけれど、チラシやHPの画面がかっこよければかっこよいほど裏であくどいことをやっているように見えて仕方なくて。
リクナビやマイナビでDMを送りつけるだけで「人事がうまくいってないんじゃねえか?」と一方的に疑ってしまったり。
説明会で過剰なまでに人を追い掛け回す社員さんを見て、ノルマという言葉に対して異常なまでの抵抗を示したり。
大企業というだけで何か大きな波に飲み込まれそうな、漠然とした恐怖感を覚えたり。
自分の場合は最初からずっと少子化で斜陽気味の教育業界ばかり見ていたから、なおさらその思い込みが強くなっていったような気がします。
(教材の押し売りで定評のある某企業が、摘発後に分社して名を変えて合同説明会に居座ってたりしているので)
そんなわけで、今まで口だけは達者だったものの就職活動には力を入れられていませんでした。
本当に、今までの日記はなんだったのかと(汗)。
行動を起こしながら考えるほうが手っ取り早くて効率的ということに今まで気づかなくて(むしろ就職課の人に今日になって指摘されて)、
マイナス方向の考え方を気軽にする割には、リクナビのエントリーボタンを押す手はものすごく重ったるい。
で、今日はというと。
就職課の職員さんに、リクナビの賢い使い方を手取り足取り教えてもらってました。この時期になって(恥)。
企業広告について色々諭されながら、とにかく数多くエントリーするように強く言われました。
勝手に送られてくる説明会のDMに対しても抵抗を示さずに、一通りは目を通しましょうねとも。
あとはちゃんと就職四季報を見て、業界トップクラスから順に受験しなさいと。そうすれば業界の合う合わないがわかってくるから次の行動が起こしやすいそうです。
…今まで敬遠していたのは、タモリ倶楽部的なニッチ系企業に微妙にあこがれていた、なんていえない(汗)。
高校あたりでいろいろと躓いて以来、自分の感情を最優先にしてばかりだったけれど、
その分物事を客観的に見て、建築的に行動を起こす能力が養われていないと実感。
うーん、やっぱり中学時代からあまり成長してない!!
orz
›2008年07月20日
どーでもいいことですが
KY復活事件以来、りんらんさんとおきなまろさんの日記が、
「ちょっと男子〜! しっかりやってくれなきゃ困るのよ!!」
と憤る女子中学生のようでほほえましいです。
特にここらへんのやり取りが。
実際のおふたりは、以前から相っ当振り回されているようですが…。
なので赤岩は基本的に手羽さんを擁護しません(笑)。
›2008年07月04日
毎度恒例の独り言
竹本君は自転車をこぐ気力も体力もあったからあそこまでいけたんだ。
自分は気力と体力もなければ、それを押しつぶすだけの被害妄想力を蓄えてしまいがちだから、
結局ロフトベッドの上でウジウジしているだけなんだ。
あるいは、形だけアトリエに行ってボーっとしているという、みっともないことをするだけなんだ。
結局、反抗期だ何だと主張するのも「わがまま」の一言で終了してしまうんだし。
›2008年07月02日
THE★遅杉
最近おきなまろさんにいわれたこと。
「中高生時代に反抗期を経験していないの?そしたら後になって精神的にきつくなるよー、気をつけてー。」
中学時代は勉強することに疑問を持たないでいた上に、学校制度の鋳型にはまることが好きだったし、
高校〜予備校でサボり癖がついても総ては自分が悪いと考えていたし、
大学でも彫刻学科でどんなにアウトローっぽく振舞っても最終的には端っこにいるようにしていたので、
周りの環境に刃向かうなんてとんでもないことだ、と思っていたのですが。
ここ数年の自分をあらためて思い返してみると、
自分の実力の限界を試すのを怖がるし、でも口先ではえらそうなことばかり言っていて。
弱い自分を見られるのが怖くて、教授の出講日にはアトリエから逃亡してばかりだから、椴金のようにたたかれて伸びることもない。
たいした行動力もないので学外で自分の活路を見出すこともせず、脳内の理想郷ばかり拡大していく自慰的日々。
総てが自分の思い通りにならないと気がすまないから、割り切って行動するということもできないでいる弱虫。未だに履歴書がかけていない。
針で刺す痛みすら怖がっていたら、死にそうなほど重苦しいおもりがあとに待ち構えてました。
結局、今が自分にとっての反抗期なのかな。だとしたら、かなりのバッドタイミングなんですけど(汗)。
高校受験で親ともめる中学生より痛いんですけど。自分の生活をどうするか決めていかなきゃいけない時期だけに。
物事をそれなりに客観的にみれる分、今の自分のしょうもなさが見えてしまって情けなく思うばかり。
もっと、自分のことばかり考えられるときにわがままになっていたほうが良かったのかな。
今となっては、単なる後悔でしかないけれど。気づけなかった自分が一番悪いんだし。
周囲に反発しながら自分なりに折り合いをつけて社会の枠組みにはまっていくのと、
反発することすら知らずに枠にはまって大人ぶっているのでは、結構な精神的成長の格差があると思う。
後者の場合でいつか自分の幼さに気づいたとき、今まで周りの評価が高かっただけに精神的ショックは甚大なものだけれども、その怒りのやり場は大人の社会にはないと思う。今から暴れたら「こどもがえり」になってしまうから。
前者は周りの評価は低くなりがちだけれど、まだ親や学校が怒りを受け止めてくれるから、実はこっちのほうが健全な成長過程なのかもしれない。著しい脱法行為を犯した場合は話が別だけど、年相応ではあるのだから。
よく優等生タイプの犯罪で「何であんな出来た子が大人になって…」という人がいるけれど、
それは早めに成長して精神的に大人になって「出来た」のではなくて、
型にはまることに疑問を持たないくらい子どもっぽいから、大人が扱いやすい分「出来た」ように見えるだけなのかも。
だから後で大きいしっぺ返しが来る。順序良く成長できなかった結果に対して。
いままでも自分の精神的成長が4〜5年遅い気がしていましたが。
遅いなら遅いなりに何か贖わなければと焦るばかりの今日この頃です。
›2008年05月29日
逸脱どころか脱落気味
4年生展、明日の昼までです。
昨日と今日の2日間にわたって講評会がありました。
自分の作品が突っ込みどころ満載であることはわかりきっていたことなのですが、
そのなかでも、
「入試の立体構成みたいに決まった形でつくってるね」
といわれたのはかなりの反省点だと思いました。
因みに今回は音楽を基にした制作を試みたのですが、それについても
「音楽を聴くのにモノなんかいらない、まずそこからはじめなきゃ」
という、根本的なご指摘をうけました。
骨抜きの状態で無理矢理立体制作をしていたのは事実なのですが、それによって一番大事なことも忘れていた名と思いました。
前々から「彫刻」を作ることに対して違和感を覚えていて、それでも課題だからといってがんばって立体を作っていたのですが、
「がんばって」といっても他の人と比べたら気合が圧倒的に低いし、アトリエに足が向かないときもあるけれど、
それでも「彫刻学科の学生」という身分にしがみついて、中途半端なアーティストぶっていました。
けれど今回の課題を通して色々考えて、いちど「立体」から離れてみようかなと決めました。
殆ど同じようなことをずっと(2年の終わりごろから)考え続けていたのですが、
そのころはまだ目の前の問題から逃避しているに過ぎないと思っていたし(今もだろうけど)、
離れること自体は学生時代ならいつでも簡単にできそうな気がしていたし、
彫刻学科なのに彫刻をやらないことがなぜだかもったいないような気がしていたし。
今まで「理想の彫刻学科生」ばかり妄想し続けていて、でも面倒臭がり&格好つけたがりで努力はあまりしようとはせず、
結果的に表面すら取り繕うことのできない、しょーもない作品と自分自身ばかり粗製乱造していましたが。
もっと、自分に素直になれる表現方法を探っていったほうがいいなと思いました。
…それにしてもいまさら遅いですが(汗)。
話は変わって。
今回の作品でビー玉をらせん状に並べたりしたのですが、
そのときとある先生が「昔から「玉を転がすような音」という表現があって…」や「中国は左回りに並べるのが美しい音の表現で…」などのお言葉をいただきました。
その話自体を面白く聞くと同時に、自分の教養のなさと下調べのしなさに反省。
やっぱり、自分って口先ばかりだな改めて自覚しました。
›2008年05月26日
ウダウダ言っていましたが
何とか形になりそうです。
…今の時点で希望的観測の文章を書くのも問題ですが(汗)。
というわけで、彫刻学科4年の課題展示をやります。
場所:9号館の地下1階展示室
日時:5月28・29・30日の朝9時〜夕方5時か6時くらい(30日のみ昼休みまで)
テーマ:「逸脱」
展示課題のことばかり考えていたら、
来週から始まる教育実習の準備を怠ってた…(汗)。
急いで実家に荷物を送らなければ。
›2008年05月25日
悩んでナンボなのかもしれないのだけれども。
この前の日記が本当に自己満足で終わったので、
教職の話に絞ってもうちょっと話を整理してみるテスト。
自分が教職を第一志望にしなくなった理由は、主に三つ。
滑舌が悪かったりとっさの対応ができなかったりなど、教師としてはハンデになる要素を抱えているから。
学校教育や美術教育に対して懐疑的になり、意義を見出せなくなってしまったから。
「学校中心に物事を考えていたら、それ以外の世界のことがわからなくなった」ことに愕然としたから。
一つ目については「やる気があれば何でもできるから大丈夫!」という人がいるかもしれませんが、
自分の場合はちびくろを3年以上やってきただけに、実感を持って不安を覚えています(苦笑)。
果たして自分の声はきちんと耳に届いているのだろうか、と思うときが多いです。
子どもに発音の悪い部分の声マネをされたときには、正直凹みます。
「モノマネされるのも愛情表現の一つ」と思えればいいのですが、自分は割と無理です(汗)。
これが和気藹々としているときならまだいいのですが、もしも不良の子をしかるときだったら、と考えると本当に自信がなくなります。説得したくてもどこか腑抜けに聞こえてしまいそうで…。
とっさの対応のできなさにはちびくろ内でも定評があります…笑えませんが。
突然の予定変更とか苦手です。脳内で予測させる変更パターンを幾つか予行演習していないとパニックに陥ります。
スケジュールをひっくり返すのが苦手です。楽しさの追求よりもノルマの遂行に走ってしまいがちです。
最近はある程度慣れはしたし、子どもも大人もぜんぜん違うことを考えている人ばかり集まっているサークルに長く身を置いていれば、
「やるべきこと」と「やりたいこと」と「みんなで楽しむこと」の突合せで行動できるようになりましたが。
でも子どものころから「あらかじめ決められたことに乗っかる」ことばかりしていたので、
子どもに合わせて毎日アドリブを求められるであろう教育現場に行っていいのだろうか、と思う時もあります。
と書いてみたものの改めて考えてみたら、どちらも「教育」以前にまず「働く」という時点でハンデになると思ったので、
これについてはある程度短所を受け入れるか、長期計画で改善するしかないのかなあ、と思ったり。
二つ目については、手羽さんが言うところの「論理的に否定することは簡単、肯定することは難しい」というのに行き着いてしまうのですが(汗)。
今まで無条件に受け入れていた「学校」というものの意義について、教職課程で一通り学んだことはとても有意義であった半面、
芋づる式に発掘される現状の問題点からその矛盾を感じ取って解決しようと脳内であれやこれや考えているうちに、
そもそも「教育」という行為が持ち合わせるジレンマを見つけてしまい、最終的には
総ての教育行為に、有意義で実に見える効果を見出すことが面倒臭くなってしまう。
という極論主義に走り(苦笑)、脳内だけでの試行錯誤なのに疲弊してしまいました。
いや、むしろ机上の空論に対し脳内活動で対抗しようとしたからこそ無駄に疲れたのかなと。
特に学校生活の中での割合が、今の「30分の1」から「30分の0か2(選択必修)」、下手すると「ゼロ」にされそうになった、
美術科という圧倒的少数派にいたことも大きかったのかと。
倒すべき(または、和解するべき)相手が、常軌を逸した大きさであることはいうまでもないから。
こちらに関しては今まで理論だけでしか攻めていなかった分、今度の教育実習で体感していきたいと思ってます。
本来なら「先生になると決めたから実習に行く」というのが建前としてあるのですが、
自分は「先生になりたい(なりたくない)かどうか確かめに実習に行く」考えでいます。
三つ目は…正直、この理由が一番大きいと思います。
「学校以外の社会を知らないで、生徒を社会に送り出す仕事をしていいのか」とかいっていたこともあったけど、
そんなの、履歴書に書くようなおあつらえ向きの文章だったなと思う。
自分の脳内にはいつも「理想の自分」があって、それに及ばない「現実の自分」にいつも悩んでいるから。
さらに高校以来はその間にあるギャップを埋める努力をする気力をなくしてしまっているというタチの悪さ(汗)。
自己を語るときに否定形を用いるのが多いのもこのことが原因かと思います。
優等生じゃないと気がすまないのだと思う。
小中学校のころ、中途半端な感じで「優等生」をやっちゃったから。
さらに高校以降は、自ら努力をしない性格であることを認めたくなかったから。
作品を作りたくなくてもとりあえずアトリエに行って見たりする。けどやっぱり作らない。
でも努力をしないから「どうせ自分はダメ人間」か「まだ本気を出してないから」のどちらかの言い訳をして逃げてばかり。
学校以外の事を知らないのなら今からでも色々アプローチしていけばいいのだろうけれど、やっぱり変な失敗はしたくない自分がいる。
学校にいればとりあえず安定するし(最近はそうでもないですが)、
行動に移していないくせに「自分は美大生なんだ、もの作りの人なんだ」と思い込みたいから、
結局は依存してしまう。
そんでもって中だるみになりやすいときには、
アパートのロフトベッドの上で独りきりになって、悲劇のヒロインぶった妄想を繰り広げては、気分を底なし沼に沈めていく。
脳内活動と現実の行動を結びつける努力を怠れば怠るほど、その悪い癖はひどくなる気がする。
うーん、学校の話から外れてしまったけれど、この現状は教職以前に人間としてまずくないか。
そこまで言わなくても、「実在するもの」を扱う彫刻学科の人間としては…といって、
また自慰にふけてしまう(性的な意味ではなく自己愛的な意味で)。
これはもう自分の根幹に関わることなのである程度は割り切りたいけれども、
根本的な自分の弱さを認めたくないがために、今まで歩んできた道を否定して、話をそらしたり責任転嫁させたりしてしまう。
問題解決になっていないから、自分の中に不良債権をためるだけなのに。
なんだろうなあ。教職以前に働くことを否定するための既成事実を作ろうとしているのかもしれない。
それがイヤなら、弱さを受け入れてとりあえず走ってみるか、
スーパーマン級に自己改革起こしてから社会に飛び出すか、
どちらもイヤなら引きこもるしかないか…。
こんな二極相対化をしないと気がすまない自分の脳みそが本当にうざったいです。
うざったいけれども付き合っていくしかないです。
頭と身体は切り離せません。

›2008年05月20日
就職活動の途中経過報告…のはずでしたが
今現在は実質的な就職活動をストップしていますが、それでも就職課の資料ゾーンをうろうろしてたりします。
ちょっと気になる会社がひとつだけあって、とりあえずネットエントリーだけ済ませたのですが、
果たして選考開始のお知らせは来るのだろうか。
11月の就活開始宣言から半年たったら考え方も身の回りの状況も変わってきたので、
今一度情報を整理したうえで日記で晒してみるテストを。
もはや自己満足の極みなのでスルー推奨で(でも書く)。
★院に行く予定
→今のところナシ(変わらず)。ただ、院ではないスクールに行くのを考え出した。最近になって「作る」ことに未練が出始めたので。
ただ単なるモラトリアムでは終わらないように、今目の前にある課題にきちんと取り組みたい…けれどいまいち取り組めていない(汗)。
★教職について
→実は今迷っているけれど、今の時点ではあまり気は進んでいない。
今年の採用試験は出願しなかったけど、教育実習を経たらまた考え方が変わるかも。
そのときのために私学での採用を調べている途中。
★就職イベント
→もう行かないかも。世の中にある会社の大半がブラック企業であるような被害妄想に陥ってしまう(それはどうだろう)。
やはり「持つもの」がどんどん目立って社会を引っ掻き回していくんだなーと(イベント的な意味でも)。
なので自立促進の面では大学の就職課を頼りにしている今日この頃。
★希望勤務地
→最初はUターン就職の予定でしたが、地元の終電が鷹の台駅より早いので勤務地が限られてしまうことと、
仮に終電に乗って帰ったとしても夜中に家族をたたき起こすことになることが大きな問題として浮上。
父が病気持ちなので下手にストレスを与えるようなまねはできず、結局卒業後も一人暮らしをすることに。
…総合職で仕事を探さなきゃ。
★希望業種・職種
→今までの「作品作りたくない病」の影響で徹底的にクリエイティブ職を避けてきましたが。
ここにきて「作る仕事」も考え出したけれども、今の自分では志望分野も決められないし、
決まったとしてもスキルが足りなさ過ぎるので何かしらのスクールに通うことになるかも。
それにしても自分を見つめなおすのが遅すぎた…。
★教育業界に対して
→結局のところ今の日本の教育業界でお金を生み出すのは「塾」か「教材」しかないんだなとわかったので、
実習あけてもこの分野は受けないかもしれないです。
気になっていた会社はみんな受験して落とされたので、それで満足しちゃったというのもありますが(笑)。
★SPIなど試験対策
→まったくやってない。高校以来、勉強というものに対しての拒絶反応を身につけてしまった模様。
よくわからない遠い先のことに対してはがんばれない性格になってしまった。
だからとりあえずネットをついついやってしまう。
›2008年05月14日
美大に通っているのは
単純に惰性なのではないのかとか。
退学する理由がないだけだからなのではないのかとか。
かといって見切り発車できる性格でもないから、
結局グダグダな生活を送ってしまうのだろうとか。
あまり立体で表現されないような概念に挑戦しようと思ったけど、
そんなのきちんと彫刻にいそしむ人がやることじゃん、と今頃になって気づいたりとか。
そもそも「ひたすら作る」という気合も経験も、
今の自分には絶望的に不足しているとか。
新卒での教員採用は受験しないと決めたけれど、
願書だけでももらって置けばよかった、と今頃になって後悔したりとか。
一般企業の採用試験もグダグダだったからあまり前向きではないとか。
休学や留年や自主退学にあこがれるのも、
今現在の自分の欠点から目をそらすための逃避行でしかないとか。
とかとか。
ロフトベッドの上で考え事をしていたら、もうこんな時間(汗)。
現実的な問題で、しょぼい結果しか出せなくても仕方ない自分だから、
とりあえず何か「形」をひとつ作り上げなきゃ。
…あと10日で(汗)。
以下余談。
今思ったけど。
教職課程の人がよく使う「一般企業」という言葉。
美大生が言うところの「一般大学」みたいな優越感があってイヤになってきた。
学校とて社会であり団体であるうえに、国公立ならひとつの行政サービスで教職員も「イチ公務員」。
私企業もタイプは違えど日本の国家体制に組み込まれているのに(たぶん)。
›2008年05月01日
突然ですが
就職活動をやめる運びと相成りました。
…教育実習が終わるまで(笑)。
くだらないことをしてしまってごめんなさい(汗)。
どちらにしろ教育実習は普通に激務である上に、
「先生になること(≒一般企業に行かないこと)」を前提に受け入れてもらっているので、
その期間中に就活なんてできるわけがないです(過去に実習休んで面接に行った人もいますが…)。
5月になった今からESを提出したら最終面接が6月に食い込む可能性も高いので、
当たり前の選択っちゃー当たり前だし、そのことを踏まえたうえで行動していたわけですが。
ただ11月辺りから「就活始める宣言」をした手前、今の時期に内定をいただけていない状況は、
「卒業までに決まればいいやー」と思っていても若干あせるものもあり、
かといって興味のない分野の企業まで手当たりしだい受験する気にもなれず(教育系を5社受けたっきり)、
それに加え今頃になって「正社員になる」ということが自分にとって有益であるかどうかも悩みだすという(汗)。
経済的に安定しちゃうとぬくぬくしたまま育ってしまいそうで、自分に厳しくなれない気もするのです。
(仕事そのものが厳しいものではあると思うけれど)
でも今日になって就職課の方とお話して、そんなもやもやした自分でも、
それなりの今後の展望がなんとなく見えてきたので、自分としては割とすっきりした気分。
もう5月中は制作と実習準備のことしか考えない勢いでいくつもり、になればいいなあ(なぜか希望形)。
世間ずれしているって言われてもいいやーって思ってます。
その「世間」とやらは、自転車操業っぽくなってきた雇用産業が決めたことだと思うから。
(資本主義批判…汗)
みんな広告戦略に乗せられ流されて、「オートクチュールっぽい」ライフプランを押し売りされているのであれば、
その裏側が見えて嫌な気分になった自分は、
言葉を飲み込んで社会悪に洗脳されたフリをするか、
自ら荒地を開墾して本物のオリジナリティを構築するしかないのだろうか。
美術大学なら、圧倒的に後者を選択する人が多いと思うけれど。
›2008年04月29日
結局のところ。
昨日のもやもやは逃避行動だったのだろうか。
現実を一生懸命見ている振りして、
実際は「ストイックなシチュエーション」に萌えているだけの、
手のつけられないドリーマー。
うん、引っ越しよりも先にやるべきことが多すぎる。
でも、不動産物件を漁っているとものすごーく楽しくて(笑)、今すぐにでも引っ越したくなってしまう。
やばい、消費社会の罠だわコレ。
自分の欲望が高まることで、不動産屋が儲かり、運送業者が儲かり、家具や雑貨のお店が儲かり…。
それでもいいけど。最終的には個人的満足の有無が居住環境の採点基準になるし。
実際問題、今の家の契約が卒業制作展の期間中に切れるので、就職先によっては本当に早く移るかもしれないです。
親(と不動産屋さん)に説明がつけばですが…せっかく徒歩通学圏に住んでいるのに、それを捨てようとしているので。
家と学校を往復するだけの生活にはなっていないとは思うけれど、
今の自分にとって、閑静な住宅街にこもっているのが果たしていいものなのかという疑問も浮かぶ今日この頃。
いままでおとなしく型にはまる(のを周囲のオトナに見せびらかす)のが大好きだった分、
ちょっと冒険するときがそろそろ来たのかな、とか勝手に考えたり。
(美術大学に進学すること自体が冒険なのかも知れないけど、自分の場合は「大学の学部を選ぶ」という軽い感じだった反省もある)
かといって高円寺とか阿佐ヶ谷とかに住んでも「寝に帰る」だけではあまり意味がないし、
結局は自分の努力の問題なんだろうなー。
でも現状は打破したいなー。
そのうちの一課題として環境を変えたいなー…。
はい、引っ越し貧乏フラグ立ちました。
›2008年04月28日
和室4畳半、男性限定、共同キッチン・トイレ、お風呂は銭湯、月2万5千円(ガス水道込)…
おきなまろさんと話した直後から、自分の身の振り方について色々考えてばかりの今日この頃。
この先の生活を考えてみたら(就職活動がうまくいっていないのもあって)、
今の仕送りに頼っている状態より明らかに大変になりそうで(フリーターフラグ立ちかけ状態)、
でも実家に帰ることは今のところ選択肢にはなくて(病み上がりの父と生活リズムが合わないので)、
そうすると今住んでいる家賃4万8千円のアパートがすごく贅沢に思えてきて(実際ちょっと広めだし)、
その上学校から歩いていける位置にあることで生活がだれているような気もして(立川に住んでたときは大変だったけど)、
それなら家賃の安いところに住んで電車通学をしたほうが自分を律することができるのではないかと言う風に考えて、
ネットで所沢や本川越や高円寺などの物件をあさってみたりして(おくともさんの記事に影響されすぎ)、
4畳半だったりお風呂がなかったりする図面を何十枚と眺めたりして(もともと賃貸広告に萌えるタチ)、
「もっとストイックな生活を経験しなきゃ、ぬくぬくした状態で終わってしまう」なんて思ってみたり(今が湯水状態だからか)。
でもそれは今現在の自分の部屋が荒れているからだったり(ゴミ屋敷3歩手前)、
いまだに賢いお金の使い方を身につけてないこともあるし(バイトもあまりできていない)、
自分の問題を自分の身の外に求める悪い癖があるし(うだうだ言うのもそこから来ている)。
けれど環境に左右されやすい性格なので(周りの人にも影響されやすい)、
孟母三遷じゃないけれども形から入っていくのもありなのかなと思ったり(形だけで終わりがちだけれども)。
…まあ実際に引っ越すとしても、夏休みか11月の芸祭休みじゃないと動けないんですが。
(それも卒業制作を考えるとバクチに近いものがある)
よし、妄想はほどほどにしておいて、そろそろアトリエに戻ろう。
›2008年04月20日
美術の授業をやる意味
赤岩です。
さんざん悩んだ癖して結局英語の履修を取り消しました。
そうでなくても週4コマ授業を入れたし、その上で実技時間帯のにも一コマもぐりこむ予定。
これから就職活動・教育実習・卒業制作と立て続けに忙しくなるのに対して、
まじめな振りしてかなり面倒臭がりな自分の性格を考えてやめてみました。
その分、他の授業は落とせないのですが。
後期の日本工芸史を落としたら、工芸の教職免許が取れなくなるという瀬戸際の状態です(汗)。
さて、四輪駆動さんが悩んでいた、美術の授業をやる意義について、個人的な見解を。
自分は(今のところ)教員免許を生かした職につく予定はありませんし、
かつては自分も美術より受験科目をがんばっていた人間なのですが。
3年間のちびくろ経験+それなりに(汗)がんばった教職の授業から得たものから、
自分が導き出した「それっぽい」解答は、
美術の授業は、
「絵をうまく描くこと」を追求するための訓練の時間、
ではなくて、
作品制作をがんばることで、人間としての成長をする時間。
…いや、指導要領の一部を自分の言葉に置き換えただけなんですが(汗)、
コレは保護者からのクレーム対処に使えそうな言葉なのではないのかと(オイ)。
「最初からスルー、だからできない」よりも、「やったけれどできなかった」のほうが、
まだ得るものはあると思いますしね。
とはいえ、コレは「学校教育」の枠内でのお話でしかなくて。
指導要領は約10年ごとに改定されるので思ったより不安定なものですし、
そもそも要領の存在目的自体に異を唱える人も少なからずいますし、
学校に目を落としてみても、
嫌なものをやりすぎてトラウマになったら逆効果ですし(努力至上主義による教育効果は結構バクチものかと)、
学校での努力が学校外でも通じるものかというのもしっかりと考えなくてはいけませんし。
そもそも、
学校自体、本当に「善きもの」なのか。
学校に行っていない子はみんな駄目な子になってしまうわけでもないし、
(逆に、学校に行かないけれど人一倍しっかりしている子を自分は知っています)
空気のように存在する国家体制に、手放しの信頼を置いているだけなのではないのか。
もっと言ってしまうと、
「教育」自体、本当に「善きもの」なのか(汗)。
必要だとしても、過干渉で子どもをダメにしてしまわないか。
「かわいい子には旅をさせよ」で子どもを見殺しにしていないか。
…うん、いい感じに不毛なループにはまってきた(苦笑)。
そもそも「教育効果」とやらに期待を寄せる一方で、
それ自体の議論に関しては、
壮大な仮説
と言うことにして逃亡する癖があるので(無責任ですみません)、
とりあえずここでストップしておきます。
学校に適応する子もしない子も、
「教育」というものに呪縛されていると思うのです。
自分なんかはある種の狂信者級ですが。
›2008年04月10日
サブロク判にぶつける闘魂
最高学府潜入計画は、入学式前で閑散としていることが予想されたため自主的に延期しました。
(過去に精華大で寂しい思いをしたことがあるので)
でもなんだかお出かけしたい気分だったので午後から国立へ。
大学通りの(割と散りかけている)桜並木をずーっとあるいていくと、一橋大学に差し掛かる。
中に入りはしなかったけれども、乱立するサークル勧誘の看板を見て、
やっぱりこの時期はどこの大学も同じことをやっているのかな?と思う。
けれど、なんだか雰囲気が違う。
ナンだろうと思ったときに、ひとつのことに気づいた。
ムサビは紙のポスター(とDM)が主流なのに対して一橋は、
「サブロク判(約90センチ×180センチ)のベニヤに、ペンキか絵の具で絵を描く」
というものばかりでした。
木にくくられ、校門にくくられる、新入生に強くアピールする。
コレだけの言葉だと学生運動っぽい「ペンキ書きなぐり」をイメージしてしまうかもしれないけれど、
実際は「ごめんなさい、偏見持ってました」といいたくなる様子だった。
みんな同じサイズで、でも中身は各自工夫していて、
「牛乳に相談だ。」のパロディーあり、色彩構成の試験のような看板もあり、どれも本気モード。
それでいて(遠目だったから全部は見ていないが)仕事が丁寧なものが多い。
イメージとしては、中学のときのレタリングの授業を100倍に引き伸ばしたような「きっちり感」。
デザイン性とか言うと突っ込みを入れてくる人もいるかもしれないけれど、
どのサークルも(切実に)がんばっている様子が看板から伝わってきて、
美術大学の看板にぶら下がっている自分はちょっとあせる。
ムサビでベニヤ看板が少ないのはキャンパス環境が違いすぎるからとりあえず置いとくとして、
(校舎がコンクリ打ちっぱなし、板をくくりつけられる木が少ない、デカブツは生活課からの許可が要る、そもそも学生数に対するサークル数がやや少ない…)
ポスターの本気度とその裏にある熱い思いは、自分も見習うべきだと反省。
「ゆる〜い雰囲気」もいいけれどそれだけに頼らないで、
自己の新境地を開拓するような「ガチ」な努力も必要だと思った。
作品でもサークルでも。
›2008年04月08日
桃色が混じったシャボン玉のよう
実は今日、12下の優秀展で受付ボーイをやっていたのですが、
お昼ごろになると、ぴちぴちでフレッシュな新入生が学食にずらーっと並んで、
それはそれは圧巻でしたわ。
12下はいつも混むけど、展示室の入り口近くまで人がせり出すのは初めて見た気がします。
みんな一斉にご飯にありつこうとするから大変だろうけれど、
階段の目の前にある鉄格子群も展示作品だから、触ったり倒したりしないように気をつけてね。
4年生にもなると、新入生の大群を目の当たりにしてもあまり動じないようになりました。
2年前の今頃は、1〜2歳だけ下の人が入ってきたところで妙に動揺したのですが。
それだけ心が老けたってことですかね(汗)。5月で23歳ですし。
(同学年にもっと年上の人がいますが…)
現役合格した同級生はこの4月からサラリーマンになってるし、
1浪した友人は国家公務員になるべく猛勉強中で、
自分だけぷあぷあ気ままに生きているような気がして反省中。
そんな自分に喝を入れる、という嘘八百の理由をでっち上げて、
明日は最高学府に潜入しようともくろんでおります(え
›2008年03月19日
美を成す術(すべ)
遅くなってしまいましたが、みちくささんの日記でなんとなくわかったことがありました。
自分は総てのことに「正しさ」を求めすぎているようです(汗)。
だからキミ子方式の書き方が好きになったり(子どものくせして整った萌え絵を描けなくちゃと思っていたので)、
酒井式には苦言を呈しつつも「軸がないと不安になる」先生方には微妙に同情したり(微妙ではありますが)、
作品制作でも先生にほめられなきゃいけないような気がしたり(みんな言うことはバラバラなのに)。
だからアトリエから逃げ回った挙句「それっぽいもの」をでっち上げてお茶を濁す(ぶっちゃけ、無理矢理立体に置き換えていた)。
美術以外のところでも、
義務感がないとあまり動けない自分がいたり、
「好きにやっていいよ」で好き勝手やれなかったり、
逆に独善的な正義感を暴走させていわゆる「KY状態」になってしまったり、
個性重視・弱者救済が叫ばれる世の中だから、
「勉強が出来るから苦にならない」という古典的な優等生キャラであることに、
なんとなく疑問を持ってしまったり。
「正しい」を自分の中で不動の位置に持ってきてしまったために、自分をそこに拘束している気がします。
絶対全がもたらすジレンマに悩まされる自分、に酔いしれてしまったりも。
生産性のない自縛プレイです(オイオイ)。
自分はみちくささんとはたぶん正反対で、
もともとピアノが好きで(惰性と義務感で続けていたのでもうやめてしまったけれど)、
歌うのも好きで(自分ではうまいと思っていたが、歌い方が独善的であまりよろしくなかった模様)、
「ドを押せばドが返ってくる」という感覚には慣れしたんでいたことも、
もしかしたら強く影響しているかもしれません。
といってもそれだけが原因じゃないとは思いますが。
(言い方は悪いけど)前衛的でグッチャグチャなアートよりも、プロポーションの「整った」「萌える」漫画絵のほうが親しみがありますし、
前述の「KYな正義感」を狂信していたので「反発されることほど善行」なんてとんだ勘違いをしてしまったし、
中学までは(一応)がんばって勉強していたので、80点取れたことよりも残りの20点を落としたことに凹んだりもしましたし。
…なんかすごい嫌味な人間だな自分(汗)。
そんな「正しさ」を人生の軸に起きすぎていたからこそ、音楽の感覚についていけたのかもしれないです。
うん、どんどん自分が美術向きじゃない人間に思えてきた。
まあいいや、排泄的になってもいいから駄目なら駄目なりに表現していけばいいや。

›2008年03月09日
音を楽しむこと
昨日作った音源は結局、没になりました。
まあいいや、形にしてからわかることもあるし。
そんな音の切り貼りを楽しんだ後に読んだ、みちくささんの日記。
コメント欄に書き込もうと思ったけど、長くなりそうなので日記にしてみました。
動画を見たときに、音階以前にに「モノとしてのクオリティーが低いかも」と思ってしまいました。
大掛かりな仕掛けの割には出てくる音のチューニングが微妙で、すでにピアノを習っている子だったら「これドレミじゃなーい!」と思いつつも、
本体に「ドレミ」と書かれているから言葉を飲み込んでしまう、という被害妄想をしてしまいます(しすぎですが)。
そこらへんの木をたたいた音が面白いから連打してみる、というくらいのレベルであれば楽しめるかもしれないですが、
電子楽器を使ってとなると、効果に対するコストが中途半端にかかりすぎている気もします。
(音楽ではなく個人的な電子工作と割り切って楽しむのならアリかもしれないですが、お店に並べる商品としてみると…)
500円くらいの雑誌で、小学館のおにーさんおねーさんも色々苦労していることだと思うので(売り上げ的な意味で)、一方的に批判するのは暴力的だとは思いますが、
出る音がホ長調なのは、もはや凡ミスだといわれても仕方がない気もします。
「円の角度は360度じゃない」という数学の世界を知っていても、それを小学校で教えると弊害が出てしまうのと同じように、
「ドレミといったらハ長調」が原則の学校音楽でも、最初から総てのコードを教えるのは難しいと思います。
学問の追求と、大衆的な普通教育が必ずしも一致するとは限りませんし…って、たぶんそこまで考えないで作ってしまったかも知れませんが(苦笑)。
この先の話は専門家じゃないと語れないかもしれないのでやめておきますが、
もうちょ っと『音を楽しむ』ための「音楽」のおもちゃを作ってほしかったなあ、と残念な気持ちになりました。
あと、みちくささんの日記でちょっと気になったのが「音楽の正しさ」という言葉。
教育的な「正しさ」が必ずしも「音を楽しむ」ことにつながるとも限らないので、ちょっと引っかかりました。
けれど理論的に反論できないので引っかかるだけにしておきます(笑)。
›2008年02月11日
面倒臭い赤岩
先日とある友人から、この日の日記は現職の人の気分を害するのではないのか、という指摘を受けました。
自分としては、友人からの一言から色々考えたことを書きとめただけのつもりでしたが、
今見返してみると、外部からの干渉にいちいちマジレスして疲れがたまったのを、愚痴るようにつらつら書いただけになってました。
もっと言うと、
「そんな鬱々とした状態を1から10まで認識してほしい。だから自分の現状を事細かに説明して、相手にうなずいてほしい」
そんな面倒臭いことを無意識に求めてしまう人間なので、熱くなるとついついしつこくしてしまい、相手を疲れさせてしまうことも日常茶飯事です。
そんなわがままな性格が、実はこのブログの原動力の一つだったりするのですが、
その記述内容によって気分を害された方がいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありませんでした。
そして今日も、そんな面倒臭い性格を発動させてしまって、人を困らせてしまった。
就職イベントでたまたま話をした女子学生に、自分が彫刻学科在籍であることを伝えると、
相手は「彫刻っていうと、粘土とかも?石膏とかもかしら?」と返事を返した。
自分としては粘土も石膏も「作品というよりかは原型の材料」という認識だったので、
(とはいえ作品として使う人もいるので厄介なのだが)
まずそのことを伝えようと一生懸命説明しようとし、
それでも相手の表情が晴れないのでブロンズとかプラスチックとかの素材名を挙げたりしたけれど、
それでもうまくいかないので、仕舞いには「例えばペットボトルに練り消しを押し付けたら〜」と、
割と専門的なマケットの概念まで持ち出したところで、相手が一言。
「へ〜、面白〜い」(棒読)
…やってしまったorz
彼女は彫刻を専門的に知りたいわけではなく、就職活動の合間の小話をしたかっただけなのに。
自分は(ろくに制作も勉強もしていないのに)コアすぎる話で納得してもらおうとしてた。
自分がすっきりしたかっただけなのに、それを相手が求めていると取り違えていた。
いや、わざと取り違えて、無理矢理押し切ろうとしたかった、のか。
いわゆる「KY」でも正義は勝つと信じて疑わない生き方をしてきたし、
しつこいくらい丁寧なのが礼儀なのだと思っていたのだけれど。
蓋を開けなくても自分は「KY=正義」だと思い込んでいた馬鹿で、
自分のわがままが世界の正義だと勘違いしていて、
マジレスは単なる趣味で相手には面倒臭がられていて、
おまけに自分自身には空回りな疲労感がたまる一方。
そんな生き方を変えていかなければ、「反省から学ぶ」や「失敗を水に流す」といったスキルを観につけることは無理な気がしてきた。
そしてまた今日も、読むのが面倒臭い日記を書きなぐっている。
何のためにムサビ日記を書いているのかが、最近わからなくなりました。
わからなくなったのではなくて、わからなくなりたくなりました(壊)。
›2008年02月06日
2007年度卒業制作展(4日目)とか
ヤバ、書くの忘れてた(汗)。
時間が空いちゃったので印象に残った作品だけ。
・「視覚言語の本」
県のシンボルマークにこめられた思いがどれだけほかの人に伝わってるかを検証。
個人的にはもっとやってほしかったけど、とりあえず千葉県の県章が「お星様じゃない」というのに違和感を覚えるのは自分だけではないようで。
でもこの観光用ロゴは伝えようとしすぎてる気がしますが…有名なデザイナーさんらしいので大声ではいえませんが(汗)。
うまくバランスが取れないの焦っているからなのか(行政的な意味で)、それとも今まで芸術分野に手が回らなかったからなのか(公立の美術高校が数年前にやっとできたし)。
・「2008歳のキリスト」(タイトル間違ってるかも)
いまどきの女の子による、デコメ・顔文字一杯のブログでの「信仰告白」…を想定して作られた本。
作者はプロテスタントの学校を卒業されていて、卒業制作でも牧師さんに助けてもらったとのこと。
エリートな聖職者ほど高貴ではないと思うけど、隣に座ってそうなギャルの日記を通して見る「GOD」は、
人生そのものとしての「宗教観」を教えてくれるような気がした。
(多分ここらへん、宗教と日常生活を別にして考えがちな日本人が弱いところなのかも)
で、卒制展も終わって。
追い出しコンパも終わって。
就活も再開して(やば、就活日記も途切れたままだ)、
今日は図工教室の生活についてガッツリ話し合って。
身の回りのことをいろいろ整えなきゃいけない時期に突入。
›2008年01月23日
朝、カーテンを開けたら
雪降りすぎ。そのまま閉めて不貞寝を開始しました。
学校には夕方から行きます。