2011年07月のアーカイブ

暑中お見舞い申し上げ・・・

・・・mau。

昨晩は、ムサビ通信・絵画コースの先輩と、近所の居酒屋で飲み方。
久々に熱く、デザイントークで盛り上がった。楽しかった。
その彼女とも、しばしお別れである。
愛媛に行っても、ムサビ仲間に出会えるかなぁ。
ムサビは繋がりが強いらしいので、きっとそのうち巡り会えるだろう。
と、信じている。

引越は、別れと出会い。
9年間の宮崎ライフよ、ありがとう。
いろいろあったけど、宮崎の青い空は大好きだった。

さて明日から、しばらくネット落ちします。
次の住み処のネット環境が整うまで、この日記もお休み。

次回からは、松山で更新です。
それでは、(村上春樹風に)チャオ!

収納の魔術師

相方には、変な得意技がある。それは・・・

ザ・コンパクト収納術!

収納が上手いから〜と、じゃあ普段、小綺麗な生活をしているかと見れば、はっきりノー。
脱いだ服は、脱皮した状態のまま床にでろろ〜ん、だし。
物を捨てたがらないから、たまる一方だし。
雑誌、その他は、置いたら置きっぱなし。

そして、奥さんの逆鱗に触れるわけである。

残念なことに、相方の能力は、限定された場所で発揮される。
特に収納空間が狭ければ狭いほど、有効に働くのだ。

つまり、ものすごーく狭い空間に、ほとんど隙間なく物を収納できる。
要は、三次元実物大テトリス。
ある意味、その空間認識能力には、感心する。

が、その結果、物を取りだしてみると、
「どうしてここに、こんなに物が詰まっているの?」状態に。

発掘作業開始から2日目、ようやく納戸の壁が見えてきました(泣)。


ポエマー

ムサビ日記内は、オフ会の話で盛り上がっているが、
引越作業絶賛開催中の遠隔地在住者は、当然ながら参加できず。
しかもバタバタしてたら、行く行かないを返信する暇すらなかった。
すいません、竹林さん。翌日気づきました。

開催地は、あの伝説の店・天平だったのかぁ。
行ってみたかった。

そして今は、白兎の詩人オトギちゃんの時代なのかぁ〜。

時代の波に乗り損ね続けている、古株・出戻りとしては、
詩的なモノローグがぐっとくる、この人の本をプッシュしておかねば。


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引越作業で荷物を減らさなきゃいけない、っつうのに、
ここで荷物を増やしてどうする、自分。

というツッコミは横に置いといて。

それよりも、今週発売の雑誌の方の
「3月のライオン」のモノローグの痛さに泣きそうになったのでした。
ブラボー、羽海野さん!

筋トレ

今週に入って、台風・荷造り・送別会・送別会・荷造りなる日々。

30キロは走っても平気なはずの足が、
ダンボールを「よいこらせっ」と持ち上げ、右に左にと運んでいたら、
・・・ちょっとぉ、膝が笑うんですけど〜。膝の上あたりが、痛いんですけどぉ〜。
ついでに言うと、背中も腕も筋肉痛っぽいんですがぁ〜。
鍛えてない部位が、如実に体感できる(泣)。

途中疲れて昼寝したら、手足が痙攣。それは熱中症!
一人で2リットルくらい麦茶を消費しながらも、
トイレに行ったのは何回だ? くらい、汗で排出してた。

ということで、引越ブート・キャンプ、絶賛実践中です。


とにかく、生活用品以外の荷物が多い我が家。

ムサビの教科書だけで、ダンボール2箱。
最初一箱に詰め込んだら、死ぬほど重くて、
「これは、マズイ!」ということで、二つに分別。
ムサビに入ってから、買い貯めてきた画集も2箱。
あと、辞書だけで一箱・・・とか。幅を利かせてる広辞苑。

さて、これから画材部門へ突入ッス。

最終日

昨日が、お仕事最終日だった。

思えば、思いつきで応募して、始めた仕事。
受験から、すっかり遠ざかっていた頭は、
知識の記憶からもすっかり遠ざかっていて、
採用されてから、慌てて勉強し直した。
それが、2003年の話。

受験関連企業が、主力商品を教材からネットへ、本格的にシフトし始めた頃だった。
過渡期だったですね。今はネット授業なんて、珍しくもないけれど。
そこからいろいろあって、会社名が3回変わり、
給料遅延やらスクーリングやらで、一時期、別の仕事に転職した時もあったが、
結局足かけ7年くらい、この受験の片棒担ぎの仕事をした。

実を言うと、大学受験時、地元国立大の教育学部に合格したのだが、
「小学校の先生なんて、絶対向いてない!」ということで、
それを蹴って、別の大学に入学した。
その選択肢は間違ってなかったと、今でも思う。

でも、この仕事をし始めて、自分で思ったことは、
「意外に、人前で喋れるもんだなぁ」だった。
上手くはないです。
話の緩急のタイミングだとか、注意の惹きつけ方だとか、
気をつけなきゃいけないことは、まだまだあるけれど、
教えるのは結構楽しかった。

最初から好きで始めた仕事というのは、なかなかないものだけれど、
続けていれば、どこかに面白みは発見できるはず。

さて次は、どんな仕事に出会えるかな。

住み処

新しい賃貸の契約書を、昨日ようやく郵送。やれやれ。
梱包は、これからが本番ですが。

そう言えば、お家探しで不動産屋を巡っていた時、
震災直後、関東圏からの問い合わせが急増したという話をしていた。
こんなところまで、影響が出ているのかぁと、正直驚き。

「愛媛って、自然災害は少ないですからねぇ」
毎年、水不足に戦々恐々とするぐらいかな。
平成5年(だったか?)の大渇水レベルは、そうそう起こる事態ではないだろうし。

しかし、その後に続いた業者の一言が・・・。


「でも伊方で何かあったら、松山も100キロ圏内ですから」
ブラック過ぎて、笑えなかった。

光とIP

我が家の最大の娯楽・インターネットもお引っ越し。
その手続きで、えぬちーちーに電話したのだが、
「お客様は固定電話も使用されていらっしゃるようですが、
この際、光電話に変更なさっては如何でしょうか?」と勧誘された。

光って、IP電話じゃないの?
変な番号使わなきゃいけないのは、めんどくさくてヤなんだけどぉ。
と思ったら、別物でした。

相方と「たまには引っ越してみるもんだねぇ〜。」
ちょっぴり時代に取り残されつつ感のある、二人。
けど、料金制度もサービスも通信機能も、ころころころころ変わるんだもん。
世界が変わりすぎなんだよ。
それとも、いちいち覚えてる私らが、古すぎるのか?

取り敢えず、今回初めて、光電話なるものにしてみました。
さて、どんげなもんだろう。


ところで、
「電話の加入権、どうなるんだろうねぇ。今後」
「新しいサービスを出しつつ、穏便にフェードアウトを図るんじゃない?」
なんて、ダークな会話が、あったとかなかったとか。

ま、時代の流れには、逆らえないですからね。


その答えは

再再提出になった版画5の講評を、教室に持って行った。

最初の1行目で、みんなドン引き。
「うわッ。立ち直れな〜い」

マットに沈んだままでは仕方ないので、ちょっとずつ立ち直りつつありますが・・・。

ただねぇ。この先どうすればいいのやら〜。悩む、悩む。

悩んでるだけじゃあしょうがないので、新しいドローイングは描いてますが・・・、嗚呼。
何を目指していけばいいんだろう。

講評文には、ヒントも答えもなく。

その答えは、自分で見つけ出していかなきゃいけないんだけど・・・。

もうすぐ業者が、ダンボールと梱包材を運んで来る。
しばらくはダンボールの山に囲まれて、ドローイングを描く日々か。

走り高跳び

相方の転勤が正式決定。
ということで、しばらく課題の作業は中断。
作業再開は、お盆明けぐらいになるのかな。はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。

昨日、課題も返却されてきた。
先生の難解な日本語を読み(久々に国語辞書を引いた)、
言わんとすることは分かるが、
では、今後どうすればいいのかは、全くもって暗中模索。
頭の中は混沌。

ドローイング8枚と版画2枚提出して、ドローイング2枚はかろうじて合格。
その2枚が、最低合格ラインと線引きされたようなもの。
・・・うー、だんだんハードルが高くなってきてるというか、何というか・・・。

じわじわと、バーの高さを上げていく
走り高跳びの授業を思い出してしまった(何年前?)。

しばらくは、バーを両手で握りしめたまま、着地用マットに沈んでいたい気持ちッス。

どうしてムサビなの?

問)どうやって、ムサビ通信にたどり着いたか?

答)新聞の広告。

あら、1行で終わっちゃった。

高校が進学校だったので、割と大学の情報は充実していた。
でも、美大に行く人は皆無。
美術部の部員でも、教育学部の美術コースぐらいまで。
数年前に芸大に行った人の受験体験記が、学内資料としてずっと掲載されていたぐらい、
美大への進学はなかった。
田舎で美術系予備校がなかったのが、大きな原因なんだろうなぁ。
あの当時の競争倍率は、半端なく凄かったもの。

漠然とした憧れはあったので、受験雑誌の美大のページとかはぱらぱらめくってて、
その頃に、東京芸大、武蔵美、多摩美、日芸の名はインプットされた。
アートやデザインをするなら東京、という風潮があったし、
まだそれほど地方に美大が存在してなかったので、
関東圏以外の美大はほとんど知らなかった。
関西の美大は、京都に住んでから名前を知ったぐらいかなぁ。
・・・九州に至っては、宮崎に住んでから初めて知り・・・。

で、時は流れ、新聞の通信制大学一挙掲載広告見て、
「お、武蔵美、あるじゃん」。

あとはネットで資料取り寄せて、そのまま入学・・・。

・・・しちゃってから、いろいろ苦労することになるわけですが。

嗚呼、課題(まだ引きずってる)。

自虐ネタ

ふかふかです。(復活したヒロシ的口調で、お読みください。)

学習計画書、修正しました。
警告文が消えました。
すっきりした個人ページトップに満足しました。
でも何時までたっても、お花マーク(合格)が咲きません。


ずっと待ってました。半月以上待ってます。
もう一度、学習計画書の詳細を開いてみました。

私が修正している間に、通信課題の評価が入力されてました。
50点でした。
再再提出決定です。

卒業がアップアップです。

ふかふかです。ふかふかです。ふかふか・・・・・・。


ほんとは、ちゃぶ台ひっくり返して、暴れたいくらいだわ(しかも号泣付きで)。

お部屋探し

相方の転勤は、まだ内内示状態。
が、正式内示は異動の二週間前くらいにしか出ないので、
そんなの待ってたら、次に住む場所もない!

ということで、見切り発車のまま、
休暇をもぎ取った相方と、急遽お部屋探しの旅へ。

四国です。松山です。

結婚前住んでいた街なので、私的には「お帰りなさい」な感じ。
でもブランク長すぎて、浦島太郎な状態。

不動産屋二軒回って、ほぼ丸2日物件巡り。
後に行った不動産屋は、就職して初めて松山住んだ時、お世話になった店。

社会人一歩目の配置先が決まったのが、3月29日夕方。で、初出勤は4月1日。
鬼のような配慮の無さだった(苦)。独身寮も女子枠はなかったし。
まぁ、そこの人事異動の無茶ぶりは、県内では有名だが(今はもう少し改善されたらしい)
それに振り回され続けた貸す側も、かなり慣れたもので、
今回、「すいません〜。かなり不確定なんですけどぉ〜」と事情を話したところ、
いろいろとあっさり配慮していただいた。

相方曰く「お前の前職んとこの無茶振りが、よく分かる配慮だよなぁ」。
すいません、すいません。でも、私が悪いんじゃありません。

ということで、次の住み処の目星だけをつけて、宮崎に戻ってきたわけですが。

のんびり田舎ライフに、すっかり慣れきった夫婦は、
期間限定ではあるが、渋滞&ごみごみシティライフに順応できるだろうか。

でもきっとこれが、人生最後のシティライフ(笑)。
3年後はまた田舎のはず、多分。

フルマラソンvs引越

フルマラソンと引越、どちらが辛いか?

マラソンなら一日で終わるけど、引越の荷造りは一日じゃ終わらない。
30分毎に給水しつつ、荷造り作業始めてます。
最強のダイエット。

床一面に溢れる、9年分の物達。
そして確実に増えてるのは、画材。
油彩関係、日本画、版画関係、諸々。

美大に行くと、荷物は確実に増える。
夏スクーリングに行く度に、画材は増え続けた。

それにしても・・・
引越がもっと早くに確定してれば、今年の夏スク申し込めたのに。チェッ。