2013年03月のアーカイブ

花に嵐さ

早くエントリーをあげてしまわないといけない。
みんなが書き終わるのを手羽さんが待ってるみたいだし。

昨日は自分の過去エントリやみなさんのブログのアーカイブを読んでおりました。
みんな文章うまいし味があるなあ。

実は全部読み終えてないのでこのまま残しておいてくれるというのはありがたいです。
ここのこにとってこの1年は結構波乱万丈の1年でした。

正直に言いますとみなさんのポジティブな日記を読むのがつらくて
少し離れて何日もムサビ日記にアクセスしない時期もありました。
本当に自分の事情でなのですが。
今は投げ出さないで何とか、みなさんと今日の日を迎えられてよかったと思ってます。

今の時代を生きる若いみなさんにとって
本当に困ったような社会の問題を積み上げてしまって申し訳ないと思っています。

2011年1月に挙げたエントリーで20歳の男の子たち5人が
「原発はもうつくらないで。エネルギー政策は変えて下さい」
と真冬の空の下で10日間のハンガーストライキを行ったことを書きましたが
その1か月半後にあの震災と原発事故が起こり
彼らが訴えていた怖れが現実のものとなったのでした。

こんな災害が起こる前になんとかしたかったですけどね。

いろいろな意味で今は転換期なのかと感じます。
苛酷なことはあるけれど
これも機会ととらえれば生きていく甲斐があるというものでしょうか。


Pは明日から新しい勉強を始めるそうです。
自分で生きていける道を切り開くにはそれもありなのかもしれない。
いつまでも親は生きてないしね。

だからこの一瞬がとても大事でいとおしいよね。

そういう意味で
「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ」

みなさま
ごきげんよろしゅう。またお会いする日まで。


アップ猫.jpg


走馬灯のように

あまりこまめに更新もしてこなかったのに
いざ終了となると淋しいものです。
どうでもいいようなことをつらつら書きつづってただけなのに。

子どもPが高3の夏(おいおい)に「美大を受験したいです」と言い出したので
「今の美大ってどうなってるの?」と探していたら
このムサビ日記に遭遇したのですよ。
当時は手羽さんが管理人で受験に関する情報や学校の様子を
懇切丁寧・縦横無尽に紹介してくれていたので
とても参考にさせてもらいました。
かゆいところに手が届くかのような、そうそうそういうことが知りたかったの。
をつづってくれていたので本当にありがたかったですね。
クネッとしてるようで決めるところはきちんと決めてる。
ここの方を目指せば何とかなるなと迷える旅人を救う冬の夜空に瞬く北極星のような存在でした。
今更ですがありがとうございました。

日本画学科に入学したPですが、あんまり事細かに報告するタイプじゃないので
初めてひとり暮らしをさせる親にとっては便りのないのも元気な証拠と言ってもこころもとない。
そんな中、縁あって同級生(デキは雲泥の差だが)のきゅっきゅさんの日記がとてもとても
うれしかったです。
「ああ。こんなふうに学校でやってるのか」と。
4年間の過ごし方は月とすっぽんくらいの違いはあるのですが
授業の様子などを丁寧に楽しくつづって下さったおかげで学生生活がとても身近に感じられました。
ありがとうございました。
親としては(安くはない)授業料頑張って払おうというモチベーションの維持になりました。
(*年間の授業料とかおおざっぱに計算したら一日10,000円くらいだったような。)

そしてそんなのほほんとした親を日記のメンバーに加えて下さった竹林さん。
管理人をされていた当時はあたたかいコメントやご連絡をありがとうございました。
アフロツアー参加できなかったのは心残りです。

そして親という立場でつながりができたライターのみなさまとコメントを寄せてくださったみなさま
ご縁ができてうれしかったです。
ムサビ日記は終わりのようですが、
またどこかでご縁をつないでゆきたいなあと思っております。

ここのこは子どもが卒業で日記も卒業なのですっきりした気持ちですが
在校生のみなさまと親御さんは何か心残りがあるのじゃないかと思います。
どういう形であれ続けられるとうれしいなあ。
進学を希望する人たちにとって本当にバイブルのようなきらきらした存在なんですもの。


袴.jpg

卒業式

日本画学科は式の後、5号館のアトリエで昼食をみんなでとり、ゆっくり
授与と記念撮影などがあり、校内を出たのは午後3時くらいでした。
7時から渋谷で謝恩会があったのでお召替えを考えてる方は
着てきたもの、脱いだものをどうするか?を考えておいた方がいいですね。
結構な荷物になるし(鷹の台のコインロッカーは大きくて助かりました)
近くにお住まいの人は問題ないけど。

 

つれあいDは今日鞍手郡鞍手町にあるゴルフ場に行き(お花見コンペ)
今年も味宝卵というタマゴをお土産にもらってきました。
鞍手は葡萄もおいしいですよね。

同窓会展

今年の1月に届いていたある美大予備校からのお知らせ。
「同窓会展(油絵科)」。

Pのじゃなくここのこの。

卒業した高校の美術の先生からここ毎年は「南卒展、出品せんかい?」のお知らせは
来ていたのだけど、今年度は諸事情があって南卒展はなし、と昨年暮れに
連絡はもらっていた。

そしたら「彩光舎の同窓会展します」のお便りが。

1977年〜1981年在籍した人たち140名の中から29名の「いいよ」の返信があったらしい。
名簿が送られてきたら懐かしい名前があった。

日本画の同窓会展は3月31日までギャラリー彩光舎(さいたま市浦和区岸町6−2−1)
で開催中ということです。

(ギャラリーがあるんかいっ)


きっとカラダは行けないかもしれないけど
作品だけ送ってみようと思う。


五線譜に花.jpg

エントリーとは関係ないけど今日アレンジした花。
今年のトレンド色は「つゆくさ色」らしい。
写真にすると都忘れの色は目立たないね。残念。

ぽんで・らいよん.jpg
  
これも全然関係ないけど
冬の寒い日にRに遊んでもらってる?もっちー
「ヨン様ごっこ」とか言いながら。
「ポンデ・ライオン」を彷彿とさせるので「ぽんで」と呼ばれてた
このあとポンデリングが食べたくなったので無理やり作って食べました。


UMA(MAUじゃないよ)か。

手羽室長からお題も出てるし、しお辛い話も書かなきゃというところですが
(日付も変わっちゃったし)今夜は我家に出没するつちのこの写真でも。


つちのこ現るってか?.jpg


ケモノ好きなDは時間が少々空いたからと多摩動物園へ。
もともと晴れた冬の日には富士山が見える高校に通い、校歌には「武蔵野の大地」と歌詞のある
場所に住んでたここのこは武蔵野はテリトリーつう感じなんだけど
多摩というとなんか西の方で山の方、観光に行くところという感じ。
さて多摩動物園には背中にタテジマを持つ「キングチーター」が。

おおお!背中の柄がもっちーと一緒じゃん!
お前はつちのこやナメクジではなく、キングだったとは。お見逸れいたしました。
ええと帰宅してからもっちーは「キングキャット」と呼ばれるようになったのは言うまでもない。

きっとあんまり続かないと思うけど。

at 01:02 | Category : 日常 | Comments (2) | Trackbacks (0)

一夜(ともう一晩)が明けて

一昨日、Pが卒業したので正確にはもう美大生親ではないのですが、記しておかなきゃね。
ということを少し。
ザラメさんがお声かけして下さったおかげとドラドラさんの見事なマネージネントで
ジャスミンさんも駆けつけて下さり(ponchoさんとは校内でごあいさつ)
皆さんお忙しい中、ここのこのために時間調整をしていただいてオフ会を開くことができました。
ありがとうございました!感激です。

卒業式で心に残ると言えばMAUコーラス、とってもよかったです。
檀上に並んだみなさまのうすい紫(のスイトピーに見えた)のおそろいのコサージュも華やか。
(作っていったコサージュ、花と色かぶらないでよかった)
校歌で感動させるってニクイ演出です。
入学式の時は校歌を先生方と職員の方たちがリレーでつなぐ映像でした。
手羽さん、他の場所でもきっと歌ってる?
(ちなみにPの出身校の高校は第2校歌と言われる応援歌があってそれは今も歌えるらしい。
フランスのラ・マルセーイズもまっつあお、「熱球血をすすりて♪」というスリラーな歌詞
重松清も作品の題名にしてるくらいだから校歌がソウルソングというのはアリなのかも?)

学位記と卒業証書授与式がこんなにパワーあるとは!
これがMAUらしさなのかしら。
学長の甲田先生の式辞も染み入るお言葉でした。
世の経済活動とは違う道
10年は描き続ける。

茨の道かもしれないけど
茨の道を歩めるのも才能のうち、かとも思います。

「汝の道を進め、人々をして語るにまかせよ」
ダンテの神曲にある言葉ですけど贈る言葉はやはりこれかしら。

ご卒業されたみなさま
本当におめでとうございます。

(ここですっぱり書き切れればかっこよいのだけど、もうちょっと書こう)


東村山と言えば?

東村山音頭かと思ったら(古いか)
「東村山黒焼きそば」
検索したら一番筆頭にヒットしました。
東村山市に今、来ていて
食べてみました。東村山に来たなら食うてみよというので。
黒いのはやはりイカスミか。
なかなかオツデアリマシタ。

日本画、卒業式後の謝恩会は
きれいな格好で参加なさいね。
というお達しが出てるそうだが、
Pちゃん
ハードル高くね?
どーする?

「今更」などというのもなんですが
一緒にネイル買いました。

働け、と使者が。

何やら冷え込んでいる春の夜。
おサボり気味のエントリーをどうにかせんかい!と叱咤し、
書く気を鼓舞するための使者がPCのあたりに降臨している。

これだ。

pc前に〜.jpg

ジャマなんですけど・・・・
と言って
どくタマじゃあない。

思い出しました

2年前の3月11日。
仕事のシステム変更の説明会があった日だった。
16時頃それが終わって後、車のラジオをつけたらアナウンサーがただならぬ口調で
この世にあってはならないことが起こったと繰り返していた。
巨大地震と大津波とそして続く原発事故。
NHKラジオでは地震直後青森の六ヶ所核燃料再処理工場の安否が
確認できないと伝えられていて心の底から怖ろしかったのを覚えている。
西日本の片田舎では東北と同じ地続きでありながら
申し訳ないほどのおだやかな春の陽うららかな日だった。

11日は自分なりに追悼の日としたけれど
夜はTVで放映されていた映画「リトルダンサー」を観てしまった。
これはとても好きな映画。
舞台は1984年イギリス東北部の炭鉱町。
困難な状況の中でも心から好きなバレエの道を
歩んでいくチャーミングな少年と家族と周囲のひとびとの物語。
男ならバレエなどせずにサッカーかボクシングかレスリングをやれ!と
断言するおとうさんだが、少年ビリーの本気度に触れ
息子の思いをかなえてやりたい、とロイヤルバレエ学校に入学できるように
決心して行動に出る。
経済的に豊かではないので金策を工面する様子とか
試験結果を家族で待つ様子とか
合格を知って歓びのあまり駆け出しちゃうおとうさんの様子とか
(スト中だった組合は会社側に敗けちゃうという苦い現実もあり)
ロンドンに旅立つ少年を家族で送り出す様子とか
泣けてしまうのです。何度観ても。
今年の春にもこういう家族が日本中におられるだろうなー

親の覚悟ってこれだ!という感じ。

映画のラストシーンがまた鳥肌モノですので
未見の方はぜひどうぞ。
何かとりとめない日記になっちゃったな。

もっちー狂喜する

弾丸ツアーから帰ると新たなる壁(乗り越えるべきもの)が待っていた。玄関の上がり縁にとドドンと鎮座していた特大クーラーボックス。中にあったのは、
寒ぶり丸もの。78センチ6.5キロ。
Rがビギナーズラックで玄界灘で釣り上げてきたそうな。
おいおい!
そわそわするもっちー
11時から頑張れる気合いなく、
その夜は何事もなかったかのように休んだのでした。
「まだなのー?」とせっつくもっちーの声に押され、なんとか解体。
で、
やはりとても美味でしたわ。

やはりウロコに縁があるここのこ家か。