カテゴリー:げいじゅつ

「で」いい、の結果

どうも、元・原研哉信者のhelveticaです。
(デザイナーだと原研哉が好きでフォントはhelvetica派って言うと、
 もう全く信念がなさそうですね。と自分で思うのでした)

今日は今更ながら就活用のメガネを買いました。(…)
母親に「あんたはテンプルが赤いメガネかけてるから内定もらえないのよ」
今かけているメガネをケチョンケチョンに言われたので、
「どうせだったら変えてやるわ!それも真っ黒のにな!!!」と思い立ち
ちょうどいいメガネを探す旅に父を連れ立って出かけました。

で、メガネ屋さんを2カ所回って結局行き着いたのが無印良品。
最近の無印はメガネもやっているんですね。全然知りませんでした。
というか父が2カ所回った時点でイライラしてマジギレしそうだったのでw
「もうここいいわっ」とほぼ諦めモードでメガネコーナーに行ったはいいものの。

他のメガネ屋より断然いいものが揃っている。

私の「いいもの」の基準はものすごい偏ってはいるんですがw
この場合の基準は、シンプルで自分の顔に合っていてカッコいいものです。
(あくまでリクルート用、ですので)

で、すごすぎる技術とかオシャレ過ぎるフレームとかは全然ないです。
あと、極端に子供向けだったり極端に老人向けのフレームもありません。
けど「ここにあるメガネ、一つも似合わないね」って人が出るフレームはない。
そういった意味でも「いいもの揃ってるなあ」と思いました。
いいもの揃ってるというか、「いいのそろえた店だなあ」と思いました。
無印のメガネに対する妥協のしなさと並々ならぬクオリティにビックリしました。

で、ここで私のバイブル「デザインのデザイン」が出てきます。
原研哉氏は無印良品のコンセプトについてこんなことを書いていました。
「これ『が』いい」ではなく「これ『で』いい」という程度の満足感を与えること。
「が」ではなく「で」なのだ。(中略)
「で」の中にはあきらめや小さな不満足が含まれるかもしれないが、
「で」のレベルをあげるということは、この諦めや小さな不満足を
すっきりと取り払うことである。そういう「で」の次元を創造し、
明晰で自信に満ちた「これでいい」を実現すること、
それが無印良品のビジョンである。

私はこの部分を読んで非常に感動した記憶があります。
確かに、無印の商品って変な進化の仕方はしないんですよね。
そして満足して「これでいいや」と思って買える。
無印のメガネコーナーはまさにこのコンセプトを体現した場所なんだと思いました。
いえ、個人的にそれを体感しやすかった場所ってだけなんですが。
ちなみに店員さんの一生懸命さも手伝って、
勝手に視力を強く矯正したレンズにされたけど「これでいいや」と買ってきましたw

 
つまりなんか、痒いところに手が届いているんですよね。
そこに手が届いているからこそ「ちょっと物足りないけどいい」と思えるんでは。
結構それって大事なことなんだよなあ、と無印のメガネコーナーで感じました。

ちなみに今回買ったメガネ、シンプルだけど素材に一癖あってカッコいいんです。
就活のとき以外にもかけていきたいくらいw
他のお店って「シンプル」っていう条件だけでも難しいんですよね。
変にカラフルだったりシンボルがついていたり、歩き回りまくったんですが
最初から無印にきておけば良かったw

ところでその気付きを自分にどう生かせるのかな、というお話。
写真に「痒いところに手が届いたもの」もへったくれもないんですがw
それでも自分が見てホッとしたりどきっとする写真を撮れたりすると
自分が欲していたものを撮れた気がしてちょっと嬉しくなるんですよね。

で、自分が満足したもばっかり集めて人に見せたら喜んでくれるのかな、とか。
純粋にそんなこと考えて動物園の写真貼ったりしています。
私も自分の「で」レベルをあげていきたいですな。

向き合う覚悟

どうも、helveticaです。
今回はここ数日感じたことを書こうと思います。

最近は4年生の方とお話ししたり制作を手伝う機会が多く、
話が卒制の方向へ向かうこともしばしば。
ここ数日はムサビ日記ライターの4年生の方も、
卒制/卒制展関連の日記を沢山書かれていますよね。

その中には、どんな道に進むか決まっていない方や、
卒業後に全く美術と関連性のない進路へ行く方もいます。

そういう方々が臨まれた「卒業制作」。
その重みが、3年生になってようやく分かったような気がします。

最近はみちくささん・なのはなさんとお話しする機会があり、
卒制でどんなことをどんな思いでやっているのか…といったお話を伺いました。
お二人とも「自分が表現したいこと」に真摯に向き合っていて、
なおかつ「私はもっともっと表現に愛情を注ぎたかった」…というような話や
みちくささんの日記を話した帰りに読むに連れ、
本当に足下がすくむ思いでした。

その前にはデ情の4年生の方の卒制を手伝ったのですが、
何日間もろくに寝ない生活をしているのに制作に向かうその姿がまぶしくて、
その方は女の人なのにとってもかっこ良く見えて、
「私はこんなに真剣になれるのか」と不安になりました。

私はそんなに真剣に「表現すること」と向き合っているのか?
お二人みたいに芯の通った制作を最後に出来るのか?
寝ずに制作できるほど打ち込めるテーマを見つけられるのか?

私は今、全く自信がありません。

もうそれは命がけで、自分のやりたいことを全力で、
「これが私の考えたことだ!」と胸を張って卒制を残す自信が、

全くありません。

そんな自分を涙が出るほど情けなく思います。
 

けど、そう思った所がスタートラインなのであって、
気づかせて下さったお二人や4年生の方々の日記に感謝しつつ、
就活にも翻弄されつつ…色々考えたいです。

ちょっと悔し泣きして、色々とテーマを考えて、
「自分は『人のため』っていう大義名分がなければ力が出ない」ってことを
いいことなのか悪いことなのか考えつつ、
もうちょっと本を読んで、嫌になったらリコーダー吹いて、

来年の今頃は胸を張ってたいな。と思いました。

今更ですが4年生と院2の皆さん、お疲れさまでした。
そしてありがとうございます。

マージぱねえっす!

In Designが立ち上がらないのでデザインの解剖が進みません。
訳あって鞄の中がおばあちゃんのタンス臭いです。
課題の写真撮影が終わりません。
母親の誕生日プレゼントにBBクリームをあげたのですが効果が目に見えません。
必修の知的財産権の授業、一回休むとぱったり行く気が起きません。
明日のバイトに行きたくありません。
隣人さんとたまにしか会えません。
 
 
そうです、五月病です。
 
なんでも完璧に進んでないとすぐ全部放棄したくなる悪いクセです。
やっぱり写真とってる瞬間が一番楽しい。
けど写真の課題もついうっかり忙しくて忘れちゃったりして、
撮るのは楽しいけどまとめるのが面倒だと思ってしまったりして。
(あー…授業のうちにレポート見てもらっておけば良かった…)
 
最近、オープンキャンパスで使うポートレートを撮りました。
やっぱり人の写真をとるのって格別の楽しみがあって、
その時の表情とか仕草とか、すぐなくなってしまうものをうまく撮れるか?みたいな
シャッター押す瞬間のスリルとか、撮れてた時の嬉しさとか、
すっごい楽しいからポートレートだけは一度に一杯写真を撮っちゃいます。
J先生の授業をとって、少しはデジタル写真の知識も身に付いて来たので
きっと今が一番楽しい時期なのです。おもちゃ買ってもらった子供の気分です。
そんな訳で一人につき1テーマで20枚とかザラです。
御蔭でMacBookの容量の底が見えてきました。
早く外付けハードディスク買わないとマジぱねえことになりそうです><

あ、デ情のオーキャンwebに使われる写真は殆どあたしのだと思います。
……と無駄なアピール!
webは結構すごいのできると思います。すごい子をwebに引っ張ったんで!

モヤモヤしていること

授業が始まると宿題という名の課題も出てくるので、
さっそくちょっとだけ慌ただしいです。
 
 

今日は朝から好きな先生(「ファンです!」と希望用紙に書いた)の
写真の授業だったのですが、なんということか
通学に使う電車の1本目がいきなり運転見合わせに!
いつ動くかアナウンスがなかったので電車の中で待っていたら、
車掌さんが「人身事故だからいつ動くか分からない」との非情な声。
もうあまり使いたくなかった南武線でとろとろ学校に行くはめに。

教室に遅れて行ったらいきなり希望用紙片手に先生から質問を受けた。
もうなんか、頭が回らなくて何を喋ればいいのかわからない。
ごちゃごちゃの頭の中を整理しながらようやく答えると、
「君は目的と手段がごちゃごちゃになってるね」と一刀両断。

ああ、これだ、って
モヤモヤしていることが一気に晴れた気がした。
そんなことも分からないままデザイン情報学科に2年も所属していたのが
ちょっと…っていうかかなり恥ずかしくなった。
 

やっぱり自分はデザイナー向きではないようです。
なんかとりあえず、就職するのを一瞬タンマしたい…時よ止まれ

間を置かずに二重投稿。お許しください。
 
 
 
 
 
二十歳になってすぐ、隣人氏と飲みに行きました。
彼と喋っていると「自分は何を考えているのか」を自然と発見できるので、
あたしは何度となくある彼と喋る機会をすごく大切にしています。
 
で、将来の就職や芸術についての話に及びました。
彼曰く、「helveticaは芸術をサポートして行く仕事があってるんじゃないかな」と。
 
 
自分がいま執行部でやっている仕事そのものが、
(彼曰く)あたしの適職を体現しているものらしいです。
 
 
 
 
将来にわたってのものつくり願望が0な訳ではないです。
むしろものづくりで食べて行けたら御の字です。

 
けど、こんなこと言いたくはないけど、

自分がものを作って食べて行けるほど甘い世界じゃないってことに気づいてもいるんです。
どこかで自分に自信を持っていなきゃやって行けない美大に入って気づかされました。
「やっぱり自分は周りに比べて普通過ぎるんだな」と。そして圧倒的な勉強不足っぷりにも。
たぶん執行部に没頭しすぎているのもそこに理由があると思う。
周囲の目を気にしながら制作するあまり、
作りたいものもいいものも作れない自分から逃げているのかな、と。
 
 
グラフィックデザインの授業が始まります。
そこでそんな根性なしの自分と対峙する時が来ると思います。
けどそこで一生懸命あがいて納得できる結果を出せたら、
将来の自分像に「サポートする自分」じゃなくて「ものづくりする自分」も見いだせるかな。

やっぱりどこか「ものづくりする自分」という甘美な将来を見ている自分もぬぐい去れないのです。
まだまだ将来が見定められないなあ。
けどまだまだ迷っていられる時期だし、色んな考えを提供してくれる隣人氏もいるし、
いい意味でも悪い意味でも学生を謳歌したいなーと。甘い考えながらも思います。