2010年08月のアーカイブ

GDE

先日、私もGDEに行ってきました◎

私は1浪の時から毎年行っていて、
去年だけ行かなかったので
2004
2005
2006
2007
2008

2010
と、見て来たわけで

今年に限って
コンデジが家の中で行方不明中なので
カメラを持たずに行きました。



最初の年は
感動しまくりで
写真撮りまくりで
大興奮のグッドデザインだったはずなのですが

年をおうごとに
感動が減っていってしまってる気がします。



1浪の時から一緒に行ってる、
多摩美のプロダクトの友人と
今年も見たのですが

同じような感想を抱いていました。



GDE自体の規模が小さくなっていってるのもあるかもしれないし
自分たちが「デザインする側」に近づいたことで
新鮮な目では見られなくなった、
というのもあるのかな。と。

知ってるものが増えたのもあるでしょうが。





そんな私は
先日、無事に免許を取得しまして
(学科一発合格☆)
車のコーナーがいつになくステキ見えました。

普段カーショップとか
敷居が高くて入れないので。

エコマーチが欲しいよ〜〜



免許を取った後だと
車の見方もかわりますね。

試乗してみたいなー






日記で書いてても
教習生活ホームシックに少しなります。笑。

バスに乗ったらできるだけ前の席に。



道路を見るのがマイブームです。

気になったので

さっきエントリーしたばっかりだけど
気になったので書いてみます。



研修旅行やら実家に帰省やら免許合宿やらで
私がパソコンから離れてるあいだに
美大日記がなにやらごにょごにょしてますね。

どこから読んでいったら
ことのはじまりがつかめるのかと探っていくのも
時間がかかりますねー



ムサビ日記と違って大変そうだなー
っていうか
読み手側で思うことが

ムサビ日記はある程度
ムサビに興味がある人や在学生向けに書かれていて
それぞれの科のイメージが成り立った上で読まれ始める、

ようなところがあると思いますが
(イメージがあった上でギャップがおもしろかったり)
美大日記は知らない学校とか知らない分野の科の方とかが結構いらっしゃるので
読むキッカケ、とか
書いてる人のキャラをつかむまでに
かなり読み込まないといけなかったり
時間がかかるんだろうなー

という点。




ムサビ日記で私が

工デの人とか
工デを目指してる人は
きっと読んでくれてるんだろうなー

なんてあさはかな望みに甘えてるのも事実です。




これは誰か宛てっていうよりは
思ったことを書いただけなのですが

自分の中だけにとどめておくのもな、

と思った時に
ブログを活用しちゃいます。

だれか見てくれてるのかな。

って思いながら。

教習生活 その2

学科の本も買っちゃったし、
もうちょっと勉強してから試験受けよう。
時間もお金もないし。。。

って決めて
昨日もおとといも11:55に起きました。

わわわ。こんなはずでは。。



明日こそは試験を受けに行こうと思ってます。
意外と明日を逃すと
その後がややこしいことになるので
(平日にバイトをつめすぎたので)
一発で合格したい限りです。

土日もやってくれたら安心なのに。



てか、その前に早起きしないと
試験に行くことすら出来ないんで注意です。
当たり前だけど受付は朝のうち。
交通の便があまりよいとは言えない立地。

徹夜、という可能性も無きにしもあらず。
(↑最終手段)





教習生活その2

もしかしたら
裸眼でもいけんじゃないかな、、

なんて
わずかな希望にかけて裸眼で視力検査してみたけど
やっぱり無理でした。

疲れるけどメガネが必要になりました。

街灯が枝豆みたいに見えるレベルの乱視だからしょうがないす。

メガネ忘れたら運転できないんだから
目が悪くなったことをうらみますよね。
マイカー手に入れたら
運転用を車に置いておくことにしよう。


メガネ屋さんでメガネ作る時に
常用、室内用、運転用、、
なんて区分があったようなきがしたけど
あれってどうゆう差なんでしょうね。

持って行ったメガネは何用だったかしら。
とりあえず運転用ではなかった。
ちょっときつめに作ったやつなので
目の疲労が心配。





まず知能テストみたいなのを受けて
私は安全運転でそれなりにマナーもあるけど

心が病みやすいので注意

みたいな診断がくだされました。



ばれてる、、、!



なんかちょっと動揺すると
変な方向にハンドルを切っちゃったり
信号を見てなかったりする危険な精神状態は

その後の教習でも痛いほど身にしみるのでした。


メンタル!



最初の日は
1時間目がゲームセンターみたいな
室内でやるやつ、
2時間目がコース内で実際に車に乗っての教習でした。

一番外側をぐるっとするだけだったけど
緊張しすぎて疲れた。


まあ、
先生の方が恐いだろうけど☆



AT限定で取りに行ったのですが
何も踏まなくても車が動く、なんて

知らなかったヨーーー
ツカレルネーーー





この日を境に
当たり前のように6、7時間かけて運転して
旅行に連れてってくれてたお父さんを尊敬する日々が
始まったのです。





ちなみに女子限定の「自炊プラン」という
ちょっとだけ安いコースで申し込んだのですが

結局自炊なんてしませんよね。

わかってました。



自炊、とはいえ
朝ご飯はちんまいパンがホテルで用意されてるし
(ご自由に形式)
昼は学校で山盛りごはん(全14メニューほど)が出るし、で

実際、独り暮らしの夏休みより
ずっといい暮らしが出来る、、っていう、ね。

夜も日が変わる頃に寝てたし、
布団で寝てたし、
クーラーも天井についてるタイプで心地よいし、
昼ご飯はおいしいし、、

で、なんとも健康的な生活を送っていました。



狭いホテルの部屋で
ミニキッチンの換気扇を点けながら
朝と夜にタバコを吸う妹にちょっとイラッとしたくらいでした。

教習生活 その1

こっちでのバイトを終えてから
うっかり昼寝をしちゃって、

そのあと「もう夜になっちゃったよー!」って言いながら
実家に帰り、(数日前には実家に居たのに)
夜中にカレーを食べて、
徹夜で荷造り。

一緒に行く妹は
夜遊び帰りにAM4:00くらいから荷造り。



ちゃんとしたスーツケースで
長期の宿泊に行くのなんて初めてなので
何を持ってたらよいのか、、



結論から言いますと

ちょっと持って行きすぎました。



ホテルには洗濯機と乾燥機があって
(部屋付きじゃなかったけど←軽くだまされた)
3日に2回くらいは洗濯したので

「あーこんなに服いらなかったな。。」

と学びました。





着いたらすぐに車に乗るよ!

って去年合宿で免許を取った友達から聞いていたので
出発のときからどきどき。



朝、若干遅くなりそうになったのもあり、
東京駅をスーツケースで激走。

横須賀線から新幹線のホームまで遠い!

長いエスカレーター怖い!!



妹が東海道新幹線のホームに向かって行くのを阻みながら
(ワタシたちはニイガタにいきたいのよ!)
やっとホームに到着。

新幹線も中学の修学旅行以来の2回目だし、
自分でチケット持って乗るのも初めてだし、
指定席の切符を買っておいてもらったけど、席どこだろう、、で

朝ご飯を食べそこねた妹は
おなかすいたー、と
大宮辺りから騒ぎ始めました。



前の席の親子たちが
駅弁を楽しそうに食べてます。

そうか、
乗る前に買って来ないといけないのね。



こうなったら車内販売のおねえさんを待とう!
ほら、アナウンスで車内販売のこと言ってるよ、

って言い聞かせてお姉さんを待ちました。



イメージでは
カートに食べ物とか飲み物を積んだお姉さんが
「お弁当やお飲物はいかがですか?」って言いながら
ニコニコを通路に現れる、、、はず!

来たら声で気づくだろう、と
妹はメイク、私はメールをしていたら、

ポシェットにお菓子を入れ、お弁当を抱えたお姉さんが
突然ものすごいスピードで通り過ぎていった!!




わーー

ってうちに居なくなってしまい、
あぜんとする私たち。



よく考えたら自分たちの居る車両は2階建ての2階
そりゃあカートじゃないですよね。

それにしても
みんな乗ったばっかりだし買わんだろう的スピードは
とっても予想外でした。



それからというもの
車両の自動ドアにくぎ付け。

「あ!」
って思ったら普通のトイレ帰りのお父さんだった、、

を繰り返しながら
もうほとんど着いちゃうよ、って頃に、
2回目のお姉さんをようやく捕まえて
サンドイッチを購入しました。



持って来たお菓子が
なぜか酸っぱいものばっかりだったのもよくなかったです。



しかし
このサンドイッチが原因で
教習所に着いてからすぐ出された昼ご飯は
ほとんど残すはめになった妹(笑)。




こうしてようやく
新潟にたどり着くことはできたのでした。
まだまだ試練はこれから。





ちなみに妹、
これからの日記にちょくちょく出します。

根っからの末っ子気質で
メイクバッチリのギャル。
私が実家に帰るたびに彼氏が違う人になっている19歳です。

おみしりおきを。

他の世界を知ること

最初になんで
車も無いのに免許を取ろうと思ったのか、というと

就活にあたって
そのくらい持ってなくちゃダメかなーって思った時に
意外と周りのみんなは1年とか2年の時に
取得済み、という事実が発覚。

これはこの夏がラストチャンスでは??

ということで
通いだと忙しくなって断念しちゃいそうだし
旅行も兼ねて合宿してきました。



専門2年の妹も
なかなか就活が上手くいかないらしく
車、乗れるようにしとこう、、ということで
珍しく妹と過ごす15日間でした。



着いてみると
周りみんな若い!

大学1年生がやっぱり多いのかしら。

4年生の2人組もいたけど
多分少数派なんでしょうね。



自分も含め
「こんな子が車の運転とかしちゃっていいのか!?」
って思うばかりの日々。



過ぎてみると
14日間の教習なんてほんとあっという間で
これから実生活で車に乗るとしたら
ぼっこぼこになっちゃうんじゃあないか、、、と。


たとえば
コース内の鉄の柵があるところで
縦列駐車の練習とかしたけど
それを他人様の車に置き換えて
実際に道でやる、、というのはやっていないわけで
なんかもうものすごいちっちゃい車に乗るしかないんじゃないか、、っていう。

実際に乗ってみると
思ってる以上に車が大きく感じた。



車道を歩いていて、
車とすれ違う時、

「このぐらい空いてれば大丈夫でしょ」
っていう距離を自分で作っていたけど

車を運転する方の身になってみて
その危険か危険じゃないかの幅がかなり狭い、


という事実に驚いた。





青の横断歩道を歩いていても走ってくる車
その理由も分かりました。

横断歩道=安全100%ではないのね。





車のルールを勉強するとともに
歩行者のルールも分かって

これ、義務教育あたりでやっといたほうがいいんじゃないか、、
って思いました。



特に自転車。

私は非自転車ユーザーなので
乗り回してる人たちを元から敵視していたのですが
自転車って車に乗ってても危険要因でした。

自転車は車の方に近い存在で
だけど免許も要らなければ
交通のルールを知らなくても乗れちゃう。

こわや。



夜も
自転車の人が思ってるよりも
車から見たら全然見えない。

たいていは横側から見るので
ライトを点けててもが全然見えない。

車輪が光ってるやつに乗るべき。みんな。
ださいけどね。



自転車の人こそ
乗る前に交通法を勉強するべきだ、って思いました。

国会のルールとか勉強するのもいいけど
最低限のルールには触れておいてもいいんじゃないでしょうか。



交通ルールといえば
◎人が写ってるのは人用の信号、
◎3つ並んでるのは車用、
◎赤は止まれ、青は進め、車用の黄色はもうすぐ赤だよ

程度のものかと思ってました。

黄色のイミも
乗ってみて初めて分かった。
自分の信号がそろそろ赤、っていうのもあるけど
対向車とか歩行者がそろそろ青だよ、っていうサインでもあるんですね。

信号って
交差点で車がぶつからないように
うまく変わるんだなーー
すごいなーって

感心しまくりでした。
考えた人すごい。



地元に帰ってからも
こんなところに表示ついてたっけ??

みたいなことばっかり。


いつも思うけど
普段生きてて
「見てないもの」って数えきれないですね。

いざ見ようと思ってみないと見えて来ないものばっかり。

普段行かない科の病院とかクリーニング屋などのように。
必要になって探してみないと
簡単に通り過ぎちゃう。



ここ数年で
急激に「見るべきもの」の量が増えてます。

こうやって大人になってゆくのかしら。





そういえば
新潟の車用の信号は
縦に三段でした。

雪が積もらないように
雪が降る地方では縦なんですって。



ずーーーと縦の信号で練習してたから
横並びの信号でやれるかどうかちょっと不安です。。




でも矢印信号は
横並びの方のが見やすそうな気がする。かも。。

ただいまです!!

ムサビ方面にやっと帰ってまいりました☆
お久しぶりです。からーずです。

8月上旬から、
車の免許を取るべく
新潟まで合宿に行ってました。

そしてその足で実家に数日帰っていたので
更新が今になってしまったわけで。




ちなみに免許はまだとれていません。
これからこっちの免許センターで
学科を受けるのです。

一緒に合宿に行った妹は
早々に学科受けて
練習問題の段階では全然だめだったのに
なぜか受かって帰って来たので

私もなんとしても
夏休みのあいだに
取って来てしまわねばです。




とはいえ
私のうちには車というものは
自転車と弟の原付しか無く、
免許をとってもしばらくはペーパー真っ盛りなのです。




せっかく苦労して乗れるようになったので
(だいぶこわごわだけど)
このまままた元の状態に戻ってしまわないか、と
(教習所内のポールにぶつかりそうになったり、S字で脱輪しまくったり、、)
とても不安なのであります。

なによりも不安なのは
久々の運転&マイカーが
助手席の補助ブレーキ無しでいきなり!!

ということであります。



でも一番怖いのは
そんな私の周りを走る車でしょうけどね☆



そんなわけで
合宿の思い出をちょこちょこ書いていけたら、と思います。





それにしても
新潟に2週間いたので
こっちが暑くてしょうがありません。

むりむり。



新潟辺りに嫁に行くのも
悪くないかな、なんて思いました。

まあ相手がいれば。

こたえます

ほんとに暑いですね。

こう連日だとさすがにこたえます。。。





ではなくて、(いや。そうなんだけど)
私も遅ればせながらお題に答えたいと思います。

長いです。笑。




Q1.いつ頃から美大を目指しましたか?

A, 高2の夏休み。


元々中学では科目の好き嫌いが激しくて、
美術はいつも5だけど、
体育とか数学とかは1とか2、、、という具合で
英検と漢検でかさまししても
公立高校(神奈川県立)のいい所は難しいね。って感じでした。

私はまだ相対評価の時代だったので
成績を上げるのはまず無理。
(しかも小中は国立だったし)

オバカな公立は治安の面で自分には合わなそうだったので
私立の高校を探し、
ちょうど良くデザインコースがあるちょっとオバカな(しかし治安はいい)私立に出会え、
そのまま入学しました。



で、
入学が決まってすぐに
長年通うことになった二駅先の美術予備校から
年間パンフレットと、月に一回の「無料体験のお知らせ」が来るようになったんです。



大学に行くとか全然考える前に
「美術予備校」という存在を知ってしまったわけで。

こんなお金かけてそうなパンフレットを
ただで配っているなんて!
って感動するとともに、
学費のページに「うそだろ、、、」と思ってしまったので
しばらくはスルーしてました。



しかし、
月一の案内がしつこかったので
ちょっと行ってみることにしました。
それが高1の終わりだったかな?

よくよく思い出してみると
それがムサビの先生の出張講演会でした。笑。

でもこの時点ではムサビもスルー。



その後、無料体験に参加、
本格的に入学したのが高2の夏季講習からでした。



中学で5を取ってて、
高校でもそこそこ上の方の成績をいつも取ってて、
予備校で最初に描いた石膏デッサンも「うまいじゃん!」

という、
調子乗っちゃう所からのスタートでした。笑。



ちなみに高2は基礎科で秋から、
立体とか着彩とかまんべんなくやってみて
デザイン科の体験課題が楽しかったのと
デザイン科の先生がなんとなく好きになれそうだったのと、

なにより2番目に選ばれて講評してくれたので
「自分いけてるかも。」という勘違いから
受験科はデザイン科へ。





はい、成り行きです。



ちなみに、
高校のクラスのほとんどは
推薦で専門学校に進学していました。
大学受験が一割くらい。

みんなとは違って
私は実力があるんだから!

という過信があったもので。

あーはずかしい。



この時点では
まさかのタマグラ志望でした。
佐藤可士和が好きだったんです。笑。

まあでも時代がそうだったよね。
2002年。




Q2.どうやって勉強しましたか?

A . ただひたすら、マジメに予備校に通うこと6年。


これは参考にならんですよね。笑。
まさかこんなにかかるとは思ってもみませんでした。

1浪か2浪の時には家で平面をやり直しまくったり
3浪では友達同士で講評しあうのをやったりしましたが

基本的にはただ通っただけでした。



4浪ともなると
GWの宿題とかマジメにやらなかったけど(!)
それでも毎日休まず通っていました。

いま思うと
もっと美術館に行ったり
「すき!」と思えるものに触れたりする時間(インテリアショップにいくとか)が
もっとあっても良かったんじゃないかと。

結構時間はあった。

無いと感じてたけど。



ちなみに芸大コースにいたことと、
高校時代からの無駄な過信で
学科の授業は受講していませんでした。

センターの勉強は本屋さんで問題集を買って勉強、
毎年受けてたこともあって傾向ばっちり分かってる。。という。

高校から4浪まで
科目に多少の浮き沈みはあったものの、
7割をキープ、という感じでした。



やってない割にはできてるでしょ☆



ムサビ対策は
過去問を1回解いただけでした。(!)

でもセンターのがんばりが「センター方式」の方で生き、
出来ない古文漢文はカウントされないし

無事にセンターも一般も受かることができました。





はい、センター方式一期生です。





Q3.どうやって大学、学科を決めましたか?

A . 勘。


もともと芸大にコースにいて、
「芸大に行くのがすばらしい」という洗脳のもと
高2から6年もの時を過ごしてしまっていたので
大学に入って何をしたい、とか
無いまま受験生をしてました。

芸大は入ってから決めるし。

そんなとき、
ふっと
ムサビのオーキャンに行ってみよう、、と思ったのです。

実は現役の時にも夏の説明会に来てるのですが
オーキャンは4浪のときに初めて「行こう」と思ったのです。

いままで来なかったのは
なんとなく遠かったイメージが強く残ってるから。



田舎っぽい道と
4号館前のひまわりと
コンクリの校舎しか覚えてませんでした。

が、
4浪のなやみになやんだ時期に訪れると
大学生たちはこんなにも楽しそうなことをやってるのか!!!

って目が覚めたのです。

はやく大学世にならなくちゃ!
と、初めて思った瞬間でした。



このときは
視デの1年生の友人に案内されたこともあって
100ドロの展示とかを念入りに見てたけど

家に帰ってから学校案内を熟読して
ムサビが絵画とか彫塑とかもやる、と知り、

なんかいろいろやってそうで、
粘土とかで培ったスキルも活かせるかなあ、と
工デを視野に入れ始めました。

この時点では
同じくいろいろやれそう、ということで
基礎デも考えてて

結局両方受かってしまい
最後の最後まで悩みましたが、
考えるよりも手を動かす方がちょっとだけ好きかな?
と、わずかな差で

私はいま工デにいます。




Q4.この時期、何をやってましたか?

A, ただひたすら夏季講習。ときどきバイト。

最後の年は7月でバイトを辞めた気がします。
夏期講習は夜間部の現役生も合同だったので
残って描きたかったから。

あーがんばったね。笑。





勉強は
「基本の英文法」みたいなのを買って
本当に5文型からやってました。

実はちゃんと塾とかに通った経験も無く
文法って習ったこと無かったので。

これは土台作りに役に立ちました。

どうりで文法問題できないわけだ!
っていう新発見ばっかりで新鮮だったし
学科の勉強はやればやるほど身になるので
息抜きになりました。

実技はやればやるほど迷宮入りだったから。







長くなりましたがそんな感じ。

夏季講習の独特な感じは嫌だったけど好きだったなあ。




はたから見たら美術一直線なんだけど
芯になるものは意外と無くて
「子供の頃から絵ばっかり描いてて」というわけではなく

絵よりも工作、美術より技術のほうが実は好きでした。

しかし自分が不器用だと気づくのは

もっともっと最近になってからのこと。笑。





先日実家に帰ったら
20冊くらいの大量の講評ノートと
12冊の、作品を撮り貯めたフォトブックに再会。

久しぶりに見るとすごい量です。

これをポートフォリオに載せようかと思ってます。





これが「私」と言えるものの一つです。

消えた思い出

帰ってきました!

小平→名古屋→鎌倉→バイト→小平。



名古屋の研修旅行はあっという間でした。
名古屋の人々(特に見学に行った工場とか)はみなさん優しかったです。

モーニングに寄った喫茶店のおばちゃんだけがぴりぴりしてました。

あと、名古屋のかき氷はハンパ無くでっかかったです。
隣のサラリーマン風の男性3人組が1こずつ頼んでましたが
向こうの人の顔が見えないくらいでした。
あああ写真撮らせてもらえば良かった。

暑いからってものあるのかしら。
最終日は40度だったというウワサでした。




でも何よりもの思い出は
2日目に、うまく巻かれてないフィルムで36枚撮り切り、
なぜかテンパって巻き取り切っちゃって
思い出もフィルムもダメになっちゃったことでした。

2回目だし。泣。

デジカメのデータが消えるよりも悲しいです。
だってまだどんなふうに撮れたのか(実際撮れてないんだけど)
見てないんだもん。泣。

デジカメの36枚よりも
フィルムの36枚の方が
思い入れの深さは圧倒的です。



シャッタースピードとかの勘がつかめてきて
すこし調子に乗ってたのに。

悔やんでも悔やみ切れんです。




というわけで
お見せできるものがございません。。

1本目のフィルムはモノクロだったのですが
地元の適当な写真屋さんに出したので
まさかの1週間半ぐらいかかる始末。

さらに3本目はまだ撮り切ってないので。
でも消えた後やけになって撮ってたので
3本目には期待できませんです。