教育実習の思い出18

今年度中にこの話を終わらせないと(笑)
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最後の挨拶をしゃべろうとしたら、学級委員長が急に「みんな、起立!」と号令をかけ、挨拶をはじめました。

ほとんどはありきたりの挨拶で「ふむふむ」と聞き流してたら(おいっ)、最後にこんなセリフを言われたんです。


「手羽先生、立派な先生になってください」

えっ。。。


言葉につまりました。素直に「はい」といえない自分がいる。

確かに先生になりたくてこの場にいるのだけど・・だけど・・・「絶対になりたい」という信念を持ってるわけではない。そんな自分に対して「立派な先生になってください」と素直な気持ちで言ってくれたんです。
何かみんなを裏切っているような気持ちになって・・・私、大泣きしちゃいました・・・。
よく最終日で泣いちゃう教育実習生がいるでしょ?あれです(笑)

ほとんどの方は辛かった日々を思い出して泣くものなんでしょうけど、私はこんな気持ちの自分を「先生の卵」として扱ってくれたみんなに申し訳なくなってしまって。周りがひいちゃうぐらいの大泣きでした。

今でも悔やまれるのは、彼らに「ごめんねごめんね」としか言えず、ほとんど何も挨拶ができないまま教室を去ってしまったことです。ちゃんと「ありがとう」といえればよかった。職員室に帰っても泣いて泣いて30分ぐらい泣いてました。




音量子さんからコメントをもらった、「ナゼ教師にならなかったのか?」には理由が3つあります。


1つ目。
表面上は「先生になるのが夢」と言いながら、心の奥では「でも違う道もいいよなー」と思ってたのがわかってしまったこと。これは生徒を裏切ってもいるけど、自分に対しても裏切ってる行為。だから多分あんなに泣いてしまったのではないだろうか。

「こんな気持ちでみんなの人生を左右させてしまう教師になっちゃいけない」。
今となると「そこまで思い込む必要は・・・」とわかるのだけど(笑)、当時、青春真っ盛りの手羽はそう決めちゃったんですね。ちょうど教育実習のあたりが人生の中で一番多感な時期だったようです。


2つ目は、特別学級での彼女との出会い。
ひらがなや算数は勉強しないと覚えませんが、美術は勉強しなくても人それぞれの良さを出すことができる。「個性」を唯一許されているのが「美術」。でも、現状では人それぞれの良さを消しているのも、中学や高校の「美術」かもしれない。
それに気がつかせてくれたのが特別学級での時間でした。

「美術の面白さ」「なぜ美術が必要なのか?」を「美術」でみんなにもっともっと伝えたいけど、それを中学や高校のあの少ない時間数で伝えるには限界がある。
現状を見てると「美術の時間数が減る」→「ゆっくり制作ができない」→「現場教師は短時間でできる作業でなんとか乗り切る」→「そんな美術ってやる必要あるの?」→「美術っていらないんじゃない?」→「美術の時間数が減る」の悪循環に入ってるようにも思います。じゃ、どうしたらいいんだろう。
で、当時の自分の考えた結論が
「教師になるよりも、作家や美術教師を育てたり、サポートする側の仕事について、数10年後、『美術』を変えることができたらいいなー」
だった・・というわけです。



これで教育実習の思い出シリーズは終わりです。
教育実習に行く人はさすがにもう実習希望校に挨拶が終わったかな?
頑張って先生をやってきてね。

「ナゼ教師にならなかったのか」の3つ目の理由は今度書きます。
(おっ、まだ引っ張る)

投稿者:ichiro : 2007年03月29日 03:23

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コメント: 教育実習の思い出18

大学時代、指導教授が「ゼミなんかやっているより、教育実習に行く方がよっぽど有益だ」と言ったことを思い出します。5月ころだったか6月頃だったか、研究室の仲間が入れ替わり立ち代り教育実習に行き、帰って来ると顔つきや話し方が変わっている。

手羽さんのブログを読んで理由が分かりました。生徒と向き合うことは結局自分と向き合うことで、若い多感な時期にそのような経験は得がたいものと思いますし、僕も教職課程を取っていれば良かったなと思いました。

投稿者 音量子 : 2007年03月29日 20:28