2010年07月のアーカイブ

これはせつない

漫画が原作の実写版映画化について以前つぶやきましたが
ここのこがキャスティングで申し分なし!というのもあります。

「パーマネント野ばら」
西原さんの作品の映画化です。
なおこの菅野美穂、みっちゃんの小池栄子、ともちゃんの池脇千鶴はもちろん
野ばらさんの夏木マリ、ニューおとうちゃんの宇崎竜堂、パンチガールズ3人組みんなすごいです。

原作とちょっと違う設定の脚本もすばらしいです。
原作は読んでいたのですが
沢木耕太郎が「映画における魔術的な一瞬」と評したシーン以降、
世界全てが変わるように仕掛けられた脚本にやられました。

100分の映画作品にするにはなおこの秘密をああいう風にするのも
ありだと思います。

疲れた感じのおっちゃん彼氏も味わいあったかもしれないけれど
映像的に江口洋介の佇まいは「あーこれは忘れられないのムリないよな」と
思わせる説得力がありましたから。

本田博太郎演じるみっちゃんのおとうさんが
家族が一番幸福だった時の頃から時が止まってしまった設定で
電柱を電動のこぎりで切ってしまうシーン。
良識のある人は「犯罪じゃないか」と怒ってたりするけど
南米の幻想的な小説のシーンのようで暗闇の中、火花の散るシーンは
夢のように美しかったです。


まだ公開中なところはあるのかな?

あんまりネタばれしてはいけないので
よかったら観て下さい。

みっちゃんの言う「どんな恋でもないよりマシ」
ともちゃんの言う「人は2度死ぬ。一度めは命がなくなった時、そして人から永遠に忘れ去られるとき」

ていう言葉がとても深い意味を持っているように感じました。

せつない、心に残る作品です。


手羽さんのお題 受験編

人の世を生きてく切なさについて書こうかと思ってましたが
手羽さんからお題が出てましたので、本人じゃないけど
書いてみることにします。

Q1.いつ頃から美大を目指しましたか?

本人Pから受験をしたいと聞いたのは高3の夏休み直前でした。
高校では美術部に在籍し、リーダータイプじゃないのに部長をしていました。

4人の同級の部員のうち2人は高1から明確に美大受験を目指していたそうで、
長期の休みには東京の大手予備校に通っていたりしてたそうです。
こういった友人たちの影響はあったと思います。
この同級生たちは筑波大と女子美にそれぞれ進学しています。

高2の秋に高校総文の県代表に選ばれて高3の夏に美術部の顧問の先生と
全国大会に行きました。
選ばれた時点で少し気持ちが芽生えていたかな?とも思います。
でも親にはなかなか言い出せなかったみたい。

長い道中、車中で先生の受験時のお話などいろいろ聞いたり、
全国の同世代の作品に直に触れたのも心に何かを芽生えさせた経験
だったかな、と思います。

この先生がここのこの高校時代の恩師のお友だちだったという不思議な縁。

Q2.どうやって勉強しましたか?

受けると決めてからは実技の受験指導をしてくれる高校から通えるアトリエに
通いました。
夏休みなど長期の休みは週6日、毎日8時間くらいは通って指導を受けました。
授業のある日の放課後もほぼ毎日通ってましたね。
ここはこじんまりして一人ひとりに向き合ってくれるところでした。
受験指導にしてはリーズナブルなところも親にはありがたかったです。

絵を描くことは好きだったので、それまで自己流で好きに描いていたのですが
受験となるとそうもいかず、デッサンのイロハから指導を受けました。


Q3.どうやって大学、学科を決めましたか?

ファインアートをやりたい。特に線で描くということに興味があったので日本画にしたようです。
教えていただいた先生がムサビ・日本画出身というのも大きかったと思います。
「いい校風です」と親にも説明して下さいました。

地方で受験説明会があった時、参考作品を見にいらしてて
「始めたのが遅かったのでどうかなと思ってましたが、Pさん、イケるかもしれません!」と言って下さいました。

執拗に鉛筆やペンで対象を描くというのは好きな方だったので
デッサンはまあまあでしたが、水彩の特徴を自分なりにつかむのに苦労してたみたいでした。

先生が「受験のモチーフ、何か生き物が出るかもしれません」とイカやエビやキリギリスなども
用意して指導して下さいました。

本番は「新巻鮭」でしたね。
先生のやまかけ?というか傾向と対策は当たりでした。

遅く始めた上に無口なPに小さなアトリエで本当によく向き合っていただきました。
ありがたかったです。

Q4.この時期、何をやってましたか

高3の夏は講習三昧でした。
アトリエの先生いわく「たくさんの受験生がいる大きな予備校でガツンと来る体験をしてきて下さい
受験直前より今の方がいいです。本腰を入れるための洗礼を受ける意味で。」
ってことでその地方で一番大きな予備校に1ターム(1週間)だけ行きました。

そこでは石膏デッサンと人物デッサンだけやったようです。
そこの講師の先生に「日本画ならやっぱり芸大だよ、浪人すれば何とかなるかもしれない」
と勧められたそうですが、気持ちは動かなかったそうです。
(「松井冬子みたいになったらどうしよう」と祖母が心配してたし)

その後その予備校のHPに1週間通っただけだけど「合格実績」に上げられてたのにちょっとびっくりしました。
でもあの1週間の体験もきっと必然だったのかもしれません。

こう書くと「地方在住でも今から勉強を始めても合格はありえる」ってことですが
Pの場合は本人も努力はしたと思いますが
幸運が重なった「運のチカラ」という気がしないでもありません。

at 16:59 | Category : | Comments (4) | Trackbacks (0)

【ご案内】首都大学で ユニバーサルデザイン -デザイン展開と報告-

知人からの紹介の紹介です。
首都大学
で「ユニバーサルデザイン -デザイン展開と報告-」という講座があるそうです。

一般の方向けのようですが、ご関心のある方、ぜひどうぞ。

【1021F003】 ユニバーサルデザイン -デザイン展開と報告-

実施日 2010/08/23 〜 2010/09/27 曜日 月
時間 19:00〜20:30 定員 28名
キャンパス 飯田橋キャンパス 教室
受講料
12,100円 単位 1 単位

講座の説明
障がい者は、車いす利用など肢体不自由者、視力障害、聴力障害、言語などコミュニケーション障害、知的障害、精神障害など非常の多様な条件のもとに存在しています。
また少子高齢化で、2050年には高齢者の全人口に占める割合は35%にまで増加が予想されています。それに伴い日本で働く外国人も増加が予想され、かつてない多様な条件の人々の共生のできる社会が望まれています。
それを具体的に実現するのがユニバーサルデザインなのです。より多くの人々が利用できるデザインは、また個性に合わせたデザインとの協調も必要となります。
これからのユニバーサルデザインを考えつつ、其々のデザイン展開を分かりやすく講義します。

講座スケジュール
回 実施日 講座内容 担当講師
1  2010/08/23(月) 建築都市空間のユニバーサルデザイン <竹宮> 竹宮 健司
2  2010/08/30(月) もの作りとユニバーサルデザイン <坂本> 坂本 鐵司
3  2010/09/06(月) 使いやすさの探求―ユーザビリティ評価― <中嶋> 中嶋 智輝
4  2010/09/13(月) 車いす、シルバーカー、バギーなど車輪を使った移動環境 <大津> 大津 慶子
5  2010/09/27(月) 移動環境のユニバーサル化はどこまで進んだか <今西> 今西 正義

備考
※「ユニバーサルデザイン -これからの展開-」と共に受講されることをおすすめします。

対象者
ユニバーサルデザインに興味のある一般の方

「一人ひとりにつながってゆく、母の物語」ってハハにはコワイ

本屋に行ったら姜尚中氏の初自伝的小説「母ーオモニー」が出ていた。

母~オモニ母~オモニ
姜 尚中

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帯の推薦文はリリー・フランキーさんが書いていた。
「ご自由にお持ち下さい」という姜尚中xリリー・フランキーの刊行記念対談を読んでみた。

二人は世代的には一回り違うけれど九州での子ども時代の風景に共感できるものを
持ってるということだ。

ここのこも世代的にはリリーさんに近い。育った環境は違うけど。

いつも「子どもながらにここにいてはいけない感」がずっとあったような気がした。
ここのこの場合はなぜか行くべきところは方角的に西だった(今思えばカンは当たっていた)

で、この二人の魅力的な男性は二人とも「母」のすばらしさをしみじみ語っているのである。
「あーおかあさんてそんなにすごい存在なんだ」と改めて感じる。


「やべー!」


私はもう何年母業というものをやってるんだろう!
こどもは私を見てきてどう思ってるんだろう?
もう取り返しはつかない。こぼした水は元には戻れない。今更繕えないし(涙)

こどもたちは親の目から見ても(親より)情緒が安定してるみたいだし、
懐もそれなりに深く成長してるように見える。・・・反面教師の役は果たしてきたかも(汗)

この間も「電話の応対には見えない相手が不快に思うような言い方はしないように心掛けてる。だって自分がされたらイヤじゃない?」
とRがさりげなく言った。

はい。ココロします。負うた子に教わることもまた楽し、じゃ。

本はおもしろかったです。

16歳で日本に来たおかあさんは日本語の読み書きができないので手紙が書けない。
ドイツに留学中の息子さんにカセットテープに伝えたいことを吹きこんでおいたという件では
やはり泣けました。

黄金の日々とか(夏休み編)

「家に帰ったら描けない(スペースの問題?)絵を描きたいので帰省は8月になると思います」と
Pから連絡がありました。
今は補講期間なんですね。
来週は試験、修羅場は無事にくぐってきて下さいと返事しておきました。

夏休み前。子どもならわくわくする季節ですね。
ここのことその周辺ではオトナになってからもわくわくすることがありました。

夏休み「小学校の校庭でキャンプ&きもだめし大会」

子どもが通ってる小学校は山あいの小さな学校でしたが
ノリのよい、というか姿はカエルだけど何かまだオタマジャクシのシッポが残ってるようなひとたちが多かったせいか?燃えてましたねえ。毎年。

特にきもだめし。

おとなたちがこどもたちに内緒で「いかにこどもたちをフルえ上げさせられるか?」に頭をひねり、オバケグッズに
趣向をこらし、全精力を傾けた黄金の日々。

夜な夜な誰かのうちに集まったり、公民館に集まって制作に励んだのでした

みなで知恵を出し合えば出てくる出てくるアイデア!って如何に子どもをビビらせるかって
ことにかけてですが。

お経と鐘の音をテープで流し、花火を仕掛けに使ったり、あの薪を背負った二宮金次郎の像がしゃべったり光ったりする細工をしたり、トイレットペーパーを全身に巻きつけたミイラ男に変身したり、落ち武者の兜や鎧も段ボールで作ったり、神社の石段にはろうそくを並べて雰囲気つくりをしたりと、おとな軍団も本気でしたね。

当日はこどもの「きゃー!」という声があがる度に成功の喜びにうちふるえたものでした。

その後は

校庭にテントを張ってこどもたちを一応寝かしつけてから(もちろん彼らはまともに寝てない)
おとなたちはちょっと離れたところに陣取り、始まるわけです。その日の反省も兼ねた宴会が。

生ビールの手配も怠りなく、魚屋さんの保護者もいたのでマグロ兜焼きのふるまいもあり、
ギター持参の人もいて我が青春の歌とか歌いまくり。もちろん先生たちも参加。
いなかの学校の校庭では夏の夜は熱くにぎやかに更けていったのでした。

あくる朝には子どもたちから
「おとながうるさくて眠れなかったー!」などとお叱りをいただいたこともありましたが
2日目はウォークラリーなどで子どもはまた元気に走り回ったりするのです。

夏の黄金の思い出、みたいな感じですね。

きもだめしグッズ作りに入魂!なここのこの周辺仲間はその後、

調子に乗っていくつかの仮装大会に出場し、少額ながら賞金もGET!という体験もしました。

その時はこどもにも隠さず、むしろ重要な部分を手伝ってもらったりしたので
モノツクリのおもしろさ実感に少しは役に立ったかな〜?と今になって思ったりするのです。

「私ならもっとうまく作ってたのに」とか思われてたりして・・・

広告のチカラ

以前からお気に入りのウェブマガジンのご紹介。

ツイッターでフォローしたらすぐダイレクトメールをくれたgreenz.jp

世界最大の広告の祭典といわれるカンヌ国際広告祭から「これはやられた!」というソーシャル広告作品の特集を組んでます。
カンヌ2010受賞のソーシャル広告ってタイトルです。
もう6回目だけど今回も「そうきたかー!」があります。
もちろんアーカイヴも観られます。

関心がある人はぜひ観てね。
他の記事もおもしろいです。

世に言う「マーケティングとアクティビズムがぶつかるところ」に時代を切り開くカギがあるような気がします。
消費をただ促す、っていう広告から社会に必要なモノ(行動も)を喚起させるメッセージとしての広告の力に期待してます。

カンヌで金賞受賞!ってクリエーターが美大日記やムサビコムのライターさんから生まれるかもね。
ほら岡田監督も「目標をまず高く持て」って言ってたし。

アルバイトにまつわる思い出

みなさんのアルバイト事情をきかせていただいたので
ちょっと世代が違うけどここのこも思い出してみよう。

・ファーストフード(マニュアルどおりというのが性に合わずあまり続かなかった)
・レストランのウエイトレス(こっちは結構続いた)
・マネキン(試食とか勧めるやつです。ふつうは登録してるところから派遣されたけど某大手メーカーのクリスマスケーキの時は本社で説明会だったような覚えがある)
・道路交通量調査(道路わきで通る車を車種別にカウントするやつ。冬場は寒かった)
・建設現場の掃除(建築中のビルで出る廃材をとにかく袋に詰める!アスベスト、実はコワイです)
・通信教育の添削(いわゆる赤ペンせんせい)
・塾講師(小学校の時の先生の紹介で。小学生の宿題をみてあげるという感じ)
・家庭教師(一応中学生の受験とかも面倒みました。生徒にアニメの画集とか貸してあげた覚えあり)

のような感じです。
ジャスミンさんのような華やかさはないですねえ。
容姿に恵まれた友人はモデルとかもやってました。

一番の思い出は成人式の日も家庭教師のバイトだったので
うかがっていたお宅でお祝いのケーキをいただいたことです。

うれしかったなあ。

反対に社会の裏側を知ったバイトといえば

・電話帳にある番号を片っ端から掛けて個人情報を聞き出す

というようなモノもあったということでしょうか。
ここのこは世間知らずだったけど「同窓会があるので○○さんの現在のご連絡先を教えて下さい」
というウソはやはりつけないなと思い、半日で辞めて帰った記憶もあります。

20数年前ですがそんなことはもうあったんですね。

明日食べるモノがない!という状況ならそれもやってたかもしれないけれど
とりあえず「こころが痛いな」と思うことでおカネは稼がない方がいいと今も思います。

思い出話でGO!

サッカーW杯、日本代表は試合結果は残念でしたけど
何かすがすがしかったですね。

外野の評判に振り回されないで信じる道を通すところとか
(岡田監督の会見で言ってた「私たちは何も変わっていない」というのがかっこよかった)
PKを失敗した駒野選手をみんなでサポートする姿とか
(弱いモノをいじめてウサを晴らすというのと対極!)
こういうところは見習いたいなと思いました。

実はここのこの通ってた高校は当時はサッカー部が強く
かつてはTVアニメのモデルにもなったことがある学校でした。
そういう学校なので
担任はサッカー部のコーチでトヨタ杯(当時のクラブ世界選手権)のチケットを
売りさばかなきゃいけない事情もあったのでしょう。
「チケットよろしく!」というので国立競技場にマラドーナの現役選手時代を「すごー!」などと見にいった覚えがあります。

で、サッカーで思い出した高校にまつわる話。ここからが本題。

この高校は公式の美術部はないのになぜかりっぱな陶芸部があったりしたちょっと変わった学校でも
ありました。
部名は「どろんこ」。なので卒業後も陶芸の道に進む人もいたようです。
ちなみにここのこは入ってはおらず、吹奏楽同好会というところでトロンボーン(第3!)
を吹いてたのでサッカー部の応援などにかりだされておりました。

当時新任だった美術担当の先生から
「定年記念にオレの教えた歴代卒業生の作品展をするから何か出す?」と
連絡があったのは2009年の春。

公立高だけど異動なく定年まで勤め上げた先生は
「毎年美大には数名ずつ放りこんできたのでプロになったのも結構いるし。
定年記念に念願だったみんなの作品展やりたいの」などとおっしゃる。

「私らの頃は受験指導とかなかったじゃん!」(彩○舎という画材店のやってる予備校に行く人が多かった。高校の美術の講師がそこでも講師をしてた)と今はイラストレーターになった友人と愚痴ったりしたのですが
1回目の「卒業生による作り手たち展」にはここのこも出品したのでした。
ちょうどPの入学式と時期が重なって搬入にも立ち会えたし先生にもお会いできて
楽しい思い出になりました。

2010年の今年も4月に第2回がうらわ美術館で開催されました。

来年もたぶん開催されると思うのでその時はみなさまにお知らせします。

教えた生徒たちがプロの作家になったり、アマチュアでも作品造りを続けていて
ジャンルがいろいろな作品を持ち寄って美術館で作品展をしたり、思い出話で懇親会ができたり
するのは教師としてはうれしいことだろうなあと思ったりします。

あっもちろん先生は作家としての活動もされていて
彫金ででかいゴジラみたいなの(龍らしい)とかも造っているのをネットで見ました。

昨年亡くなった忌野清志郎さんが日野高校出身で美術部の顧問の先生への愛を込めた歌に
「僕の好きな先生」がありますが
こちらの先生も卒業生で作品展をされていて部員じゃなかった忌野さんも出品されていたと聞きます。

そして何より
Pが高校時代お世話になった美術の先生とここのこが教わったこの先生が
芸大時代同じ専攻・同期でよく知った仲だったということに人の縁の不思議さを思うのです。

at 08:31 | Category : | Comments (2) | Trackbacks (0)