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【そろそろ】美術教育はなぜ必要か【この話題も飽きてきた】

いやぁー正直言ってこの話題そろそろめんどくさい。
いくら書いてもまとまらねーんだもん。(←それは自分のせいとしか・・・・
薄々お気づきの方もいらっしゃると思うがだんだん何が言いたいか分からなくなっている。
 
あとね、教育を語るのは簡単なんだけど、語る上ではやっぱり教職課程で習ったことを
ブログで説明する必要があるんですよね。
4年間かけて習ったことを数日分のブログに、かつ私の言葉で分かりやすくなんて、
レポート書くよりめんどくさいことに気付いた。
 
そんな訳でたぶんタイムリミット迫ってなければ絶対書いて無いであろうこのシリーズ。
教師が『めんどくさい』っていうことほどタブーなことは無い。
 
私が教師にならなくて本当に良かった。

そんな事を再確認できたところで、今回でこの長いシリーズも終わらせたい!ということで
今回は早速本題に入ります。 
 
 
過去の日記はこちら↓↓
その1
その2
その3 
その4
その5
 
 
 
教育の意義を語る上でキーワードになる『生きる力
実は一番『生きる力』を培うことを重視した教育というのが『ゆとり教育』と呼ばれるものである。
 
ゆとり教育については手羽さんも語っているので読んでくれ。(こちらからドゾー
 
 
ネットだと絶賛ゆとり世代みたいに扱われる私(22歳)は、
実は『ゆとり以降世代』であり、詰め込み教育も、ゆとり教育も受けたある意味とばっちり世代、
教育を語るうえではおいしい世代である。
 
 
そもそもゆとり教育ってのは、かつての詰め込み教育(知識・技能つけるだけの教育)の反省から
 
学校で学んだ知識、技能を活用する能力にかけている!!
それじゃ生きる力(社会に出て役立つ力)にはならん!もっと確かな学力をつけようぜ!!!

(例・因数分解はできるけど割勘の計算ができない、学校の英語のテストはできるけど喋れない・・・など)
 
ということで『もっとゆとりを持って学んだことを使って考える授業をしようよ!』
というノリで生まれた教育方法である。
※私もこの『ゆとり』ってネーミングが失敗とか言われるそもそもの原因だと思う
 
 
私が義務教育を受けている時に感じたゆとり教育とは、単に休日が増える。
総合とか言う名の暇つぶし時間ができる。絶対評価とかいう馬鹿に優しい成績のつけ方になった。
・・・・そんぐらいの変化だとしか思っていなくて、そんな意図があったと知ったのは
大学入って教職の勉強をしてからである。
 
まぁ〜私の中でそんぐらいの感覚だったということは
本来の目的である『応用力』に欠ける授業展開であったことは否めない。
 
 
でも、それは私たちの時は移行期間だったから指導方法の解釈にブレがあったから(だと信じている)ので
『ゆとり教育は失敗だった!』とか発案した人達が言っちゃうのは、
なんだかドクターゲロに人造人間にされた18号達の気持ちになってしまうよね。
勝手に改造しといて私達は失敗作ですか・・・・みたいなさ。
 
 
そんな訳でどうやって美術で応用力を育てるかって話なんですけど、
美術においての知識・技能というのは、他の教科とは違って
 
こういうやり方もある
 
ということを頭の隅におく必要がある。
 
 
例えば物を立体的に描く方法としてパースの仕組みを教えるとする。ここで教師が

パースを利用して対象物の絵を描きなさい
 
という授業で終わってしまえば、
それは数学の公式を教え、それを使って文章問題を解くのと一緒。
  
それでは美術の本質を学ぶことはできない。
美術という教科ではそこまでがパースを利用して絵を描くことができるという“技能”なんです。
 
 
美術においての知識・技能を活用するということは、
 
物に奥行きをもたせるにはパースを正確に描くことが必要だ。
でもパースをつけずに表現することもできる。あえてパースを無視して物の本質に迫った人もいる。
じゃあ君ならどう表現する?

 
となって初めて知識・技能を活用しているといえるんだよね。
ここまで来ると美術が『鉛筆使うのって良い気分転換♪』のような面白さではなく、
ちゃんとした学問としての面白さになる。
 
あと、技能が伴っていない子でも表現したいことがしっかりしていれば
それをちゃんと評価できる。(絶対評価の考え
 
でも授業数が少なくて、ここまで教えられないのが現状なんですよね・・・
 
 
美術で学べることを大雑把にあげるとすれば、
ものをよく観察し、それに近づけるための表現を工夫したり、
言葉で表現するのが難しいことを言葉以外の媒体を利用して表現したりすること。
それから作者の意図を考察し、その良さを鑑賞すること
・・・・・と私は考えてます。
 
 
 
これって社会に出て間違いなく必要な能力だよね!?(例はめんどくさいから言わないけど
 
 
 
本来美術教育って現在求められている本当の意味での学力を育てるのに、
最も判りやすく適した教科だと思うんです。
ゆとり教育もそうだけど、その題材を生かしきれてないのが今日の教育の問題であり、
今後の課題なんだと思う。(教員になる人は頑張って下さい!
 
 
他にも理由はあるんだけど、
とりあえず『生きる力』に基づいた美術教育の意義の考えはこんな感じです。
 
 
 
最終的に私は、美術教育によって『美術って面白い!』ってことを知って
色んな作品を見て欲しいと思っています。
 
 
たとえば以前レポートした医学と芸術展とかに足を運んでみてほしい。
 
そしてあの展示で“資料”と“作品”を見分けられる人になって
(私はあの展示を資料、風刺作品、美術作品の3タイプに見分けてるけど)
 
美術教育によって、展示されている美術作品を見て
『生きるって何だろう?死ってなんだろう?』って考えるような人達が増えてほしい。
そうすればきっと平和な世の中になるだろうし、そんな社会を私は望んでいるのです。
 
 
 
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・・・・とまぁこんな感じでまとめてみましたが、
せっかく伏線張ったのに、今回でまとめようとしたら全然生かせなかった・・・・
正直この回だけ読めば良いんじゃ・・・・・まぁいっか。
まぁそういう無駄な伏線も、1000人に一人ぐらい心に響く人がいるかもしれんしね。
 
 
結局のところ手羽さんの話とほぼ一緒になってしまった。まぁつまりはそういうことなんだが・・・・・げふん。
 
  
なんか私が言いたいのこれだけの話だっけ?
っていう消化不良に物凄くおそわれてるんだけど・・・・・まぁいっか。
 
 
ちなみに『まぁいっか』も教師にとってはタブー。
 
こんな適当でめんどくさがりなウッカリ者の私が教師にならなくて本当に良かったと思う。

さて、次の日記でラストだぁーーーー!!!!(あれ、今日もしかして3連続更新?

投稿者:4wd : 2010年03月31日 03:46

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コメント: 【そろそろ】美術教育はなぜ必要か【この話題も飽きてきた】

私は58歳の男性です。高尚な難しいことは分りませんが、ちょっと自分のことを書かせてもらいます。

小学校まではなにやら画いて遊んでいました。中学になると遊び時間になってしまい。美術の時間不要論者でした。以来描く事のない人生を送ってきました。

仕事で模写のテキストを製作することになり、自分もやる羽目になりました。
このテキストは面白かった。試してもらった小・中学生が自慢げにみせてくれた気持ちが分ります。

ふる〜い美術授業で参考にはならないでしょうが、私の習った授業は大切な『描ける』ことを欠いた、『描く』ことを要求する授業だったように思います。

今は時間があるとスケッチブックをもって鉛筆を走らせるようになりました。
描いている時は集中して自分と向き合い、できた絵は相変わらずへたくそですが、そこにはお弁当の味、途中で降り出した雨などが思い出されて喜んでいます。写真とは全然ちがう思い出がよみがえります。

このような人生に潤いを与えてくれる崇高な授業だったんだと教えてもらいました(もちろん人とのコミュニュケーションにも描くことは言葉以上のものがあります)

描く楽しさをいくら口頭で説明しても人は理解できません。
友人にこの話をする時には必ずこのテキストをやってから、美術の授業が必要かどうかを語れ!と言ってやらせます。

一番は本人自身が描くことだと思います。
ほとんどの人にとっては、こんなテキストを使う授業も必要なのかも

テキストはホームページに紹介してあります。(最後はC.M.でした)
http://www.kitanet.ne.jp/~san/

投稿者 向成貢一 : 2010年06月28日 19:14

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