リアルでギリギリな美大生の日常を・・・ (※微妙に非日常系日記)
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商業的アート
草間彌生がデザインした携帯電話をご存知だろうか?
auのiidaシリーズから草間彌生が手がけた携帯がなんと1台10万円で去年発売された。
ガンダム携帯なら買うマニアもいるだろうが
10万円もするこの携帯をいったい誰が買うんだと学校でよく話題になっていたのだが
この前テレビを見ていたら、かばんの中身チェックみたいなコーナーでなんと、
よく見るけど名前が分からない女優さん(若そうで歳いってる人)がこの携帯を持っていた。
『この携帯かわい〜でしょぉ〜ハンドバッグの形してるんだよ〜〜』
といってベッキー達に見せびらかす様子は
女子高生がデコった携帯を見せびらかすのと何も変わらない。
草間のインタビューによると
このハンドバッグの中にはきらびやかな愛と、大いなる人間愛、生と死、病が詰まっているのだという。
草間の水玉の中には、宇宙やら平和やら愛やら色んなものが込められているらしいが、
デザインケータイという媒体でそれが伝わることはほとんど無いだろう。
なんだろうこのもどかしさは・・・・・・
さて、以前デザインとアートの違いは何だと思う?と、数ヶ月投げっぱなしになっていた日記に
やっとつながるワケです。(四輪駆動、春のラストスパート第一弾
1年のときは最近のポップアートを見ていたから
デザインとアートの違いをしっかりと説明できなかったのですが、
まぁ色々考えた結果はこうだと思ってます。
需要が無くても成立するのがファインアート。
需要があって初めて成立するのがデザイン。
空くまでも私の見解です。言葉の境界線なんて曖昧なものだし、考え方も十人十色あるでしょう。
でも私は一番これが説明しやすい気がするのでこの考えで定着しました。
yukihahaさんがコメントで
>大量生産できるのがデザイン、大量生産できないのがアートって最初考えたんだけど・・
>でも版画は?って言われると?アートでも原画と量産品もありますか・・
>デュシャンの「泉」なんて大量生産品が「アート」って主張したわけだし。
と言っていましたが、デュシャンは作家が『これがアートです』と言ったものは
便器でもアートになってしまうという可能性を示唆した作品であり、
デザインがアートになることだってある・・・っていうアートなんです(ややこしい
だから例えばカッコイイ椅子、座りやすい椅子はデザイン。
絶対に座ることができない椅子、反戦を訴えた椅子ってのはアート。
あと、版画で言うと原画を作る人はアーティストで間違いないんだけど
刷り師の人はアーティストでは無いよね。
そこで疑問になるのが、話は戻って草間さんの携帯。
彼女は紛れも無く日本を代表するアーティストであり、ドットの作品はアート作品だ。
しかし、この携帯は彼女がアート作品として発表した訳ではなく、
草間さんの作品をモチーフとしたデザインなのだ。(更にややこしい
私はそれを商業的アートって分類している。(もっと良い言い方があれば募集します
うちの母はアートは崇高なもので、デザインはクソっていう考え方だから
村上隆のような商業的アートをまったく認めてない。
ってか美術界でも村上隆とか嫌いな人多いよね。
まぁ金儲けしすぎ感は否めないし真面目にアーティストやってる人は良い気はしないだろうなぁ〜
でも画家が貴族のお抱えであった時代や、ミケランジェロが嫌々描いてたのを考えると
自然な流れっていうかそういうジャンルがあって当然だと思う。
だから私は別に、草間の作品を見て単純に(奇想天外なコンセプト抜きにして
『可愛い!この携帯欲しい!』とその女優が思ったことに対し、
アート作品としてのもどかしさは感じるが、それはそれで良い思うし、
それがきっかけになって美術に興味もってくれたら嬉しいなぁ〜とも思う。
今の時代、アートって直感的なものになりつつあるし
作品を見てコンセプトがどうとか、どこが素晴らしいとか説明できなくてもとやかく言う気は無い。
私が一番危機感を感じるのは
桜の写真を撮るが、そこに感動はあるのだろうかみたいなこと。
本気で可愛いと思えばそれで良い。
だから女子高生よ、デコるならとことんデコれ!!
それは立派なアートにつながっていくのだから!!!!
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いやぁ〜説明が難しい。ちゃんと伝わってるのかな・・・?
むしろまだ自分で解決してない部分があるのかも。
つーかアーティストだって金儲けしなきゃ生きていけないんだからそういう考え方があっても仕方ないよね。
だから純粋なアートを楽しめるのはやっぱり学生の間だけなのかも。
あと、"あれ”以外で投げっぱなしのやつありましたっけ?