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私が浪人しているとき(ちょっと長い)

ハイ。受験ネタ第3弾!!ぶはは!(この調子で夏休みVer(受験ネタ)でかいていきます)

二つ前の日記で

予備校でのことについて書きました

コレね。

もう、本当に、受験生の涙って、

一緒につらくなるんですよペロリは。

未だに思い出してね、ふわわぁー!ってなります。

前々回のQちゃんとは別の、書いてないけど、X君の「もう本当にヤバいっす」の涙は

ペロリにも痛い程伝わって来ました。

ペロリ自身が、そういう受験生のために何か出来んかなと

かんがえるようになったのは

紛れもなく、ペロリ浪人時代に同じように

この先生(学生)に会えてよかったと思える人が2人もいた訳からです。

今日はその先生方の話をしたいと思います。

ペロリは、とにかく色彩構成が苦手でした。

現役生のときもそれがネックで

(ていうか前予備校が夏からしかしなくていいスタンスだった・・・ガビーン)

ものすごく色彩構成に苦手意識がありました。←これ前提として読んでね。

まず、ペロリの第一志望校に3浪もして受かったT先生。

この人は本当にまぁ3浪したのは何故か知らんけど

すっごく姿勢が徹底的というか、自分に厳しい姿勢に随分憧れました。

ペロリ、ペロビにくる前、

つまり現役のときは地元の名も無き予備校(ペー3アートスタジオと称す)に通っていて

夏の講習会だけペロビに来ていました。

そのとき初めてT先生にお会いして、勝手にファンになって

浪人したあとペロビに通い出して、また講習会でT先生とお会いしました

T先生はとにかくハイセンスというか、

かっこいいものを多く集めていて、自分のスタイルというものをしっかり持っている人でした

もう、もちネタ勝負って感じで

後から他の先生に聞くと、入試前なんかはその一つのネタばっかで

いろんな画面を作っていたと聞きました・・・・

ちなみにその先生の自信はそのまま教授に伝わったようで

その年の入試参考作品になってました・・・

そんな先生が、夏の講習会で、ペロリの作品にちょいちょい手直しを加えてくれて

ペロリの記憶の中で一番印象的なA評価を頂いた画面になりました。

また、ペロビに来て、ペロリ色彩、最初の参考作品になったのも記憶してます

とにっかく、半分以上T先生の力だったけど

ペロリのでも参考作品にして頂ける日がくるんだ!と

大きく自信がついた瞬間でした。

その指導が、もうほんとうに、今思い返せば

一つ一つが的確で、その当時も思ったけど

「こんな風に私もなりたい」と思いました。

あと、T先生が自信たっぷりに「合格作品に載るのもちょっと頑張れば大丈夫☆」と

強気で語っていた姿に、うおぉ!カッケぇ!と後ずさりしたのも濃い記憶(笑)

授業外に大学のことを質問しにいくと

とにかく「楽しい」という話をわざわざ時間をとって話してくださり

「この人と同じ大学に行きたい」と素直に強く感じたのを覚えています。

T先生はちょっと辛口だったけど、すごく、T先生のオーラに混じる

大学生キラキラが、ペロリに「こんなとこ早く出たい。早く大学生になりたい」という

気持ちをいっそう強くさせたのでした・・・

そしてその気持ちが後のペロリに頑張らせたのだと思っています・・・


ハイ。そうして、もう一人のK先生。

このね、K先生ってのがね、非常にペロリになくてはならなかった・・・

前にもちらっと書きましたが、ペロリは現役生のとき、の予備校内(ペー3アートスタジオ)で

なんとなーく、「受験全力で立ち向かおう」グループにいまして(4人ぐらいだけど笑)

その4人のうちペロリだけが浪人・・・

いつも、一緒に戦っていた友だちだけどライバルのような人達が

志望校または滑り止めにホイっと受かっていき、

(ちなみにペロリ滑り止めは受けてないw)

そのことがペロビにきてからも気づかないうちに

ずっとペロリの心のどこかでくすぶっていました。

もう、本当にね、

今だから言えるけど、本当につらかった!

ペロリが一番行きたかったところに、一番行ってほしくないライバルZが

参考作品にまでヒョイとのっちゃって(これ今思えば全然大したやつじゃないんだけど笑)

とにかくそれが超悔しくて

予備校内では勝ってたのに!と何度思ったか。

でも後気づくのです。

自分がいかに小さなフィールドで戦っていたかってことをね・・・

そのちょっとずつ気づいて行く、現役生の頃の自分への後悔にも

いつもぶちあたって、でも周りに共有できそうな人もいなくて

それもどうにか自分一人で発散していました。

で、あそうそう、K先生。

この方が、いや、この神が・・・

いちいちすごくペロリに元気をくれた訳ですよ。

K先生も浪人されてからの大学1〜2年生だった訳で

受験のことを身近に感じているというか。

しれっと、今書いたような、ライバルが参考作品のりやがった、悔しい、みたいな

ことをボソっと言ってみたら

一緒にその作品を見てくれて、その作品をケチョンケチョンにゆってくださいました(笑)

これがね!ペロリの心の奥底の毛玉をするするっと紐解いてくれたような!

ペロリはそれまで、どうして参考作品が参考作品として取り上げられているのかを

よく考えずに、「はぁーんこういうのが受かるのかぁ」と思って見ていましたが

K先生いわく(はしょってるけど)、ライバルZの画面は

「全然かっこよくないし色々こうこぅ失敗してるけど、

問題文そのままって感じで、かなり単刀直入に問題に答えてるとこが気に入られたんじゃない?」と

結構真面目にペロリの前で分析してくれました。

これがね!けっこうね!ペロリに直球ストレートでバシィン!ときたわけですよ。

ペロリね、そのライバルzの作品を見ても、

何でコレが受かったのか。全然かっこよくないし、真似したくもならんしと

ハテナ ハテナ ハテナ の沼にどっぷりはまっていたのでした。

それから空いてる時間に2〜3回ほど、K先生に一緒に他の資料も見てもらうようにしました。

コレがね、もう効果抜群だったよね・・・

やっぱ受験突破した人の目は、ぐちゃぐちゃ悩んでいる自分の目とは全然違う。

ぼんやり輪郭を捉えずにやってきていたことが、

先生という人間の視点を加えるだけではっきりしてくる。

眺めているだけだった参考作品や資料が、みるみる光を増してきたというか

やっと意味あるもんに変わった訳です。

よくわかんないまま色彩構成を、うーんうーんと頭を抱えてもがくように取り組んでいたけど

そのK先生様との時間を越えてから、飛躍的にペロリの色彩構成は

見れるものになっていきました。

ホントに、自分でも分かるくらい、掴めて来たなって。

ホイホイ取り組めて、楽しくもなっていきました。

夏の段階で色彩うぇい!となったので、その後のスランプはあったけれど

どうにかこうにか合格できて、ココでこうして日記なんぞかいていられる訳です。

そしてこの神K先生は、シフト期間中、毎日講評後に居残って書き直しているペロリに

声をかけてくださったのです・・・!

うおおおああああ 涙目(思い出し泣きしそう)

それは、どうでもいい内容だったこともあったけど、

そういうのって大事なことだと思うのです。

ペロリ自身が気づいていない長所とかも言ってくれて本当にためになりました。

「この先生!いい人だ!あえてよかった!」と、当時の日記3p分も書きました(笑)

K先生は、シフトの最終日に、生徒一人一人に声をかけていました。

その日の講評では、K先生は他の生徒のには一言言うのに、ペロリの作品には何も言ってくれませんでした

いってほしかったのに!いってほしかったのに!と思いながら

書き直しをしていたら、だいぶたって、K先生が「受験頑張ってね。頑張れるよね?自信もってね!」と

声をかけてくださって、ペロリ、まだいっぱい聞きたい事がありました

けれど、ペロリの浪人生活で家族以外にそんな言葉をかけてくれる人はいませんでした

家族だってそんなに暇じゃないし・・・

「ハイ」

と返事するのがいっぱいいっぱいでした。

そのあと、トイレで泣きました・・・(このへん青春だー笑)

浪人中は本当につらかったけど、T先生やK先生に会えて嬉しかった

言葉をかけてもらえてすごく励まされた

大学生に早くなりたいと思いました。

そんなことがあって、

T先生やK先生にはまだまだ全然及ばないけれど

受験生のために、後輩達のために、何かできないかなと

毎年毎年夏に悩んで、できるだけ厳しく、たまに優しく

今年も真っ直ぐにぶつかってきたのでした・・・・。

受験生の皆様、他人事に聞こえて嫌だけど

がんばってね・・・・

投稿者:perori : 2012年08月22日 23:48

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