この黄色い粉のようなあなた

FOR ME


絵を描いていてふと思い出す。
僕の絵描きのお供は、アクリル絵の具と、250色のパステルだ。
このパステルは祖父からもらったものだった。
たしか、あれは小学生か中学生のころだ。
絵を描くことが好きだった。
今よりもっと
単純でわかりやすくて、純粋な意味で。


どういう結果をだしたとか
どんな素晴らしいものをもらったとか
そんなこと抜きにして好きでいてくれた人が
気づけば当たり前のように傍にいて
それでいつの間にかいなくなっていた。

祖父は僕にパステルをくれた。
祖父は絵を描くのが好きな人だったから
きっと大切なものだったろうに
キャラメルをくれるのと同じような調子で手渡してくれた。
僕はそれを大して使わないままホコリをかぶせて
つい最近それをひっぱりだしてきては使っている。

大事になんてつかわない。
思い切りすり減らす。

めずらしい淡い黄緑色も
大好きなサーモンピンクも
ためらうことなく使ってしまう。

色相の順に、綺麗に並んでいた色はいつの間にか大幅にずれていて
鮮やかなえんじ色と少し濁った茶色の隙間に、色淡い黄色が紛れ込んでいたりする。

それでいいのだと思う。
湿っぽいことは言わない。
大して深い話をしたりなんてしなかった。
ただ、母とも父とも弟とも話したくないときがあって、
そんなときは、家の中でいちばん空調の良い祖父の部屋にいって まどろむのが好きだった。
祖父は気難しい人で
家族からは敬遠されがちだったけど、僕は好きだった。


そんな乾いた記憶を、
それでいてやわらかな
この星を描いた蛍光色の黄色のような
パステルの粉のついた指に
その色に
その感触に

思い出すのだ。

こんなありふれた夜に。


オトギ

投稿者:fantasy : 2012年06月08日 23:18

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コメント: この黄色い粉のようなあなた

長野で孫にパステル絵の具を与える方がおるんだなあ...

わしの親族はみんな無骨でなあ。

祖父は戦前に亡くなっていて、祖母も小学生の頃に他界した。

叔父で残っているのは、末っ子の特攻隊あがり。おっかないじいさんだぞ。法事のときは先祖代々の墓の前に整列されられて、整然と線香をあげないとおこられるんだぞ。

投稿者 音量子 : 2012年06月10日 00:17

そういうお話を聞くと、僕ってほんとに平成の子なんだなあ
っていよいよ思ってしまいますね。(笑)
僕は長女なんで、ほんとに甘やかしてくれたみたいです。

でも、そういう厳しい親戚というのにもあこがれがありますよ。
そうしたら もっと違う考え方をするようになっていたのかもしれないなあ
って思うのです。隣りの芝は青いのです。

投稿者 オトギ : 2012年06月10日 23:17

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