身体が7つあれば。

卒業制作展
やはり楽しいです。
去年のように衝撃的な印象は受ける作品にはあってないのですが。
見れなかっただけかもしれないです。泣
 
でも面白いなー。っていう作品はいっぱいありました。
卒制見てると焦ります。
去年なかった感情が沢山の何かを生み出します。
 
もう三年生?めいっぱい活動しているつもりなのに
まだまだやらなきゃ行けない事が沢山あります。
 
焦ります。
焦り故に
もう就職活動ポートフォリオができかけ・・・
去年の芸祭の引き継ぎ資料が出来てな・・・
 
社会的に今考える事は沢山あります。
大学生として考えていかなければならない事も沢山あるし
同時に
美大生として考え、熟考して。
社会にどうつなげていくのかを考えなくてはいけない気がします。

26日、スイス、ダボス会議で日本は温室ガス削減を国別総量目標設定を主導していく決意を表明しました。
同時に日本自身も具体的な数字(温室ガス総量)を決め目標を掲げる事を初めて国際公約しました。
福田首相のダボス会議での講演は、新聞を読む限りではものすごいうまいなと感じました。
ってあたりまえか。国家の元首だもんな。
これからどうやって世界が日本が自分たちがこの問題に取り組むのか。身構えないとね。
準備運動くらいみんなでしときましょうよ。
 
まだまだ今は受け身になってる日本政治形態ですが
政府が先を見ても、人間、今が大事です。
受け身にならざるをえないところがある気がします。
 
ではどうやってかえていけるのか?やはりここは我々のアートに関わる人間の出番なのではないでしょうか。私は美術畑の人間になってしまっているので客観的に相対的には見れませんが、今の社会、強いエネルギーを持っている人は特にアートに関わっている人が多いと思います。戦後GHQによる日本解体後、アートの占める位置がかなり下回ってしまった気がします。それまでの歴史、日本史を見てみると国を動かしている人というのはそれなりの教養に加えて必ずそれなりの美的センスをもっていた気がします。勝手な解釈ですが、日本の優秀な部分、世界の脅威にならないところをGHQは解体しました。つまり思想もそうですが、美術、アートもその一つにあげられるのではないでしょうか。
普段から自分の哲学と他の価値観とより多く触れ、触れ合えるアートの世界は、日本社会により柔軟な考え方をもたらし、さらによりよい世界を造り出していけるのではないのでしょうか。
 
最近で言えばロバート=メイプルソープ氏の写真集の裁判とか有名ですが
今の日本の価値観というか常識としてアートではなくわいせつだと判断してしまうひとが沢山いるということを表しているのでしょう。
勿論裁判になり最高裁までいっている問題とすれば日本の常識がどう判断されるのか楽しみですが。
世界から見た日本はどう映るでしょうか。
アートの定義は人それぞれ違いますが。。。
今の日本社会の常識としては裁判になるぐらいの常識なのでしょう。
 
美術教育への疑問を叫ばれる中、それぞれの地域におけるパブリックアートがいい感じで進んでいると思います。まだまだ個々に動いているにすぎませんが、これから繋がりを持ったとき日本の中でものすごい力を発揮してくれるんじゃないかと、今から楽しみにしています。
社会的にみて、個々の地域から変わろうという強いエネルギーが存在すれば時間はかかれど日本はかわっていくのではないでしょうか?具体的に先をいく人達が今頑張っています。その努力を糧に私たちも頑張っていかなきゃいけないなと感じます。たとえ直接の関わりを持たずとも、夢をもって希望を持って次の世代に繋がる社会を形成していかなきゃいけないと、強く感じます。
 
と考えると。大学在学中にやらなくてはならない事がまだまだ沢山あります。身体が7つくらい欲しい年頃です。

投稿者:yasutaka : 2008年01月27日 14:49

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