蠍の心臓

こないだ八王子でやっている「たむらしげる展」と、
サイエンスドームの銀河鉄道のプラネタリウムに行ってきました。
どちらも今月の16日までなので。
よかったなあ……プラネタリウムまた行きたいな、今度はちゃんと銀河鉄道を読み込んでから。
サソリの逸話すごかったなあ……あともう、映像を見てから文章を読んでるのでとてもイメージがしやすい。
来週の月曜から金工の研修旅行で岩手に行くので、ついでに花巻も寄ってくるつもりです。


そうそう、それから最近ひしひしと感じてることなんですが、立体造形向いてないのかもなあって。
好きか嫌いで言ったら好きなので勉強しているんですが。
ただ、工デの勉強、いわゆる立体表現の他に文章だとか写真だとか、
そういう他の表現手段をかじったおかげで薄々感じていたことを明確に実感したというか。
比較対象ができちゃったからこそ実感してしまったのかもな。

もちろんデッサンとかの基礎修練が足りてないから表現手段として不自由なのだし、
10年やってない小娘が何言ってるんだって話ですけど。
向き不向きを語るなら10年やってから言えって話だもの。

あのですね、私は思考において第一言語として使っているのが「文章」なんですね。
美大って、思考における第一言語が絵とかイメージとか線の人がけっこう多いんじゃないかって思うんです。
なんというか、紙と鉛筆を与えられたらもくもくと絵を描き始めるような。
でも正直なところ、私は真っ白な紙と鉛筆を与えられたらどうしていいのかわからなくてひるむタイプです。

例えばだけれど、何かの景色を見た時私が真っ先に考えるのって「文章として描写したらどうなるか?」なんですね。
たぶん、立体表現向いてないなというか違和感があるのはそこの齟齬なんじゃないかなーと思う。
思考パターンと表現手段が一致してない。だから自分で「やれる!」って実感を持てるくらい上達するには、
思考における第一言語を文章ではなく絵や立体図や線など「イメージ」にすることが必要なのではないだろうか。

こないだの吉原通いの話だけれども、あれも立体にしたらどうなるか?絵にしたらどうなるか?
という観点ではなくて、文章描写をするならどうなるか?って思いながら聴いてました。

男は妻や許嫁をある意味では裏切って吉原に春を買いに行くんですね。
川のたもとに植えられた柳に女の恨みの乱れ髪をちらと思い出し、
後ろめたい心持ちを覚えながら吉原に赴くわけですが、それにあたり
経験したことのないような、右も左も覚束ない真っ暗闇を一人乗りの舟で静かに進んでゆくんです。
そういうことを文章で描写したらどうなるかな、っていうのが私の思考パターンです。

ただ、向いてないなと思うなりには二年の後半から専攻に分かれてやってきて、
少しずつだけど技術が身に付いてできることも増えて、そういうところに面白さを感じてるのです。

美術予備校でデッサンを習った経験から、
出来なさすぎワロスwwwwwwwとね、草を生やしたくなるくらい出来ねえと思ってても
修練すればある程度まではいくんだなっていうのは分かったし、(まあわたしデッサンすごく下手なんですけど)
立体をやったおかげで他の表現手段でもできることが増えたなっていう実感もあるので、
だからこそもっと立体やりたいなあという気持ち。やっぱり好きなんだよなあ。
今苦しいのはたぶん壁にぶつかっているからなのでは、って気がする。

卒制どうしようかな。

投稿者:solegasi : 2012年07月05日 22:36

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コメント: 蠍の心臓

何事も経験を積み重ねるほど、見えてくる世界は変わってきますよね。

投稿者 ダイエット@吉野 : 2012年07月10日 23:19

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