Search



TOPページへ

全エントリーの一覧へ

Syndicate this site (XML)

Powered by
Movable Type 3.21-ja

template by tokyobuddha

ムサビコム

QLOOKアクセス解析

行ってきた!九州豪雨の災害ボランティア2

どうも!夏休みの方が更新サボり気味になるペロリです

いかんね、ネタはめちゃめちゃあるとゆーのに

はい、八女の続きでございます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2日目、朝9時に送迎バスに乗ってボランティアセンターへ。

その日はペロリネロリ含め男女3人ずつの6班になりまして

車で活動場所へ移動。

道中同じ班だったカヨさんという同世代の子と知り合う。

このカヨさんがまた、出身は八女の方で今は筑後に住んでいる方で

これまたコテコテの筑後弁であるのだ。

ペロリ自身方言をしゃべる身であるのに

コテコテの筑後弁おもしろいなと観察してしまう自分がいて、

ペロリが大学1年生の入学ホヤホヤだった頃、

周りの人もまたこんなふうにペロリの方言をこんな気持ちで

聞いていたんだな、と気づくことがあった。

1日目と比べれば全然近くて(それでも車で10分くらい)

川沿いにある、お年寄りの家!って感じの日本家屋についた

3世代分か、3世帯の家がくっついていて本当に大きなおうちだった

(ここに画像予定)

ここにシワシワのおばあちゃんが一人。

挨拶をして、女性陣は中の掃除ということになった

前日に泥かきなど、大変な作業はおおかた終わっていたらしく

おばあちゃん一人にしては大きすぎるよといわんばかりの

大きな大きな家の中をひたすら濡れ雑巾で拭き掃除というのをやった

おばあちゃんもそりゃあもうコテコテの筑後弁なので

カヨさんの通訳がないとわからないぐらい。

早速おうちの中に入らせてもらった

女性3人とはいえど、20代の働き盛りがやるきまんまんで挑めば

すぐに掃除など終わるもんで

午後までこれも?え、これも?とボランティアではなくただのお掃除やさんになったつもりで

おばあさんの手の行き届いていないとこすべてをくまなく掃除した

おばあさん曰わく爪楊枝の、焼き鳥のくしを使って

床板と床板の間の泥をとった

客観的に見れば千と千尋の青蛙のようだ(マニぃな)

こんな広い家で、さほど風通しもよくないので

またまた凹凸の少ない顔のペロリは、

顔にあるすべての汗の穴からあせ粒が吹き出て目にはいる

セミの声だけがして、板に汗粒の落ちた場所だけ色が変わる

もうとめきれなかった水道のように次から次へと汗がしたたりおちた

あつい

雑巾も幾度となく洗い、埃や蜘蛛の巣も取り払い、

同じ場所を何度も拭いた

額縁の中には天皇陛下のお写真と、息子さんや孫?の写真が飾られてあった

昔ながらの本当に年齢を感じる柱や障子、ふすま、押し入れ・・・

男性陣は外で土木作業を延々とされていて

日差しがない分だけは、よかったんだと言い聞かせた

いえの前を通る大きな川は、岸に降りるまで30段ほどの石の階段を下りる

そんな眼下にある川があふれてきたというのだから恐ろしい

お昼はおばあさんが人数分そうめんを出してくださった。

午後になってまた作業開始。

家の中のいたるところに、豪雨の被害がみうけられた

(ここに画像予定)

ペロリの膝の高さぐらいまでの泥水の痕が

白い壁にそのときのその流れのままいくつもの流線をつけている

これがまた、どんな手を使ってもこの汚れがおちなくて

カヨさんとはぁはぁ言いながらこすったがダメだった

玄関には、それ専門の方が玄関のはがれ落ちてしまった壁を修復にきていて

午後になるころにはすごい早さで新しい壁を作っていらっしゃった

この日の活動時間は本当に長かった

そろそろ切り上げますかという雰囲気になって

ボランティアセンターに連絡をいれるも、全く迎えがこない。

その間におばあさんが当日の話をしはじめた

―雨がどんどん強くなっていき、川がどんどん水かさを増したという

ついにはあふれてきて、おばあさんは家の中から外を見ていたら

あふれた水かさもものすごい早さで上にあがってくる

すぐに浸水しはじめ、水が家の中まで入ってきたので

家のすぐ側の坂をあがって避難場所の公民館へ向かったという

公民館へ急いであがってきたので

眼鏡と携帯の充電器を持ち合わせていなかったため

ちょっと雨の強さがおさまってから、家に取りに行ったらしい

そうすると、だいたい150cmのところまで浸水していたらしいので

(ペロリの胸の位置くらい)

家の中の家具がぷかぷかういていてごった返していたそう。

その中をいろんな場所に掴まりながらざぶんと入っていき

眼鏡と充電器をとってかえったそうだ。

ここで、我々は取りに戻ったことに対して驚いていた

そのあとも全然水が引かず、その被害によって

家の外の塀が半分以上崩れていた

(ここに画像予定)

おばあさんは携帯ではつながっているものの

そんな激しい状況のなかで一人はたいそう心細かっただろうと思った

怖かっただろうとも思った

―28年ここに住んでいるけれど、こんな激しい雨は初めて

そう言うおばあさんの表情に、本当に察するものがあった。

何度も何度も頭を下げてありがとう、ありがとうというおばあさんに手を振って

活動場所をあとにする。

ボランティアセンターからはカヨさんがマイカーで羽犬塚駅までおくってくれることになった

カヨさんは駅まで直通ではなく、被害の大きかった場所の近くを案内してくれて

川沿いにある、大きな結婚式場がほぼ壊滅状態にあるところを見せてくれた

この結婚式場はテレビでもなんどか報道されたらしく

一瞬で細かいことはよくわからないけれど

この高齢化へまっしぐらな感じのこの町で

きっとみんなあそこで結婚式をあげてきたんだろうなと思うと

町のシンボル的な存在が、自然災害によって

こんなに荒れ果てた姿になったということは

どれだけ八女市の方々の心にかげをおとしたんだろう、と

考えずにはいられなかった。

八女から小倉までの帰りはもうほとんど爆睡で覚えてないけれど

行ってよかったと思える2日間だった。

自分の足で、自分の目でみてきたこと、感じてきたことは

紛れもなく事実で、一番信じられるから、

そこから、どうしたらいいか、何ができるかと考えていけるけれど、

ふつうの人より想像力があるから、という理由だけでは

メディアや情報だけをかじったというだけで知れることなんて

全体の数パーセントしかないと思う。

想像力があるから、だからなんなのと思う。

何の被害もなく、綺麗に整理整頓された便利な都市の中の

何の不自由もない机の前で、現地の方の様々な思いや問題は

想像できるはずがない。

何か役に立ちたいとか、支えになりたいと思うなら

ちょっとばかり人より多い想像力を頼りにするんじゃなくて

まずは行動だとペロリは考える。

そんな現地から遠く離れた場所で、うーんうーんと考えたって

うわべっつらばかりの本質のない援助になってしまうのではないだろうか。

そんなことをまた、このあいだの合宿のトークのと重ね合わせながら

ぼやぼやぐるぐる考えているのでした。

投稿者:perori : 2012年08月12日 20:57

トラックバック


コメント: 行ってきた!九州豪雨の災害ボランティア2

ペロリさま、こんにちは。

ボランティア、お疲れ様でした。

大きな災害があると、報道されるし、大臣がとか○○長官が、現地を視察しましたってニュースになりますよね。

でも、視察に来た大臣がスコップもって土嚢作ったとか、泥かき出したとかは聞いたことがありません。

現実的には指示を出す人だから?

天気予報を見ていても、九州って雨が多いし、豪雨の被害も他の所より多いですよね。

ボランティアの組織が整っているというのも、経験から生み出されたものなんでしょうし。

ペロリさまのレポートのおかげで、少しは想像力を働かせることができます。

家族で4日ほど旅行に行ったのですが、そこも一昨年くらいに「百年に一度」の豪雨だったそうで、
今でも、山が崩れた跡があちこちに茶色の山肌を見せていました。
山がちなところのほんとうにあちこちに。

災害に備えながら、でもそこに暮らしている人たちは、
ほんとうに、自分の住む土地を大切に思っているんだなーと、
当たり前のことながら、頭が下がりました。

投稿者 yukihaha : 2012年08月13日 09:29

yukihahaさん コメントありがとうございます。

なんか、東北のことは今もまだちょいちょい放映されますが
九州のことは0に等しいので
なんだかなあと思います

東京からの距離よりも、心の距離の方がもっとあるみたいで辛いです・・・

投稿者 : 2012年08月19日 23:56

コメントしてください




保存しますか?