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行ってきた!九州豪雨の災害ボランティア1

え〜こんにちはペロリです

九州は暑いです、毎日気温が体温程度あります

夏って避暑地に行くもんだと思うんですが

どうしよう、ペロリ、自ら好んで暑いとこいってるような!

清里から帰って実家への移動日を1日とって

そこから1泊2日で、九州豪雨の被害にあわれた地区へ

災害ボランティアとして行ってまいりました。

東京ではもう殆どTVやラジオなど情報機関によって報道されることはなくなったけど

実は九州豪雨による被害は甚大で

今でもこっちではその被害に関係ある内容が報道されている、と家族から聞いて

ペロリ、それはそれは驚いたのでした

同じ国内のことでも、地域によって情報の量は違ってくるし

被害の大小に伴って情報を流す流さないというのはどうなのかなって思う

被害って大小で計るものでもなし・・・

とにかく、これは!自分の目で確かめなくては!

そう思いました。

今回はわざわざ休暇を取っている姉のネロリも一緒にいきやした!

ハイ。今回向かった場所は福岡県内でも

ものすごく熊本に近い筑後地方。

八女茶で有名な「八女」へいきました。

ボランティアセンター最寄りの駅が1時間40分程度かかる場所

おそるべし田舎

ペロリの実家のある北九州市も十分田舎だけども

筑後っちゃあそりゃあもう大変お田舎でございました

どこらへんかというと福岡県の超絶下の方です

小倉から電車で向かったのですが

博多を過ぎてから人も減り、窓からは悠々と広がる田園風景
(父デロリ曰く、悠久の大地・・・)

久留米を過ぎるともう本当に人もまばらで

夏ーーーー!という景色に。

コントラスト強めの鮮やかな黄緑色が目の前にパァっと広がる感じ。

羽犬塚駅という場所からさらに福島というバス停まで

レトロな色遣いの堀川バスに乗る。

そこに生活する人たちの方言も同じ福岡県民とは思えない程なまっている。

姉ネロリの一番のお気に入りは「ゴルゴル日焼けする」だったようだ

会話している高校生の真後ろで物真似するのだけはどうしても避けてほしいとネロリに伝えたい・・・

ちなみに「〜けんが」「〜ばってん」などコテコテな感じに親しみを覚えつつ

地元民の通訳がほしい程、過剰に「〜と」をつけるのも特徴のようだった。

福島駅に着いてからすぐに送迎バスがきた。

続く田園風景を背景にバスは八女市の社協についた。

まず、東北と比べて驚きとういうか当たり前というべきか・・当たり前、はよくないか、な。

発見だったのは

ボランティアセンターの組織が本当にしっかりしていて

配慮も気遣いも十分にされているということだった。

本当に豪雨には慣れているのか、ボランティア募集活動体制が整っているというか

全くあわただしくなく落ち着いた雰囲気で

八女市の方は私たちを迎え入れてくださった。

受付をすませて、ペロリとネロリは9班に配属された。

この日(1日目)はボランティア全体数が多いほうだったようで

総勢200名以上の方がボランティアに参加されていた。

(ここに画像くる予定 ※実家の設備的な関係で画像アップができない)

みなさん40〜60代の男性の方々で

ボランティア募集要項が福岡県内のできるだけ日帰りで来れる方だったので

福岡の各地方から来られたガチ格好のおじさま方が多かった。

ペロリは災害ボランティアにおける、

現地から離れた、いろんな地方の人が、一つの場所を思って集まってくるという

この状況を愛しく、大切に思う。

こんなに他人だけど他人事じゃないというこの空気感を

もっとたくさんの人に感じてほしいなあ、共有したいなあと思うのである。

これは東北にいったときも思った。

ボランティアだけではなく、

日本の枠を超えて

世界中の各国から、被災地に向けて励ましや応援の声があがるというのは

じーんとくるものがある。だってほら、戦争とかやっててもその問題は別としてってことでしょ?

ゲフン。・・・話を元に戻して

ペロリとネロリがいた9班は全員で20人。

ぼらせんからさらに車に30分程度乗って活動場所へ移動。

その移動途中には、そう、固まって被害場所があるわけじゃないけど

何カ所も何カ所も土砂崩れしている場所があった。

それもかなり高いところから、山や丘?の一部がごっそり削られて

木がなぎ倒されて、なんだかスプーンで削り取られたみたいになってるのね。

また、山道へ入るときに「ここから先雨量170mm以上」との看板があって

1700mmということはペロリの身長とほぼ同じ高さまで

雨水がものすごい量降り積もったということ・・・

それって本当に恐ろしいな・・・と。

ちょっと担当の方がなまりすぎていて、自分の赴いた土地の名前がわからなかったけど

いくまでに星野川という場所を通った、のだけは見ていた・・・

初めて来た八女が災害ボランティアとしてっていうのは残念なことで

こんなに風景がきれいな場所があったんだなとおもった。

(これは東北にもいえる)

活動場所は坂道のきついだいぶ山の中腹みたいなところで

その坂道の途中にある一軒の立派な日本家屋

もう、トトロに出てくるカンタのばあちゃんそのままみたいなお婆ちゃんが

コテコテの久留米弁で「床下の泥かきをお願いします」との依頼をされた。

いやぁ〜ペロリは見入ってしまった。

日本家屋の構造の美しさに

とにかく大雨の被害を受けた床もそうだけれど

天井の梁や、土壁の作られる過程の見える壁

軒や出窓や縁側、瓦屋根そういうもの全部

いい木だなとか、すてきな作りだなとか

細かいことは全然知らないけれど

ひとつひとつをほめてあげたくなるような

しっかし語彙が少ないもんで伝わってるかは微妙だけど

ぽかーんと見ながらそんなことを思ったりした。

その昔ながらの日本の家!の側にはサルスベリの木が濃いピンクの花をつけていて

その近くに一緒くたになって大きなヘチマがぶらんとさがっていた。

泥かきは、畳を外して、木の板を外して、その下に丸太が組んであって

そのさらに下にひび割れしながらつもっていた。

(ここにも説明イラスト画像が入る予定)

それを10人10人に分かれて二部屋、

スコップで掘りあげて、土嚢袋にいれる作業

まあペロリネロリ含め女性陣は3割程度だったので

粉塵漂いまくる作業の中、女性陣は主に土嚢袋を持って支えて

それを移動させて運んでという内容がおおかった。

おじさんたちは本当によく働く。

手慣れている人も、そうでない人も、

間違っても、テレビの前でごろごろしている父デロリと同じ世代とは思えない

泥は床板の外せない床下までここかしこに入っていて

除去するのには大変だった。

手も長靴も泥だらけになりながら、おじさんたちは黙々とスコップでエイコラやっていた。

ペロリ、大人って理想と違ってダメな部分いっぱいで嫌いだけど(笑)、

こういうとき、見習わなきゃなあ、こういう風になりたいなぁと思う。

とーーにかく宙に舞う粉塵の量は異常で

当てている部分が蒸れまくる粉塵マスクを嫌々つけなくてはならなかった

真夏の九州のどまんなかでの作業ということもあり

ちょくちょく休憩を挟んでの活動だった。

ペロリとネロリは

家の側の3〜4畳くらいの手作り倉庫の陰に腰を下ろした。

倉庫の中には、社会科の資料集ですか?といわんばかりに

日本の昔ながらの日用品がしまわれてあって

レトロ〜な七輪とか、ひょっとこが持ってそうなザルだとか

竹で編んだ道具、畑用具など、時代を感じるものが多くあった。

もともと多汗ぎみのペロリは

この炎天下の中での重?労働は

ペロリの顔面の汗を一層噴き出させる

凹凸も少なく残念な顔のペロリは

大量の汗が目に直輸入(響きだけで書いたので意味不明)

はいりきれない汗が地面にぽたぽた流れ落ちた。

お昼時になり、おばあちゃんが自宅の一部を開放してくださり

お台所で手を洗わせてくれた

そのお台所がまた・・・!

トトロの、サツキとメイが初めてまっくろくろすけを見る場所のような

ふる〜くて余計なものが一切ない台所が目に飛び込んできた。

こんな電子機器の発達した時代に、こんな台所初期みたいな炊事場を使ってる人が

まだいたんだ!と感動した。

水場は石にタイルが敷き詰められていて、包丁は完全手作りの木の枠にさげてある。

そうじろじろ人の家の中をみるもんじゃあないけど

目がキョロキョロしぱなしだった。

おばあちゃんはそれはそれはザおばあちゃんで

差し入れにスイカを切ってくださった。

そのスイカが今までに見たことないくらいあざ〜〜やかな赤で

すごく彩度が強く、甘く、よく熟していて、目に焼き付いた。

立派な日本家屋

午後も作業は続いたが皆さんのがんばりもあり、

予定より1時間半程度はやめに切り上げることになりまして

終わってからホテルを予約してーのそこで一泊することが決まるという感じでした

(長くなりすぎそうなので、つづく)

投稿者:perori : 2012年08月10日 23:04

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コメント: 行ってきた!九州豪雨の災害ボランティア1

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