手羽日記 01/09 -筑豊地域-

1月9日(火)::
手羽日記というかほとんど「MAU東京タワー応援ブログ」です。


8:40。今日は事務局仕事始め。10日間以上暖房を入れてなかったから部屋が冷え切ってる。う〜ブルブル。


9:00。メールを受信。家でもメールを見れるようにしてますが、「サーバに残す」の設定にしてたらこの休みで溜まったメールが2600件。。。受信するのにすごい時間がかかる。もちろん9割以上がスパムです。
私はメールをもらったら返信する人間なんですが、「手羽から返事がないなー」という方。この量なので多分スパムと思って捨ててしまった可能性が高いです。もし返信が届いていなかったら申し訳ないですが再送してくださいませ。ただ、タイトルに「大事なお願いです」とか「よろしく」ってのはやめてね。また黒ヤギさん状態が起きます(笑)


9:30。今年は「本年もよろしく」な挨拶ではなく、「昨日、あれ見た?」が新年の挨拶となってました。もちろん東京タワーに決まってます。
管理室のおっちゃんからも「この前ムサビで撮影してたシーンはいつ出るとや?」と聞かれ、工デのI先生からも「ムサビがいっぱい出てましたねー」と言われ、業者さんから「手羽ブログを見て東京タワーを読んだら、半分まできたところでこれが江國香織さんの東京タワーだと気がついた」というメールが届いたり。


15:00。ある人から「1月6,7日にテレビ朝日で放送されてた白虎隊の脚本は基礎デ卒の内館牧子さんだった」と報告を受ける。
誰だ誰だ。「去年はムサビブームでそれもそろそろ終わる」なんて言ったやつは!(笑)
2007年もまだまだ頑張るんだーー。カレーもいいけどムサビもね!


さて、ドラマ「東京タワー」の感想を。

正直なことを書くと、「大泉洋の方がリリーさんに似てる」という意識があったので、この「もこみち版」はあまり期待していませんでした。でも予想以上に良かったですね。オカンの倍賞さんも良かった。
福岡の人は「あれは本当の福岡弁じゃない」と言ってるけど、私はあんまり気にならなかったっす。方言はスペシャル版よりもよくやってたと思うし。(ちなみに福岡弁と筑豊弁もちょっと違うんです)
電車で旅立つシーンは「北の国から」の別れのシーンをかき集めたパロディみたいになってたり、東京駅からバスに乗ってどうやって小平市に行くんだろうという疑問もあったり、「武蔵野美術大学」という文字が何度も出てくるから逆にうそ臭い大学名に見えたりしたけど(笑)、全体的には非常によくできてました。


もう少し正直なことを書くと。
私にとって直視できない第1回目でもありました。



「平成元年入学」という設定になってるんですが・・・私と同世代なんです。
私も親にはほとんど相談せずに武蔵野美術大学へ願書を出しました。画塾へ通うために美大志望であることは高2の春に伝えたけど、どの大学を受験するか知らせたのは願書を出した後だったんです。
親にかまわれるのが嫌でした。
それでいて「親なんだから子供のやりたいことに文句をいうのは変だ」なんてやっぱりバカなことも言ってました。
「こんな田舎がいやだ。早く出たい」なんてことも言ってました。
そして何より決定的なのは私も筑豊出身なんです(直方です)。
父の父は炭鉱作業員。父が家族と住んでいた家を見に行ったことがあって、まさにドラマに出てきたような平屋の炭鉱住宅街なんです。ロケは茨城県で行ったそうですが、もうあのままです。

もう自分とオーバーラップする部分が多すぎて、とても見てられませんでした。「こりゃ絶対に最後泣く」と(笑)
もしかして日本で一番この話を理解できる人間なんじゃないか?オレ、もこみちなの?手羽もこみちなの?

もっとも私は上京する時に気合を入れすぎてヘルメスみたいなパーマをあてちゃったから、そのへんはもこみち君よりも勝ってるかな?
ちなみにダンクやボムを当時は読んでました(わかる人だけわかってください)




ちなみにちなみに「筑豊」という町があるわけではなく、「多摩・武蔵野エリア」みたいな地域を表します。「炭鉱で昔はにぎわった地域。でも今は・・」という意味で「筑豊」という言葉は使われます。

子供時代のシーンで香春岳(かわらだけ)が出てきますが、先ほども書いたように炭鉱住宅のシーンは茨城で撮影してるので、あれはCG合成なんだそうです。よくできてるなあ・・
筑豊出身の人なら必ず子供の頃に「あの山はもともと普通の山だったけど銅とか石灰を採ってたらあんなに平らになってしまった。そして今もドンドン低くなってる」と親から聞かされてショックを受けた経験があるかも。
そういう山なんです。

投稿者:ichiro : 2007年01月10日 04:47

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