2011年07月の日記

              
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先日、学部からの友人と自分たちが使う「道具」についての話をしていて思ったこと。

話題となったのは、似たような機能を持つ道具を別のものに乗り換えるとき、一体どんな考えで既存の道具から新しい道具に切り替えるのかということだった。


結論を先に述べると、
“いかに楽に、速く、質の高いイメージを仕上げ、目標のレベルに達せるか”
ということが道具を使う目的なら、別に何を使ってもいいという考えになるのではないか、
そんな風にまとまった。

それで、その道具や、道具の持つ機能を使っていると生まれる独特の発想や、その発想が生まれる可能性の大きさというのが、道具を選ぶときの重要な要素にもなるよなあ、という話も出た。


そして最も重要なのは、その道具を使っていて楽しくなるか。


使っていると楽しくなるというのは、上に書いたことがクリアされたときに経験できることだと思う。

特に、作品の制作にはそれなりの時間がかかるもの。

最も時間がかかるのは自分との対話。
次に時間がかかるのは道具を使っているとき。
しかも道具を使っているときも「自分との対話の時間」が食い込んだりする。

だから自分が使う道具は、それらを邪魔しないものを選んだ方がいいんじゃないかと思う。


使い方を覚えるのが大変だからとか、扱いが難しそうだからとかいうのを、度々周りから聞くことがある。
そういう人に気づいて欲しいのは、使い方を覚えたり扱うのが難しいからこそ、そこから生まれるものに価値があるということ。

誰でも作れてしまうものに価値を与えるのは、最も難しい。
そこに全く別の価値を与える必要があるため。


僕は(特に個人的なことにおいては)難しいことに挑戦して派手に失敗しても全く気にしないつもりで物事は進めていきたい。
その方がスムースに何かを達成するより、いろいろ発見することが多いから。
目的の達成よりも、自分の視野を広げるような発見をすることを重要視したい。


そして、ひとつの道具を極めるために、いろいろな道具を知っておく必要があるように思う。
そうすると、自信を持って「この道具を私は使えます」と言い切れる。

同時に、その道具では出来ないことも言える。
他の道具を使えば出来ることは、そのときその道具を使うか、使える人に頼めば良い。
その道具で出来ること、出来ないことを知り、出来ないことに対する解決策を提示できるようになれば、「その道具を極めた」ということになるのではないだろうか。


本文中の「道具」を別の単語に置き換えても、いろいろと共通する話だなと思うこの頃です。