Search



TOPページへ

全エントリーの一覧へ

Syndicate this site (XML)

Powered by
Movable Type 3.21-ja

template by tokyobuddha

ムサビコム

QLOOKアクセス解析

2年経って変わるもの変わらないもの。

今日で3.11から2年。

ペロリはどうしても今日は外出する気になれなかったので

家にいて、ずっとテレビで特集を見ていました。

3.11の当日は、去年書いたように東京にはいなかったのですが

その後色んな新聞やらテレビやらネットやらで

被害の大きさを知りました。

その後現地へ行く機会がありました。

その経験にすがりつくわけではないけれど

そこで、だから2年の春と夏行って今までの自分の気持ちが大きくぐらつきました。

人が住んでいたとは思えない想像以上に広大な土地での甚大な被害

私達に気を遣って笑顔で、実家が波に飲み込まれる様子を動画で見せてくれた現地の方

何も言わずに立ちすくむボランティアの方

自分で建てた家を目の前で解体されるのに終始無言でつきあっている人

なかなか笑わない少年

遠く九州や四国から支援に来た数々のトラック

ご遺体の捜索に行った人の話....

私に出来ることは何だろうか、と

目の前に広がる膨大すぎる現実に考えさせられました。

機材も少ない、人手も少ない

そんななか、現地へ行きもせずに東京で何かできることはないか、なんて

なんて浅はかな考え方なんだろう。

今、自分にできること、美術にできることは何もない。と、

そう、思ったのでした。

テレビや新聞の情報だけで、いくら想像力を駆使したって

補えない部分ってあるなぁ、と。

それから結構長い時間、私はここで、何も無かったように過ごしていいのか

美術ではどうにも解決できないのに、これからも携わって

へらへら口だけで「頑張ろう、応援しよう」で見かけ上だけでいいのか。

偽善じゃないのか。そういう思いが沢山押し寄せて来ました。

身近に現地へ行った人も少なく、相談もせずに、

ずっとそんな自分を追い詰めるような考えに浸っていました。

側に居る友人達が驚く程のっけらかんとして見えた時期もありました。

なんでもない言葉に凄く腹が立ったこともありました。

そしてその年の卒業式。校友会会長の言葉に少しだけ励まされ

それでも自分の中で、どうしたいか、の答えは出ませんでした。

春休み明けに、3年の必修の選択をすることになりました。

興味のあった授業は2種類ありましたが、そのうちのひとつが

東北を扱ったソーシャルデザインを今年度はやる、ということで

私は即、候補から外しました。

一時的な課題にこっちの事情で巻き込んで、支援だと言うなんて

なんて都合のいい話なんだ、と思いました。

結局その授業はとらず、受講した友人からも

表では、私達こんなに頑張っているよ?

だけど、かもしれないけど、本音の部分や

現地の方の反応などを話してくれた友人達の声を今も忘れません。

鹿児島にいる友人が同じようにボランティアに行ったと聞いて

その帰りに新宿で話を聞きました。

同じように思っていた以上の感触に揺れていました。

早朝のカフェで緊張が解けたのか涙ぐみながら話をしてくれたのも印象的でした。

そのまま、私はこのままどうしたらいいんだろう、何もできない怖さや不安、はがゆさ

そういう何とは言い切れない気持ちをもったまま、昨年の夏、

ムサビ日記の合宿がありました。

そこでの「熱く語ろうぜ」的な会で、初めて他人が居る前で

この揺れている気持ちを話しました。

自然とこらえていたものがぐっと溢れて来て

その場がアカン雰囲気になったのを(やっちまった)と思いました。

と、そこで、タマビの米山さん、芸大のzoominがやたら説得力のあるか〜んじの話で

励ます?というか怒る?というか、

「だからこそ立ち上がれ!」的な話をして

場内一致で「深イイ〜」みたいな流れになりました。

そのアカン雰囲気が流れたのは、こっちも安心でしたが

あの場で私の悩みは解決という訳ではありません。

その後も、就活が始まってからも、

自分の将来のことを考え始めるとふっとあのときの気持ちがよぎったりして

それもあってずっと迷ったりしていたのです。

お二人の話には、なんだか本当に元気をもらいました。

ただ、元気をもらった、でとまっているのです。

心の内でどうしても「結局は理想を語ってる」と思ってしまう。

米山さんは「そう思うのは自分に自信がないから」と言っていたような...

そうです、そのとおりです。自信、いやもっとなんだろ...

自分の小ささを痛感したんです。

一人じゃ抱えきれないものを一気に感じたから

分かろうとしたから、何かしなくては、と思ったからか..

とはいいつつ、これだけは変わったことがあります。

就活や自分の将来と繋げて考えることを辞めました。

というのも、今までの揺れる気持ちが、

強いメッセージ性を持って多くの人に語りかけることができるもの、

そう広告系(ざっくりね。はしょってるからね)

いわゆる広告業界への道を私に問てきていたのですが

この揺れる気持ちを解決するには、

何かしたい→デザインで、広告で、美術で

という一方向な考えだけじゃない、と思い始めたんです。

私に残されたのは美術だけか?

そうではないはずです....

ただ忘れたくない思いをしっかり持って行こうと思いました。

今日、沢山の人が一度立ち止まって

震災のこと、被災地のこと、自分のこと、身の回りの人のことを考えたと思います。

それだけでもいい。

私に今できることはほんの一瞬でも思いを馳せるということだけど

それだけでもいい。

それしかできないじゃなくて、それができる、に意識を変えて

暮らして行きたい。

「復興」という言葉は思いの外脆くて、いいように使われてるなって思うけれど

その言葉に本来の意味が感じられるようになるまで

また機会を作って向かいたいし、未来何らかの形で手が携えられたらいいな...なんて...

終わり方分かんなくなったので今年はここまで。

投稿者:perori : 2013年03月11日 16:46

トラックバック


コメント: 2年経って変わるもの変わらないもの。

コメントしてください




保存しますか?