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自由に遊ぼ。

小学生達を見ていて思う

自分から遊びを作り出せないみたい。

外に遊びに行くのも嫌がる

7、8、9歳程度の遊び盛りの子供達が。

何かモノが無いと、何か名前が無いと

何か用意されていないと・・。

私が小学生のとき、もう遊ぶ時間は終わりか、と毎日

遊びに充実していた。

それも、おもちゃとか特になかったし

自分たちで話し合ってオリジナルルールで遊んだりしていた。

名前の無い遊びなんてそこらじゅうにあった

無いなら考えていた。

こんなに青い空で日差しも温かいのに

「つまんない」「あつい」「やだ」と頑に外へ行くのを断る

そうはいってもそんな特別扱いなんぞ許さない

「何もすることがなくてつまらない」って

子供が言うことだろうか

モノが与えられて、モノが用意されて、そういう枠の内でしか遊べないのは

何だか見ていて可愛そうだ。

「何か一緒にしよう」と誘って来て

遊びの提示をこちらがするのを待っている

(まあペロリは提示してあげないんだけどw)

そんな人任せモノ任せになったのは何のせいなんだろう。

凄く身の回りの小さな発見だって

知らない事ばかりだったあの頃は、何でも大冒険だった。

それが無いみたい。

砂を使ってだって色々できる。葉っぱを使ってだって色々出来る。

友だちとちゃんと話したり、関わったりすることでも充分楽しい

それが、出来ないのである。

それを甘やかす行為は私はやりたくない。

気に入られようと、そういう頼ってくる子供につきっきりのバイトも勿論いるけれど

学童を出たあとに困るのはやっぱり子供達自身

そう思うと変にワガママに付き合ってあげるのもどうかなと思ってしまう。

職員さん達を見ていてもやっぱりそうだ。

わざわざ用意してあげる必要なんて無い。

そう、おもった。

もっと、みんな、自由に遊ぼうよ

こちらが、コレ!見て!面白いね!と、面白さを言ってあげなくちゃならないなんて

ほとんど洗脳じゃん・・・

もっと自分たちの目で知ってほしい。

自由に。





視デにはどんな人がいるかっ no.46

作る物がとにかくカラフルで
見た目のゆるふわおしとやかなカワイイ女子感とは
似ても似つかない
生み出すものの鮮やかさ、選んだオリジナルな形にいつも魅了されます。
幾何学形態、フラクタル図形などに興味があるらしく
色だけでも奇抜で目に焼き付くのにそれにさらに
うまいこと幾何学図形でかっこよくきめるもんだから
コンセプトとか無くても見栄えだけで持つ感じ。
細かい作業などもゆっくり落ち着いて長い集中力をもって
続けられる人だなぁ羨ましいなぁという感じ。
本当に、ただのDMとかが
彼女の手にかかれば魔法をかけられたみたいに
活き活きとしてくる、そんな人がいます。

投稿者:perori : 2012年11月16日 23:40

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コメント: 自由に遊ぼ。

そのとおりだと思います。することがなくてつまんないって、そんな子供ってつまんないよね。

投稿者 マロリ : 2012年11月17日 12:01

ペロリさま、こんにちは。

考えようとしない子が増えている、と聞きます。

自分にとって快適なことも不快なことも、表す言葉はたくさんあるのに、

ぜんぶ「うざい」「きもい」というような言葉でくくってしまう。

考えることも、読むことも、書くことも、「めんどくさい」の一言で片づけてしまう。

することなくてつまんない子は、きっと考えることが嫌い。

他の子にも興味がないかも。

でも、それまでに経験させてもらえなかった、ということもできるかな。

投稿者 yukihaha : 2012年11月17日 15:58

どんな風に育ってほしいか親の側の願いがあって、そうなっていくために親がしてあげられることには限りがあって、親の思いとは違う広がりを子供の中に見つけたときには、それも認めて見守っていけたらいいですね。ムサビ日記の中でムサビ生のお母さん方の言葉にいつも元気をいただいているちょっと年上のマロリです、よろしく。

投稿者 マロリ : 2012年11月17日 20:45

ペロリさんの年代でもそう感じますか。
親世代の子どもの頃とは、全く別世界のようになっている今の子どもたちの環境で、
昔のように遊ぶことは無理なのかもしれません。
それでも、自由に遊ぶ中で育まれていたものが無くなっていることは事実だし、問題だと思います。
「自分で考えること」「工夫すること」「試行錯誤すること」
などは、自由な遊びのなかで自然に体験して身に着けて欲しいことなのに、
その体験がないために、初めて接する問題に自分で対処できなくなっています。
それと、目を自由に動かせない子も増えているように思います。
遊びの中で視線を大きく動かしたりする体験が目の動きをスムーズにするのに、経験不足というより手元や目前のほんの狭い幅の中だけでの遊びにより、目を動かす必要が無くなってしまっているのでしょうね。

人間が文明によって退化している

と感じる今日この頃。

投稿者 poncho : 2012年11月18日 09:16

大好きな遊びでもそうなんですから
絵や工作を自由にさせると顕著に出ますね。

「あ、私コレしよ〜う!」と言って行動できる子はわずかです。
(ほとんどの子は人の様子を見てから・・・)

そんな中から出てくる子が美大に入ってきて
枠にとらわれずに世界に飛び立っていくんだなぁ・・・。

投稿者 ザラメ : 2012年11月18日 11:39

yukihahaさん

そうですね。そういう見方もありますねえ。
考えさせるにはどうすればいいんだろうって今考えています。
ゲームとか用意されたものはほどほどになあ。。。

投稿者 ペロリ : 2012年11月24日 12:08

ponchoさん

そうですね。
もう、どうしようもないのかしら。
絵を描くにも「何も描く物が無い」とか「何かけばいいか先生決めて」っていう子供も増えています。そういうのってなんか寂しいですね

投稿者 ペロリ : 2012年11月24日 12:10

ザラメさん

大好きな遊び が出来なくなると、意外と脳トレとか勉強の方に面白さを感じてくる子供が増えるかもしれないw
それがこの社会の狙いなんだろうか・・・?!深いですね!(笑)

いやあでも、これから先どんどん美大目指すコがへってきそうだなああと思っちゃいます

投稿者 ペロリ : 2012年11月24日 12:12

マロリ

コメントどうもありがとう。
親目線の視点面白いです

投稿者 ペロリ : 2012年11月24日 12:13

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