哀惜

モーニングコールというものがある。
我家の場合、
「ごは〜ん」(そう聞こえる)
と切なげに鳴くもっちーの声が朝、一番に聞く一声だったりする。

ごはん.

彼の場合はおいしく確実にごはんがもらえると確信しているのだろう。
もちろんその信頼を決して裏切ってはいけないと思う。


東京へ行った時、明治大の公開講座に参加したのです。
ETVで放映されて大反響だった「ネットワークでつくる放射能汚染地図」を
作ったディレクターと調査した研究者のお二人の講演でした。
原発関連番組を作り続けるために2度人事異動を受けながらも信念を持って問題作を制作し続ける七沢潔ディレクターと自発的に放射線量の実態を調査しようとして厚労省に止められ辞職して自発的に調査を始められた木村真三博士のお話。

番組は福島での放射線量の実態、それを知りながら危険な地域に住む住民に何の積極的な通知もしていない文部科学省と政府、これまで築きあげてきた暮らしや愛する動物を見捨てなければならない住民たちの姿を描く衝撃的な内容でした。

友人が誘ってくれたこともあり
ちょうどタイミングがあったのでぜひ聴いてみたいと思ったのでした。

七沢さんのお話で特に印象に残ったのは「失われた命のつながりへの哀惜」ということ。

「飯舘村で畜産をされている方はみんなドリトル先生のようだった.
動物の言葉がわかるようだった」
と七沢さんは言われていて
愛情を込めて動物を育てていることに心を打たれたと言っていました。

今、放射性セシウムに汚染された稲わらを食べさせたために
肉牛から検出されている問題。

震災直後のあの頃は生きていくために人も必死だったでしょう。
ライフラインも断たれて人間でさえ命をつなぐのにやっとだったことと思います。
生産者も被害者です。

これを書こうかどうしようか迷ったのですが
それにもまして警戒区域となった原発から20キロ圏内。
助け出せなかった命がいっぱいある。
警戒区域となったために助からなかったそのままに
今も朽ちていくだけになっている。酷いです。
家族として愛情を受けて暮らしていた動物たち、そして畜産や養鶏であっても
「ごはん」や「水」はもらえることが当然だった。


 
それを待ちながら命を失っていった大勢の生きものたちへ祈りを捧げたいと思います。

投稿者:koko : 2011年08月08日 17:34

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