喜怒哀楽といろは

最近、言葉だけでは自分の感情を表現することができなくなった。
はじめは自分のボキャブラリーが少ないせいなのかと思ったけれど、(もちろんそれもある・・)そうではないらしい。

誰かさんに指摘された通り、今の私は顔の表情や声の調子の変化、頬の筋肉の運動とかが足りない。
例えば、怒りに似たような感情・・・怒りを通り越した呆れだったり、無の感情。
これを伝えたくても、言葉が思いつかない。そして考えているうちにどんどん気難しい顔になる。自分では精一杯相手に伝えたいことを探索しているのだが、相手から見ると私はただ怒っているのだ。

こうゆうとき、無理してでも笑っていられる人は大人なのかもしれない。が、まだまだ未熟な小娘である。
最後には感情や考えが相手に伝わらないことに憤りを感じる始末である。訓練が大切だ。
しかも素顔が怖そうに見られる(伏し目がちなので)ため人より余計に愛想の良い表情は難しい気がする。

それはさておき、私はどうしても「強い人間」になりたいようだ。つまり弱いという裏返し、、
昔は「泣かない人」が強い人だと思っていた。幼稚園小学校くらいから。泣きたい感情を堪えて我慢する人がカッコ良く見えたからだ。

だけど高校生になり、だんだんと自分が人前で泣く事ができなくなったことに気付いてしまった。
体育祭の応援団の打ち上げで、すごく楽しかったし頑張ったから私もみんなと一緒に泣きたかった。みんなの前で「ありがとうございました」と涙混じりで笑う友達がとても素敵に見えたのだ。残念なことに応援団の中で私だけが泣けなかった、という虚しい記憶がある。そもそも「よし、今日は泣くぞ」と思うことが間違っているだろうが・・ 素直に泣きたい、私の正直な気持ちをみんなに見てもらいたいと思っても心のどこかでそれを阻止してしまっているのだ。


一時期は「素直に泣けない事」が私の悩みの種ではあったが、今になるとそう悩まなくなった。
とゆうのは、本当に強い人は「泣かない人」じゃないとわかったからだ。今の新たな目標は「笑顔が耐えない人」である。(愛想笑いではなく本心からの笑顔)
いつの間にか必要最低限しか笑わなくなってしまい、精神的に老けてしまった。そう、日々潤いがなければ笑いも起きぬと思うが、だからといっていつも笑顔のステキな人は潤いのある生活をしているとは限らない。「自分から楽しくしようとする」ことで笑顔になる。

ハングリー精神とか、アグレッシヴにイケ!とか、自分から意欲的ならなければ何も変わらない。
自分から何もしないから、周りからの刺激も無い。日々活気がないことを環境のせいにする。その繰り返し。
まずは今からできること、自分から笑うことでどれだけのことが変わるだろう。
友達も増えて、交遊関係も活発になり、バイトの接客でも評価を得るかもしれない。買い物をすれば「お嬢ちゃん、笑顔が可愛いからお安くするよ」と少し有頂天になったり、教授に「君の笑顔は素敵だね」と褒められ、弟子にしてくれるかもしれない。(世の中そんなに甘くないよ)憧れのあの人に「気味の笑顔に乾杯」と声をかけられ交際がスタートするかもしれない。最後にはムサビ中の猫がこの笑顔のオーラに誘われ「猫使い」とか呼ばれるかもしれない。ここまでは望んでいない、が、きっといいことが起こる気がする。素直な表情って、すごく大切だ。

投稿者:uni : 2007年06月21日 02:04

トラックバック


コメント: 喜怒哀楽といろは

コメントしてください




保存しますか?