カテゴリー:-d.卒業・修了制作展

本の紹介

今日は、本の紹介です。展示の際、論文と一緒に展示していた参考文献と、監視のお供だった本をご紹介します。


これが私の論文の展示。


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「論文部屋」と芸文生の呼んでいる部屋とは違う部屋だったのですが、どちらも同じように、参考文献などが一緒に展示してあります。
私は、実際に論文を書くときに読んだ本も展示しましたが、それとはまた違った理由から展示した本もありました。


バジル氏の優雅な生活 (第1巻) (白泉社文庫)バジル氏の優雅な生活 (第1巻) (白泉社文庫)

白泉社 1996-12
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これは、本文で引用したマンガ。本当は2巻なのですが、画像が出ないので1巻で。
小さいころに読んだマンガの、いちばんすきなエピソードです。まさか、こんな形で使うことになろうとは。でも、気になるテーマだったからこそなのかもしれません。


センネン画報センネン画報

太田出版 2008-05-15
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ブログ『今日マチ子のセンネン画報』からの抜粋。
これは、論文に直接関係のある本ではありません。
ただ、今日マチ子さんのマンガのような文章が書きたいなあと思い、たびたび読み返していました。
以前ブログで「実際にある空気を描きたいし、質量を通して対話したいのです。だからモノになる必要があったと思っています。パサージュ論におけるアウラみたいなのを読み取れる方に届きますように」と『センネン画報』について書かれていて、そのことばにも深くうなずきました。
そんな意味で展示した1冊です。


スキップ (新潮文庫)スキップ (新潮文庫)

新潮社 1999-06
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この本に出てくる桜木真理子先生の授業は、先生がきらいだったはずの中学生くらいの私に、とても魅力的に映りました。北村薫さんも先生をされていたことがあって、『スキップ』に出てくる授業はほとんどが北村さんが実際になさった授業なのだそうです。こんな素敵な先生に出会えた生徒たちが、うらやましい。
私が「先生」というものに憧れるひとつのきっかけになった本だと思います。


往復書簡・学校を語りなおす―「学び、遊び、逸れていく」ために往復書簡・学校を語りなおす―「学び、遊び、逸れていく」ために

新曜社 2009-09
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これが唯一の参考文献。もっと早く読んでおけばよかった!と後悔の1冊。
「教育」に対してできることを考えさせられるとともに、学び始めた最初を思い出しました。


さて、「つづきを読む」から監視のときに読んでいた本のご紹介。


こんなんでごめんなさい。笑


ライセンスの9年本 限定版ライセンスの9年本 限定版

ワニブックス 2009-10-30
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分厚かったので読みごたえがありました。そして、ここ1か月ほどの心のささえはライセンスでした。笑


ここから先は、「もっと早く読んでおけば…」シリーズ。


ニッポンの学校ってどんなとこ?―アメリカの母と子が体験したニッポンの小学校ニッポンの学校ってどんなとこ?―アメリカの母と子が体験したニッポンの小学校
Gail R. Bengamin

白揚社 1998-12
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ちょっと古い本なのだけど、アメリカ人から見た日本の小学校のレポート。
私はすっかり日本以外の学校やその実践に目を向けてしまっているけれど、それではいけないのだなあと思い直しました。
給食の多彩さなんて、日本にいると気がつかないもの。それが問題になっている面もあるようだけれど、ニッポンってそういうところなんだなあと新たな発見がありました。


デジタル社会のリテラシー―「学びのコミュニティ」をデザインするデジタル社会のリテラシー―「学びのコミュニティ」をデザインする

岩波書店 2003-04
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これも、読んでおけば…!な1冊。同じ筆者の本を参考文献として使っていたので、


「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体「未来の学び」をデザインする―空間・活動・共同体

東京大学出版会 2005-04
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もったいないことをしたなあと。


ちなみに、論文を書いていて元気がなくなったときはいつも、カブキロックスの『OEDO』か『好色一代男』を聞いていました。笑(誰が分かるのー!!!)


ではまた明日。


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卒業・修了制作展2009 最終日

大失恋、でした。そりゃもう、見事な。


展示期間中、たくさんの方からたくさんのことばをいただきました。
そのひとつひとつは、これからの私の勇気です。
ありがとうございますを誰に言えばいいのか分からなくて、言い始めたら終わらなさそうで、みんなみたいに素直に「ありがとう」を論文の最後に書けませんでした。
でも、それで良かったのかなあと思います。


論文の装丁を考えたとき、真っ白にしよう、と思いました。
これから先、きっと何度も何度も読み返す論文。読んだ跡が見えるように、真っ白にしよう。
タイトルは、触っているうちにしわしわになってしまうトレーシングペーパーに印刷して、カバーみたいにしよう。
どれだけ読んだか、目に見える装丁にしようと思いました。


でも、展示が終わってみれば、私ではない人がたくさん論文を手に取ってくれて、その人たちの跡がついている。
読んでくださる方がいなければ、私の論文は、論文にはなりませんでした。
本当に、ありがとうございます。


まだまだ、もやもや、しているけれど、これはきっと、これからずっとのもやもや。もやもやしていこう。


ではまた明日。


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卒業・修了制作展2009 3日目

あっという間に、卒展も3日目です。監視だったりなんだったりで今日までまったく作品を見られていなかったので、ムサビ日記卒業生を中心に回ってきました。
朝、私の論文が展示してある部屋で手羽さんをお見かけして、あんまりびっくりしたからしばらくまじまじと見てしまったのだけれど(笑)、芳名帳を見たら何だか冷や汗をかくようなことが…!他の卒業生にはそんなメッセージ書いてなかったのに。ひええ。
赤岩さんもいらしてくださったようですし(もしかして?という姿はお見かけしているのですが)、いつもコメントをくださっている方や、いつもムサビ日記を読んでくださっている他大学の方からもメッセージが残されていて、私ってムサビ日記のみちくさとりこだったんだなあと、驚きました。
この場をお借りしまして…本当にありがとうございます。
監視していた学生からも、手に取ってじっくり読んでいた人が多かったよ、と聞かされて、うれしいやら、うれしいやら。
個人的には、「読みやすかったです」というコメントがいちばんうれしかったかもしれません。やわらかい、すっとした文章が書きたいなあと思いながら書いていたので。それが少しでも伝わりましたならば、何よりです。


明日はもう、片付けだ。あの空間が、なくなってしまうのだな。変な感じ。


ではまた明日。


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卒業・修了制作展2009 2日目

卒展2日目の今日は、すてきなことばかりが起こりました。本当に、私個人の、些細だけれども大きなできごと。


会いたかった人に会えたり。
会いたいなあと思いつづけていた人から連絡があったり。
4月からに向けて動き出したものごとに最初の結果が出て、とりあえずは次に進めることになったり。


そんな日もあるんだなあ、と思った1日でした。


ではまた明日。


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卒業・修了制作展2009 1日目

とうとう、卒展が始まりました。芸文では優秀賞・学科賞も決まりました。いよいよ本番だなあという感じです。


先日の講評のとき、自分の中ではいろんなことに整理がついて、あれがきっかけになっていろいろ動き始めたつもりでいました。「つもり」といっても「整理がつい」たことに間違いはないのだけれど、あれからずっと、何ともいえないもやもやが自分の中にありました。
やれなかったことは分かっている、やるべきことも分かっている。後悔とも違う、この気持ちは何だろう。何となく悲しいような気はするのだけど、すぱっと前が見えた今、何が悲しいんだろう。
それが、昨日の講評と今日の優秀賞・学科賞の決定を見て、ああ、そういうことか、と腑に落ちました。
昨日の記事で私は「作ってもらったものは、その人にあいされて、見る人、感じる人にあいされて、本当に幸せ者だなあ」と書いています。そういう実感のあったものたちはちゃんと評価されていて、そのときに、そうか、私は私の書いたものを、そういうふうにすきになることはできなかったんだなあ、と気がついたのでした。
ここ何日かの何ともいえない悲しさは、自分の書いたものに対する、ごめんなさいの気持ちだったんだなあ。すごくすごくすきだったし、ずーっと考えてきたけれど、どこかでブレーキをかけてしまっていて、それに気づいていながらやっぱりそれ以上にはなれなかった。
私が、私なりに考えた「美術科教育」とか「学校教育」に対するアプローチに、分かりやすい形で光を当ててやることができなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいです。大きい声で、必要なんだ!と言いたいのに。そうしてやれなくて、ごめんなさい、という気持ちです。
卒論を書くのは、おそらくこれが最初で最後なのだと思います。自分からはもう、離れていってしまうもの。でも、離れてはいかないもの。
妙なたとえかもしれないけれど、この感覚はすごく、失恋に似ているなあと思いました。(まあ、失ってばっかりなんだけどさ、私の恋なんて)
すごくすごくすごくすきで、大事で、だから怖くて、だからすきで。私から離れていっても、折にふれて思い返すのだろうし、そんなふうに右往左往したから、これからがある。
だから、この「ごめんなさい」の気持ちを忘れないようにしたい。


論文の講評のときも、「いいからあなたは早く卒業して先生になって、その理想を実現しなさい」と言われているような気持ちになったのだけれど、こうしてぽーんと投げ出されたときに、ああ、本当に、私はなーんにもないところに立っていて、自分の力で(もちろん、自分以外の人たちの力も借りはするのだけれど)やっていかなきゃいけないんだなあと。
ありがたいことに、私は「ごめんなさい」を忘れないことを、選ぼうとしているのだよね。今できなくても、これからできるかもしれない、できる、する。
毎日、少しずつ、失恋気分です。卒展が終わったら、何を思うのかなあ。


ではまた明日。


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平成21年度卒業・修了制作展のお知らせ

というわけで、大変遅くなりましたが平成21年度卒業・修了制作展および芸術文化学科卒業研究制作展のお知らせです。


まず、平成21年度武蔵野美術大学卒業・修了制作展全体については、手羽さんの記事をご覧ください。


次に、芸術文化学科卒業研究制作展についてです。


芸術文化学科卒業研究制作展 「収穫祭」
※会期等はムサビのものと同じです。
※展示場所は主に9号館5・6階、また12号館地下にもございます。


9号館5・6階はまるごと芸文です!


さてさて、手羽さんが「最後なんだから展示場所書いたら?」とおっしゃってますので、お知らせいたしますね。
私は、9号館602で論文を展示しています。教室の上にアルファベットで「L」のサインが出ている教室です。
おそらく、内容から私の論文と分かっていただけるのではないかと思いますので、論文のタイトルはこちらでは省略いたします(展示している場所は、教室のわりと廊下寄りです)。なお、院生の方も同じ部屋での展示となっております。
スケッチブックと色鉛筆を用意していますので、ご意見・ご感想など残していただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。


ではまた明日。ムサビでお会いしましょう!


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講評 2日目

今日は、制作系の学生の講評でした。
論文系の講評の日に書いた日記で、「実は『人』にとても興味があります。『人』に対する期待も高いので、その『人』がずっと変わらないでいると、心底悲しくなってしまいます」と書いたのだけれど(→その記事)、今日はそんな自分に対する実感が、また深まった日でもありました。
自分でも驚いたのだけれど、泣く人が続出するとさんざん脅かされて!?いた論文の講評のとき、論文そのものへの講評には全然、泣きたい気持ちになんてなりませんでした。それは、うれし涙も、くやし涙も。
でも今日、あ、この人は、やりたいことを、やれるかぎりやったんだな、という人の講評では、何だか泣きそうになってしまいました。うれしくて。
ゼミでずっと制作過程を見ていたり、同じゼミでなくとも顔見知りであれば紆余曲折をそれなりに知っていたりするわけですが、この4年間でほとんど話さなかったような人に対しても、それは同じことで。
あ、私は、こうやって人が変化していくのを見るのがすきなんだなあと、認識を新たにしました。
その人の考えていたこと、やりたかったことに、初めて「誰か」が重なった瞬間は、ああ、もう、よかったなあ…
その人に作ってもらったものは、その人にあいされて、見る人、感じる人にあいされて、本当に幸せ者だなあと。
そんな幸せ者たちを、どうぞどうぞ、ご覧ください。次の記事で、卒展のお知らせを行います。


ではまた明日。


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講評

今日は、卒業論文の講評でした。
思ったことがたくさんあるので、卒業研究制作展の前に、言い訳じみているかも知れないけれど書きます。
本当に、個人的に書き残したいと思うことなので、以下、たたんでおきます。


私の書いた論文は、大げさなわけではまったくなく、今までの23年間の疑問や違和感が出発点になっています。
もちろん、他の学生の論文も多かれ少なかれ彼ら彼女らのそれまでを踏まえたものではあると思うのですが、取り上げているものが「(学校)教育」という、少なくとも9年間は逃れられないものであること、私にとって、それが決してポジティブに捉えられる問題ではないことが、論文に今までの23年間をべったりと反映させる結果になりました。
その上での後悔は、「23年間信じられなかったものを、やっぱり信じ切ることはできなかった」ということです。
私の「信じられなかったもの」は、「先生」という存在です。教員を目指している人が何を馬鹿なことを、と思われるかもしれませんが、私にとって、いちばん信じがたい存在は「先生」です。
トラウマ、なんて言ってしまうと安易かもしれないけれど、「先生」に出会った幼稚園のころから、小さな小さな先生に対するトラウマが、自分の中に積み重なっていました。裏切られた、という思いを持ったことも一度や二度ではありません。
それでも、私は「先生」という存在にいつも期待していました。期待して期待して、あるとき突然裏切られる。その繰り返しでした。
「裏切られる」などという思いはとても主観的なもので、相手にはそんな意識はなかったのかもしれません。でも、相手の言うことを良くも悪くも丸ごと飲み込んでしまう私は、一瞬手のひらを返されただけで、絶対的に信頼していたその人に裏切られた、という思いを抱いてしまっていました。
現役生だったときから教員免許を取りたいと考えてはいましたが、それは「先生」という存在に対する疑問から始まっている興味なのだと、今では納得できます。実際、教職課程の授業はそれまで自分が持っていた学校観・教育観を見直す、解きほぐすことに大いに役立ちました。
それでもやっぱり、「先生」を心から信じることはできませんでした。ムサビには魅力的な先生がたくさんいらっしゃいます。学生の中には、先生たちと個人的に親しくなったり、話を聞きに行くような人もいました。
そんな人たちをうらやましいと思いながらも、私の中ではいつも自分を押さえる力が働いていました。今までのように信じて裏切られるくらいなら、最初から信じない方がいい。言うことを丸飲みしてはいけない。
そのブレーキは結局、卒論を書くときにまでかかりっぱなしでした。
辛うじて、ゼミの先生には考えていることを話すことができましたし、教育実習のときには研究授業を見に来てもいただきました。でも、そこまででした。
友人たちは、自分の所属しているゼミ以外の先生や、非常勤の先生、他学科の先生にまで卒論を見せ、指導を仰いでいました。言い方は悪いかもしれないけれど、そこまであっけらかんと「先生」を信じられる友人たちが、うらやましくてたまりませんでした。私はきっと、一度話を聞いたらそれを全部飲み込んでしまう。その先生の期待に応えられるように、頑張ってしまう。その先に、今までと同じようなことがあったら?そう思うと、手が止まってしまうのでした。
(誤解のないように言っておくと、大学に入ってから「裏切られた」という思いを抱いたことはありません。「先生」との距離感がそれまでとは変わるということ、そもそも「先生」の存在感が高校までとは大きく異なる、端的に言えば、免許がなくても大学の先生にはなれることが関係しているのではないかと思います)
何というか、私は人をすきになりすぎるきらいがあるなあと、大学に入ってから考えるようになりました。
私はたくさんの人といるのが苦手で、大学でできた友だちも本当に少ないのですが、実は「人」にとても興味があります。「人」に対する期待も高いので、その「人」がずっと変わらないでいると、心底悲しくなってしまいます。だからこそ、教員を仕事に選びたいと考えているわけですが。
今回の論文も、読んでいただきたい先生がいないわけではありませんでした。機会がないわけでもなかったのに、やっぱり恐怖心が拭えなくて、すすめてくれた友だちにも「でもジャンルが違うし、直接習ったわけでもないし」と言い訳して、なかったことにしてしまいました。


プレゼンの順番を待ちながら、他の学生に講評する先生たちのことばを聞いていて、ああ、もっと信じてよかったんだ、と思いました。それは、後悔であるのと同時に、これからの私の課題でもあります。


結局、私の論文は提出のその日まで、ゼミの先生にもほとんど全容を見せずにいました。もちろん、ゼミでの発言や個別の面談で考えそのものは伝わっているのですが、文章をまとまった形で見せたのは、80%提出の日が初めてでした。80%といっても私の場合、中身がすっからかんの80%だったので、未製本提出のときに、先生は初めて論文らしい論文を読んだことになります。
それから今日までずっと、もやもやもやもやしていました。
自分が悪いのだけれど、80%提出や未製本提出のときに先生に感想を求めなかったので、どんなふうに伝わっているのか、どんなふうに思われているのか、まったく分からなくて。
講評は、ゼミの先生以外に論文を読んでいただいた先生から、先にいただくことになっていました。私以外の人が聞いたら笑っちゃうような感想?なのかもしれないけれど、その先生が「まるでお父さんみたいになっちゃうんだけど」と前置きしておっしゃったことばが、何よりうれしいことばでした。
「ここに書いてあるようにやっていって、みちくささんの心と身体が持つかなあ」
状況を知らない方が読んだら、何だそれ!?なことばだと思うのですが(笑)、ああ、いろんなことがすべて伝わった、と思ったのでした。
私自身が、これから先についていちばん危惧しているのがそのことで、それはひとえに、私の(自分で言うのもなんですが)妙に生真面目なところとか、それゆえ頭の固いところとかに起因していて。
そんなだめな、それでもどうしても先生や教育というものに惹かれてしまう私のことが、私をそこまでご存知ではないその先生に伝わったこと、それだけでもう、すくわれた、という思いでした。


そして、ゼミの先生が「励ましのことばをいただいたわけだけれど」とおっしゃって話し始めたことを聞いていて、ようやっと「卒業するんだなあ」という実感がわいてきました(なんて言って、卒業できなかったらどうしましょう)。
実のところ、4月からの1年間は、少しお休みするつもりでした。この1年ちょっと体調もあまり良くないし、どうせだったら1年間をメンテナンスに当てて、次の4月から万全の状態で動き出そうと考えていました。
でも、論文を提出してから一気に「動かなきゃいけない!」という思いがわいてきて、少し真面目に4月からの行く先を探し始めたのでした。
今までも、先生には「みちくささんみたいな考えの人が美術教育をしていかなきゃいけないんだよ」とゼミのたびに言われていたのですが、今日ほど心に響いたことはありませんでした。


「私が私を卒業させる」というか…とにかく、今までの「卒業」では抱かなかった気持ちです。
これまで、何となく押し出されるようにして迎えていた「卒業」。それが、自分から「飛び出す」ものになったような気がします。
ここで学べることは、とりあえず限界まで学んだ。あとは、それを大学の外の社会で生かさない限り、私の場合はどうにもならない。
そう、強く思いました。


そんなわけで、つい昨日までは「誰も私の論文など読まないでくれ…」だったのですが、今は「どうぞどうぞ!読んで読んで!」な気分です。
詳細は、後日。


ではまた明日。


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卒業研究制作展2009準備

芸文は今日から、卒業研究制作展の準備が本格的に始まります。
まずは、段ボールパネル、略して段パネを運んだり、教室から机やいすをどかしたり。
この段パネの運び方がすごかった!去年までも何となく見ていたのですが、自分が実際やってみると思っていた以上に楽しくて面白くて、しんどい。笑
その様子が、卒展ブログに載っていますのでご紹介。


芸術文化学科卒業制作展2009 » 段ボールパネル・展示の設置作業


写真2枚目、これは9号館の、おそらく5階くらいから撮ったものだと思うのですが、地下の倉庫みたいなところから、各階段に2〜3人を配置して、階段のすき間を縫って一気に上まであげるんです。
最初は「軽いねー」と言っていたのですが、どんどん重たく感じられるように。
そして、「これ、下げるときの方が怖いよね…」と我に返ったり。笑 まさしく、「行きはよいよい帰りはこわい」。
運びあげたあとは「段パネおばけ」がいたるところに出現していましたとさ。


芸文フロアにある机やいすの中にはけっこう重たいものもあるのですが、みんなでやればあっという間にすっきりり!
まあ、やっぱり現状復帰を考えると怖ろしいんですけどね…


ではまた明日。


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中間プレゼンテーション2日目

今日は、卒業研究制作の中間プレゼンテーション2日目。
1日目は主に制作の学生がプレゼンを行いましたが、2日目の今日は論文がプレゼンの中心。


教員採用試験のときもそうだったけれど、今までの3年間がすっと見えるような時間でした。


ではまた明日。


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中間プレゼンテーション1日目

今日は、卒業研究制作に向けての中間プレゼンテーション、第1日目でした。
時間としてはそんなに長くありませんが、集中して話を聞くので疲れます。
まったく自分の研究と関係ないようでも、ふとしたことからつながりが見えることもあって、他のゼミの人の話を聞くのはとても面白いです。


ではまた明日。


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明日は中間プレゼンテーション

ええっとあのその、私だったら改善策を考えます、四輪駆動さん…なんて言ったら怒られちゃうかしら…


さて、明日と明々後日は芸術文化学科の卒業研究の中間プレゼンテーションです。
明日はひとまず、制作系の学生のプレゼンを聞きます。私は論文を予定しているので、明々後日がプレゼン。
今年は、論文が少し多いくらいなのかな。だいたい半分ずつに分かれています。


今年は学生全員が卒業研究制作展のスタッフに何らかの形で関わることになっていて、私もムサビ日記ライターなりの役職につきました。
教育実習を通して、「グループでの活動はその長よりもヒラメンバーの頑張りが重要」ということを感じました。
どんなに班長さんがメンバーをまとめようとしたって、メンバーが班長さんの言うことに耳をかたむけなければどうにもならない。
私は長になれるタイプではないから、ヒラなりに頑張りたいと思います。長が気持ち良くお仕事できるように。
それがいちばん大変で、大切だったりするのだけれども。


ではまた明日。


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卒業・修了制作展2008

つまり、これが1年後のお前にやれるのか、ってことだよなあ。
今までの2年よりも、つよく、つよくそう思いました。


ではまた明日。


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卒業・修了制作展2007

ようやく、見て参りました。
今年は去年よりも、自分に引きつけて考えられた(考えてしまった)ような気がします。
気づいたことを、ぽちぽちとメモ。


○当たり前だけど、学科の色ってあるんだなあ。
○私は、(芸文以外だと)基礎デとデ情のファンです。今年はデ情のが好きかな。
○芸文では、私の考えていることと近いことを研究している人がいて以前から気にしていたけれど、きっと私は違うアプローチになるんだろうな、と思う。
○芸文は、いくつかの賞を展示の始まる前に授与していて、それがパネルに貼ってある。見てもらうきっかけになっていいなと思う一方で、その論文や作品に対してあまり興味がわかないと、「これが…これが?」となってしまう。難しい。
○論文を立ち読みしていたら、ゼミの人に笑顔でお茶をすすめられて、こわくなって逃げ出してしまった。
○芸文は、芸文色がだんだんはっきりしてきているように思う。


mooeさんの作品がとても好きだった。
○12号館下、『空中遊具』が好き。と思ったら、mooeさんと同じ、jsato先生のゼミの人だった。


○10号館、『手書き文字のすすめ』に笑ってしまった。ひさびさに、笑わせてもらった作品かも。いい。すごく好き。基礎デの学生の作品でした。
○同じく10号館で、漢字を扱った作品を見る。こちらも好き。
○私は、文字に関する作品が好きだなあ、とふと思う。直接文字を扱っていなくても、細かい記録がされているものがとても好きである。
○そういったものを扱ったとき、どうしても芸文は弱くなってしまうなあ、と思ったり。


○やっぱりテキスタイルはすごい…


○地道に、計画的に作業を重ねていくことの大事さを痛感した。制作でも、論文でも。


○ファイン系を見ていって、うまく見られないなあ、と思う。自分の状態が、あまり良くないのかなあとか。
○結局、これは、というものには、ほんの少ししか出会えなかった。
○しかも、ピンクのうさぎのオチを見逃してしまった…自分にがっかり。
○あのピンクのうさぎ、耳が立っていたけど…そう考えると、ちょっと怖い。


○自分自身のこと。ひとりが好きだけど、やっぱり会うべき人に会いたいし、会っていないのだなあと、思わされた。いろいろな人の4年間に触れて。がんばらねばな。
○動く。


結局、疲れてしまって見られていないところもあるのですが、自分の中では大満足な1日でした。
お昼ごはんは、肉まんとチキンカレーまんを買って、シスコで食べました。


ではまた明日。


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