リアルな美大の日常を
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2008年12月のアーカイブ
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2008年総まとめ
「みちくさとりこの年賀状2009」は、本日しめきりです!
メールを送ろうかどうしようか迷われている方、どうぞ今すぐお送りください。
今年も、「ムサビ日記のみちくさとりこ」としてたくさんの経験をしました。
ふだんからの読者の方とのやり取りはもちろんですが、ムサビコムのオフ会で他のライターさんたちに会ったり、ムサビ日記を読んでいたという方が芸術祭での催しにいらしたり、大阪でのおすすめを教えていただいたり。
おそらくムサビ日記を書いていなかったらなかったはずの生活で、そう考えると、ああ、よかったなあ、って、…これは節目節目で思うことですけれど、でもいつもそう思えることが、ありがたいなあ、と。
来年の話は、来年することにしようと、買い物がえり、歩道橋の上で思った。
そうそう、去年、「今年は、演劇を23作品見たらしい。(中略)来年は、この倍くらい見たい」と書いているのだけど、結果的に、今年は怒濤の46作品!きっちり、数の目標は達成しました。(実際、劇場に足を運んだ回数はもっと多い)
ただ、「小さな劇団の作品も見たいし、歌舞伎ももっと見たいし、落語も聞きたいし、ダンスも見たいなあ」というのは有言不実行だったな。落語は聞いたけど、そういえば歌舞伎は見てないし、ダンスにまで手が回らなかった。
来年こそは。とはいえ、来年は、…いやいや、来年の話は、来年に。
その他の目標ってどうだったんだろうと、今年最初のブログを読み返してみる。
「毎日コツコツ」「無事に生活できれば」「もう少し大人になりたい」…小さい!笑
でも、毎日きちんとブログを更新できたのは、よかったことかな。今年書いたぶんをざざっと読み返して、反省したり、発見したり。
「無事に生活」も、どうにか。ぎっくり腰やら梅雨どきの感染性胃腸炎やら、学校を休まなければならないようなときもあったけど、決して不健康ではないし。
「もう少し大人になりたい」はどうだろう。笑 これは、来年まで持ち越しかなあ。
最後になりましたが、今年1年、ムサビ日記および、みちくさとりこのムサビ日記を読んでくださったみなさま、本当にありがとうございMAU!
…ああ、今年もフライング。フライングMAU。
とにもかくにも、どうぞ来年もよろしくお願いいたします。
ではまた、来年!よいお年を。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
全然関係ないのですけど、昨日の夜、これはまずい!と思うようなことがありまして。
もう片付いたので大丈夫なのですが、現実逃避のために某動画サイトをうろうろしていたら、あの松岡修造さんのサイトから、彼の応援ビデオを転載したものを見つけてしまいまして…結果的にすごく励まされた(というか、笑っちゃってどうにもならなかった)んですが、いやはや、すさまじい破壊力でした。(と言うと、失礼なのかなあ…)
ということで、その映像は「松岡修造オフィシャルサイト」からご覧になれます、というだけの話。
「応援メッセージ」から「あきらめかけているあなたに」を選択してください。私が昨日、とんでもなく励まされた動画はそれです。
すごいよなあ…これ、すごく計算されているよなあ…そうでもないのかなあ…
年末、これだけは言いたい
このところ、ずっと気になっていることがあります。
それは、
うっかりペネロペはどれだけうっかりすれば気が済むんだ
ということです。
ときどき、NHK教育テレビで夕方に放送しているアニメ『うっかりペネロペ』を見ることがあります。(すでに放送は終了しています)
先日見たのは、「ペネロペ ひとりでふくをきる」というお話でした(絵本でいうとこのお話にあたります)。
ひとりで服を着ることにしたペネロペ、得意満面でお母さんのところにいってみると、その日は日曜日で幼稚園はお休みだった…うっかりね、ペネロペ。
という話なのですが、私は、とんでもないことに気づいてしまったのです。
ペネロペ、ふだんパンツはいてないこと、多くない…?
このページにいる、いろんなかっこうのペネロペをよくご覧ください。
…ほら、ほらね!パンツはいてない絵が、けっこうあるでしょう?
こちらでは動画がご覧になれますが、…ながぐつははいているのに、とか、おかいものかごは持っているのに、とか、あららら…
これは、プーさん的な、あれなのでしょうか。
この年の瀬にそんなこと書かないでもいいじゃないかという感じですが、大人になったらうっかりじゃ済まないこともあるんだと、誰かペネロペに教えてやってください。
…まあ、かわいいから、見ちゃうんですけど。
「みちくさとりこの年賀状2009」は、12/31しめきりです!
すでに3名の方からメールをいただいていますが、引き続き募集いたします!
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
お、おそうじ!
今日は、わが家の大掃除でした。とはいうものの、私は手伝っていないのですが…
私はここ15年くらい、なぜか大晦日のお昼におむすびを作るのが恒例になっています。どうしてそんなことになったのか、まったく記憶していないのですが。
今朝ふと目が覚めて、おむすびを作るのって大晦日だったっけ、大掃除の日だったっけと考え込んでしまい、うーん、どうせ作らなきゃいけないんだったら起こされるし、寝ちゃえ!と思って、次に目が覚めたときには大掃除が八割方終わっていました。
結局、大晦日に作るんだったと思い出したのですが、しかし何でこんなことになったんだったかな。
あらためて思いますが、それぞれの家の習慣って、興味深いです。
ではまた明日。
「みちくさとりこの年賀状2009」は、12/31しめきりです!
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
本を読む女、みちくさ
明日から年明けまで私の住んでいる区の図書館が休館になってしまうということで、予約していた資料を引き取りに行った。
私の取っていない芸術文化学科の授業の先生が、講義で取り上げた参考文献を挙げてくださっていたので、それを順番に読んでみようと思って。
私は学芸員の資格を取らないので、わりに多くの芸文生が取る授業を取らないことがあるのですが、その授業もそんな中のひとつ。
いつも、「○○の授業で言ってたでしょ?ほら、××が△△で…」と話し始められて、「私その授業取ってないんだよね」というと、「とりこちゃんが取ってないの?とりこちゃんだから取ってほしい授業なのに!」と言われます。
相手の話をよくよく聞いてみると本当にそうで、自分のぶきっちょさを理由に学芸員の資格を最初から取らないと決めていた1年生のころの自分を、うらむやらうらむやら(結局うらんでいるらしい)。
それにしても、しばらく図書館に行けないのは、残念。
業務の一部を民間に委託するようになり、開館時間が延びたり他のサービスも良くなった実感があったので、せめて以前の休日の開館時間くらい、やっていてほしいなあとは思うのですが、…まあ、仕方ない。
4月から、図書館で借りた本は必ず奥付をコピーして記録を取るようにしているのですが(自分で書くのが面倒という、ものぐさな性格ゆえですが)、今年は大学に入ってからいちばん、本を読んだかも。
とはいえ、このごろいわゆる小説(といえばいいのかな、ストーリーのあるものということ)を読むのがつらくなってきてしまって、そういう本はほとんど読んでいないのですが。
でも、どれだけ身になったかということだよなあと、焦りを感じながら思います。
参考文献の予約をウェブでしながら思ったのですが、どんなにちっちゃくて文化的にはいろいろだめそうな区(という、区民の実感)の図書館でも、得意分野というのはあるのだなあ。
私が今回借りたいと思っている一連の本の多くは、私の近所の図書館に在庫していて、そこで気がつきました。
そういえば、美術の本だとあの図書館から取りよせることが多いし、演劇の本だとあそこだなあ。
学芸員のように、それらのことを専門に扱ったり研究したりする司書さんはいなさそうだけれど(本当はいるのだろうか…いたとしたら、うまく活躍できていないなあ)、特色というのはあるのだな、と。
全然関係ない話ですが、小さいころ、『美女と野獣』の映画を見て何がいちばん印象的だったかって、野獣のいるお城の図書室です。
本が好きなベルのために図書室に案内してやって、あのカーテンを開いたときのベルの興奮!
のちのち、ミュージカルで『美女と野獣』を見たときもあのシーンが見事に再現されていて、大興奮した覚えがあります。
床から天井までのあんな本棚…あの横幅…欲しい!
ではまた明日。
「みちくさとりこの年賀状2009」は、12/31しめきりです!
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大掃除
「今年の汚れ今年のうちに」というくらいだから、おそらく日本に住む多くの人は、年末に大掃除をするのだろう。
私も例外ではなく、今日はちっとも片づかない部屋の、ごみを捨てたりほこりを取ったり、棚を整理したりしていた。
そしてふと、「そういえば、ピーターパンって『春の大掃除』のころにやってきたんだったよな?」と思う。(簡単にひとつのソースを挙げられないのですが、「ピーターパン 大掃除」で検索していただければ、「春の大掃除」ということばが出てくるかと思います)
確かに、クリスマスの盛り上がりに比べ、年末年始はあっけないものだと聞いたことがあるけれど、なぜ春に大掃除をするのだろう?春といっても、いったいいつごろの春なのだろう?
うーん、「spring cleaning」というらしい、ということは分かるのだけど、なぜあえて春なのかが分からないなあ…ご存知の方がいらしたら、教えてください。(一応、和英辞典には載っているのだけど…)
「みちくさとりこの年賀状2009」は、12/31しめきりです!
ではまた明日。
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がしこし!がしこし!
プリンタが壊れた。
年賀状をがしこしがしこしと刷っていた先日、とつぜんインクジェット用官製はがき(今でも「官製」というのだろうかとふと思う)を詰まらせるようになってしまったのだ。
A4の普通紙ならきちんと刷ってくれるから、これはどうやら、寿命の一歩手前ということらしい。
確かにたいしていいプリンタでもないので、毎年毎年年末に酷使していればそろそろ壊れてもいいころなのかもしれない。
それにしたって、いま壊れることはないだろうと思う。
ありがたいことにすでに60枚ほど刷っていたので、残りの10枚はシールに印刷し、はがきに貼り込むという技に出た。
…疲れた。でもまあ、いろんな道具やら奥の手やらがつかえたので、よかったことにしよう。
「みちくさとりこの年賀状2009」は、12/31しめきりです!
ではまた明日。
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みちくさのみちゆきでみちくさ
「みちくさとりこの年賀状2009」は、12/31しめきりです!
このあいだ大阪に行ったのは、私にとって事件だった。
なんて書くと大げさだけれど、わが家は出不精で人ごみが苦手だから車以外で旅行に行ったことがないし、私自身もとくに、旅行に興味はないつもりだった。
けれど、必要にせまられて行ってみると、私とたいして変わらないような人間がわんさか暮らしているところにわざわざ大荷物を持って行くのは、不思議なことだなあと思わされた。
私が緊張しながら乗った地下鉄も、憧れの眼差しで見つめた京都駅も、時間がなくて行けなかったたくさんのところも、そこにずっと暮らしている人からしてみれば、何でもないものなのだよなあと。
考えてみれば当たり前のことなのだけど、22年間暮らしている東京に帰ってきて、ようやっとそのことに気づいた。
うちの近所に、少し前まで月に1回、野菜のたくさん取れるとある県から、新鮮な野菜を売りに来てくれる人たちがいた。(辺り一帯の農家の人たちが、みんなして車で野菜を売りに来るのだ)
母が珍しがって山菜だとか東京ではなかなか買えない野菜だとかを買うと、「東京の人はこんなのが珍しいのかねえ」と言われたんだそうだ。
べつに、だから地元を大事にしようとはいわないし、自分の暮らすところの良さを再認識するために旅に出るのだ!なんて思わないけれど、ただ、ただ、不思議なことよな、と思う。
私は生まれてから22年間、一度も引っ越しをしていないから余計にそう感じるのかもしれない。
もともと電車がすきで、電車に乗るのがすきで、だから4時間ちょっとの新幹線各駅停車も、ちっとも苦じゃなかった。そりゃもちろん飽きたけれど、またやってみたいなあ、とは思う。さすがにこの間は日帰りだから青春18きっぷはあきらめたけど、今度はそれもやってみたい。
こんなこと、1年生くらいのときに思っていればもっと時間とかお金とかが有効に使えたのだろうけれど、でも、3年生も終わる今、実感を伴って理解することに、何か意味があるのだと思いたい。
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
みちくさとりこからの年賀状2009
Merry Christmau!!
Merry Christmau!!
…自棄です。
さて、今年もやってきました、「みちくさとりこからの年賀状」企画!
今年1年の感謝の気持ちを込めまして、年賀状の画像を、3名様にプレゼントしたいと思います。
以下が応募方法です。よく読んでご応募くださいませ。
お送りするのは「みちくさが制作した来年の年賀状の画像」です。
去年は「完全フリーソフトのみで」だったのですが、今年は学校のIllustratorで画像を作り、それを家に持って帰ってきてペイントであれやこれやと加工しました。
○応募条件
特にありません。ムサビ日記メンバーでも大丈夫です!
○応募方法
メールの件名に「お年賀」と書いてください。
本文には、
1.ペンネーム(本名でも可です)
2.(みちくさとりこの)ムサビ日記を読んでの感想/その感想をブログで紹介しても良いか
3.お年賀をもらうに当たっての意気込み(今年芸文受験します!とか。こちらも紹介して良いか書いていただけるとうれしいです)
4.ご自身のメールアドレス
をご記入ください。
いただいたメールは、当選者の選考後破棄しますが、メールアドレスはフリーメール(Hotmailなど)のものを使っていただけるとありがたいです。(少し気持ちが楽です)
お手数ですが、よろしくお願いいたします。
以上の情報をご記入の上、
michitori◎hotmail.co.jp
(◎→@の変換をお願いいたします)
までお送りください。
○締め切り
2008年12月31日いっぱい
○選考方法
今のところ、特に基準はもうけません。
何だかんだと、全員の方に送ってしまうかも。笑
○発表
1月1日中にはメールにて送信いたします。
見てがっかりされないことを祈ります。
また、こちらのブログでもあわせて発表いたします。
たくさんのご応募、お待ちしております!
ではまた明日。
1年生へ10の質問(2008改良バージョン)
ひとまず、1年生へ10の質問(2008改良バージョン)に、3年生ですが答えたいと思います。
大阪のことは、書きたいことがたくさんありすぎて、一気に書くと雑になってしまいそうで(某SNSの日記にひとまずだだっと書いたら、ものすごい分量に)…必ず書きますので、もう少しお待ちください。
コメントのお返事もおろそかになっていて、ごめんなさい。
では、つづきから1年生へ10の質問(2008改良バージョン)をどうぞ。
1.あっという間の1年間でしたか?それとも長い1年間でしたか?
今年はどうだろう、やっぱり、あっという間の1年だった気がします。
2.「大学に入ったらアレをしたい。これもやりたい」がいくつできましたか?
大学に入ってから、思いもかけない方向に物事が転ぶことが多くて、入学前の「あれをしたい、これもやりたい」は(そうたくさんあったわけではないのですが)どこかへ吹っ飛んでしまいました。
そういう意味では、できていないことの方が多いかも。
3.イメージしてたムサビ(美大)との「いいギャップ」「悪いギャップ」はなんですか?
うーん、1年生のころ、カルチャーショックですっかり参ってしまったけれど、今になってまた、そのショックが戻ってきているような感じ…かもしれない。
そもそも、ムサビに対してある特定のイメージがあったわけではないので、単に自分自身とのギャップに驚くだけなのですが。
4.入学する前にイメージしてた「自分に厳しい」生活はちゃんとできましたか?
これだけは、自信があるなあ…毎年のことながら。
さすがに、ぎっくり腰と胃腸炎のときは休みましたが、それ以外は休むことも遅刻することもなく、アルバイトもさぼらず、今年の芸術祭は今まででいちばん、やりがいがあったし。
5.大学というお風呂は意外と「ぬるい」ことに気がつきましたか?
うーん、これは、次の質問につながるのですが…
6.でも、お湯がぬるいのではなく、「ぬるくしてお風呂に入りたい人はどうぞ」で、ぬるくしてるのは自分なんだってことに気がついてますか?
何だろう、うまいこと書けないなあ…
私自身は、熱いお湯に入っていたいと思っているし、それなりに温めて入っているつもりなのですが、でもその「つもり」って、自分がぬるいお湯に入っていないと信じたいがための言い訳なのかな、と思ってばかりの1年でした。
口で言うばっかりで、できていないことの方が多いような気もするし、ただ自分は他人とは違うんだと言いたいから頑張っているのかなと思ったりもしました。しています。
でも、今までの2年間よりも格段に、「何で?」「どうして?」とショックを受けることが多くて…それに、私ばかりが熱いお湯に入っていても(入っていると信じていても)仕方ないと思わされたし。
結局、私もお湯をぬるくしているうちの1人なのかなと思ったり、そんなこと考えているのは私だけなのかなと思ったり。
何だかもう、ぐるぐる。
7.ぬるいお風呂にはぬるいお湯を求める人しか入ってなくて、実は熱いお湯のお風呂に入ってる人達が別にいることも気がついてますか?
それは、そうですね。
8.課題や授業をちゃんとやれなかったことに対して、「サークルや恋愛やバイトで忙しかったから」といつまで自分に言い訳し続けるつもりですか?
サークルもバイトも、あいにく恋愛にも忙しくないのでどうしようもないですね。笑
言い訳はしません。ただ、私のさぼり癖はやっぱり抜けていないというだけの話。
9.そんなに手羽ってKYですか?
何を今さら…
10.最後に、1年前の自分と1年後の自分にメッセージを。
1年前の私へ。
もうずいぶん前から気づいているとは思うけれど、なんだかんだ、流れに身をまかせて自分なりに真面目にやっていれば、ああもう、仕方ないんだなあ、と(これは、前向きな意味で)思う瞬間がやってくるような気がします。
だから、そのまま、そのまま。
1年後の私へ。
…と、1年前の私はこんなことを言っていますが、どうでしょう。そんな私のことを、どう思います?怒られそうで、怖いなあ。
ちなみに、「1年生へ10の質問(2007バージョン)」の回答はこちら。
ではまた明日。明日は、毎年恒例(にする予定)みちくさとりこからの年賀状の告知を予定しています!
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
わかさにまかせた!
大阪日帰り狂言ツアーの顛末は、明日にでも更新させてください。
何しろ、(昨日)4時間新幹線→1時間お昼→3時間狂言→4時間新幹線(+東京駅と実家の往復2時間+大阪市内移動1時間)→(今日)アルバイトその1を7時間半→アルバイトその2を3時間半の超強行日程。
さすがの私も目がとろけそうです。
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
『フェスティバル狂言』@フェスティバルホール/5時間の大阪
どうして、わざわざ大阪まで行くことにしたのか、フェスティバルホールに着いてから思い出した。
確かに、今回の上演が5年ぶり、さらには前回の上演が21年ぶりだったという珍曲『菓争(このみあらそい)』がどうしても見たかったということもあるのだけれど、それよりも、今年いっぱいでその50年の歴史に幕を下ろすというフェスティバルホールに一度行ってみたかったということも、大きな理由だった。
正確には、2013年に「フェスティバルタワー」として生まれ変わり、その中にホールも出来るので完璧なお別れではないのだけれど、それでも今の形ではなくなってしまう。
先日の新宿コマ劇場は小さいころから親しんでいたところだったけれど、フェスティバルホールはつい最近その存在を知った。それでもやっぱり、劇場という場所がなくなる、その事実が悲しくて、最後に見ておきたい、と思った。
フェスティバルホールは演劇の上演だけを行うわけではなく、むしろコンサートやライブなど、音楽のイベントが多く開かれていた。
中に足を踏み入れた途端、目に飛び込んできた真っ赤なじゅうたんや、シャンデリア。ちょっと歌舞伎座にも似た、急で入り組んだ階段。分かりにくい座席の配置。
中ノ島の再開発とホール自体の老朽化によって建て替えられるということなのだけれど、どこか雰囲気が新宿コマ劇場と似ていて、ああ、ここにはたくさんの人がやって来て、楽しい気持ちで帰っていったのだなあと、うれしいような、切ないような気持ちだった。
今回の狂言会は、茂山千之丞さんが総合演出、しかも、最後を飾った『菓争』は面(おもて)をつけない直面(ひためん)バージョンだったり、照明を使ったり、セリを使ったり、かなり斬新な演出。
普通なら橋掛かりを通って揚げ幕の中に消えていく最後だけれど、今回は暗転!
でもそれが全然嫌味じゃなく、すごいなあ、と思っていると、何と天井から下がっていたミラーボールが回り始め、第九が鳴り響く。笑
確かに、会場に入ったときから「なぜあそこにミラーボールが?」と不思議に思っていたけれど、こんなふうに使うとは…笑 びっくりです。
客席は大爆笑!それから、第九に合わせて大喝采!
いつもはこういう雰囲気って恥ずかしいのだけれど(特にひとりだと)、先日の塩ちゃんの指揮を思い出してしまった。思わず私も拍手、拍手。
それから、上方の手締めを会場全体で。(上方の手締めなんて知らないからどうしようかと思ったけれど、一度教えてもらってリハーサルまでするという念の入れようだったので、ひと安心)
最後に、『靭猿』の最後に謡われる謡を、出演者全員で。これは、簡単に言ってしまえばおめでたい内容の謡です。
謡が終わったあとは、また、拍手、拍手。
そうか、と思う。
確かに、フェスティバルホールがなくなってしまうのは悲しいけれど、それは次への第一歩でもある。
悲しい気持ちで見送っても仕方ない。楽しい気持ちで送り出すのがいちばん。
この後にも書くけれど、今回の狂言会の演目はどれも楽しくておめでたいものばかりで(まあ基本的に狂言はそういうものが多いけれど)、フェスティバルホールは幸せものだな、と思った。
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以下は、見た演目の簡単な感想。
『福の神』
(参詣人甲=善竹忠一郎、参詣人乙=善竹忠重、福の神=茂山千作)
この曲は、普通は面をつけて上演されるそうなのだけれど、福の神を演ずるのが茂山千作さんということで、直面での上演。
実は、先日の国立能楽堂開場25周年記念公演のときに、『唐相撲』とともに見逃していた作品だったので、見るのがとても楽しみだった。
年末に上演されることが多いそうだけれど、納得。
幸せな空気をふわっと会場に振りまいて、にこにこ笑いながら去っていく福の神に、すっかりやられてしまった。
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『舟渡聟』
(船頭/舅=野村萬、聟=野村万蔵、女=野村小三郎)
夏に、大蔵流で同じ演目を見ているけれど、今回は和泉流。少し、展開が異なります。
大蔵流では、船頭と一緒に聟がお酒を飲んでしまい、それがばれて舅に怒られる。和泉流では、船頭=舅で、聟にそれがばれないように苦心する、という話。私の大好きな「わわしい女」も出てきます。
狂言に出てくる「妻」はとても強くて、旦那さんの頭が上がらないのです。いっつも床をどんとやって、「腹立ちや腹立ちや」とか、「物狂(ぶっきょう)や物狂や」とか言ってます。これが、リアルで面白い。笑
それから、(私が思う)狂言の好きなところって、「自分自身で自分を追いつめてしまうことのおかしさ」がよく表現されていることかな、と。
だからこそ、前からよく言っているけれど、目を覆いたくなっちゃうようなかわいさが出てくるのだよなあ、と思う。この作品も、そういうところが好きだなあ、と思った。
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『小原木』
(謡=茂山千之丞、鼓=清水皓祐)
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『菓争(このみあらそい)』
(橘=茂山七五三、橙=正邦、九年母=くねんぼ=茂、柚=善竹隆司、蜜柑=隆平、金柑=茂山あきら/栗=茂山千五郎、柿=宗彦、梨=逸平、梅=善竹忠亮、石榴=ざくろ=茂山童司、棗=なつめ=網谷正美)
簡単なあらすじは、こちらをご覧ください。
これはもう、会場全体がほわっとした空気につつまれる、不思議なお話。
もともとが能『花軍(はないくさ)』の替間(かえあい=おめでたいときに演じられる間狂言)だったのですが、『花軍』が廃曲になってしまったことや、20人近い人数が必要になることから、上演機会がほとんどなくなってしまった作品です。
狂言にはおそらく能ほどには出てこない「○○の精」がたくさん出てくるので、どこか(ことばで言ってしまえば)「幽玄」を思わせる、なんとも言えないぼんやりとした空気が残ります。
とはいえ、いつも面白い狂言で私たちを笑わせてくれる狂言師たちが、生真面目な顔をして頭に橘だの橙だの柿だのくっつけて出てくるんだから、思わずくすっとなってしまう。そして、「栗殿」とくるから、もう、『蝸牛』の「かたつむり殿」くらい面白い。
「争」とはいえ、勝敗が決しないのもいいところ。みどころは、各々の戦い方だったりします。やったり、やり返されたり、鋏でちょきんとやられたり、二刀流でやってみたり、かっこつけたのにすぐにやり返されたり、油断していたらやられちゃったり。
お酒を飲むのが好きだったり、ここで一句詠んでみようかと考え込んでみたり。
(その考え込み方も、ストップモーションみたいな演出がされていて、私なんかは見ていて面白かった。それから、今回は4つの家が一緒にやっていたから、お酒の飲み方に少し違いがあるのも面白かった)
果物の精なのだけど、みんな人間ぽくて、かわいらしい。
やっぱり、見に行ってよかった。
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つづきから、数は少ないですが写真やら狂言会以外のことやらについてです。
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「50年ありがとう」の文字が見えるこちらは、フェスティバルホールの隣にある「リサイタルホール」。こちらも建て替えられる。
『ちりとてちん』ファンとしては、『ちりとてちん』の中に出てくる「天狗座」のロケ地として使われているので、ちょっと興奮。

逆光ですが、師匠が下りられなかったあの階段です…と、書いて分かる人がどれだけいるのか。笑

フェスティバルホールと、リサイタルホール。

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朝の東京駅。私が乗るのは、各駅停車のこだま。7:56東京発なのですが、時計をよくご覧ください。

やっぱり心配性の私は、7:20ごろには東京駅のホームに着いていました。笑
でも、「ぷらっとこだまエコノミープラン」に付いてくるフリードリンク券で飲み物を買ったり、憧れののぞみなんかを何本も見送ったりしていると、すぐに電車がやってきます。
こだまということで、足下の広さにまったく期待していなかったのですが、予想以上の広さ!

思わず写真を撮ってしまいました。こんなに足が伸ばせるなんて、思ってなかった!
新大阪の駅から地下鉄を乗り継ぎ、コメント欄でおすすめいただいたgrafのカフェへ。

この日のメニューはこんな感じ。

私は、「白菜と真鯛のラグーソーススパゲッティ」をいただきました。
前菜がついてきます。フランスパンにはさんで食べてくださいということらしいのですが、絶対とんでもないことになるので別々に食べました。笑

スパゲッティも美味しかった!(ピントが合ってなくてごめんなさい…)

本当は、grafの隣にある国立国際美術館の企画展も見たかったのですが、時間がなくて見ることが出来ませんでした。
しかも、狂言の公演時間が予想以上に長く、楽しみにしていた大阪天満宮にも行けず…あんまり悔しかったので、新大阪の駅でビリケンさんの根付を買ってしまいました。笑(全然、学業成就と関係ないのですけど、一応『ちりとてちん』絡みということで)
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そんなわけで、夏から大騒ぎしていた大阪日帰り狂言ツアー、無事に終わりました。
時間もお金もなかったので心残りはそれなりにありますが、遠出するなら心残りがあるくらいでちょうどいいのだろうな、なんて。
大阪に行ったという実感がほとんどないので(地下ばかり移動していたので)、今度はゆっくり、奈良や京都なども含めて行ってみたいなあ、と思います。
それでも、行ってよかった。
みちくさ大不安
とうとう明日、夏くらいからひとりで大騒ぎしていた、「大阪日帰り狂言ツアー」に行って参ります!
滞在時間が限られているため、教えていただいたおすすめスポットのほとんどに行けないことが心残りです。たこ焼きすら、食べる時間がないかもしれません。
しかも、結局あちらでの電車の経路・時間などを調べたのは今日になってから。
新幹線に乗るのも、関西に行くのも5年ぶりな私。心配です。
片付けるべき物事も今日中には片付かず(締め切りは破っていないのですが)、ううむ。
とにもかくにも、まったく現実感がありませんが、明日はやってくる。
早起きですので、そろそろ寝ることにします。
※明日は帰宅が遅くなり、そしてうっかり、明後日にアルバイトの予定を入れてしまったため(しかも、かけもちで…)、大阪日帰り狂言ツアーの詳細レポートは明後日もしくは明々後日になってしまいます。
あらかじめご了承ください。
ではまた、明日!行って参ります!
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
何も言えねえ
この記事が618エントリー目のみちくさとりこです。今日もまた、多少のズルをしての更新です。
一応、留年する予定も大学院に進む予定も今のところないのですが、まあ、他にも方法はいろいろありますもんね。(怒濤の更新という選択肢だけは、ない)
伝説といえば、高校を卒業するとき、3年間、学年主任を務めてくださった先生から、「あなたたちは伝説の学年です」と言われ、みんなで「それはほめてるのけなしてるの?」と呆気にとられたことを思い出します。
確かに、高校3年生になってからの私たちの学年のはじけっぷりは怖ろしいものがありましたが。
そんなわけで、手羽さん、1100エントリーおめでとうございMAU!
私もあと1年ちょっと、頑張ろう。ムサビ日記が、少しでもみなさまの力になりますよう。
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
劇団四季『CATS』@キャッツ・シアター
なぜ子どもに演劇を見せるのだろう。
小さかった私に演劇を見せた張本人である母に、どうして私に演劇を見せたのか訊ねたところ、母自身が好きだったからという答えが返ってきた。
同じ趣味が持てたらという淡い期待を持って子ども向けのミュージカルに連れて行ったら、家に帰って歌うわ踊るわの大騒ぎ。
普段とてもクールな子どもだった私の反応に母は味をしめ、今に至るというわけ。
今となってはいろいろ後悔しているところもあるようだけれど、時すでに遅し。ただの演劇好きになってしまった。
もちろん、私は2時間くらいなら静かに座っていられるいい子だったし、親が気をつかうまでもなく舞台にのめり込んでいたそうだ。
そんなに好きそうじゃなかったら、それ以降、劇場に連れて行くことはなかっただろう、と母は言う。
人の迷惑になるようなことをするくらいだったら、途中でも席を立つ。
ただただ、同じものを好きになってくれたらうれしいな、という思いだけで母は劇場に連れて行ってくれたのだと思う。
夏休み、子供のためのシェイクスピアカンパニーの『シンベリン』というお芝居を見た。(→そのときの記事)
「子供のための」と銘打っていること、すでに小学校の夏休み期間に入っていることもあって、劇場には何組かの親子がいた。
実のところ、『シンベリン』というお話はけっこう難しいし大人向けの部分(大人向けの描写)が大いにあるし、そもそも子供のためのシェイクスピアカンパニーは決して「おこちゃま向けの」シェイクスピアを見せているわけではない。
それもあってか、私たち親子の目の前に座っていた数組の親子が、親も含めて途中から(…わりと最初から)飽きて騒ぎ始めてしまった。
それを見て、私は暗澹たる思いがした。
そのときの記事にも書いているけれど、「私には、お芝居に対する敬意のようなものがある」。
けれど、彼らにはそれがなくて、それなのにどうして親子揃って劇場まで足を運ぶのだろう、と考えたら、おのずと答えはひとつになる。(「最近の親は…/子どもは…」という問題はさておき)
このところ気になることばとして「情操」があって、私はそれに対して、うさんくさいなあ、とずっと思っていた。
「情操教育」なんてその最たる例で、最近になって「情操」ということばの(今の私にとっておそらくいちばん近しい)意味を知る(理解する)まで「けっ」という感じだった。
その、私が「けっ」と思う部分を、『シンベリン』を子どもに見せていた親たちは、子どもに求めていたのだと思う。
私が最近知った、今の私にとっておそらくいちばん近しい「情操」の意味は(こういった形だとなかなか書きにくいのだけれど)、こういったもの。
「対象」⇔「五感で感じる」⇔「思惟・思考=内的活動」⇔「表現=外的活動」
→これらをすべてひっくるめて「情操」
美術教育法の先生の受け売りなのですが、今まで、学習指導要領に出てくる「情操」ということばに嫌悪感を持っていた私には、すとんとはまる説明でした。
けれど、子どもに演劇を見せたがる親たちの多くは、きっとそんなことを考えてはいない。
それは、邪な私の偏見なのかもしれないけれど…
では、なぜ演劇を見るのだろう。
少なくとも今の私は、いろいろなことを考えるための入口として、演劇という方法を使っている。
もちろん、作品そのものから考えることもたくさんあるけれど、もっと別のところと結んで考えるためのとっかかりに演劇があるような気がしている。
子どものころはどうだったのだろう、単純に舞台美術がきれいとか、役者さんがかっこいいとか、面白いお話だとか思って見ていたのかもしれないけれど、自分自身でも拙いなりに作り手として演劇に関わる中で、知らず知らずのうちに「演劇の文法」のようなものを覚えていったような気がする。
演劇を見ることは、それこそ静かに出来ないお客さんや、興味なさそうなのに劇場に足を運んでいるお客さんについて考えることでもあって、それは必ずしも、演劇という枠の中だけでは完結しない。
初めて演劇というものを見たときから20年近く経て、私はそんなことを考えるようになった。
うーむ、何を言いたいのか見失ってきているけれど、…いや、特に言いたいことはなかったのかも。
ただ、やっぱり私の奇妙な力は今日も健在で、三方を「なんだかなあ」な親子に囲まれてしまったのです。
そうしたら、どうしてもいろいろなことを考えてしまって…
なぜ、あえて「演劇」という手段を取ることになったかは、まだ自分自身でも分からないけれど、でも、何かに対するとき、「情操」の部分がすっぽり抜け落ちているとしたら、それって何のために対峙しているのだろう、と考えてしまいました。
ではまた明日。
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『愛と青春の宝塚 恋よりも生命よりも』@新宿コマ劇場
私が新宿コマ劇場の存在を知ったのは、今から16年前、6歳の夏休みだ。
幼稚園の年長さんだった私は、(今よりもうちょっと地味だった)ミュージカル『ピーターパン』を青山劇場まで見に行った。
そのとき買ってもらったパンフレットに、「『ピーターパン』 12年のあゆみ」という特集があり、81年の初演からそれまでの上演記録が記されていた。(初演は、あの榊原郁恵さんがピーターパンだったんですよ!)
おそらく、漢字とカタカナの組み合わせの字面が印象に残ったのだと思う。すぐに名前を覚えてしまった。
そのころの私は、劇場といえば青山劇場だと思っていたので、へえ、私が今日見たものと、同じものを別のところでもやったんだ、と不思議な感じがした。
それから、私にとって新宿コマ劇場は「あって当たり前」の劇場だった。新宿駅を頻繁に使っていたので、チラシを見て何となく公演カレンダーが頭に入ってもいた。
ただ偶然に、私や親が行きたいと思うものがかからないから行かないだけで、サブちゃんが好きだったら、もちろん行っていたと思う。
けれど何だかんだでずっと行く機会がなくて、結局、生まれて初めて新宿コマ劇場に足を踏み入れたのは、閉館の決まったこの夏のことだった。(コマの下にあるシアターアプルには、浪人していたときに行った)
コマがなくなるなんて、思ってもみなかった。
東京では今年から来年にかけて、コマ以外にもいくつかの劇場が閉鎖される。
そのどれもが、私にとって、…どんなことばにしたら伝わるのだろう、だめだなあ、どうしたって言い切れないな…
自分の卒業した学校がなくなる感覚、がいちばん近いかもしれない。私自身はそういう体験をしたことがないのだけれど…でも、多分、そういう感じ。
コマと、ちゃんとお別れができてよかった。
もちろんお芝居もきちんと見たし、楽しんだけれど、やっぱり私としては劇場との別れの方が大きな意味を持っていて…
あの、コマのせり上がりも見られたし。
いろんなことが、かなしい。
ではまた明日。
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イッセーオカダプロジェクト『空箱』@下北沢駅前劇場
ちゃんとしたパンチより空振りのほうが疲れるというけれど、繰り出す本人が意識している空振りなら疲れないんだろうな。
むしろ、空振りのパンチを相手がしっかり受け止めた気になっていることのほうが快感だったりして。
そういうことなのだろうと思うし、そういうことであると願いたい。
いやいや、空振りの向こうから、強烈なパンチを喰らいました。くらくら。
ではまた明日。
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落ちても抜けない
今日のアルバイトは、先日の作業のつづき。
無事、160か所の訂正を終えた。
こんなこと、迂闊にいうもんじゃないのかもしれないけれど、このところぱたぱたと(決して、ばたばたと、ではなく)、いろいろな物事がはまるべきところにはまっているような感覚になっている。
そういう気持ちになるときは、どかっ、とまとめてあって、どうやら今は、その波がきているみたい。
何というか、釈然とする、腑に落ちる、というか。そのときの気持ちは、何ともいえない。
私はしあわせな人間だなあと思う。(それはもちろん、「おめでたい」というような意味も大いに込めてだけれど)
3年生の反省は後期が終わったらするにしても、はてさて、私の3年生は本当に終わるのだか…
ではまた明日。
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焦らずじっくり、でも急いで忙しく
来週の今ごろは、狂言の公演も終わって大阪天満宮に向かっているのだろうかと思うと、そら怖ろしい。
胸をはって行けるようにしないと、と思うばかりです。本当に大丈夫だろうか…
結局、予定を立てるのは4時間かかる新大阪行き新幹線の車中ということになりそう。リアル、お上りさん。
今年の何とやらは何とやら…とにもかくにも、1週間の始まりです。
ではまた明日。
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真面目だったり、不真面目だったり
今日はアルバイト先で、ひたすら印刷物の訂正作業をしていました。
ある部分に、3.5mm×14mmの大きさに切った白いシールを貼る作業。
大きなシートから3.5mm×14mmを切り出して、カッターの刃先で台紙から剥がし、貼る。
まるで、表具職人のような作業です。
社員さんに、「私もさっきやったんですけど、大変で…」と言われるも、やり出すと意外に面白い。
「何だか楽しくなってきました」と言ったら、「本当?」と驚かれました。
「一応、美大生なので…」と答えると、「美大の人って、やっぱりそういうの得意なんですか?」と聞かれる。
得意、というと誤解があるような気がしたので、「うーん、耐性はあるかもしれないですね」と言うと、「なるほど」とうなずかれた。
でも実際、そうだと思います。カッターやらカッターマットやら定規やらに触る機会はおそらく圧倒的に多いだろうし、抵抗がない人の方が多いのではないかなあ、と(もちろん例外はありますが)。
作業自体は、ぼんやり考えごとをしながらでも進むので、楽ちん。
最初は見えなかった台紙とシールの隙間も、2回3回と繰り返すうちに自然と見えてくるようになる。
しまいには没頭してしまって、時間の経つのが早いこと。
今まで、このアルバイトを嫌だと思ったことは一度もありませんが(他のバイトは、実はさぼったこともあったのだけど、今のバイトはぎっくり腰以外で休んだことがないのです)、初めて次に行くのが楽しみになりました。
utoさんの記事を読んで、そうだよなあ、まずは作ってみなきゃ、と思いました。
私も(「も」というと語弊はありますが…)、やれないくせに理想が高くて、それに到達できないと途端にやる気をなくしてしまうところがあるので…
ためこんでいるもろもろ、まさしく、「100求めて手をつけられず0になる」状態なので、まずは、まずは80でも、80にいかなくてもせめて50、何とかして、見せなくては。
本当にはきっと、私は飽きっぽくて全然、しっかりなんてしていない。
隠しても、だめなんだよなあ…とほほ。
ではまた明日。
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華の落語界・五派の顔合わせ『夢のスーパー競演会』@ルネこだいら
私にはどうやら、あまりうれしくない力があるらしい。
というのも、どうも私が劇場に足を運ぶときには、周りに「なんだかなあ」な人が集まっている、ようなのだ。
いつも一緒に舞台を見てくれている友だちには本当に申し訳ないと思うのだけれど、私にはどうしようもないので、心苦しい。
私はそういう人たちを見るにつけ、どうしてなんだろう、どうしてこんなにも板の上のものやことを思ってくれないんだろう、と悲しくなっていて、やっぱり今日も、「なんだかなあ」な気持ちになってしまった。
落語会そのものはとってもとっても楽しかったのに、終わったときにはぐったり。
私ほどすきになってはもらえない、という気持ちではなく、本当に、最低限のマナーや思いやりの欠けている人の多さに、ため息が出ました。
彼らにとって、あのホールはもしかして、お茶の間と同じ感覚だったのかもしれない。
ひっきりなしにおしゃべりする人、携帯電話を2回も鳴らす人、挙げ句の果てにはメールを打ち始める人。
生身の人間が目の前にいて、上手いにしろ下手にしろ、一所懸命こちらに何かを語りかけてくれている。
でも、そんなことおかまいなしに、なれるんだなあ、と。ああ、なんだかなあ…興味がないんだったら、来なければいいのになあ…
まあ、私の心が狭い、ということも多分にあるのでしょうが。
さて、肝心の落語会そのものの、話。
私はほとんど初めて生で落語を聞きました(『壱弐参之笑』は噺家さんだけが落語をやったわけではなかったので)。
落語のドラマに2つもはまっておきながら(ひとつは『ちりとてちん』、もうひとつは『タイガー&ドラゴン』。上方と江戸、ちょうどひとつずつ見ています)、いまいち興味が持てず、このごろよく見ている能や狂言ほどに自分で勉強することもありませんでした。ごく基本的な話ですら知らないものもたくさんあります。
どうして興味が持てなかったかというとそれははっきりしていて、どうにも、落語の登場人物の「腹黒さ」が私には笑えなかったのです。
例えば(完全な私見ですが)、狂言の登場人物は、ただただお馬鹿さんで、むしろ可愛らしさすら感じられます。行動→結果の段階がひとつしかないといえば、分かりやすいでしょうか。「あの人、嫌いだな」→「ちょっとこらしめちゃえ」→「結果:失敗」というひとつの明快な流れがあります。
一方落語は、その流れの中にもうひとつ、展開があるように思えます。上の例でいうなら、「ちょっとこらしめちゃえ」の相手も、「あいつをちょっとこらしめちゃえ」って思っている場合が多い気がします。私はどうしても先を読んでしまって、(それが当たっているにせよ外れているにせよ)純粋に、心の底から笑えないみたい。まったく知らない話だとそれが顕著で、先を読もう読もうとしてしまう。
でも今日、その印象が少し変わりました。
やっぱり生で見るに限るね、なんていう気はないけれど、今日がなかったら、もしかして私はその苦手意識をずっと引きずっていたかもしれない。
確かに今日かけられた噺にも、「腹黒い」と私が感じる部分が、ないわけではありませんでした。5つ聞いたけれど、そのうち3つくらいはそういう類のものだったかな。
でも、(上にも書きましたが)生身の人間がそれを演じることで、そこに説得力が生まれるというか、必然性が生まれるというか…ただ腹黒いわけではなく、そこに理由があったり、事情があったり、その背景が、何となく見えるような気がします。
ただ、「オチ」なり「サゲ」なりはどうしてもあるから、どこに着地するんだろう?と先を読んでしまう癖は、やっぱりなくならないのかもしれません。
狂言は、ビタッとしたオチがないことが特徴ではないかな、と思います。「許されい許されい」「やるまいぞやるまいぞ」で舞台の上から登場人物が消え、そこに余韻が残る。それは、やっぱり狂言が能楽だということを思い知らせてくれます。(能を見たあとにも、やはりぐわんぐわんとした余韻が残るように思えるので)
余白を残す、とはまた少し違いますが、余地があるのが狂言。落語には、確かに想像する力が要求されはするけれど、着地点がはっきりしているのだよなあ、と(演じる人によって解釈が違うということはありますが)。
そういえば、先日、本屋さんで遊んでいたときに(→その日の記事)、「落語絵本」のようなものをたくさん見かけました。
私は何だか、複雑な気持ち。このところの、「日本語ブーム」の影響だろうということは分かるのだけれど、いくら絵本が(私なりのことばでいえば)「演劇的」なものであるとしても、本当には板の上に存在するものを、絵本に落とし込むってどういうことだろう、と。絵本の仕組みを効果的に使っているわけでもなく、「子どもの教養」という感じで本の形にされているのが、釈然としなかった。
私自身、「まんじゅうこわい」ともうひとつ、何かの噺を本で読んでいるのですが(それは落語絵本のようなものではなく、何がきっかけだったのか、偶然に手に取ったもの)、ただ中身を知るだけに過ぎなかったものなあ。本当には、「まんじゅうこわい」を知ってはいない。
何だかまとまらない話で申し訳ないのですが、今日はこんなことを考えていました。
ではまた明日。
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それでもやっぱり
昨日は、「年齢を重ねることに面白さを感じるようになった」などと書いたが、前言、ちょっと撤回!
女子高生には、勝てないよう。いろんな面で、勝てないよう。
いくら私が、制服着せたら女子高生に見えると言われたところで、気分はやさぐれ22歳。
「ジョシコウセイ」、という響きは、あまりにも、目映い。眩い。
ではまた明日。
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『エリザベート』@帝国劇場 2回目
大好きなミュージカル『エリザベート』の2回目を見てきました(→1回目)。タイトルロール他、ちょこちょことキャストが変わっています。
舞台は生物、水物といいますが、本当にそうだなあと。塩ちゃん(1回目の記事参照)も先日ほどノリノリではなく、舞台の上でも細かな悪循環がつづいてしまい。もちろん、それも含めて舞台という「生き物」が私は好きなのですが。
そして今日は、このごろ思うことと重ね合わせて、いろいろと考えてしまった。
たかだか22のコムスメがこんなこと言うと笑われてしまうかもしれないけれど、20歳になってからの私は、年齢を重ねることに面白さを感じるようになった。もうそれには抗えないと分かったし、だったら重ねることで出る奥行きみたいなものが、私も欲しいなあと。私が気になるのはちょうど10歳くらい上の人たちばかりで、そんな人たちばかり気になっていたけれど、彼らにも気になる、尊敬する人たちがいて、その人たちのほうがもちろん、いろんなことに秀でていて。すごいなあ、面白いなあ、私もあんなふうになりたい、なろう、と思って、いろいろと決めてきたように思う。
けれど単純に、年齢を重ねることがプラスに考えられない人たちもいる。スポーツ選手はその最たる例で、ピークが10代だったり20代だったりする。引退してからの人生の方が長く、しかしそれは彼らにとっては決して本意ではないだろう。もちろん、スポーツで培った能力を生かし、別の道を歩むこともできるけれど、それを自分で認めるまでには相当な時間がかかるのではないかな、と私などは思ってしまう。
「年齢を重ねる」=「衰える」という考え方も、確かにあるのだよなと。
身体が衰えていくのは仕方のないことで、でもそれを自分自身が認めてやれるまでには、どれくらいの時間がかかるのだろう、と。
だから何だか、聞いているのがとてもつらかった。
私だって、その人の全盛期を知っているわけではないのだけれど、その人が確実に衰えていく。けれど仕事は来てしまい、きっとその人には分かっているだろうに、引き受けねばならない。
それは、その人自身にとってどれだけの苦痛だろうかと。
いつ、その人は認められるのだろう。周囲は認めさせてあげるのだろう。(きっとその人は、もうその人だけの「モノ」ではないから)
その人は、また別の道を行くことはできるのかなあ…もう、この人の声を聞くことはないのかなあ。
…あ、来年の夏、見たいと思っている舞台に出るんだった。なんだかな。悲しい。
ではまた明日。
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読みたい本
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今日は天気のせいか体調がすぐれず、授業にひとつ、出ないで帰ってきてしまった。
聴講というか、履修はせずに受けている授業だから、まあ、大丈夫といえば大丈夫なのだけれど。
でも、来週も私用で出られないので、何だかがっくりきてしまった。
ではまた明日。
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平日の夕方、本屋さんの隅で
用事があって、ある駅に行った。乗り継ぎで利用するけれど、あまり降りたことのない駅。
時間があったので、本屋さんの絵本売り場に行ってみた。
そこで出会ったのが、この絵本。
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読んだのが、平日の夕方、ひとけのない本屋さんでよかった。
ちょっと中が読めるサイトもあります。ほんの一部分ですが。
でも、このごろ本屋さんで人気らしい絵本(なのかなあ、あれは)の動向には、考えさせられました。
とある本では、「子どもの本を親(大人)が楽しいと思うわけがない」(というような趣旨のこと)を書いていたり。本屋さんの片隅で、腰がぬけるかと思いました。
どうして私が本を読むようになったのか。どうして私の親は本を読ませたがったのか。どうして私は本嫌いにならなかったのか。それなのにどうして最近の私は本(というか、紙に書かれた文章?)のことを信じてあげられないのか。とか、とか、とか。
あともう1冊。同じく酒井駒子さんの絵本です。(文は違う方です)
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私はどうやって、猫の鳴き声や鳥の飛び立つ音を覚えたのだろう、と思いました。
小学生のころ、よくある擬音に納得できなくて、自分で雨の音とか作っていたなあ。
絵本や児童書のあるところで、1時間くらい遊んでしまいました。
ではまた明日。
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面白し
高校の英語の時間だったか、「不変の真理」ということばを知って、すごいなあと思った。
ご存知の方が大半だと思うので簡単に説明すると、「太陽は東から昇る」とか「水は100℃で沸騰する」といった「不変の真理」は現在時制で表現されるということ。(…ですよね?)
言い換えれば、現在時制で言えること以外は「可変」なのだなあと思うと、世の中(という言い方は大げさにせよ)、確かなことなんてないんだなあと、17歳くらいの私は思った。
で、今それをとても感じている。だからこそ、面白い。
全部の答えが分かっていたら、全然、面白くないだろうなあという気がする。楽かもしれないけれど。
でも、私は「面白い」ほうがいいなあ、なんて思ったり。面白いし、楽しい。
はて、「面白い」の語源って何だろうと調べてみたら、こういうことらしい。
ではまた明日。
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ゲイブンさんのこと、とか
竹林さん、芸文の話題のご紹介、ありがとうございます!
実は、たづくりの方のツリーは、設置が終わった次の日にちょうど行く機会があったので見てきたのですが(→そのときの記事)、ロビーに入るひと入るひと、みんな見上げてわあきれい、と言っていて、何だかうれしくなりました。
制作の現場をちらりと見たりもしているので、勝手に私まではずんだ気持ちに。みなさんも、機会がありましたらぜひぜひ!
今、ゼミで「芸文を語るとき、どう語るか」「自分自身を語るとき、どう語るか」、見開きで作るという課題(正確にいうと課題ではない、と私は思うのだけれど)をやっていて、先日、私はその発表をしたのですが、そのことについて書いた方がいいのかなあ、と思いつつ、やっぱりこういう場なので、もう少しまとめてからにしようなかな、とも思ったり。
でも、せっかくこんな場をいただいているのだし、受験生もたくさん読んでいるのだろうから(課題では、受験生向けに語るということではないのだけれど、でも私にとっていちばん身近な「芸文を語るべき相手」は受験生なので)、何らかの形では。
…と、またあともどりできなくしてみる。
でも、考えれば考えるほど、芸文は面白いのです。
さて、今日の話。
今日は図書館に行って、本を何冊か借りてきました。まだまったく手をつけていませんが、ひとまず記録。
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この冬のテーマは、「美術、がんばろう、私」です。
そうそう、ろん太さんに目撃されていたようですが、全然気がつかなかった…
あのリュックサック、重さに耐えかねてどんどんお尻のほうまで下がってきちゃうんです。あんまり出来のよくないリュックだからかも…
ずるずるしたリュックをしょっていたのだとしたら、そしてつんつんな髪の毛だったのだとしたら、たぶん私です。
どの辺までストーキングされてたんだろう!?笑
明日は試験監督のアルバイトです。子どもたちに風邪をうつされないようにしないと。
ではまた明日。
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すうがくとびじゅつ、とか
昨日の寒気やのどの痛みは、インフルエンザの予防接種による副反応だったようです。母も調子が悪かったのだそう。
昨日は元気だったからこの程度で済んでいるけれど、やっぱり調子の悪いときに行くのはよくないのだなあ、と思いました。
さて、今日の話。
今朝、新聞を読んでいてふと、新刊の広告に目が留まりました。
岩波書店から出ている、『日本数学史』という本。1960年に出版されたものが、11月末に復刊されたのだそう。
昨日のゼミでちらりと話したことなのですが、私は学校の数学の授業がとんでもなく嫌いだったのに、どうしても、数学というものに惹かれます。どこか、「うつくしさ」を見ているのだろうな、と高校を卒業してから思うようになったのですが。
3年生になって、図法・製図という授業を取り(Webシラバス図法・製図I/図法・製図II)、ますます確信を深めました。
きちりきちりと物事がはまっていく面白さ、そのうつくしさ。私は語彙が足りなくて「ぐっとくる」としか言えないのですが、でも、「ぐっとくる」。
例えば、コンパスや定規のなかったころにも、まるでそれらの道具を使ったかのような図形が描かれていたこと。それが西洋だけの出来事ではなく、日本でも起こっていたということ。
そんなところがとてもすきなのです。
それで、広告に載っていたその本が読んでみたいと思ったのですが、いかんせん古い本なので近所の図書館にもなく、だいいち、きっと読んでみても難しすぎて投げてしまいそう。
そこで気になったのが、「関孝和没後300年」という文字です。どうやら、その記念として復刊されたようなのですが、「関孝和」って、数学界では有名人なのかしら。300年前の人ということは、江戸時代の人?
「和算」ということばがあったり、「算学者」なんて人たちがいたことは知っているし、明治以前にだって日本の数学はずいぶん高いレベルにあったらしいということも知っているけれど…
調べてみると、こんな記事に辿りついた。ふむふむ。
数学が「抽象的思考の極みである」ということ、その一方で、「抽象的な思考を厳密に進めるという思考スタイルが、日本人には適さない」と言われてきたということ。
昨日、「抽象」ということばの意味がはっきりとは分からず(もちろん、分かってはいるのだけれど)、辞書を引いてみると「多くのものから共通性を抜き出して概念をつくること」とあった。(→三省堂 デイリーコンサイス国語辞典)
ふむ、ふむ。抽象、なんだよなあ。そうやって考えると、やっぱり、面白い。
そして、どこか美術(とひとくくりにしてしまうけれど)に近いんじゃないかな、という気がする。
ではまた明日。
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フルフル
昨日はとても元気だったはずなのです。2年前、インフルエンザの予防接種をしたときは、確かにちょっと疲れていたけれど。
いつもと違うこの喉の痛み…寒気…まさか…
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予防接種に行ってきました
今日は、夕方の5時から学校。授業がひとつもなくて、そのためだけに学校に行きました。
鷹の台の駅から学校まで、るんるんと家路を急ぐ学生に逆行しながら歩くのは、ちょっと恥ずかしかったです。
で、午後早くに病院に行って、インフルエンザの予防接種をしてきました。
とはいえ、去年utoさんに教えてもらったように、免疫ができるまではしばらく時間があるので、ちょっと大人しくしていたいと思います。
たしか一昨年は、身体が弱っていたときに無理矢理注射を打って、すっかりインフルエンザになって点滴までされたのだった。
その話を友だちにしたら、「お金払ってインフルエンザになるなんて、ある意味豪華だよね」と言われました。
そのときはノロウイルスにもほぼ同時にかかって、それをある先生に話したら、「みちくさ、よく生きて帰ってきたね」と言われました。笑
今年こそは、感染性胃腸炎にならない冬を!
ではまた明日。
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明日は予防接種に行こう
国立感染症研究所のインフルエンザ流行レベルマップによれば、11月17日から11月23日の1週間で、インフルエンザにかかった人がぐっと増えたとか。
忙しさを理由に予防接種をしていなかったので、明日、病院に行くことにしました。
受験生のみなさんも、予防接種しておくことをおすすめします。まあ、違う型が流行してしまったらおしまいですけれど…でも、気の持ちよう、ということもあるし。
バイトで高校受験生に日々接していますが、彼らのせっぱつまった感じがじんじんと伝わってきて、私もなんだかつらいです。
彼らにしてみれば、「他人事だと思って!」って感じでしょうけど、私もやっぱり受験生だったときがあったし、今だって受験生みたいなものだし。
次は私の番、と思っています。
分かるよ、なんてことばは気休めにもならないけれど、でも、分かるよ。
話はもとに戻りますが、どうしても「予防接種」ということばを聞くと、はしかが流行ったころの校内放送の「予防雪舟」を思い出してしまいます。
ではまた明日。
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走る走る!
先日、とある小学校の図画工作の授業を見学に行ったことを書いたけれど(→そのときの記事)、私たちを受け入れてくださった先生から、連絡があったそうだ。
何と、あのとき見学させてもらったクラスの子どもたちが、毎週「もうあの人たちは来ないの?」と先生に聞くのだそう。
私は個人的に、そこまで子どもと一緒に作業をしたわけではないから、決して私自身がどうこうという話ではないのだけれど、まさか子どもたちがそんなふうに思っていてくれたなんて、少なくとも表情なんかからは分からなかったので、びっくり。
それは私の周りにいた学生たちもそうらしくて、みんな一様に、ええ!と驚いていた。
先生が、ふと思いついたときにでもいいから、ぜひ授業に来てみて、とおっしゃっていた理由が何となく分かる。教育ボランティアが必要とされている理由も、少し。
それは、喜ばしいことでもあるけれど、ちょっと切ないことでもある。
冬の展覧会の時期は、ちょっと忙しいけれど何とかしてお手伝いに行こうかなあ。
今朝、「そうか、教育実習まであと半年なんだ」とちょっと考え込んでしまったから、なおさら子どもたちのそういうことばはうれしかった。
もちろん、うれしい、だけで終わらせてはいけないのだけれど。
この間提出した学習指導案が、やっぱりちょっとぱっとしなかったこともあって、はあ、でも、モチベーションの上がった師走最初の日でした。
ではまた明日。
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