リアルな美大の日常を
Search
『船弁慶』の台本を読んで思ったこと
※昨日の日記、書きかけだったものを更新しています。こちらからご覧ください。
楽しみすぎて何度も書いていますが、今度、『船弁慶』という能を見に行くにあたって、台本を読んでみました。
歴史が非常に苦手な私は先日、3行ほど読んで挫折したのですが、昨日の夜、一気に最後まで読み切りました。
生の舞台や映像で、『安宅』(能)、『勧進帳』(歌舞伎)、『義経千本桜』(歌舞伎)と見ているのに、「判官殿って誰ですか?」状態。
ちょこちょこ見ていた大河ドラマ『義経』のせいで、タッキーやらマツケンやら石原さとみやらの顔が去来するなど、大変難儀しました。とほほ。
(※余談ですが、私はいまいち、『忠臣蔵』の人間関係も理解できていません…)
とにもかくにも人物関係を把握し、読み進めているともうひとつ、問題が。
狂言の台本より、圧倒的に言葉が難しいんです。
それは、注釈を見れば一目瞭然。
『船弁慶』に限らず、「掛詞」「序詞」「縁語」など、「あ、古典の授業で聞いた!」というような用語が、たくさん出てきます。
もちろん、言葉そのものの説明や、歴史的背景の説明も、けっこう多くてめんどくさい。
狂言台本を読みながら、「あーあ、こんなのが古典の教材だったら面白かったのになー」なんて呑気に思っていましたが、甘い!不真面目な高校生だった私は、「掛詞」「序詞」「縁語」の存在をすっかり忘れていただけだったのだ!
それでもやっぱり、「あーあ、能の台本が教材だったら面白かったのになー」とは思いますけれど。
それこそ能楽師さんも見る前に読むことを勧めていらしたし、イメージとくっつくから、言葉や背景をきちんと覚えられそう。
と、そこまで考えて、はっとしました。
私が見に行くのは、生きている人間が演じる『船弁慶』。
それって、例えば台本が教科書に載っていたとして、生徒は興味を持ってくれるんだろうか。
中学や高校のとき、「国語科」の授業の一環として伝統芸能をたくさん見たのですが、今になるとそれって、何とも不自然なことに思えるのです。
もちろん、じゃあ伝統芸能を始めとした演劇って、学校の教科でいうと何になるの?と聞かれると困ってしまうから、仕方のないことだと承知してはいますが、何となく違和感を覚えます。
中学のとき、国語の教科書で狂言の『附子』を読んで、特に面白いとは思わなかったけれど(だって先生が、さも面白いふうに話すから、何だかわざとらしかったんだもの)、その後に学校で『柿山伏』を見て、「あれ?」って思ったんです。
当時本当にどう感じていたのかはよく覚えていませんが、(若干の記憶の捏造はあるにせよ)『附子』より面白い、と思った、ような気がします。
そして先日、久しぶりに見に行った狂言が、『柿山伏』でした。
私はあるシーンを見るまで、自分が最初に見た狂言が『柿山伏』であるということをすっかり忘れていました。
でもそのシーン(柿をむしゃむしゃと食べるシーン)を見た途端に記憶がわあっとよみがえってきて、「そうだ、これを見たんだ!」とびっくりしました。
それくらい、生で見ることの印象って、大きい。
教科書でいくら「あおげあおげ」「あおぐぞあおぐぞ」と読んだところで(朗読なんかもさせられた記憶がある…演劇部だったし)、本当の呼吸は分からない。呼吸が分からないと、本当に面白いところは分からない。同じ演目を生で2回見ても、お客さんの笑うところ、笑い方って違う。
生で見ることが難しくても、せめて映像で見たい。
ちなみに、平成17年度から使われている、光村図書の国語教科書(小学校6年生用)に『柿山伏』が載っているそう(少なくとも平成21年度までは掲載されています。参考資料、pdf)。
うーん、そりゃまあ、文学としてもじゅうぶんに面白いことは否定しませんが…
でも、本当に教科書で、伝えたいことが伝わるかというと、…現状ではなかなか難しいのだろうなあ。
というかそもそも、どうして古典って勉強するんだろう。今でこそ、演劇をとっかかりとして楽しんではいるけれど、楽しいと思わない、過去の私みたいな子、いくらだっているよなあ…
「ややこしや〜」で狂言を知った子どものどれくらいが、学校に行っても古典を好きでいてくれるのだろう。
学習指導要領を読んで、頭がぐらぐらしています。(小学校学習指導要領はこちら、中学校学習指導要領はこちら)
話が広がって、ぐちゃぐちゃしてきたので今日はこの辺で終わりにします。
最後に、参考資料。学校でよく演じられる狂言の動画、茂山千五郎家のものがこちらからまとめて見られます。
個人的なおすすめは、『濯ぎ川』です。いつか見てみたい演目のひとつ。
やっぱり、学校と演劇の関係って、気になる。
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)