キッカケ

きちんと狂言を見始めたのはごくごく最近のことですが、凝り性の私は図書館で狂言台本を借りてくるまでになってしまいました。
素人ゆえの無責任さで言えるのかもしれませんが、これが面白い。
見たことがあるものはそのときのことを思い出して楽しみ、写真なんかで何となく知っているものは想像して楽しみ、今度見るものは演じる人を当てはめて「あんなかな?」「こんなかな?」と楽しみ、まったく知らないものは想像だけで楽しみ。
そりゃまあ、今だって「きちんと」見てるなんていうのはおこがましいくらい偏った見方しかしていないけれど、私という人は舞台そのものが好きなので、最初に見に行ったとき(実際最初に見たのは中学生のときなのだけど、大人になってから最初に見に行ったときということ)は、ぼーっと舞台を見ている感じでした。
私はなぜか、普通の現代劇を見ていても話の流れが途中で追えなくなる人なので(笑)、よく分からない話もあんまり気にならないのです(それはそれで、困ったものだが)。
でも狂言って、基本が「笑い」なので、周りが笑っていて自分が笑えないと、何か悔しいんです。笑
自分の好みに合わないとか、感覚に合わないとかで笑えないなら別に構わないのだけど、「分からない」で笑えないのは、悔しいなあと。
で、特に私には難しかったもの(昔の風俗が出てくるものは、全然分からなくて導入でつまづいてしまう)を確かめたくて、台本を借りてきたのです。
でも、ぱらぱらとめくってみると、あらためて文字で見る狂言が、本当に面白くて。
見るたびに書いているけれど、狂言の登場人物はほんとにお馬鹿さんばっかりで、でもだからこそ、可愛らしい、愛おしい。全然だめなくせに、一所懸命生きている。
はあ、かわいいなあ、と、布団でごろごろ読みながら(失礼きわまりない…)、ぬくぬくした気持ちになります。


実は今度、狂言だけでなく能も見るのですが(しかも、外で!)、能の台本も借りてきてみました。
これは以前、ある能楽師さんがインタビューで、「(能の初心者は)縦書きの台本をひと通り読んでから来ていただけると楽しいと思う」と話していたのを読んでのこと。
能も中学生のときに見てはいるのですが(そのときは『隅田川』を見た)、とにかく「怖い」という印象しか残らず。笑(『隅田川』って、私にとっては怖いお話なんです。「狂女物」だからかな、やっぱり…)
しかも今度見るのは『船弁慶』。私の苦手とする日本史が関係してきます。せっかく見に行くんだから、「全然分かりませんでした」じゃもったいない、ついでに他の作品も読んでみようと、借りてきました。
こちらはまだ読んでいないけれど、楽しみ。


話は突然飛ぶけれど、舞台というところと見る人を繋げるものって、「人」だなあ、とねこあじさんの記事を読みながら思う。
私はどんな舞台でも受け入れられちゃう雑食なお芝居好きだけれど(小劇場、ミュージカル、宝塚、もちろん狂言、歌舞伎、その他伝統芸能、大衆演劇まで!)、ひとつひとつを見るきっかけの中でいちばん大きいのは、出ている人だなあと、しみじみ思います。
舞台と出会うきっかけそのものは環境だったけれど、例えば狂言を見に行くようになったのは、ドラマ『ちりとてちん』に出ている茂山宗彦さんを好きになったからだし、久々に能を見るのも、彼がきっかけだし(何といっても「能楽師狂言方」ですから)。
以前も書いたけれど、某ジャニーズの人たちが近年、舞台に数多く取り組むことによって、彼らの舞台にしか興味はないにせよ(そして演劇ファンにはあまり好かれていないにせよ)、劇場に足を運ぶ若い人が増えたことを、うれしく思う。
彼ら(主には彼女ら)は、舞台の上に立つ人物に魅力を感じるから、普段は行かない劇場に来てくれる。
役者が演劇の看板だなどとはもちろん思わないけれど、でも、役者が人として魅力的であることは、大切だなあと思う。


つまり何が言いたいかというと、私がここで「狂言楽しいから見に行って!」と言ったところで、それは何のきっかけにもならないよなあ、ということ。
「みちくさとりこと国立能楽堂!」なんて企画を立てれば、それはまた別の話だけど。笑
本当に好きになってもらうことがいちばん大切。
そのためには、「自分から」好きになってもらわなくてはいけないのだなあ、と。
そのきっかけを与えることは、きっと出来るのだろうけれど…


そうだな、「きっかけ」を与えられるようになりたい。押しつけるのではなく。
そんなことを思います。


ではまた明日。


michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)

投稿者:torico : 2008年08月13日 18:06

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