ことばの、あや

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上の写真は、うちの近所で見つけたもの。
保護者と教(職)員からなる校外委員会が作ったらしいが…何をどういうふうに考えると、こういうポスターになるのだろう。
というか、そもそも「万引きは犯罪だ」をポスターにしなきゃいけないのって、情けなくないか?
私が小学生だったときは、まわりに万引きしたことある子なんていなかったけど(万引きをかっこいいと思うような子もいなかったし、そもそもそんな概念なかったような)、最近はそうでもないのかしら…
いい子に育てよ。


赤岩さんの日記を読んで、いろいろ考える。
私もシューカツとかいうものに片足を突っ込んでいるので(それにしては呑気な夏休みを過ごしているけれど)、「趣味」の話がとても気になった。
そういえば私には趣味がない。しいて言うなら、観劇は趣味のひとつか。
けれど、(もちろん、観劇はただただ受け入れるわけではなく、そこから生まれるものが多くあるということは棚に上げることにして)「何かを生み出す」という点では、もしかすると少し弱いのかもしれない。
自分から働きかける、というのかな。
それで、赤岩さんが趣味の欄にブログのことを書いたのを知って、なるほど、と思いました。


私にとって、ブログって何なのだろう。
それはもう、「ムサビコムは私にとってどんな意味を持っているのか」という、簡単な問いではなくなっている。
意味とか、…そんな概念じゃなく、もっと大きな、流れを思う。
言うなれば、「ムサビコムは私にどのように作用したのか」、「ムサビコムをやっていて変化したこと」?
そんなことを考えます。


いわゆる「文章力」の話をするなら、私もやっぱり、入試のときに築いた方法論みたいなものを見失っている気はします。(ブログで求められている文章と、入試や就職試験で求められている文章が違うものであるにせよ)
もちろん、それがベストの方法だったわけでもないし、大学に入っての2年と少しで成長していなくてはならないのだけれど、圧倒的に文章を書く量が減ったことによって、リズムが分からなくなっている面はあるかも。
たまに筆記試験で簡単な作文をやっても、根本的な体力のなさ(すぐ肩がはって、指が腱鞘炎になる)にがく然とすることが増えました。
不思議なことに、文章を生み出す身体というのは、あるように思う。


とはいうものの、パソコンで書こうが鉛筆で書こうが、私はあまり書き方のスタイルを変えてはいないかも。
簡単に消せる、とはあまり思わないし、実際、あまり消さない。少し先を見越して書いているのは、同じことかな。
ただ、感触だけが違う。
パソコンで書いた文章だって、印刷すればデジタルでもアナログでもない、不思議な代物になるしねえ。


ちなみに私は、自分という存在にほぼ強制的に毎日ブログを書かされています。笑
気分がどんなに乗らなくても、その乗らない感じを残すべく(というのは建前で、本音は手羽さんに負けたくなかったからなのだけど…手羽さんは別に勝負してないけど)、ひとことふたこと、書くようにしています。
実は某SNSでも同じように、毎日何かしらの記事を書いています。
あちらは、動画を貼ったり好きな人についてのリンクを貼りまくったり、友人までの公開ということで内容に酷い偏りがあるのですが。
それでも、私の考えていることの偉大な集積であることは間違いない。


でも逆に、「書かなければならない」「答えなければならない」文章の方が、私は好きかも…
それはもちろん、自分の性格(「やらないでもいい」と言われると、絶対にやらない)を分かっていてのことなのですが。


そうそう、私はけっこうタイピングが速い方だと思うのですが、たまに、ざらざらざらざら文章を書いていて、キーボードの音に集中してしまうと、妙な感じになります。
ローマ字入力だから、画面に現れる文字と打つキーボードの数には、明らかな差異がある。
がんがん打っているつもりでも、出てくる文字はその半分くらい。
それに気づくと、この手の動きは何なのだろう、と思います。


「文字」が好きで、気になる存在なのは幼稚園に入る前からだなあ…不思議。


ではまた明日。


michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)

投稿者:torico : 2008年08月08日 17:24

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