リアルな美大の日常を
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クロムモリブデン『血が出て幸せ』@THEATER/TOPS
今日、この作品を見に行ったのは、本当に偶然。
そもそも行くはずだった友人が行けなくなり、代打で行くことになった。
何となく名前は知っていたけれど、見たことのなかった劇団。
結論から言えばめっちゃくちゃ楽しくて、でも、偶然が重ならなかったら、この劇団に会うこともなかったのかもしれない、少なくとも今回は見ていなかっただろうと思うと、不思議な気持ちになる。
お芝居や、劇団に出会うきっかけって、何なのだろう。
演劇の人気のなさとか、演劇離れとかが話題になると、そこにはすぐに、「じゃあ小さいころから、学校で見せればいいじゃないか」という人が、少なからず存在する。
今までの経験から言って、そういった主張をするのは、某大手ミュージカル劇団や、某大劇場や、伝統芸能に関わる人だったりする。
私はどうも、それに疑問を覚えてしまう。利用して、利用されているような気がする。それはもう、いろいろな意味で。
もちろん、児童や生徒が強制的にせよ劇場に足を運び、そういったものを見ることが、悪いこととは思わない。それが良いように作用するなら、素晴らしいことだと思う。
ただ、…ただ、違和感を感じる。
私は中学から高校にかけて、学校行事として伝統芸能やオペラを見に行った。
でも、そうやって一緒に能やら狂言やら歌舞伎やらオペラやらを見た人の中で、今も演劇やその他板の上のものに興味を持ち、見に行ったり携わっている人はとても少ない。
そして、私がそういったものを今でも好む理由は、おそらく学校で見に行ったからではない。それは、きっかけにすらなっていない。
それに、学校というところが見せたいと望む芝居って、ほんのひと握りにすぎない。
演劇って、わりときわどい表現が多いけれど、そんなのもちろん、学校としては子どもに見せられない。
例えば今日見た作品なんかも、仮に中学生や高校生に見せようということになっても、学校からストップがかかるでしょう。(なのに伝統芸能でそういう描写があっても、OKだったりする)
もちろん、個人で見るぶんには全然OKだし(実際、小学生くらいのお子さんもいらした)、私としては「私の高校の演劇部に見せてあげたいわー」などと思っていたのだけど、「学校」という装置を通すだけで、かなり多くの作品が「(倫理的に)だめなもの」になってしまう。
だから必然的に、ある一定の劇団・集団の作品以外は、いわゆる大衆の目には触れない。
そんなことを、ぽつぽつ考えていました。
で、「学校という装置を通して考える演劇」というか、「学校と演劇の相容れない(ようで、相容れたい)関係」というのは、私がこれからの1年半で、考えていきたいテーマだったりも、する。
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)