授業記録 絵画II 講評

全然書けていなかった、絵画の授業記録です。今日は講評だったので、ひとまず、まとめのような文章を。


講評のときも言ったのだけれど、私は今回、すごく久々に「絵を描くことが楽しい」と思った。
ゴールデンウィーク前まででモデルさんが来る時間はおしまいだったので、むしろそのあとのほうが、つらかったような気がする。
ヌードデッサンは、高校3年生のときに、通っていた予備校でやって以来だった。
デッサンといっても、そのときもパステルだったり墨だったりを使ってのわりと自由なものだったし、初めてのヌードということであまり構えることなく、すごく楽しんでできた。
考えてみれば、「楽しい」と思って絵を描いた最後が、あのときだったような気がする。
こんなこというと、美大生なのに?と思われそうだけれど、だからこそなのかもしれない。
もちろん大きな意味では、今だって絵を描くことがとても好きだけれど、でも言ってしまえば「あきらめた」ような部分が、ないと言ったら嘘になる。具体的に何を、とは言えないけど。
とにもかくにも、今回、描いている途中にそのことを思い出し、ええと、あれって何年前だったのかな、と振り返ってみれば、もう4年も前のことになるのだった。
4年…!
これにはちょっと、驚かされた。この4年の間に、私はすごくすごく、変わってしまったような気がする。


昨日、アトリエで今日のための準備をしていたら、クラスメイトに話しかけられた。
「もう終わったの?」「うーん、終わったことにする」「そっか、1年生のときみたいに頑張れないか」
たった二言三言、短い会話だった。でも、私にとってはすべてを見透かされたような、衝撃的な一言だった。
その人とは、普段よく話すわけでもない。廊下ですれ違ったら、挨拶をする程度。
それなのに、と思う。
今回私は、とても楽しかった一方で、自分の気持ちが思い通りに動いてくれないようなもどかしさを感じていた。
例えば1年生のときの、2年前の私だったら、この課題をもっと楽しめた気がする。もっと考え、動いて、描いていたような気がする。
それなのに、今の私と来たらどうだろう。この気持ちは何だろう。うまいこと説明できない。


講評のとき、「楽しかった」と言ったら先生に、「そうだよね、楽しそうに描いてたもんね」と言われ、今さらながら、「どうして人に自分の気持ちや感情は伝わってしまうのだろう」と考え込んでしまった。
予備校に通ったり、大学に通ったりするようになったこの4年間で、私は何度も「素直だね」「正直だね」と言われてきた。
それって、半分くらい皮肉なんじゃないかと、私はうたぐっている。
もちろん、今日の先生の「楽しそうに描いてた」という言葉は皮肉ではない(と思う)。けれど、そういう気持ちがあっさりと伝わってしまう自分自身が、何だかなあ、という感じ。


結局、ずっとこの4年間のことを考えながら描いていた。
私にとって、いろんなことがどんどん変わっていた、この4年間。
まさか、絵画の授業でそんなことを考えるとは思ってもいなかったので、ちょっとびっくりしている。
私以外の人から見れば、些細な変化にすぎないのだろうけれど…
この4年間で、出会ったり、別れたりしたたくさんの人のことを思い出していた。


そんな人たちのうちの1人である、芸術文化学科の人。
講評を聞きながら、そういう人の中でも心に引っかかり、忘れたくない、忘れないだろうと思う人たちの真摯な言葉には、くらくらしてしまった。
私はもしかすると、そういう真摯さを失ってしまったのかなあ。見失っているだけと思いたいけれど。
そういう人たちの言葉や作品はとても強く、忘れたくないと思う。
4年前には、会っていなかった人たち。
すべてがここに着地するのだなあ…、と、思いました。


ではまた明日。


michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)

投稿者:torico : 2008年05月16日 18:27

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