リアルな美大の日常を
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授業記録 絵画II 4日目
この日は、途中で先生と話す機会があり、何だか考え込んでしまいました。
私のぐりぐり描いていたクロッキー帳を見た先生が、「これはもう、人としての形にはなってないよね」と言いました。それは別に、下手だと言いたかったわけではなくて、「だからこの絵をどうしようか」という話なのだけど、思わず苦笑してしまいました。
私、教職なんだよなあ…(もちろん絵を描くことも好きだけど)教職に必要だから取ってるんだよなあ、この科目。何やってんだろ。
すると先生は、「いやいや、それは武器だから」と言い、もちろんそれは理解できるのだけど、「こんな絵を描く人が先生やってても、説得力ないよなあ」と思うばかり。
絵としてのアドバイスは、「空白が主張してきてるのは自分でも分かるでしょ?そうしたら、次はそれをどうやってコントロールしていけるか」というもの。うん、これは「教職がどうこう」というのとは別に、とてもよく分かる。自分でも、気になり始めているところだから。
例えば私は、先生のかけてくれたような言葉を、生徒にかけてあげることはできる。(努力すれば、いつかは)
でも、自分が生徒を納得させられるような絵が描けるのか?といったら、そんなことはない。多分。
共通絵画をやっていたころは、考えなしだったというか、怖いもの知らずだったというか、あまり「絵画」に対するこだわりやコンプレックスがなかったけれど、2年を経て、ある程度明確な目標もできて、こうやって「絵画」に戻ってきてみると、次の段階を考えてうまく描けないことがとても多い。
すでに私の描く絵は私だけのものではなく(共通絵画のころは私だけのものだった)、私から波及してどこかにいってしまうものになっている。
今はまだ先生という職業に就いてはいないけれど、いつかそうなったときのことを考えると、とても怖い。
芸文の教職履修者、さらにデッサンなどの経験がない人とそのことについて話すこともあるけれど、多くの人は美術の教師を目標にしているわけではないので、私とはまた違った感じ方をしているようだ。
よく考えてみれば、私は今までの学校生活で、美術の先生の作品を目にしたことが、ほとんどない。
多分、すごく上手く描けるんだろうなあ、という思い込みだけがあるような気がする。
それなのに、やっぱり自分が描けないということはコンプレックスで、怖いのだよなあ。
だったら、習えばいいのだけど…(これはちょっと、友だちに聞いて、面白そうなところに通ってみたい。でも、どうなることやら)
というわけで、つづく。
芸術文化学科のドキュメント・プロジェクトで、共通絵画の先生にインタビューした記事があります。
ぜひご覧ください。