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小学一年生から考える、音楽と美術 その2
今日は、昨日書いた「小学一年生から考える、音楽と美術」のつづきです。
赤岩さん、ねこあじさん、トラックバックと記事、ありがとうございます。
やっぱり、人の意見を聞くと自分では考えられなかったようなことを言ってもらえて、なるほど!と思います。ムサビ日記、書いててよかったなあ…
さて、以下、書いてみたところ昨日にもまして話がぶっ飛んでいますので、「続きを読む」に入れておきます。
○私が音楽を苦手になったわけ
まず、赤岩さんの書いていた、「音を楽しむ」ということ。
私には、この考え方がまるっきりないのだということに気づき、とても驚きました。
「正しさ」と「楽しさ」、私にとって先にくるのはどう考えても、「正しさ」なのです。
これはいったいどういうことなのか…
そもそも、私はいつ音楽というものを知ったのか。母に聞いてみると、幼稚園に入る前にはテレビで聞いた歌などを歌っていたそうです。が、それがとんでもなく音痴で、母は愕然としたとか。笑
ただ、子どもは音域がせまく低いそうで、そのときはあまり気にしないようにしていたようです。
私自身もそのころの記憶はありません。幼稚園に通っていたときは毎日歌を歌っていたけれど、それが特に楽しかったとも思っていません。
小学校に入り、それと同時にピアノを始め、私は楽譜を読めるようになりました。いい子だった私は(過去形なのがポイント)ピアノを毎日決まった時間に、母の監視のもとで練習していました。
すると、母が私の間違いを、手厳しく指摘するのですよね。彼女、同じころの私に校正記号を使ってきたとんでもない人なんですけど(笑)、その調子で、「今のそれは不協和音でしょう。よく聞きなさい、気持ち悪い音だと思わないの」と言ってくるのです。
私にとって、自分で意識して初めて音楽に触れたとき、そこには最初から「正しさ」がありました。
そのころの私にとって母は脅威ですし、間違えて怒られたくないものだから、音楽の「楽しさ」は「正しさ」を追求するほどに遠くなりました。
また、学校の授業では歌のテストがよくあり、そこで自分が「聞いた音をそのまま口に出せない」と分かりました。本当に音痴な人は自分が間違っている音を出していることも分からないというけれど、私はそれに気づいてしまったので、「正し」くない、間違った音を出すことが耐えられず、歌を歌うことが大嫌いになりました。
そんなわけで、ピアノにも学校の授業での歌やリコーダーにも馴染むことができず、もちろん楽しいなどと思うこともできず、私は音楽(の授業)が苦手になりました。
○みちくさ母にとっての音楽
一方、音楽を得意とする母に「『正しさ』と『楽しさ』だったらどっちが先?」と聞いたところ、「まあピアノをやる前のことは覚えてないけど、『正しさ』かなあ」とのこと。
曰く、「私は音楽の整合性が面白かった。楽譜を読んで、ドを弾けばドの音が出ること。それまでバラバラだったものが結びつくことに釈然とした」。
おそらく、彼女はピアノを習う以前(幼稚園に上がる前)にも音楽を好んではいたと思います。歌も正しい音で歌えていたでしょう。
でも、それが理論的に、整合性が取れること。つまり、「正しさ」が証明されること。ねこあじさんのおっしゃる「共通言語」を得たこと。
それが「楽しさ」につながったのですね。(これはすごく、彼女の性格的な部分があると思います)
だから彼女にとって「正し」くない音は耐えられず、私にもその「正しさ」を要求してきた。
彼女が私を音楽嫌いにしたとはまったく思わないけれど、「正しさ」と「楽しさ」のうち、「正しさ」を選ばせるようにしたのは、きっと彼女の無意識な意志なのでしょうね。
「正し」くないことを苦痛に感じたのは、私自身の性格によるものでしょう。未だに、何に対しても「正しさ」を求めてしまうので。
○みちくさ母にとっての美術
では、美術の授業が苦手だった母は(美術が嫌いなわけでは決してない)、美術で「正しさ」と「楽しさ」、どちらを先に感じていたのか。
小さいころのことは音楽と同じく覚えていないそうなので、学校に上がってからの話になってしまいますが…
彼女は彼女に教えた歴代の図工・美術の教師に恨みがあって(笑)、今でも彼らにどんな嫌なことをされたのか細かく話せます。執念深いのはときどき困るけど、でもそれだけ根が深い問題なのだよな、と考えさせられる。
小学校3年生までは図工専科の先生に教えてもらえなかったそうで、それは彼女には不思議でならなかったそうです。
彼らは輪郭を取ってから絵を描けと言い、その輪郭をなぞって色を塗れといい、色についても口を出し、彼女は、図工なんだから好きにやらせてくれと思ったとか。
図工に「正しさ」があること、それが彼女には理解できなかったのですね。
その時点ですっかり図工嫌いになってしまった彼女は、図工専科の先生に習うようになってからもそこに楽しさを見いだせず、中学生になります。
ところが中学校の先生が、そういった不自由な図工を非常に嫌う人で、それしか知らない彼女は目の敵にされたそう。
絵を見たり、すてきなデザインの物を見たりすることは大好きなのに、自分で何かを作り出すことにはすごく抵抗を覚えてるようになってしまった。
○「正しさ」と「楽しさ」の関係
こうして考えると、美術と音楽、分野の違いはあれど私たちの抱えている問題は同じなのかもしれません。
「正しさ」に縛られ「楽しさ」が見えなくなってしまっていること。
赤岩さんが書いているように、「教育的な『正しさ』が必ずしも『音を楽しむ』ことにつながるとも限らない」。これは母について言い換えてみれば、「教育的な『正しさ』が必ずしも『美術を楽しむ』ことにつながるとも限らない」となるでしょう。
本当に、そうだと思います。読んだとき、はっとしました。
でも、すごく難しい。私も母も、学校に入った段階で「楽しむ」ことに対する意識を抜き取られ、「正しさ」を押しつけられてしまったような気がします。
私の図工や美術の先生はありがたいことにずっといい人たちで、だから私は美術を好きでいられたのだと思います。彼らは決して、「正しさ」だけを要求してはきませんでした。もちろん、必要に応じて「正しさ」を教えてくれたことはあったけれど。
それだけ、「教育」の場だったり、「学校」という場所は、難しいところなのではないかと思います。
少なくとも私、そして母は、小学校から高校にかけて、「正しさ」を教えられてきた気がします。それは必要なことだし、一概に悪いことだとは言えないけれど、「正しさ」以上にならない部分が多くあったこと、それが良くなかったことなのかな、と思います。
○学校を出たときに「楽しむ」ことができた音楽と美術
今の私にとっていちばん近い音楽は、ミュージカルなど、舞台で使われる音楽かなと思います。
それ以外、あまり音楽は聞きませんし、自分が演奏して楽しむこともありません。
ただとにかく、ミュージカルやその他の舞台で使われる音楽は好きです。
それは、高校生になり、音楽の授業を離れてから覚えた感覚です。中学のときにもミュージカルはそれなりに見ていましたし、学校の授業で触れる機会もありましたが、今感じているほどではありませんでした。
不思議なことですが、「学校」という場を離れて初めて、音楽もいいもんだな、と思えたのです。
今ではたまにピアノを弾いたり、ちょっと歌うことに興味があったりします。(怖くて、なかなか一歩、踏み出せないけど)
これは母も同じことのようで、彼女は最近になって自分から何かを作ることを始めました。
目が悪いのでそこまで熱心にはやりませんが、ちょっとした手芸のようなことをしています。それがまた、性格と相まってきれいなんだわ。もし図工や美術に興味を持って楽しむことができたら、すごいものが作れたんじゃないかと思ってしまう。
そう考えると、やはり、自分が学校の先生になろうかと思っていること、そしてその影響力、それが興味深く、怖ろしく感じられます。
もちろん、みんながみんな美術を楽しみ、好きになってくれるとは限らないけれど、その人の一生に美術の嫌な記憶が残ってしまうこと。
学校は何のためにあるのだろうとか、すごく根本的なことを考えてしまいます。
○まとまらないまとめ
話が思わぬところにまでぶっ飛びました。
とりあえず、昨日と今日の私が考えたのはこんなことです。
っていうか、全然赤岩さんやねこあじさんの記事と共鳴してない気がする…がーん!
でも、私って音や音楽を楽しんでないんだなー、って、けっこうショックでした。
そういや、木琴の乱打とかピアノの乱打とか怒られたもんなあ…母が我慢できないのね。
だからやらなくなってしまって、その時点で「楽しむ」視点がちょっとなくなったのかも。
あと、話がややこしくなるので本文では無視しましたが、母や私の中にあるのは、そもそも洋楽器の音階であって、和楽器だったりその他の楽器にはまた別の音階があります。(と、私は理解しています)
ちょっと和方面の習い事に興味がありいろいろ調べていたのですが、母くらい正確な絶対音感を持つ知り合いがその方面の習い事で苦労している話を聞き、躊躇しています。
○余談
そんな私は「自覚のある音痴」ですが、母に言わせれば「だいたい絶対音感」を持っているそうな。
おそらくピアノを始めたころの彼女の訓練の成果だとは思いますが、私の中には固定ドしかないようなのです。
音痴なものでカラオケに行くことをかたくかたく拒んでいるわけですが、初めて行ったカラオケで、キー変更をする人がいてぶっ飛んだ記憶があります。
無理!ピアノ習いたてのころのお母さんじゃないけど、ドはドなの!
そのくせ自分が歌うと激しく調が移動、あさっての方向に音がすっこ抜けていくので、ほんと、ないならないでいいんですけれど。中途半端すぎてあきらめがつきません。
すごく、不便です。
ではまた明日。
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