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小学一年生から考える、音楽と美術
本屋さんで雑誌を買ってお金を払っていたら、隣のレジで親子が大興奮していた。
店員さんが、「今月の『小学一年生』のふろくなんですよ」と説明し、小学一年生を買ったらしい親子は、「すごいすごい」と笑顔でそのふろくを受け取って帰っていた(レジにふろくが置いてあるらしい)。
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どんなにすごいふろくなのかと家に帰って調べてみて、驚いた。
「ドラえもん どこでもゆびピアノ ドレミくん」。
実演の映像が貼ってあったので、見てみる。
…ん?ちょっと待って、これ、いいの?
気になったのでリビングにいた母に聞かせる。彼女は絶対音感を持っているので、こういうときにとてもありがたい存在。私自身は「(半ば)絶対音感」しか持っていないので、確信が持てないのです。
さて映像を見た母の反応。
「気持ちわるーい」
やはり。
ならばすでにブログで記事を書いている人もいるだろうと、検索をかけてみる。
moet-bois - 「ゆびピアノ」の音程のひどさについてなぜ誰も指摘しないのか
や、やっぱり…
他のブログの記事を読んでみると、親指から順番にドレミ…とふってあるよう。
この記事のコメント欄でいろいろ議論が交わされていますし、私は音楽にはまったくの門外漢ですからああだこうだとは言えないですけれど、血の気が引くのは確かです…
もちろん、発想としてはすごいと思うし、雑誌もなかなかに大変なのね…、と芸文的に考えることもできるのだけど、なんだかなあ…
私自身は思いっきり音痴なので(聞き取りはできてもそれを口に出せない)、将来もし子どもができても絶対に歌を歌って聞かせないぞと、今から心に決めています。子どもには申し訳ないけれど、でも先のことを考えたら私のふらふらした歌なんか聞かせない方がいいはず。
母が絶対音感を持っていて、それに苦労するようすを見ているからか、自分には中途半端な音感しかないくせに、妙に神経質になってしまうのですよね。母の、周囲や自分に対するイライラと、少し似ているかも。
この雑誌はいわゆる教育雑誌の類だと思うのですが、このふろくは、教育の観点からしてどうなのだろう。
音楽大学や教育学部で音楽の教員になるため学んでいる人たちからは、どのように受けとめられるのでしょう。
教職課程にいるひとりの学生として、気になりました。
例えばこのふろくのドをハ長調のドであると子どもに理解されてしまったら、小学校の先生はどうするのだろう。
うまく言えないけれど、私と母には絶対に分かり合えない部分があって、それは母にとっては美術、私にとっては音楽です。
私はいやいやながらピアノ教室に通っていたくらいで、もちろん母の持つような絶対音感は持っていません。しかし母は「絶対音感のない人がいる」ということがうまく理解できず、私に絶対音感がないことに今でも納得できていないようです。もちろん、頭ではそういう人がいることくらい分かっているのだけど、彼女自身に幼いころからある感覚なので、心から納得はできないのですよね。
私は小学校の音楽のテストでドレミを書くのができなくて、心配した母によってソルフェージュをやらされたのですが、一切理解できず終わりました。笑
そこで、彼女はようやくあきらめたみたいです。この子に、絶対音感はないのだと(そして相対音感をつける気もないらしいと)。想像でしかないけれど、それはかなりのショックだったのではないかと思います。
一方の私は、母が絵を描かないことが、小さいころから不思議でたまりませんでした。これは父もそうなのですが、絵を描くのをためらうのです。
私は暇さえあればうさぎちゃんを描きまくっていたので、おかーさんも描いてみればいーのに、と思っていた気がします。やたらとほめられるので、それはうれしかったですけれど。(遠くにいるうさぎを小さく、近くにいるうさぎを大きく描いたら、ものすごくほめられてびっくりしました)
そこそこ大きくなって、母は絵を描くことにコンプレックスがあるようだ、と知り、でも私はそれが特にショックではありませんでした。まあそんなもんだろう、と思っていた気がします。
そこに、私たちの大きな相違があり、また音楽と美術の性質の違いもあるように感じます。
あくまでも素人である私の意見ではありますが、音楽には初めから「正しさ」があるように思います。美術では、初めの「正しさ」は要求されないのではないでしょうか。
おそらく、音楽を教えている人の多くが、絶対音感なり相対音感なり、「正しい」音感を持っていることでしょう。それは美術を教えている人も同じことで、彼らは音感の代わりに「デッサン」などができます。
ただ、正確なデッサンは美術の最初に求められることはありません。例えば、子どものぐるぐる描きや、簡単な写生。どんなにぐるぐる描いても自由だし、子どもだからこそ草を緑だけではない色で描き、それが面白かったりします。
でも、音楽には最初から「正しさ」があり、求められる。ドはド以外の何者でもない。
もちろん美術だって、勉強していけばそれなりに「正しさ」は求められるのだけれど、音楽の比ではないと思うのです。
ずいぶん話がぶっ飛びましたが、「正しさ」を要求される音楽(の授業)に初めて触れる子どもも多い中、「ドラえもん どこでもゆびピアノ ドレミくん」のようなふろくをつけること…
何だか、不幸に思えてなりません。もちろん、音楽を好きになってくれれば、こんなにありがたいことはないのだけれど。
ちなみに、私の(祖父母曰くの)「美術的才能」はご先祖ゆずりらしいですよ。ほんとかい。(ないない!美術的才能とか、ないない!)
祖母の祖父だか曾祖父だかが、仏師だったのだそう。今でも、祖母の田舎には彼が作った作品があるそうです。
私は、(教員という選択肢も含め)自分を「突然変異の子」だと思っているので、まあ何とも思わないのですが。
これはどんな立場になってもそうだけれど、自分の好きなものを嫌いだという人の気持ちを分かっていたい。
絵を描くことが嫌いだという人の気持ちをなるべく理解していたい。
私はよく、「美術なんてすごくない、演劇なんてすごくない」と言うけれど、その気持ちを忘れたくないなあ…
もちろん、まず「美術が好き、演劇が好き」という自分の気持ちありき、ではありますが。
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)
このリストは、次のエントリーを参照しています: 小学一年生から考える、音楽と美術:
ソルフェージュには私も苦労しました。中学の音楽の先生がやたら教育熱心な人で、ソルフェージュが必修だったんですよ…。できないっつーのに(涙)
それとすみません、トラックバックをミスって複数送信されてしまいました。
投稿者 ねこあじ : 2008年03月09日 16:54
コメントありがとうございます。
気になったので調べてみたのですが、学習指導要領の中に「視唱=楽譜を見て初見で歌うこと」を行うように配慮しなければならないとあるのですね。
(旧学習指導要領と現学習指導要領、範囲は変わるのですがどちらにも記載があります)
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/890303.htm#025)
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122602/006.htm)
これがおそらくソルフェージュにあたるかと思うのですが、私は特に中学でやりませんでしたし、ねこあじさんの先生は教育熱心な先生だったのですね…
あれ、できないと屈辱で、毎週涙してました、ピアノ教室で。
だって先生も音大出てるからできるんだもん。できないの私だけなんだもん。
あ、思い出したら涙が出てきた。
トラックバック、1つ消しておきます。
投稿者 みちくさとりこ : 2008年03月09日 18:56
読んでくださって、ありがとうございます。
絶対音感は必ずしも「正義」ではなく、
プロでも相対音感で何とかなっている人もいるでしょうし、
厳密に言うと、ある時点でどちらも必要になってきます。
ゆびピアノは、なんでこれが悪いかというと、
ハ長調のドがドでないからではなくて、
一貫して音程がとれる作りになっていない、ということです。
動画でも、最初と最後は同じ音のはずなのに半音近く違います。
それから、音楽教育の面から書きますと、多分小学校の音楽教育では、相対音感(いわゆる移動ド)を教えるように、今もなっているはずで、その点は心配ないといえば心配がないのです。
ただ、ゆびピアノは、「ド」がまずフラフラしていて安定しない。これが一番の問題なのです。
わかりにくい記事のまとめ方をしてしまって、失礼しました。
投稿者 moet-bois : 2008年03月13日 15:39
こんにちは、はじめまして。コメントありがとうございます。
いかんせん中途半端な知識しか持ち合わせていないもので…
読んでいただいて、そしてまとめていただいて、本当にうれしいです。
ありがとうございます。
そうですね、もちろん絶対音感は正義ではありません。(近年絶対音感が正義であるという風潮が強く、気になるところです)
相対音感も絶対音感も(どちらも)持っている人はたくさんいるし、必要なものなのですね。
ゆびピアノに対する私の「これ、いいの?」は、まさしくmoet-boisさんのおっしゃる、「一貫して音程がとれる作りになっていない」ことでした。
母もそれを指して「気持ちわるーい」と言っていました。
音楽教育に関して、ありがとうございます。
私も今回調べてみて驚いたのですが、小学校から高校までは、移動ドで教えるのですね。
3月9日の日記でちょろっと書いているのですが、私はどうやら移動ドがよく理解できていないようで…
(http://www.musabi.com/torico/archives/2008/03/09_1706.php)
そういったことも、私がゆびピアノを気持ち悪く感じる原因のひとつなのかもしれません。
(えーっと、ただ私が音痴なだけ、でもあるのですけど…私の気持ち悪さは、ある意味では根拠のないモヤモヤなので)
(moet-boisさんも書いていらっしゃいますが、私はカラオケが楽しめない人です…)
よろしければ、これからもぜひ、このブログをご覧ください。
私の中でずっと「音楽」は気になる、引っ掛かるテーマのひとつなので…
では、では。
投稿者 みちくさとりこ : 2008年03月13日 23:01