2008年03月のアーカイブ

新入社員どころか3年生がやってくる?ヤァ!ヤァ!ヤァ!

アルバイト先で、「明日から新入社員がやってくる」と聞き、「もうそんな季節なのかあ」とぼんやり。
で、家に帰ってきてふかさんの日記を読んでびっくり。
わ、忘れてた…私も4月始まりカレンダーで動く社会の一員だったのだ…(何というモラトリアム…)
ということは、この日記も必然的に2年生としての最後の日記になるのでしょうか。
何だか感慨深いですね。
これで4月に学校行って2年生のままだったらますます感慨深くなっちゃいますね。


で、kokoさんの日記の最後の一文に冷や汗をかく。


ではまた明日。


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DVDを焼く

わけあって、ここ数日ずっとDVDを焼いている。正確には、DVDに焼いている。
知り合いから頼まれたもので、郵送しなければならない。
同じものを何回も何回も焼く作業をしていると、変な気持ちになってくる。
でも、次はこれをやってその間にこのラベルを書いて…、とやるのは好き。アルバイトで事務をやっているけれど、その作業とつながってくるものがある。
DVD焼きはまだまだ続きそうだ…


昨日オールスター大感謝祭を見ていて思ったのだけど、どうしてお笑いコンビって片方がかっこよくて片方がそうでもないのだろう。
そんなことを考える私は、麒麟と次長課長がイケメンコンビだと勘違いしていました。どこかでシャッフルされてしまったらしい。いや、それぞれどちらがイケメンでないかということには触れませんけれど。
イケメンのピン芸人もいないなあ、…などと考え、怖くなってやめる。
最近お笑い芸人に興味津々。


ではまた明日。


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ひさしぶりね

日付をまたいでの更新です。(ちょっと、いや、かなり誤魔化していてごめんなさい)


今日は、同じくムサビ日記ライターのおく★ともちゃんと会っておりました。
ちょっとお手伝いしてもらいたいことがあり、そのついで?に、来年の今ごろどうしているのか、相談、などなど。
大学に入ってからこの春休みが、もしかしていちばん先のことが見えなくなったかも。
学校が始まればどうにかなるさ!と思うけれど、それはただ日々の課題に埋もれているだけだったりしてね。


ではまた明日。


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私のいちばん好きだった舞台

いよいよ明日最終回を迎える、朝の連続テレビ小説『ちりとてちん』今朝のアナウンサーの暴走にはおったまげました)。
ドラマの中では落語の常打ち小屋「ひぐらし亭」が完成しましたが、そのようすを見ていて、へっぽこ演劇部員だったころのことを思い出しました。
新入生歓迎特集がどうやら2回で終わったみたいなので(第1回入学式編/第2回Macとパソコン編)、今日はその話を。


私の所属していた演劇部は、コンクールにまったく興味がなく、外部の人に自分たちの作品を見せる意志もない、ただの自己満部でした。
春公演、秋の文化祭に向けての準備をしながら夏の合宿で夏公演、文化祭、冬公演、そして卒業生を送り出す送別会。年間5本(途中までは春公演がなく、4本でした)の公演を、ただただ学校内の人に見せるだけ。文化祭は外部のお客様もいらっしゃいますが、外部といっても出演者の親類縁者だったりするわけで、限りなく自己満に近い部活でした。
そんな中でも、唯一、外部のお客様の目に触れる機会がありました。それが、合宿先で行う、夏公演です。外部のお客様、といっても合宿先のホテルの支配人以下数名を、2日間夜中まで練習してごめんなさい!の意味を込めてご招待しただけなのですが、私はこの公演の感じが、とても好きでした。
公演に使うのは、ホテル(とは名ばかりの旅館)の宴会場。何でだか、能舞台のように松の絵が描いてある舞台があり、そこを使っていました。ろくな照明があるわけでもなく、唯一の照明器具である蛍光灯は、今にも切れそう。しかも、普通の部屋の電気みたいにスイッチで操作!舞台の裏にはお膳やお皿、座布団などが山積み、虫の死骸がわんさか。
おそらく、私たち以外に使う人はいなかったのではないかと思います。
夏のたった1日だけ、演じる人を得て息を吹き返す舞台が、私はとても好きでした。
学校では、講堂や生徒会室を(生徒会室は人がたくさん入るので、春冬の公演に)使っていましたが、あの舞台ほど場所が生きているような感覚になるところはありませんでした。この場所は間違いなく「舞台」なんだなあと、毎年思っていました。
私は廃墟が好きで、ネットで写真を見てはぞくぞくしているのですが(さすがに自ら行くほどの勇気はありません)、その「ぞくぞく」に通じるものがあるのかなあ、と思います。人の手を離れると、家やそういった場所はすぐに荒れてゆくようなので。
そんなことを、ひぐらし亭を見ていて思い出したのでした。
人がいて、愛されて、賑やかになってゆくひぐらし亭に、あの宴会場の舞台を重ね合わせていました。
あそこから見る景色は、格別のもの。


というかまあ、私が演劇部の本公演で舞台に立てるような役者じゃなかったっていうのも、大いにありますけれど。笑


※本公演とは文化祭と送別会のこと。この2つの公演にはオーディションがあり、宝塚にどっぷりだったうちの演劇部は、宝塚っぽい発声をしないと役がもらえなかった!笑(今なら真似できちゃうけど、あのころはわけがわからなくて嫌悪しておりました…)
春公演と冬公演は全員役につけるけれど、講堂の舞台は使えず、生徒会室の平らなところでやるだけ。
高校3年生で自主公演を打つまで面白みのない生徒会室の使い方しかできなかったので、非常につまらなかったです。
だから、余計に「舞台っぽい舞台」を使えた夏公演の印象が強いのですね。ちなみにこちらもオーディションはなし。
合宿直前に組んだ班で、90分ほどのお芝居を作りました。3泊4日、うち練習は2日間。すごいですね。


またいつか、あの舞台に立ってみたいなあ。


ではまた明日。


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WinかMacか、それは意外に問題じゃない for芸文新入生

昨日に引き続きましての、新入生歓迎特集。
手羽さんも昨年触れていらっしゃいますが、今回は芸術文化学科新1年生向けということで。


結論から言いますと、


芸文ならどっちでもおk


今Winを使っている人ならWinでいいし、MacならMacで何ら問題はないと思います。
ちなみに私はずっとWin派。
ただ、大学に入ったのを機に、「学校ではよっぽどのことがない限りMacを使う」ことを心がけています。
芸文のフロアにはコンピュータ室が3つあり、A室はWindows、B室はMacintosh、C室にもMacintoshが設置されています。授業が入っていないときは、(C室以外)基本的に自由に使えます(飲み物を持ち込むとかプリンタを放置するとか、悪いことをすると使えなくなります)。
2年生になってMacを使って作業する授業をいくつか取ったのですが、それまでほとんど使ったことがなかったので参ってしまいました。それこそ、9号館の下でちょこっと触ったくらい。
それで反省して、調べものをしたいときも、作業したいときも、少しでも慣れようと、なるべくMacを使うようにしました。
どちらかというとWin派の方が多いので、台数が少ないわりに、B室はけっこう広々使えます。おすすめ。
2年生の最後には、その心がけのせいか?「まあ私にしちゃよくやったんじゃないの」という仕上がりの作品ができました(他のデザイン系学科の人なら、1年生で作れるのでしょうが…)。


芸文の授業は、(2年生までの)必修の授業に限って言えばすべてWinで済んだと記憶しています。(もちろん昨年までのカリキュラムの話ですし、必修の中でも選べるものについてはMacを使ったものがあります)
特に、必修の授業の中でもいちばんパソコンを使うと思われる、インタビュープロジェクト。これは、かなり多くの作業をWinで行いました。
1年生のうちは、ほとんどMacに触れなかったと思います。
2年生になると、DTPデザインの授業がいくつかあり、けっこう多くの人が取っていたような。来年度の2年生は、希望者が多くてレポート提出の上選考になっていました。そういった授業では、Macを使いました。
ただ、やはりWin派の多い芸文、そしてIllustratorなどのソフトを使い慣れない人も多いので、細かく指導があり、まったくの初心者さんでもそこそこ、大丈夫です。もちろん使い慣れている人の方が得であることは確かなので、出来れば1年生のうちに触っておくとよいのでしょうが。


そんなわけで、芸文ではWinもMacもどっちも使いますが、どっちを持っていても大丈夫です。
どっちも持ってなくてもコンピュータ室がありますので、大丈夫でないわけではないです。ただ、いつも使えるわけではありませんし、台数に限りもありますので、1台は自分で持っていたいところ。
その辺は、お財布なり投資家さんなりと相談して決めてください。
Adobeのソフトを買いたいなら、もうちょっとじっくり考えるべきかもしれません。私はMac Bookの購入を検討中です。(来年度中に、買えるかなあ…、そしてMac Bookを買ったところでソフトは買えないかもしれないという危惧)
まあ、入学してから周りの様子を見るのも、ひとつの手でしょう。
高い買い物、人に頼ったり頼らなかったりしながら、よく考えてください。


手羽さん、こんな本はどうですか?


団地の見究団地の見究
大山 顕

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ではまた明日。


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みちくさとりこの入学式 2008

入学式にはどんな服装で行くか?
手羽さんも大雑把に答えていらっしゃいますが、


スーツでいいと思うよ。


正確に言えば、「ここいらでスーツ1着持っとくと楽よ?」です。
高校を卒業してすぐか何年か後か、とにかく多くの学生(大学生になったら学生ですぜ!)はきちんとしたスーツを持っていないのではないかと思います。
これから、高校までは制服なり制服チックなものなりちょっと小ぎれいな格好で済んでいたもの大体すべてが、スーツで片づくようになります。おそらく。
私は高校を出て1年浪人しましたが、浪人の年の最初にスーツを1着買ってもらい、それをムサビの入学式でも着ました。卒業してすぐの4月か5月に高校の同窓会(というか近況報告会)があり、それはなぜかスーツで参加がお決まりだったのでそのために買ったのですが、それからしばらくして親類に不幸があり、「スーツ買っておいてよかった。慌てないで済んだ」と思ったものです。
それ以外にも、アルバイトの面接(塾講師だったのでスーツで行きました。その他のアルバイトだったらスーツで行くこともないだろうけれど)、アルバイト(1年間やっていた塾講師はスーツが決まりでした)など、けっこう使えますし、使います。
ついでに黒い靴やかばんも買ってしまえば、かなり応用が利くのではないでしょうか。(就職活動のときには、また考えなくてはいけないだろうけれどね)
いざというとき、慌てないで済むというのが、いちばんいいこと。


ただ、白いシャツに黒のスーツってのもねえ、と思ったので、私の場合、中は柄のシャツでした。いろんな柄の布を縫い合わせ、シワ加工してあるシャツ。さりげないおしゃれを演出。
それで私のことを覚えてくれた同級生もいるくらいで、だからいいんです、それくらいで。
入学式で目立たなくとも、4年間でぴかぴか輝きましょうや。


とおじさん?口調になってみましたが、入学後2年経っても目立たない存在のみちくさでございます。


明日のテレフォンショッキングはPerfumeですね。


ではまた明日。


手羽さん垂涎?の団地話は私のためにあるようなネタなので、いつか取り上げようと思います。
団地っ子って、それ以外の子から見ると衝撃的らしく…けっこう食いつきがよく話が持つので、自分の住んでいるところの名前を言うのが好きです。いや、ここでは言いませんが。笑


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リリパットアーミーII『罪と、罪なき罪』@ザ・スズナリ

玉造小劇店(リリパットアーミーII他)ウェブサイト


何だかとても、反省してしまった。
お芝居はとても、楽しかった。
前半のとにかく笑えるところと、後半のちょっとしんみりするようなところのバランスがとても良くて、うーん、とうなりながら劇場をあとにした。
劇場にいたときからずっと頭が痛くて、家にたどりつくころには耳鳴りで周りの音が聞こえないくらいだったのだけど、それでも「何か感じなきゃいけない」「何か考えなきゃいけない」という思いがグルグルグルグルしていて、でも重たい話のわりには考えたことを言葉にできなかったので、自分にがっかりしたりした。
何のために見に行ったんだっけなあ、と思った。
確かに、考えなければならないことが大きすぎて今の私にはどうしようもない、ということもあるのだけど、それ以上に、「考えなければならない」ということにがんじがらめになって見ていたのかな?と。
スズナリという空間は、ちょっとやられる空気にみちている。


ではまた明日。


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「美術と福祉プログラム」展示会実施概要報告

しばらくムサビの公式ウェブサイトに行っていませんでしたが、昨日トップページを見てみると、「美術と福祉プログラム」展示会実施概要報告がアップされていました。
私もこの1年間関わっていた、介護等体験の報告会の様子です。私の日記と併せて、ぜひご覧ください。
体験を終えるにあたって全員が書いた原稿をもとに作られた文集も、今年度の新入生が介護等体験の説明会を受けるとき(11〜12月)に配られます。(個人情報のかたまりなので、学校外の方には残念ながらお見せできないと思うのですが、かなり気合いの入った1冊に仕上がっている、はずです)


さて今週は、「新入生にみちくさとりこが勝手に贈るアドバイス集及び週」にしたいと思います。
といっても、明日はお芝居を見に行ってその感想を書くので、正確には明後日からの連載です。
新入生諸君、心して聞くように!正座して読むように!
入学式の服装、Win/Mac話、…ぐらいしかできないかもしれないけど。みちくさの独断と偏見にもとづいてお送りします。
お楽しみに。


ではまた明日。


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ごはんたべたいね

先日、「おなかすいたね」という記事で書いたことから、ちょろりと。
今日、知り合いと外でごはんを食べました。私は、その人のことをわりにいい人だと思っていたのだけど、けっこうびっくりすることがあって、家に帰ってきてからぐったりして1時間くらい寝てしまいました。(それはただ疲れてるだけ)
詳しくは書かないけれど、私にとっては大きなショックでした。


小学生のころから、給食はもとより、学校の旅行先でごはんを食べるのが苦手でした。
基本的に他人がものを食べるようすを見るのが嫌で、自分のごはんにもほとんど手をつけられなかった。
この人いい人だな、と思っても、いっしょにごはんを食べてみるとがっかり…、というパターンを、何度も繰り返してきました。(いや、男女、関係なくね)


もしこんなふうに、この先一生自分の目の前でごはんを食べられたら、もう、だめになっちゃうかも。
そんなことを思った今日でした。


私にとって、ごはんは身近で重要な文化なのだと、あらためて実感。


ではまた明日。


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おばかさんは私です

こんにちは。高校3年生でアフォーダンスという言葉を知り、けっこうしばらく「おばかさんのダンス」だと信じてちょっと疑っていたみちくさとりこです。
こういう言葉、私もいくつかあります。
「もろびとこぞりて」と聞くと、こびとさんがそりを引いている図を思い浮かべてしまいます。
小学生のころにふと思って、母に言ってみたら同じような印象を彼女も持っていたことを教えてくれました。


少し短くなりますが(そしてちょっと趣旨が変わりますが…)、「頓挫」という言葉も好きです。(うーむ、好きでいいのか?)
これは、小舟が岩に乗り上げたような感じがします。「暗礁に乗り上げる」とイメージがごっちゃになってるのかな。
つながりで、「頓服」なんかも好き。何のことだか、ずいぶん大きくなるまで分からなかった。
あと、「暫時」「漸次」も好き。ズバーッ!ズバーッ!とお侍さんがやってるイメージがある。
あげればきりがないけれど、アフォーダンスは、私も私も!と思ったので、書いてみました。


そうそう、私はどうしても休みの日に友だちと会って遊ぶのが苦手で(何をしたらいいのか分からない)、「今度の日曜日遊ばない?」などと言われると、小学校の校庭で「アハハハ〜」って言いながらソフトバレーボールをしている様子を思い浮かべます。
いやいやいやいや。


ではまた明日。


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おなかすいたね

この記事を書いている今は、夜のごはん直前です。みちくさ家のごはんは、午後7時と決まっています。
昨日の記事を書いてから、すごくおなかがすくようになりました。
私は食べることが好きなのだなあと、今さら、実感。でも、作るのは苦手なのですけど。
食べるのは好きです。


…ああ、食べるのが好きだ。


ではまた明日。


作らざる者、食うべからず。


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フラミンゴ『H』@北沢タウンホール

観劇記録と銘打ってはいますが、今日見に行ったフラミンゴは「お笑いライブ」に分類されるかな、と思います。それでも私の中ではお芝居(≒「舞台」にあげられたもの?)なので、この項目でちらりとメモ。


今日の感想をひとことで言うと、「おなかいっぱい」。
これ、実はライブそのものだけではなくて、その前後に食べたごはんのことも、何となく指しています。
まず、見る前には夜のごはんを。一緒に見に行った友人が見つけてくれたかわいいカフェで、ブロッコリーと海老を、トマトソースにからめたおいしいパスタを食べました。
それから、見たあとには何となくふらふらしながら見つけたお店で、抹茶のケーキと紅茶を。
どちらのお店も、今まで行ったことのないような雰囲気のお店で、どきどきしながらもとてもおいしく食べました。
下北沢の地理に疎いもので、いつも決まったお店でしかごはんを食べていなかったのだけど(もちろん、そのお店も大好き。へんてこりんな料理がおいしい)、ちょっと冒険してみるだけで、見た舞台の印象まで変わってしまった。
多分、今日食べたごはんのことは、かなりしばらく忘れないと思う。
いちばんめんどくさい名前のパスタを注文したはいいけれどお皿が来るまでにどんな料理だったかすっかり失念してしまったこととか、抹茶のケーキに決まるまでショコラだのティラミスだのチーズケーキだのいっぱい注文したけどすべて品切れだったこととか、全部今日のライブとくっついて、忘れないのではないかな。
いつも同じお店で、似たような雰囲気のごはんを食べるのも安心するけれど、忘れたくないぞ、と思ったら、ちょっと背のびしてみるのもいいのだね。


今まで、「どうして大人はデートで素敵なフレンチやイタリアンを食べるの?」と思っていたけれど(この台詞、5歳くらいの女の子がワンピース着て言ってるようなテンションで、読んでみてください)、今日何となく、分かった。
そうか、その日を忘れないためなのだね。


ちょっと大人になった気分。ま、目の前でおいしそうなケーキをほおばっている幸せそうな子は、ムサビの友だちなのだけど。
うーむ。


ではまた明日。


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卒業式

今日卒業なさったみなさん、おめでとうございMAU!


4月からずーっと「入学式/卒業式」というカテゴリには記事がありませんでしたが、ようやく1つ、書くことができました。
感慨深い。
utoさんの記事を見ると、入学式にも期待が持てそうな卒業式!
入学式は、スーツでも着て新入生に混じってみようかな。
でも、手羽さんに見つかったら…と考えると、学校で悪いこと、できなくなりました。
いやいや、以前から悪いことなんてしてないけれど。


明日は、学校の友達に久々!に会います。


ではまた明日。


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いやはや

とある週刊誌に、美大生としては気になる見出しの記事を発見した。
週刊誌なんて某ジャニーズの某グループの某メンバーに彼女さんがいるということが分かったとき以来読んでいなかったのだけど(その人は未だ結婚せず)、勇気を出して立ち読みしてきた。
まあもちろん、週刊誌だからどうってことないのだけど。
肝心の内容は、はあ、週刊誌!という感じだった。
何というか、私自身は自分の中にいろいろなことに対する基準があって、それに添って判断をくだしているけれど、そうでない人も、もちろんいるのだよなあ、と。自分以外の人に判断を任せる場合も、あるのだね。
まあ、例えばスペースシャトルのすごさなんて言ったら専門家に判断を任せるしかないだろうけれど、美しいもの、美しくないもの、心地よいもの、心地よくないもの、そういうものも他者に判断してもらうしかないとしたら、ちょっと悲しい気がする。
人がどんなにけなそうがすごいものはすごいし、人がどんなにほめようがすごくないものはすごくない、んじゃないだろうか…
でもそう思わない人もたくさんいるってことは、それだけ美術だの芸術だのってのは、難しい、もしくは難しいと思われているのだなあ…


などと、本屋さんの店先で考えていました。


そんな私は、びわ湖ホールの話題に芸文的に参加できない、どうしようもない芸文生です。
珍しいキノコ舞踊団が以前、びわ湖ホールでやった公演が面白そうだった!くらいしか言えない。
ただ何となく、俳優や演奏家主導で署名活動するくらいじゃ訴えるものに乏しくて、滋賀県の人がホールを求めてくれるのがいちばんなんだろうなあ、とは思う。
今、自分の気持ちがくさくさしているからかもしれないけど、うーむ…
先述の話題と絡めて、複雑な気持ちです。


ではまた明日。


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泣きたい家族

みちくさ家の面々は、感動する映画やドラマを見て家族の前で泣くことがほとんどありません。
今、私は毎朝『ちりとてちん』を見るのを楽しみにしていて、ちりとてちんは本当に毎回、泣かされる演出ばっかりなので思い切り泣きたいのだけど、絶対に泣けないのです。
恥ずかしいという以前に、暗黙のルールになっているみたい。なんか馬鹿にされそうで泣けないのですよ。
ちりとてちんの感想がたくさん書いてあるSNSのコミュニティを見ていると、「家族で泣きました」なんてコメントがいっぱいついていて、うらやましいかぎり。
でも実際のところ、家族の前では泣けない人と、家族の前でも泣ける人、どっちが多いのだろう。


ではまた明日。


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大学生もそれぞれ

私の知り合いが今度大学4年生になるのだけど、3年の後期で卒業に必要な単位を取り終わってしまい、なおかつその人がいる学部には卒業論文がないため、内定が取れたら「学生ニート」状態になるそうだ。
4年生の学費も、それまでの3年間と同じように払うのかしら…
何だか勝手に心配になってしまう。
さて自分はと指を折りながら考えてみると、うーむ、しゃかりきに単位を取っても、4年生まで講義系の科目が残ってしまいそうだ。卒業論文は確実にあるし。
それに、4年生の6月には教育実習も…!そうだそうだ、これを忘れてはいけない。


ではまた明日。


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アイスクリームは突然に

今日はすっかり春の陽気の、東京です。
あんまりあったかいので、本屋さんの帰りに寄ったスーパーで、アイスクリームを買ってしまいました。
ぱっと目に入ってきた、「涼風堂 小倉」
わーなつかしい、と思わず手にとって、そのまま購入。
何がなつかしいって、このアイスクリーム、学校でよく食べていたものだったのです。お金がないときの味方、アイスクリーム。あったかいときしか使えない技だけど(寒くなると肉まんになります)、去年はアイスばっかり食べていたなあ。中でもこの涼風堂のアイスは、お気に入りでした。モナカよりも、カップに入っている方が好き。
しばらく食べていなかったので、家に帰ってじっくり食べました。
でも、何だか味が違う。もらったスプーンがプラスチックということもあるのかな。(学校は木のスプーンをくれる)
何よりも、あの空気の中で食べていないこと、それがいちばんの違いなのかも。


あと1か月もしないうちに、学校が始まる。
このごろの私は迷いが多く、それは春が近づいてきたことを思わせます。
春は何となく、心が落ち着かない。


ではまた明日。


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とある歌うたいさんのライブに行った

あまりその人のファンでブログを書く人がいないようなので、こちらでもこっそりと、報告のみ。
まるでブログの役割を果たしていないけれど、その歌うたいさんのファンブログ(もはやファンではないのかもブログ)で、とても意図的に攻撃的なものを見てしまったので、びくびくと。
うーむ、ライブに行って感じたこともたくさんあるのだけど、ブログ界?の片隅でひっそりとブログ書きをしている私には、そのブログの方が印象的であった。
意図して攻撃的な言葉を使っているからこそ、人を惹きつける。いい意味でも、悪い意味でも。
私はそういう考え方でこのブログを書いてはいないし、個人的にも好きではないのだけど、ちょっと、すごいな、と思ってしまった。
あらためて、ブログって全世界の人が読めるものなのだよなあと、噛みしめました。


ではまた明日。


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勉強する

この春休み、高校の同級生が就職活動に忙しいということもあって、今さらながら、私はどうなってゆくのだろうと考えていました。
もちろん、このブログにもちょこちょこと書いているように、私には私なりの目標があり、それに向けてどうにかこうにかやっているわけだけれど、でも本当にそれでいいのかなと、迷うわけでもなくためらうわけでもなく、思う春休みでした。


私は大学に入るまで勉強が本当に嫌いで、試験勉強もろくにしなかったのだけど、大学に入ってから勉強が好きになりました。自分の興味のあることを勉強しているというのが、いちばんの理由だと思います。


今勉強していることのつながりでいろいろ考えてゆくと、興味はあるけれどまだ知らないことが山ほどあることに気づいて、それらを系統立てて勉強してみよう、と思いました。
ところが、私の今いちばん興味のあることの多くが、「今動いているもの」(つまり、現象?)だということが分かり、「勉強」という言葉の難しさを実感しています。
そうか、今まで私が勉強だと思ってきたものって、勉強じゃなかったんだ。
もっと自分の足を使って追わないと本当に知ることは出来ない。
私はどうしても動くのを嫌がってしまうのだけど、それはいけないな。いや、嫌がってしまうようなことは、別に知りたいことじゃないんだろう。
とにもかくにも、動けるだけ動いて知りたいな、と思いました。


それにしても、「知る」って何なのかなあ。


なんてね。3年生になる前に分かって、よかったのかも。
1、2年生のときはわけも分からずつっぱしっていたからなあ…


ではまた明日。


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愛されがお

私の1歳の誕生日に、あるぬいぐるみがわが家にやってきました。
世界的に有名なマンガの中に出てくるキャラクター。
そのマンガの作者は一時期、世界一の大富豪だったそうです。
まあそんなこと関係なく、わが家のその子は私と20年間ずーっと一緒です。
もともと白かったのだけど、今や新聞紙と同じくらい灰色…
海外旅行に連れて行くとX線を通すとき別室に呼ばれるくらい私も大きくなりました。(笑えない)
さてその子のお友だち(同じキャラクターのぬいぐるみ)が食べ歩きをしているブログを昨日発見しました。
うちの子よりは10cmほど身長も低いですが、そこそこ大きくて目立つのは確か。
でもその子は本当にいろんなところでいろんなものを、相方さん(飼い主さん?お母さん?)と一緒に食べたり、見たり。
うらやましいなあ、と思って何年も遡って読んでいます。
ぬいぐるみと長く一緒にいたことがない人には必ず「思い違いだ」と言われるのだけど、ぬいぐるみにもやっぱり表情があって(おそらく年を経て出てくるんだなあ…)、ブログの中でたくさんのものを見たり聞いたりしているその子は、とても幸せそうなのでした。


ではまた明日。


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3時間近く考えてこれよ

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私は今、こんなことをやっています。
…なんというヘタレオートフォーカス。


以前こいつを床に置いて、うっかり素足で踏み抜いてしまったことがあります。わはは。
筆舌に尽くしがたい痛みですよ。
みなさん、絶対にやらないように。


ではまた明日。


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以前から気になっていること

先日、とあるタレントさんが、「私はテレビの世界に入るまでは、テレビの向こう側で簡単に評論していた。しかし、タレント活動を始めてから、それを恥ずかしく思うようになった」と発言しているのを目にしました。
この意識はずいぶん前から気になっていたのだけど、久しぶりに考え込んでしまったので、書いておこうかなと思います。美大にいると、なおさら強く抱く思いかもしれないし。


私はわりと、「簡単に評論」してしまう人です。好んで見るのは舞台ですが、見終わったあと、あーだこーだ、いっしょに見に行った人と話します。
それは、いいと思ったことも、悪いと思ったこともまぜこぜに。
あの人滑舌悪かったねとか、あの人音痴だったとか、あの大道具はどうなのとか、でもやっぱりあの人のあの演技がよかったとか。母と見に行くことが多いので、とにかく思ったことをばーっと言ってしまいます。端から見れば、口に鬼の住んだ親子に見えてしまうかも。笑
今の私は演劇をやっているわけでもなく、ただ、観劇を趣味とする人。そんな私が舞台についてあれこれ言うこと、それは悪いことなのだろうか。
(もちろん、どんなにつまらない舞台に出会っても、例えばこのブログやSNSでの日記で罵詈雑言を並べ立てるようなことはしません。なるべく冷静に考えて、私なりに論理的にまとめるようにしています)
自分の中にも、ちょっと罪悪感があるのです。
高校で演劇部にいたころ、私は非常に出来の悪い、それこそ滑舌がとんでもなく悪い部員だったので、下級生に何も言えない面がありました。ひょんなことから演出をやることになってしまったときも、下級生からの「お前下手くそじゃないかオーラ」みたいなものを感じて、しかもそれは事実なので、いたたまれない思いでした。
やはり、説得力の無さを痛感しました。
でも、それを母に相談したところ、「いいサッカー選手がいい監督になるとは限らないでしょ」と言われ、(自分のだめさを棚に上げつつ)納得した記憶があります。その逆も然り、ですよね。
もちろん、「ある程度内情が分かっていること」「的外れな批判でないこと」「むやみに批判しないこと」、これは前提なのでしょうけれど、何かを論じる(特に、批判する)ためにはその能力を持たなければならないということは、必ずしも正しくはないと理解していました。


でもふっと、やっぱりそうなのかなという思いが、頭をもたげるわけです。
山川静夫だって、ただの演劇好きのおじさんじゃないしねえ…いや、扇田昭彦みたいな人もいるぞ。いやいやいや、ただの演劇好きではないけれどね。


私も、小学生とか中学生とかのころに比べれば、「批判すること」によっぽど慎重だけれど(受験生だったとき、「みちくさの小論文は絶対に相手を否定しないよね」と言われたくらい)、その難しさを感じる今日このごろです。


ではまた明日。


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小学一年生から考える、音楽と美術 その2

今日は、昨日書いた「小学一年生から考える、音楽と美術」のつづきです。
赤岩さんねこあじさん、トラックバックと記事、ありがとうございます。
やっぱり、人の意見を聞くと自分では考えられなかったようなことを言ってもらえて、なるほど!と思います。ムサビ日記、書いててよかったなあ…


さて、以下、書いてみたところ昨日にもまして話がぶっ飛んでいますので、「続きを読む」に入れておきます。


○私が音楽を苦手になったわけ

まず、赤岩さんの書いていた、「音を楽しむ」ということ。
私には、この考え方がまるっきりないのだということに気づき、とても驚きました。
「正しさ」と「楽しさ」、私にとって先にくるのはどう考えても、「正しさ」なのです。
これはいったいどういうことなのか…
そもそも、私はいつ音楽というものを知ったのか。母に聞いてみると、幼稚園に入る前にはテレビで聞いた歌などを歌っていたそうです。が、それがとんでもなく音痴で、母は愕然としたとか。笑
ただ、子どもは音域がせまく低いそうで、そのときはあまり気にしないようにしていたようです。
私自身もそのころの記憶はありません。幼稚園に通っていたときは毎日歌を歌っていたけれど、それが特に楽しかったとも思っていません。
小学校に入り、それと同時にピアノを始め、私は楽譜を読めるようになりました。いい子だった私は(過去形なのがポイント)ピアノを毎日決まった時間に、母の監視のもとで練習していました。
すると、母が私の間違いを、手厳しく指摘するのですよね。彼女、同じころの私に校正記号を使ってきたとんでもない人なんですけど(笑)、その調子で、「今のそれは不協和音でしょう。よく聞きなさい、気持ち悪い音だと思わないの」と言ってくるのです。
私にとって、自分で意識して初めて音楽に触れたとき、そこには最初から「正しさ」がありました。
そのころの私にとって母は脅威ですし、間違えて怒られたくないものだから、音楽の「楽しさ」は「正しさ」を追求するほどに遠くなりました。
また、学校の授業では歌のテストがよくあり、そこで自分が「聞いた音をそのまま口に出せない」と分かりました。本当に音痴な人は自分が間違っている音を出していることも分からないというけれど、私はそれに気づいてしまったので、「正し」くない、間違った音を出すことが耐えられず、歌を歌うことが大嫌いになりました。
そんなわけで、ピアノにも学校の授業での歌やリコーダーにも馴染むことができず、もちろん楽しいなどと思うこともできず、私は音楽(の授業)が苦手になりました。


○みちくさ母にとっての音楽

一方、音楽を得意とする母に「『正しさ』と『楽しさ』だったらどっちが先?」と聞いたところ、「まあピアノをやる前のことは覚えてないけど、『正しさ』かなあ」とのこと。
曰く、「私は音楽の整合性が面白かった。楽譜を読んで、ドを弾けばドの音が出ること。それまでバラバラだったものが結びつくことに釈然とした」。
おそらく、彼女はピアノを習う以前(幼稚園に上がる前)にも音楽を好んではいたと思います。歌も正しい音で歌えていたでしょう。
でも、それが理論的に、整合性が取れること。つまり、「正しさ」が証明されること。ねこあじさんのおっしゃる「共通言語」を得たこと。
それが「楽しさ」につながったのですね。(これはすごく、彼女の性格的な部分があると思います)
だから彼女にとって「正し」くない音は耐えられず、私にもその「正しさ」を要求してきた。
彼女が私を音楽嫌いにしたとはまったく思わないけれど、「正しさ」と「楽しさ」のうち、「正しさ」を選ばせるようにしたのは、きっと彼女の無意識な意志なのでしょうね。
「正し」くないことを苦痛に感じたのは、私自身の性格によるものでしょう。未だに、何に対しても「正しさ」を求めてしまうので。


○みちくさ母にとっての美術

では、美術の授業が苦手だった母は(美術が嫌いなわけでは決してない)、美術で「正しさ」と「楽しさ」、どちらを先に感じていたのか。
小さいころのことは音楽と同じく覚えていないそうなので、学校に上がってからの話になってしまいますが…
彼女は彼女に教えた歴代の図工・美術の教師に恨みがあって(笑)、今でも彼らにどんな嫌なことをされたのか細かく話せます。執念深いのはときどき困るけど、でもそれだけ根が深い問題なのだよな、と考えさせられる。
小学校3年生までは図工専科の先生に教えてもらえなかったそうで、それは彼女には不思議でならなかったそうです。
彼らは輪郭を取ってから絵を描けと言い、その輪郭をなぞって色を塗れといい、色についても口を出し、彼女は、図工なんだから好きにやらせてくれと思ったとか。
図工に「正しさ」があること、それが彼女には理解できなかったのですね。
その時点ですっかり図工嫌いになってしまった彼女は、図工専科の先生に習うようになってからもそこに楽しさを見いだせず、中学生になります。
ところが中学校の先生が、そういった不自由な図工を非常に嫌う人で、それしか知らない彼女は目の敵にされたそう。
絵を見たり、すてきなデザインの物を見たりすることは大好きなのに、自分で何かを作り出すことにはすごく抵抗を覚えてるようになってしまった。


○「正しさ」と「楽しさ」の関係

こうして考えると、美術と音楽、分野の違いはあれど私たちの抱えている問題は同じなのかもしれません。
「正しさ」に縛られ「楽しさ」が見えなくなってしまっていること。
赤岩さんが書いているように、「教育的な『正しさ』が必ずしも『音を楽しむ』ことにつながるとも限らない」。これは母について言い換えてみれば、「教育的な『正しさ』が必ずしも『美術を楽しむ』ことにつながるとも限らない」となるでしょう。
本当に、そうだと思います。読んだとき、はっとしました。
でも、すごく難しい。私も母も、学校に入った段階で「楽しむ」ことに対する意識を抜き取られ、「正しさ」を押しつけられてしまったような気がします。
私の図工や美術の先生はありがたいことにずっといい人たちで、だから私は美術を好きでいられたのだと思います。彼らは決して、「正しさ」だけを要求してはきませんでした。もちろん、必要に応じて「正しさ」を教えてくれたことはあったけれど。
それだけ、「教育」の場だったり、「学校」という場所は、難しいところなのではないかと思います。
少なくとも私、そして母は、小学校から高校にかけて、「正しさ」を教えられてきた気がします。それは必要なことだし、一概に悪いことだとは言えないけれど、「正しさ」以上にならない部分が多くあったこと、それが良くなかったことなのかな、と思います。


○学校を出たときに「楽しむ」ことができた音楽と美術

今の私にとっていちばん近い音楽は、ミュージカルなど、舞台で使われる音楽かなと思います。
それ以外、あまり音楽は聞きませんし、自分が演奏して楽しむこともありません。
ただとにかく、ミュージカルやその他の舞台で使われる音楽は好きです。
それは、高校生になり、音楽の授業を離れてから覚えた感覚です。中学のときにもミュージカルはそれなりに見ていましたし、学校の授業で触れる機会もありましたが、今感じているほどではありませんでした。
不思議なことですが、「学校」という場を離れて初めて、音楽もいいもんだな、と思えたのです。
今ではたまにピアノを弾いたり、ちょっと歌うことに興味があったりします。(怖くて、なかなか一歩、踏み出せないけど)
これは母も同じことのようで、彼女は最近になって自分から何かを作ることを始めました。
目が悪いのでそこまで熱心にはやりませんが、ちょっとした手芸のようなことをしています。それがまた、性格と相まってきれいなんだわ。もし図工や美術に興味を持って楽しむことができたら、すごいものが作れたんじゃないかと思ってしまう。
そう考えると、やはり、自分が学校の先生になろうかと思っていること、そしてその影響力、それが興味深く、怖ろしく感じられます。
もちろん、みんながみんな美術を楽しみ、好きになってくれるとは限らないけれど、その人の一生に美術の嫌な記憶が残ってしまうこと。
学校は何のためにあるのだろうとか、すごく根本的なことを考えてしまいます。


○まとまらないまとめ

話が思わぬところにまでぶっ飛びました。
とりあえず、昨日と今日の私が考えたのはこんなことです。
っていうか、全然赤岩さんやねこあじさんの記事と共鳴してない気がする…がーん!
でも、私って音や音楽を楽しんでないんだなー、って、けっこうショックでした。
そういや、木琴の乱打とかピアノの乱打とか怒られたもんなあ…母が我慢できないのね。
だからやらなくなってしまって、その時点で「楽しむ」視点がちょっとなくなったのかも。
あと、話がややこしくなるので本文では無視しましたが、母や私の中にあるのは、そもそも洋楽器の音階であって、和楽器だったりその他の楽器にはまた別の音階があります。(と、私は理解しています)
ちょっと和方面の習い事に興味がありいろいろ調べていたのですが、母くらい正確な絶対音感を持つ知り合いがその方面の習い事で苦労している話を聞き、躊躇しています。


○余談

そんな私は「自覚のある音痴」ですが、母に言わせれば「だいたい絶対音感」を持っているそうな。
おそらくピアノを始めたころの彼女の訓練の成果だとは思いますが、私の中には固定ドしかないようなのです。
音痴なものでカラオケに行くことをかたくかたく拒んでいるわけですが、初めて行ったカラオケで、キー変更をする人がいてぶっ飛んだ記憶があります。
無理!ピアノ習いたてのころのお母さんじゃないけど、ドはドなの!
そのくせ自分が歌うと激しく調が移動、あさっての方向に音がすっこ抜けていくので、ほんと、ないならないでいいんですけれど。中途半端すぎてあきらめがつきません。
すごく、不便です。


ではまた明日。


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小学一年生から考える、音楽と美術

本屋さんで雑誌を買ってお金を払っていたら、隣のレジで親子が大興奮していた。
店員さんが、「今月の『小学一年生』のふろくなんですよ」と説明し、小学一年生を買ったらしい親子は、「すごいすごい」と笑顔でそのふろくを受け取って帰っていた(レジにふろくが置いてあるらしい)。


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どんなにすごいふろくなのかと家に帰って調べてみて、驚いた。
「ドラえもん どこでもゆびピアノ ドレミくん」
実演の映像が貼ってあったので、見てみる。


…ん?ちょっと待って、これ、いいの?


気になったのでリビングにいた母に聞かせる。彼女は絶対音感を持っているので、こういうときにとてもありがたい存在。私自身は「(半ば)絶対音感」しか持っていないので、確信が持てないのです。
さて映像を見た母の反応。
「気持ちわるーい」
やはり。
ならばすでにブログで記事を書いている人もいるだろうと、検索をかけてみる。


moet-bois - 「ゆびピアノ」の音程のひどさについてなぜ誰も指摘しないのか


や、やっぱり…
他のブログの記事を読んでみると、親指から順番にドレミ…とふってあるよう。
この記事コメント欄でいろいろ議論が交わされていますし、私は音楽にはまったくの門外漢ですからああだこうだとは言えないですけれど、血の気が引くのは確かです…
もちろん、発想としてはすごいと思うし、雑誌もなかなかに大変なのね…、と芸文的に考えることもできるのだけど、なんだかなあ…


私自身は思いっきり音痴なので(聞き取りはできてもそれを口に出せない)、将来もし子どもができても絶対に歌を歌って聞かせないぞと、今から心に決めています。子どもには申し訳ないけれど、でも先のことを考えたら私のふらふらした歌なんか聞かせない方がいいはず。
母が絶対音感を持っていて、それに苦労するようすを見ているからか、自分には中途半端な音感しかないくせに、妙に神経質になってしまうのですよね。母の、周囲や自分に対するイライラと、少し似ているかも。


この雑誌はいわゆる教育雑誌の類だと思うのですが、このふろくは、教育の観点からしてどうなのだろう。
音楽大学や教育学部で音楽の教員になるため学んでいる人たちからは、どのように受けとめられるのでしょう。
教職課程にいるひとりの学生として、気になりました。
例えばこのふろくのドをハ長調のドであると子どもに理解されてしまったら、小学校の先生はどうするのだろう。


うまく言えないけれど、私と母には絶対に分かり合えない部分があって、それは母にとっては美術、私にとっては音楽です。
私はいやいやながらピアノ教室に通っていたくらいで、もちろん母の持つような絶対音感は持っていません。しかし母は「絶対音感のない人がいる」ということがうまく理解できず、私に絶対音感がないことに今でも納得できていないようです。もちろん、頭ではそういう人がいることくらい分かっているのだけど、彼女自身に幼いころからある感覚なので、心から納得はできないのですよね。
私は小学校の音楽のテストでドレミを書くのができなくて、心配した母によってソルフェージュをやらされたのですが、一切理解できず終わりました。笑
そこで、彼女はようやくあきらめたみたいです。この子に、絶対音感はないのだと(そして相対音感をつける気もないらしいと)。想像でしかないけれど、それはかなりのショックだったのではないかと思います。


一方の私は、母が絵を描かないことが、小さいころから不思議でたまりませんでした。これは父もそうなのですが、絵を描くのをためらうのです。
私は暇さえあればうさぎちゃんを描きまくっていたので、おかーさんも描いてみればいーのに、と思っていた気がします。やたらとほめられるので、それはうれしかったですけれど。(遠くにいるうさぎを小さく、近くにいるうさぎを大きく描いたら、ものすごくほめられてびっくりしました)
そこそこ大きくなって、母は絵を描くことにコンプレックスがあるようだ、と知り、でも私はそれが特にショックではありませんでした。まあそんなもんだろう、と思っていた気がします。
そこに、私たちの大きな相違があり、また音楽と美術の性質の違いもあるように感じます。


あくまでも素人である私の意見ではありますが、音楽には初めから「正しさ」があるように思います。美術では、初めの「正しさ」は要求されないのではないでしょうか。
おそらく、音楽を教えている人の多くが、絶対音感なり相対音感なり、「正しい」音感を持っていることでしょう。それは美術を教えている人も同じことで、彼らは音感の代わりに「デッサン」などができます。
ただ、正確なデッサンは美術の最初に求められることはありません。例えば、子どものぐるぐる描きや、簡単な写生。どんなにぐるぐる描いても自由だし、子どもだからこそ草を緑だけではない色で描き、それが面白かったりします。
でも、音楽には最初から「正しさ」があり、求められる。ドはド以外の何者でもない。
もちろん美術だって、勉強していけばそれなりに「正しさ」は求められるのだけれど、音楽の比ではないと思うのです。


ずいぶん話がぶっ飛びましたが、「正しさ」を要求される音楽(の授業)に初めて触れる子どもも多い中、「ドラえもん どこでもゆびピアノ ドレミくん」のようなふろくをつけること…
何だか、不幸に思えてなりません。もちろん、音楽を好きになってくれれば、こんなにありがたいことはないのだけれど。


ちなみに、私の(祖父母曰くの)「美術的才能」はご先祖ゆずりらしいですよ。ほんとかい。(ないない!美術的才能とか、ないない!)
祖母の祖父だか曾祖父だかが、仏師だったのだそう。今でも、祖母の田舎には彼が作った作品があるそうです。
私は、(教員という選択肢も含め)自分を「突然変異の子」だと思っているので、まあ何とも思わないのですが。


これはどんな立場になってもそうだけれど、自分の好きなものを嫌いだという人の気持ちを分かっていたい。
絵を描くことが嫌いだという人の気持ちをなるべく理解していたい。
私はよく、「美術なんてすごくない、演劇なんてすごくない」と言うけれど、その気持ちを忘れたくないなあ…
もちろん、まず「美術が好き、演劇が好き」という自分の気持ちありき、ではありますが。


ではまた明日。


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かたい歯ブラシ

歯ブラシがずいぶんへなちょこになってきたので、スーパーに行って愛用している歯ブラシを買いました。


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これです、これ!


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はいここ重要ですよ。試験に出ます。
私が使っているのは、「ふつう」のかたさの歯ブラシなんです。


一昨日買ってきて、喜々としてパッケージを開け、夜、口の中に入れてみてびっくり。
慌ててごみ箱からパッケージを拾い出し、表示を読んでみると案の定…


もうがっかりです。
くちゅくちゅぺっ、とやると、あーあ、洗面台が赤い。


地味に、地味に、テンションが下がりました。


そんな日もあるよね!


ではまた明日。


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それはどうなのレストラン

今日、とあるレストランにごはんを食べに行きました。
カレーとケーキのおいしい、私たち母娘のお気に入りのレストランです。
以前好きで食べていたメニューが復活したことに感動し、ふたりしてニマニマと食べ、食後のケーキを堪能し、ハーブティーを飲んでほっとひと息ついていたとき、それは起こりました。
私たちはレジのすぐ横の席でごはんを食べていたのですが、レジ付近にいたウェイターさん(たぶんけっこう偉い)とウェイトレスさん(こちらもウェイトレスの中では年齢が上みたい)がこんな会話を始めたのです。


ウェイトレスさん「あの子、めちゃめちゃ下げ物下手だよね」
ウェイターさん「あー…」
ウェイトレスさん「あの子ホニャホニャだしホニャホニャだしホニャホニャだし…」
ウェイターさん「…」
ウェイトレスさん「あの子○○(ある職業名)になりたいんでしょ?」
ウェイターさん「あ、そっちの子のことか。勘違いしてた」
ウェイトレスさん「何かワープしてんだよね」


この時点で母はウェイターさんを凝視。無言の訴えです。
しばらくして彼は母の視線に気づき、話に同調するのをそれとなくやめたのですが、ウェイトレスさんは話しつづける。
いったい何分話したか、私がお茶を飲み終わるころ、ようやく彼女の話は終わりました。
くわしい内容は聞こえなかったし聞きたくもなかったけれど、彼女がお客さんに聞こえる場所で、同じお店の従業員の悪口を言っていたのは確か。
おそらく、彼女が話し始める数分前にお昼休憩に行った2人のウェイトレスさんのうち、どちらかだと思うのですが…
彼女たちがいなくなったとたんに、上の方の人に文句を言うなんて。
それはまあ、人としてどうなのと思うことであるとしても、でもお客さんの前で言うなんて。
私はそのレストランの接客が好きだし、そこで食べられるものも大好きだけれど、今日は何だかいい気分ではありませんでした。
ウェイターさんも、ちょっと彼女に注意するくらい、できないものなのかしら。


作家の恩田陸さんが初めて書いた戯曲『猫と針』
これは昨年、演劇集団キャラメルボックスによって上演されました。
そのキャッチコピーが、強烈に頭の中に残っています。今日は、それをふっと思い出して、ああやっぱりな、と考えてしまいました。


人はその場にいない人の話をする。


嫌だな。そういう人にならないよう、努力したい。なかなかに、難しそうだけど。


ではまた明日。


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美術とデザインと演劇と私

xokoさんの日記を読んで、あ、わかるわかる、とうなずいたみちくさとりこです。
特にうなずいたのは、このくだり。


やっぱり美術館に行くことは義務にしか感じられないし
美術書を読むこともデザイン雑誌を読むことも
義務にしか感じられない興味をそそられない

あ〜これってどうなのさ私

これで将来美術関係の仕事ができると思いますか
できませ〜ん


美大生として、というよりは芸術文化学科の学生として、なのだけど、私は本当にダメダメだなあ、と思います。
日記を読んでいただけると分かるかと思うのですが、私は美術館に行くより、劇場に行く方が好き。
でも、実は大学に入るまで、それも2年生の半ばくらいまではっきりとそう思っていたわけではありませんでした。
2年生後期のミュゼオロジーの授業が始まり、みんなが週に何回も美術館に行くようになってから、意識するようになったのです。
私は決して器用ではないので、教員の資格と学芸員資格、両方取得することは1年生のときにあきらめてしまいました。
これはけっこういろんな人にびっくりされ、「とりこちゃんだから取っておいた方がいいのに…」とよく言われるのですが、うーん、やはり不器用な私には無理そう。教職課程でいっぱいいっぱいです。
そんなわけで、私は学芸員資格取得に必要なミュゼオロジーの授業を履修していません(ミュゼオロジー、という言葉はもしかして、もしかしなくてもなかなか難しい言葉なのかな…)。
ミュゼオロジーでは課題でたくさんの美術館に行かなくてはなりませんが、履修していない私にはその義務がない。
となると、まったく自分が美術館に行かない、下手すりゃ美術館があんまり好きじゃない人間だということが分かってしまったのです。
そのことを芸文の友だちに話したら、「そんなことも分かってなかったの?とりこちゃんは、じっとしてないで動いてる方が好きなんでしょ」と言われてしまいました。
あ、なるほどね。
以前、演劇を一切見ない作家さんから、「どうして見る時間が決まってるのがいいの?」と言われたことがあって、そのときも、なるほどね、と思いましたが、そんな感じ。
何なのだろう、もちろん美術にまったく興味がないわけではなく、むしろ私にとってなくてはならない存在だし、だからこそ美大にいるわけだけど…
演劇を美術ではないと定義するとして(本当のところどうなのかは、私にもまだ分からない。そもそも芸術ですらないのかも?)、私がより興味のあるのは、演劇なのだろうなあ。
それは、自分のリズムとして、なのかもしれない。生活の時間に組み込まれている感じ。
もちろん、私の身の回りは美術だのデザインだので溢れているのだけど、それは物として、のように思える。演劇はそうではなく、私の時間に入り込んでくる。私にとっては。多分、その感じが好きなのだと思う。
チケットを取る、待ち侘びる、準備する、電車に乗る、チケットを見せる、席に座る、開演を待つ(、トイレに行く)、見る、帰る、考える。
1回の観劇にまつわるいろいろなことは、私自身の流れの中でちょろちょろと動く。決して現実を離れるわけではなく、しかしその中で最大限に飛躍する。
そういう部分が、好きなのかな。
美術やデザインにそういった面を見出す人もいるだろうけれど、私は演劇に、より、それを思う、ということ。
私はそれでいいのだけど、美大、しかも芸術文化学科という環境にいると、うーむ、と思うことが多い。やはり、周りには美術やデザインに興味を持ち、学ぶ人が多いので。
ただ、私にとって演劇が重要なテーマであることは間違いないし、履修している教職課程のもろもろと併せて、勉強していくことになるのだろうな、という気はする。
2年生になる前の春休み、「2年生の1年間で、私の行く末がある程度決まるのかなあ」とぼんやり思っていたけれど、なんとなーく、こういうふうになったのだね。


ではまた明日。


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ぺんだこ

久しぶりに、右手中指にペンだこができました。
小学生のときからずっとあったペンだこ。
大学に入って圧倒的にペンを握る時間が減り(勉強はしてるけどぐりぐりペンで書くことはすっかりなくなった)、いつの間にかけなげな存在になっていたペンだこ。
日曜日をはさんで10連勤!という怒濤のアルバイト週間が終わり、気がついてみればアイタタタ。
久しぶりに現れています。
今やっているアルバイトは、勤務中に起こったことをすべて文字にして書き残すという面白いアルバイトなので、勤務が重なると必然的にペンを握る時間も増えます。
私はペンを強く握ってしまう癖があるので、どうしてもペンだこができやすい。
でもペンだこは何だかがんばってるしるしのようで、小学生のころから好きだった。
成果に現れないぶん、形で証拠を残しておきたいのです。笑
テストがどんなにできなくても、あーペンだこできるくらいがんばったぜ!と意味のないはげましを自分に。
テストができなきゃ意味がないんですがね。
でも私にとってペンだことはそういうやつです。
そいつに久々に会えて(といってもペンだこもどきはずーっと右手中指にあるのだけど)、何だかうれしい今日なのでした。


ではまた明日。


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春休みの不安

大学生の春休みは長すぎて(といってもあと1か月ほどで終わってしまうわけですが)、4月に学校に行ったら周りがみんな知らない人になってるんじゃないかという不安に襲われて2年目です。
3年生になれないがために周りがみんな知らない人…、ということはないとは思いますが(ないとも言い切れないけれど)、ここ数日、去年と同じようにそんなことを考えているせいで、変な夢ばかり見ます。
(ちなみに2年生になっても、友だちはちゃんと友だちでした、よ!)
今日見たのは、直球ストレート、友だち(大学の友だちらしいが具体的に誰ということは分からない)にいじめられる夢でした。もちろん、そんな人いやしませんが。
そのいじめ方というのがまあ小学生中学生レベルで、体操服隠されたり昨日まで仲良くしていた人に無視されたり…(大学生に体操服はないといえばない)
夢を見たのが昼間だったからか(お昼寝していたのです…)、半分目が覚めているために夢か現実か分からない瞬間があって、わりと真剣に焦りました。夢だと理解するまでにけっこうかかりました。
あー怖い。
そろそろ4月からの生活に向けてちゃんとしなくてはならないです。ぐうたらばかりもしていられないなあ。
高校のときの友だちが通う大学は、すでにシラバスが出ていたり、3月末くらいにはシラバスを見られるようになったりするところが多いらしく、今から来年度の履修を考えられるそう。これはちょっとうらやましい。
私も、今年度のシラバスをめくりながら何を取ろうか考えるけれど、同じ科目が開講されるとは限らないし、曜日や時間も分からない。困った。
それにしたって、もう3年生になるとは。(なれれば、の話ですが、はい)
もう大学生活も折り返しなのね。高校の同級生も何人かムサビにいるけれど、彼らはもう卒業していくわけだ。


ああ、焦るなあ。


ではまた明日。


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1年、2年

今日は曾祖母の一周忌でした。
いろいろと考えることがあるだろうと思っていたのだけど、意外とそんなことはありませんでした。
1年経てばいろんなことが変わるのだろうとぼんやり感じていたけど、全然そんなことありませんでした。
べつに、月日が経つのは早い、なんて思わなかったけれど、でも昨日のことのよう、というのは本当かもしれない。
去年スーツの下に着た黒いシャツを出してみたら、襟ぐりのところの色がずいぶん落ちていて、ああそんなものか、と思ったりした。
来年はどうなっているのか。


ではまた明日。


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一日にして消える

今日は平成19年度芸術選奨について書きたいのですが、なにせ文化庁のウェブサイトにソースがないもので…
明日以降、書こうと思います。その前に、手羽さんが書いてしまうかな。
そのときは、手羽さんにお任せしまーす。


さて、昨日あれだけ「やっぱりIEだぜ!」と持ち上げておいてなんなのですが…
IE、バージョンダウンしました。泣
理由はよく分からないけど見られないサイトが山ほど出てきてしまい、途方に暮れて「IE バージョンダウン」で検索をかけたら、まあ上がってくること上がってくること。私がずいぶん時代遅れだっただけなのね。
マイクロソフトのサイトにも、しっかりやり方が書いてあったり。それでいいのかビル・ゲイツ!
そんなわけでコントロールパネルからわずか1日でIE7を削除、でも一度覚えたタブブラウザの味は忘れられないってことで、母にすすめられたSleipnirというブラウザを入れてみました。IE系のタブブラウザです。
今のところまだカスタマイズが出来ていないけれど、少なくともIE7よりは使いやすいです…
検索バーをYahooに出来ないかなあ…むごむごむご。母に聞いてみよう。


明日はいろいろと書くことがありそうです。


ではまた明日。


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