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新宿に文化・芸術はないのか
今日、うちに配達されてきたサンケイリビング新聞社の『リビング新聞』というフリーペーパーを読みました。(2008年2月23日発行、1622号)
このフリーペーパーは主婦を対象に発行されている生活情報誌で、全国主要都市で配布されています。
時間があったので久しぶりにじっくり読んでいて、こんな記事を見つけました。(記事のリンクがないので、適宜引用いたします)
「新しい鉄道の開業を機に 新宿独自の空気づくりをする」という見出し。東京メトロ副都心線の開業について、新宿東地区まちづくり研究会の会長がお話されています。(研究会のウェブサイトがないので新宿区観光協会にリンクを貼ります)
副都心線の開業に伴い、新宿には新たに13の地下鉄出口が設けられるそう。しかし副都心線開通の認知度はまだまだ低いと会長さんは捉えています。これを機に、新宿を「もっと魅力のある、そしてもっと安心して楽しめる街にしなくては。それには企業・行政・商店街が三位一体にならなくては」と話します。
会長さんは地元商店だけではなく、伊勢丹新宿店をはじめとするデパートを巻き込み、街づくりをすすめています。デパートと地元商店がお互いに協力するのは珍しいこと。そのことについて、彼は「みんなの街を思う気持ちと行動がまとまってこそ、(その街独特の)空気を作ることができる」と言います。
なるほど面白い、と思って記事を読んでいたのですが、最後に引っ掛かる言葉が書いてありました。そのまま引用します。
「新宿歌舞伎町にある四畳半文化は、どこの街にもないもの。反対に新宿に唯一ないものは、文化・芸術」との思いから、JR東日本に新宿駅ビルに美術館を作ったらと提案をしているそうだ。
私はこれを読んで、非常に驚きました。
新宿東地区まちづくり研究会の会長さんは、新宿には文化・芸術がないと断言しています。本当にそうなのでしょうか。
まず、彼が望んでいる美術館が、決して新宿にないわけではありません。住所は西新宿になりますが、損保ジャパン東郷青児美術館があります。
小さな美術館やギャラリー、美術館に近い存在といえそうな文化学園服飾博物館も新宿にはあります。
彼はそのことを知っているのか、まず疑問に思いました。
確かに、それぞれは決して新宿駅から近いとは言えません。検索すると10分以内の表示が出ますが、人の数や混雑を考えると、駅から歩いて15分ほどはかかるでしょう。駅ビルの中に美術館があれば、便利だとは思います。
しかし、「文化・芸術」は美術館を作ることだけによって生まれるものなのでしょうか。
少なくともこのインタビュー記事を見ている限りでは、彼がそう考えているように捉えられます。
そもそも「文化」とは何か。新宿という街に「文化」はないのか。
手元の大辞泉で調べると、「文化」の項の1つ目には、
人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。
とありました。
私自身が何となく頭の中で考えていた「文化」も同じような意味です。人のいるところ、すべてに文化がある。そう考えています。
しかし、新宿東地区まちづくり研究会会長は、2つ目の意味で捉えていたようです。
2つ目の意味は、
1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。
となっています。
なるほど、2つ目の意味を採用すれば、「文化」と「芸術」はそれぞれ「精神的活動」であり、それがないというのが彼の主張のようです。
しかし、人の暮らすところで「精神的活動」のないところがあるのでしょうか。彼の行っている「まちづくり」は「精神的活動」、そして「文化」ではないのでしょうか。
新宿東地区まちづくり研究会の具体的な活動は、はっきり分かりません。でも、彼の主張や副都心線開通に対する考え、地域に対する取り組みなどを読む限りでは、新宿という街を魅力のある、楽しめる街にしようと行動しているように思えます。そのことはすでに、「文化」を生み出しているのではないでしょうか。
また、もし「文化・芸術」の根っこを、分かりやすく施設で表現したいのだとすれば、美術館以外にも方法はあります。
博物館、劇場、図書館、建築、…
例えば新宿には、大小さまざまな劇場が多くあります(リンクはその一部)。新宿三丁目駅近くには、末廣亭という寄席もあります。
また、丹下健三の東京都新庁舎や内田祥三の損保ジャパン本社ビルなど、個性的な建築物もあります。
ビルが密集し、人が集まる新宿は、街自体が「文化・芸術」を丸飲みしているように感じられます。新宿は「文化・芸術」がないどころか、「文化・芸術」を語るのにじゅうぶんな街だと、私は考えます。
まるで受験生のような小論文、というか小作文、を書いてしまいました…
先日、「若いころは何も現実を知らないから大きなことが言える」と誰かが言っていたのを聞いて、「私が今考えたり言ったりしていることって、世間知らずで甘ちゃんなのかなあ」と思いました。
もちろんそうなのでしょうが、でもだからといって何も考えなくていいわけではないし、言わなくていいわけでもないと思います。どんなにあとで自分を恥ずかしく思ってもね!(受験生時代の自分の小論文は、真っ直ぐすぎて顔が赤くなります。この文章だって、卒業するころ読めば同じことになるでしょう。って、そりゃそうか)
それにしてもなんだか、「文化・芸術がない」という主張は、すごいなあと思ってしまったのです。入れ物がないと、そこに文化や芸術は生まれないのでしょうか。そんな馬鹿な。という最初の思いを、小論文ふうにまとめてみました。こうして読んでみると、文章下手になったなあ。下書きしてないから、仕方ないのかもしれないけれど。卒業論文が、今から非常に心配です…
この文章を書くにあたっていろいろと検索し、私の考えていることをさらに深く書いてくださっている、武庫川女子大学生活環境学部情報メディア学科松野ゼミのウェブサイトを興味深く拝見しました。「文化の遠近法」というページです。よろしければ、併せてご覧ください。
話は少し変わりますが、私は大学2年も終わった(だろう)今になって、自分の勉強不足をひしひしと感じています。
今朝、「大学3年生に対し、企業が『大学で何を勉強したか』と聞くのはいかがなものか」という大学准教授の主張が新聞に載っているのを読みました。彼女曰く、「多くの大学生は3年次から専攻の中・上級科目を修めつつ、卒業研究のテーマを絞っていく。そういった学生たちに、卒業まで1年半を残して『大学で何を勉強したか』と聞くのか」。
私自身、この2年間で、入学前に考えていたのとは少し違った方向に進みそうだと分かってきました。その方向を見据えた上でゼミを選びましたし、卒業研究をとても楽しみにしています。残りの2年間、とにかく勉強したい、と思っています。
けれど、2年間で私が勉強したことはいったい何だったのかと、今日のようなことがあると考えてしまいます。
文化政策について今さら考えて、この程度の言葉でしか表現できないこと。それは芸術文化学科で2年間勉強してきた者として、どうなのだろうか。本当にもう、今さら何よ…、といった感じなのですが。
あと2年間で、どこまで行けるのか。もちろんそこはゴールなんかではなく、スタートでなくてはならないと思います。
浪人しているので、高校時代の友だちは就活にどっぷりです。その様子を見ていて、最近いろいろと思うところがあり…
彼女たちは、大学や専門学校で何を学んだのでしょうか。どうやってエントリーシートを出す企業を選んでいるのだろう。
なんだかなあ。すっきりとしないです。
ではまた明日。
michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)