教職総合演習グループ別報告会で感じたこと

先週と今週、教職総合演習の授業で、グループごとの報告会がありました。
私のクラスは2つの施設に分かれて実習をしていて、すでに全ての日程を終えている班もあれば、私の班のようにこれから実習を行う班もあります。
今回は、お互いに情報交換をする意味で、先生が設けてくださった機会でした。
実習に行くまでにどんな準備をしたのか、実習先ではどんなことをして、どんな困ったことやうれしかったことに出会ったのか。
各班10分くらいを目安に、写真などの資料も使って報告していきます。
私の班はまだ実習を半分残しているので、得ることがたくさん。これは話のきっかけになるとか、ここを注意しながら実習にのぞんだとか、ちょっと先輩なみんなの話を聞きました。


ものすごく極端な話になりますが、報告会を2週にわたって聞いていて、ファイン系とデザイン系の違いを強く感じました。
私のクラスはファイン系が多いようですが、やはり、「人前で話す」ということについての意識が、抜けている(人もいる)ように感じられました。
もちろん、デザイン系の学科に所属しているからってぺらぺらと話せるわけではないけれど、少なくとも、「人前で話す」という場が設けられたとき、それに対する準備のやり方だとか、話すときの「心得」があるように思われるのです。
でも、それはもう単純に、「慣れ」なのだと思います。デザイン、ファイン関係なく。
芸術文化学科はデザイン系のくくりに入ると思うのですが、やはり、人前で話す機会がとても多いです。どんな授業でも、クラスの前での発表を求められます。
1年生のときからそういった機会が細かく細かくあるので、最初は「膝ががくがく震えちゃう」と言っていたような子も、堂々としゃべれるようになっています。もちろん本人の努力も多分にあるのでしょうが、機会が多く与えられることは、その努力や成長を促す大きな要因になっていると思います。
話をどうやって整理すれば、相手に響いてくれるのか。
人前で話す経験を多く積めば積むほど、そのツボがぼんやりと分かってきます。そして、そのツボを外した話は、どうしてもばらばらとして聞こえ、頭に入ってこないのです。


私は、ファイン系の講評がどういった形で行われているのかほとんど知りません。
唯一、共通絵画の講評を受けたことがあるくらいでしょうか。だから、ファイン系の講評は変えるべきだ!なんてことは到底言えません。
共通絵画の時どんなことを聞かれたのかは覚えていないけれど、先生に、「芸文の子は、どういう考えで作品を作ったか話してくれるから面白い」と言われて、それがとても印象に残っています。


どちらがいい、どちらが悪いということではないけれど、少なくとも先生という職業に本気で就こうと思ったとき、「人前で話す」力は重要な意味を持ってくるのではないかと思いました。
生徒や児童の注意を引き付けるとき、大声で怒鳴るのか、何かちょっと聞かないではいられない話をしてやるのか、はたまた全く違った工夫をするのか。教室全体を見回すのか、そうではないのか。


そしてその力が必要とされるのは、先生に限らないのだろう、ということも、何となく分かります。
デザインだろうとファインだろうと、すごい!と思わせる人は「人前で話す」能力に長けているのだということも。


教職総合演習は、そういったお互いの違いを認めあい、成長していく場です。
私はファイン系の人と班を組んでいますが、彼らの圧倒的な画力や作品に向けるパワーは、本当に尊敬します。とにかく、私にはないものばかり持っていて、心底うらやましい。
けれど、逆に彼らは、私にそういったものを見てくれているのだろうか。
4月からずっと、不安に思っていることです。
お互いがお互いの足りない部分を補足しあって、うまくいくといいのだけれど。


ふと、そんなことを考えた、今日の授業でした。
ファイン、デザインというくくり、あまり好きじゃないのだけど、時折こうやって、その違いを感じることがあるのです。
それは、致し方ないこと。
広い心で、読んでいただければと思います。


ではまた明日。


michitori◎hotmail.co.jp(◎→@)

投稿者:torico : 2007年10月16日 22:00

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